現在、原発賛成・反対、温暖化が起こる・起こらない、など環境に関する事が社会のテーマに成っている。
日の出
勿論、貧困問題、人口問題、食糧問題、民族問題、国境問題、宗教問題・・・様々な問題が人類の中には数えられないほど多く存在している。
原発(核分裂熱発電)問題と温暖化問題(これが人類が二酸化炭素出していることにより起こっているのだとしたら)が起こっている原因を考えてみる。
簡単に言うと両方とも熱を取り出したいが為に起こった問題である。
人類が人類に進化した、進化できた大きな要因の一つに火を使うことが出来る様になったからだと言われている。
人類は木を燃やして火を手に入れたことで、熱を利用することを覚えた。
木を燃やして火を使うことにより煮炊きをしたり、土器等を作るなど技術を身に付け、他の全ての動物たちと違う生活の仕方が出来る様になった。
更に、石炭を使い、石油を使うことによりその技術を進化させ、効率化させ、生活を便利で楽な方向に変化させた。
そして更に、便利で楽な生活をしたいという理由を付けて核分裂熱発電まで手を出した。
(横道にそれるが、核分裂熱発電は決して温暖化を防ぐという目的から始められたのではなく、後から屁理屈として付けられた物である。核分裂熱発電がこの国に持ち込まれた経緯を見れば良く解る。欺されないように・・・
現在の価値基準に基づく生活パターンを変えたくない為に、核分裂熱発電までして便利な生活を維持しようという安易な発想をしているのだと思う。そこを変えなければ何をしようとも地球環境や社会情勢が更に悪くなることはあっても、良くなることはないだろうし、エネルギー問題と環境問題を解決することは出来ないと思う。)
ここまで来ると、今までの価値観を変えず、社会形態を引き伸ばして、今までの技術を延長するだけで解決を求めるなど安易過ぎると思うのだが・・・・・

木を燃やすことも、石炭や石油を燃やす事も、核分裂をさせることも、みな熱を取り出したいからである。
熱エネルギーを利用したいからである。
しかし、同じ熱エネルギーを取り出すのも、木と石炭・石油とでは結果が違ってくる。
ましてや、核分裂で熱を取り出すのはご存じの様に全く違う(これは二酸化炭素どころか、その廃棄物の捨て場も定かでなく、それが未来に何を産むかの想像も出来ないのである)。
鳥
木を燃やして二酸化炭素をだし、熱を利用して来た時代は、二酸化炭素が環境の中を循環していた。
植物は太陽光エネルギーと水と空気中の二酸化炭素から有機物を合成し、酸素を空気中に放出している。光合成である。
この様にして出来た木材燃料を燃やしても、環境の中の自然によるバランス力で、燃やす事によって発生した二酸化炭素の顕著な増加が起こる事はなかった。
燃やす事により同じように二酸化炭素を出す石炭と石油はそこが違っている。
元を正せば、石炭も石油も太陽エネルギーによって長い時間を掛けて作られた生き物群である。
それが膨大な時間を掛けて石炭化し、石油化した。
それを至って短時間で燃焼させてしまう為、自然界では普通あり得ない量の二酸化炭素を発生することになり、自然のシステムでは処理できなくなってしまった。
その為、間違いなく空気中の二酸化炭素は増加してきている。
温暖化ガスである二酸化炭素が増えることにより、地球からの遠赤外線の宇宙への放射が減少するということは間違いないことである。しかし、何回か訪れた氷河期のような自然変動と、温めようという効果が大きくなった現在が重なった場合、どういう結果になるか良く研究する必要が有ると思う。
現在社会に於いて、二酸化炭素が自然のバランス以上に増加している事は間違いない。
化石燃料の燃焼は、当然、二酸化炭素だけでなく、それに伴いイオウや窒素やその他諸々の物質も空気中に放出されることになる。
温暖化は兎も角としても、石炭や石油などの資源を、熱を取り出したいという理由だけで空気中で燃焼させれば自然のバランスに於いても、人間に取っての快適空気環境に、少なくともプラスには働かない。
それに、有限の資源である。
いくら熱エネルギーを取り出し、利用するとは言え、それを二度と回収できない燃焼に使ってしまう事は、未来を考えた時、許されるものではないはずだ。
熱は化石燃料の燃焼や、ましてや核分裂でなければ利用できない訳ではない。
この地球に生命が発生した時から、これから50億年もの間、それこそ莫大なエネルギーを「輻射」によりコンスタントに届けてくれる当たり前の「太陽」がある。
太陽輻射熱源は細かな変動は起こすだろうが、少なくとも故障することはないし、勿論メンテナンスもいらない。
今、求められているのは、燃焼と核分裂の熱の利用から、輻射熱の利用への移行である。
燃焼ボイラーと核分裂ボイラー技術から、太陽輻射熱ボイラー技術への転換である。
現在、温暖化の有無の研究をしている暇があったら、一刻も早く太陽輻射熱ボイラーや、その他、太陽エネルギーを隈無く使えるような技術開発に金と時間を投入すべきである。
以前は二酸化炭素による温暖化防止を重視してきたが、より安全でなければならないという視点に立ち直し、温暖化している、していないに関わらず、貴重資源として化石燃料の全てを保存し、太陽エネルギー化を進めるべき、という考えに至った。核分裂エネルギーなど論外である。

このグラフは月刊雑誌ニュートンの2010年4月号「CO2特集」に載っていた図である。
この号はCO2による温暖化の問題を実に分かりやすく書いてあるので、是非一読していただきたい。ニュートングラフ2
赤い線のグラフは約2万年前から現在までの大気中のCO2濃度の変化を示している。
南極の氷床に閉じこめられた空気中のCO2濃度を測定することで求められたそうだ。
2万年前から近代まで300ppmを越えたことが無いことが解るが、近年になりいきなり400ppmに向かって立ち上がっている。
まるで何かが爆発して急速にその体積が増加している様子を表しているようだ。ほぼ垂直に立ち上がっている。
また、80万年前からのデーターも解析され、やはり300ppmを越えたことが無く安定したことが解っているらしい。
私たちは今この先端部分おり、この直線的な立ち上がりは更に加速しつつ上昇をしているのである。それは、黄色で書かれた1950年から2010年までのグラフが如実に示している。カーブを描きながら上昇しているのだ。
このグラフを見ただけで未来の具体的な状況までは想像できなくても、地球環境が何かとてつもなく大きな異常事態に向かって、加速度的に突き進んでいるのではないか、ということぐらいは感じられるだろう。
もし感じられないのであれば、よほどのアホだと自覚する必要があるかも知れない。
まあ、グラフの読み方が解らないのであれば話にならないが、解らなければもう一度小学校から勉強し直した方が良いと思う。子供や孫をかわいがる気持ちがあるなら、是非実行して理解してもらいたい。
人は自分の近い未来に重大な変化(危険)が有りそうと察した時、それが避けられないと気が付いた時、その未来から意図的に出来るだけ目を反らそうとする傾向にあるのではないだろうか。
私の母は1970年に癌で死んだ。手遅れだった。思い起こせば、その前兆は色々な場面で見られた。しかし、何だかんだと理由を付けて、体調の悪さを自分自信に対して隠そうとした。宣告されることが怖かったのだと思う。そしてどうしても対処せざるを得ない状況に成った時には、手が付けられなくなっていたのだ。
おかしいと思った時に直ぐ対処していれば、もう少し何とかなったはずだったんだろう。
とても悔しい思いをした。
これは今の地球状況と全く同じなのでは無かろうか。
もし、この急速な変化のグラフが自分の白血球の数だとしたらどうだろうか。もし、血糖値だったら、もし、血圧だったら、・・・・かなり重大な体調変化であるし、ほって置いたら取り返しが付かないことになるんじゃないかぐらいは予測するだろう。
もしそうだとしたら、自分自身だったら、すぐさま病院に行き、急いで治療しようとするだろう。重篤な状態に陥らないうちに・・・・。
下の水色グラフは1985年から2010年に掛けての海水中に含まれているCO2変化量を示している。
たった25年の間に30ppmぐらい増えたことになる。
空気も海水も現在の地球環境を支えている原点である。これらが相まって太陽からの強烈なエネルギーを緩和させている。それにより地球の平均温度を約15℃に保たれ、私たちの命は支えられている。03大気と海の厚さ7
私たちの地球は、私たちが全世界で年間に消費しているエネルギーの何千倍もの太陽エネルギーに曝されている。にもかかわらず、定常的な温度を保っていられるのは、まさに空気と海水のお陰なのである。
その空気と水の機能を大きく変化させるかもしれない変化をこのグラフは示している。
2番目の図は直径が1mの場合の地球と対流圏の空気層の厚さと海水の厚さを表した図である。
それらの層が余りにも薄いため、線の太さの中に埋もれてしまい良く分からない図になってしまった。
つまりそれほど空気層も海洋層も薄いのである。直径が1mに対して空気層は0.8mmぐらい、海洋は0.3mmほどである。
生物が命を保てる大気の厚さというのは、厚さというより地球の表面にへばり付いた「膜」と言った方が適切に思う。
地球とは海水と空気がコーティングされた惑星であると言える。
そんな薄い空気層の中で人間が好き勝手をやった結果がこのグラフなのだ。
何としても、一刻も早く、1人でも多くが、先ずはこの距離感、厚さ感を共有して同じ価値観を持たなければならない。
太陽の寿命は後50億年程度と言われている。それまでの過程で大きく変化するのだろうから、地球上に生命が存在していられるのは、1/10(単なる感で、科学的な根拠はない)としてあと5億年ぐらいかも知れない。
それだけ有るのだから、その前に絶滅しないようにしないとね・・・・
孫を可愛いと思い、可愛がっている方、一緒になって何とかしませんか。



COP15が始まった。それに合わせてアメリカと中国が二酸化炭素の削減量を発表した。
しかしアメリカの削減量は1990年の排出量に対して約4%でしかない。中国とインドに至っては絶対排出量ではなくてGDP比などととぼけたことを言っている始末である。1209:2
会議が始まってみると案の定、環境が悪化した結果人類の経済活動を含めた生存がどうなるか、ではなくて今の自国だけの経済を良くするためには、どうやれば良いかの謀略合戦に見える。
その上、京都議定書を延長して自国の負担をゼロしようとまでする動きがある
今さら駆け引きなどしている場合ではないだろう・・・・
地球環境が悪化した時、勝ち組なんか居ないことは百も承知であるはずにも関わらずである。
有限の生きている時間の中で、自分の生活を良くしたいというのは、勿論、当然の発想である。そのことはよく分かる(自分を見れば)が、何とも虚しい気持ちにさせられてしまう。
現在までの化石エネルギー文明が温暖化をもたらしたというのに、いまだに60何億中、60何億人は全くそのことを意識していない様に感じる。意識しないどころか、無視しているように見える。
どうも温暖化は今のようなエゴに基づいた自由経済では解決できないのではないだろうか。
今のような社会システムではどうにも太刀打ちできないのではないだろうか。
1209:1それらを踏まえた上で、みんなで「どうしようか」と考えなければならないのだろうが、それは益々不可能に思える。
だとすると、人類は少なくとも今の文明を滅ぼすしかないのかもしれない。
既に温暖化の負のスパイラルは始まっているのであり、気温が上がれば、地中や海水に蓄えられていた二酸化炭素が更に放出されるだろうし、メタンハイドレードが見つかったなどと喜んでいた海底からメタンが放出され、更に急加速度で温暖化が進んでゆくだろう。
その高温度の中で高温に順応した小数の人類は生き延びるかもしれないが、現代文明は全く破壊されていくだろう。

現在すべきことは、全く不可能であるが、全ての国で「二酸化炭素排出量をゼロにしようよ!」という目標を立てることだと思う。
その上で、世界中が集まって「ゼロにしたいが、生活の向上ももっとしなければならない、どうしよう?」相談し合うことだろう。力を貸し合うことだろう。

1209:5しかし、エゴの塊である人間にそんなことは出来るはずがない。
でも、それをやるしかないのではないだろうか。
既に環境のバランスが崩れて久しいわけであるから、6だ、7だ、10だ、25%だ・・・などと言っていても、そんな数字を出すからこそ、やれ多いの少ないのというくだらん議論になってしまうのだ。みんなゼロにすれば至ってすっきりした話になってしまう。
その為には各国が助け合わなければならない。ゼロにするためには、先進国からの技術移転という発想だけでは成り立たないだろう。
途上国の生き方を先進国は逆輸入することが絶対に必要だろう。
技術だけで温暖化防止をしようとするのは、まだ今の価値観を引きずっている証拠であり、根本的な解決にはならないだろう。
1209:3環境悪化解決のために意外と「友愛」の精神なんかは必要なのかもしれない。
手を差し伸べる「博愛」というと、どうも上から目線のような気がするが、「友愛」は横から目線、つまり手を取り合うというイメージが大きいような気がする。
偶然だろうが、もしかすると鳩山さんは、かなり良いことを言ったのかもしれない。
地球は一つしかない。環境悪化は全ての人類に弊害をもたらすことは間違いない。
今の自分より、未来の孫の幸せを目指すような、エゴを超越した人間になれるかどうかだけが温暖化の切り札のような気がする。
だとすると、不可能か・・・・・
だが、自分が決めた環境対策の仕事は突っ走るしかない。

民主党が太陽光パネルで発電した電気全量を買い取り、価格を今までの倍にする構想を発表した。勿論大賛成である。太陽光発電を急速に増やすためには、あらゆる可能性を追求せねばならない。
116サザンカ太陽光発電が絶対必要なことは以前から何度も書いている。ガソリンがいつでも買えることが当たり前、という夢を見ている時代がいまだに続いているが、確実に終焉の時期が近づいているし、それが急速に加速されようとしている。
しかし、太陽光パネルで発電した電気全量を今までの二倍で買い取りについて反対の意見も多いようだ。買い取りに掛かった支出は電気を使っている人達全員で分担しようということになるからだ。
予算的に太陽光発電パネルを買えない人や、付けたくても条件が悪いから取り付けられない人はメリットがなく不公正だというものだ。
こういう話を聞くと考え方の狭さにがっかりしてしまう。
環境って一体だれのものなの? 環境とは何なの? 
環境とは好むと好まざるとに関わらず万人に関わるもののはずである。
ご存知のように太陽光発電パネルを取り付け、電気が供給されれば、その分だけ化石燃料での発電をしなくて済むことになる。つまり、その分だけ二酸化炭素の発生が抑えられることになる。これは万人にプラスになることではないのか。
116赤花環境は万人のためにあり、その万人が守らねばならない。
二酸化炭素を排出する発電方式から、太陽光発電パネル方式に少しでも多く変えなければならないのは時代の趨勢である(勿論、太陽エネルギーである風力、水力、海流力も含まれる)。
現代の社会に電気エネルギーは欠かせない。だからその為に二酸化炭素を大量に出して良いという訳にはいかなくなったのが今である。
二酸化炭素を出さずに快適な生活ができるようみんなで力を合わせて、文明を作り直して行かねばならない。
太陽光発電パネルは文明を作り直すために必要なインフラである。本来、国が整備すべき物だと思う。
しかし、現在はまだそこまでのコンセンサスはできていない。
個人が自分の金を出して取り付けている。その場合、基本的には電力送電網に接続する(これを系統連係という)。つまり、太陽光発電パネルで発電した電気は、自分で使わない場合は送電網に流れる(売れる)ようになっている。だから、その二酸化炭素を出していない電気の恩恵は、少しでも環境を良くするという視点に於いて、太陽光発電パネルを載せていない人にも与えられることになっている。
116白花当然、太陽光発電パネルを載せている人の消費した電気エネルギーの分の二酸化炭素はゼロである。その上、電力網に流した電気は他の人が使い、その分は二酸化炭素を発生しない電気である。
現在は、個人が金を出して太陽光発電システムを支えているが、だから本来は国として対策すべきことなのである。
太陽光発電パネルは増えれば増えるほど化石燃料の使用量は減ることになり、石油の輸入量を減らすことが出来る。電気の使用量は今までと変わらず、石油の輸入量が減ることは、その分、私達の税金も使われなくて済むことになり、そして何と言っても二酸化炭素を出さないで済むことになる。

石油と言えば、電気自動車の進化が著しい。日産が来年電気自動車を量産するらしい。アメリカのベンチャーを始め、中国でもインドでも電気自動車への熱が大変なものらしい。
モーターとバッテリーとシャーシとボディーがあれば誰でも組み立てられてしまったからだ。これも技術の進化の過程である。
もう自動車メーカーだからといって内燃機関エンジンは必要無くなってしまった。
電気自動車に太陽光発電パネルは欠かせない。昼間、太陽光発電パネルからの電気を電気自動車に充電出来るからである。
116焚き火私達は二酸化炭素を出さずに何所へでも移動できる時代を獲得しつつある。
しかし、未だに社会は太陽光発電パネルの導入に手探りの部分もある。
一刻も早く、二酸化炭素を出さない文明を作り上げるために、一枚でも多くの太陽光発電パネルを設置する努力をすべきである。
その為に全国民が協力すべきではなかろうか。一億総玉砕ではなく、一億総幸せのために・・・・
その為には余り時代遅れのピント外れな不平を言わないようにしたいものだ。

イゼナの商品にはアクアレイアー蓄熱式床暖房、アルミ伝熱根太、アルミ集熱床材、リユース無垢床材、それに断熱ロールカーテンが近々ラインナップに加わる予定である。1016ツタ
更にいくつかの開発テーマが控えている。いずれも熱とエネルギーに関する商品である。
これらの商品群は昨日今日思い付いた物でもないし、開発した物ではない。
これらの商品を開発テーマに選んだ理由は、少なくとも売れそうだからではない。
現に、アクアレイアー蓄熱床暖房以外はほとんどというより全く売れていない。
そんな簡単に理解され売れるようでは所詮大した商品とは言えない。
次の社会で必要とされている商品がそんな簡単にみんなに理解されるわけはないからだ。
つまり売れないことがその証しである。
1016キノコ商品開発をする時、その根拠とすることは人によって、企業によって様々であろう。勿論大部分は如何にたくさん売れる物か、利益率の高い物かである。
つまりいかに儲かる物が開発できるかが最大の目的になる。少なくとも今までは・・・・
イゼナの商品開発のテーマの決め方に「いかに儲かるか」という視点は入っていない。「これからのあるべき社会の住宅に何が必要か」だけを考えている。
その理由の一つに、儲かる商品を見つけ出す方がよっぽど難しいし、特に私の能力では不可能に近いからだ。
その為、市場調査という発想はない。ユーザーになるべき人達がどう考えるかなど全く考えない。何故なら、熱とエネルギーに対して素人である一般ユーザーが理解できる(大量に売れる)範囲のことを、私達のような超弱小企業がやっても会社を潰すだけだからである。そんな簡単に売れる物であれば、大きな資金を持ったところがやってしまい、私達など一溜まりもないと思う。
1016細花そんなわけでイゼナは、ユーザーの目を気にすることなく、意見を気にすることなく、迎合せずに独自の考え方の基づいて、独自の商品を開発することにしている。
それが、超弱小企業の生き残る唯一の道だと思っているし、思いこんでいるし、実はそれしかできない。
そんな考えである為、現在までのイゼナの商品の中には、今まで一度も売れたことがない物もある。しかし、失敗したなどとは全く思っていない。それらを開発した理由の方向に社会が益々舵を切っているからだ。

イゼナの商品は、多分ほとんどが世界初であると思うが、世界初ということは、まだ誰も見たことがないということである。
1016白菊誰も見たことがなければ、初めて出会った時、ほとんどの人は理解できないなが当たり前であり、拒絶反応だけの対応となるのは致し方がない。
そこに何億もの宣伝費がつぎ込めれば事態は変わるのであろうが、残念ながらホームページ以外に金をつぎ込むことは出来ない。
となれば売れるわけはないのである。ただじっと、その時代が来るまで待つしかなかった。

そんな中で、民主党が政権を取り、二酸化炭素25%削減をぶち上げた。
最近のニュースでEU内で共通の炭素税の話が流れていた。
HV車の需要は益々増加し、電気自動車も急速に普及する雰囲気になってきた。
ほんの少しずつではあるが、世界の環境に対する認識が合意する方向に向かつつあるようにも見え始めている。
地球環境問題は、正に万民共通の問題である。自分だけ逃れることは出来ないからだ。
今まで考え、主張してきたことが実現する時代が近づきつつあるのを感じる。
CO2の25%削減提案は正に太陽エネルギー依存時代に舵を切り始めたことを意味すると思う。(原子力推進の力も大きくなりつつあることが気がかりである)
1016野菜アクアレイアー蓄熱式床暖房は太陽熱を木床構造内に溜め込む蓄熱材として、アルミ伝熱根太はアルミ集熱床材と組み合わせて太陽熱を集める部材として、リユース無垢床材はエネルギーの社会的消費を押さえる物として、断熱ロールカーテンは住まいの中に溜め込んだ太陽熱を逃がさないように大切に使う物として、必ず必要になる物である。
儲かることだけを考えず商品開発が出来る時代が近づいているのではないだろうか。
その基本性能は言うまでもなく、CO2の発生を限りなくゼロに近づけることである。そのことさえ考えてあれば、商品化は基本的に成り立つ時代になりつつある。
現在はCO2を出すことを前提に開発された物ばかりである。それらの全ての商品をCO2を出さない物に変えてゆかねばならない。
商品開発のテーマは無限に近くあると思う。どうしたら儲かるかは、先ず、CO2の発生を抑える商品を開発した暁に考えれば良い時代に入った。
イゼナの得意な時代が目の前に近づきつつある。
そろそろ、左利き用のウチワを用意するかと考えている・・・・・・?




携帯用の単三エネループに充電できる太陽電池式の充電器を手に入れた。
サンヨーの純正ではない。アメリカ軍も採用しているらしい。
折りたたむと巾143mm、高さ85mm、一番厚いところで35mmである。重さは110g弱である。それに単三エネループが4本は入り同時に充電できる。
晴れた日には8時間ぐらいで充電できるらしい。
勿論、インターネットで見つけた。開いた

現代は、非常に便利な物が増えたが、ほとんどの物は電気がなければ動かない。
最近は携帯電話にも太陽電池付きの物が出て来ているらしいが、太陽電池を組み込んだ腕時計や電卓以外の物には必ず電池が必要である。
そして電池が切れれば全く使い物には成らず、ゴミくずになってしまう。

きぅり小学校の時、家にあったコダックのカメラは電池などいらなかったし、確か、リコーの物だったと思うが、ゼンマイドライブのカメラも電池はいらなかった。昭和44年に買ったアサヒペンタックスSPは小さな水銀電池が必要であったが、電池が切れたからと言って写せないわけではなかった。単にTTLの露出計が使えないだけで、写真を撮ることは出来た。
フィルムを手動で巻き上げることによりシャッターと絞りを動かすエネルギーをチャージすることができたからだ。
現在のデジタルカメラは、電池が切れれば正にうんともすんとも言わなくなりどうにもならない。
カメラであれば「撮れなかった!」で済んでしまうが、非常時のために持って行ったGPSやヘッドランプや携帯電話の電池が切れてしまったら、それこそ命取りになってしまう。
いくら安全を確保するために持って行っても、それがどんなに高性能で高級な機器であっても電池が切れればゴミを持ち歩いていることに等しくなってしまう。たたんだ

たまに山へ行く時にも予備用の単三と単四電池を、各々四本ずつほど持って行くが、それでも万が一道に迷って電池が切れてしまったらと思っていた。
太陽電池式の充電器を手に入れて、これでやっと間違いなく有効利用が出来るようになった。
しかし、この太陽電池式の充電器は単三電池用のフォルダーしか付いていないため、単四電池は充電できない。その為、単三型のケースも購入した。これでヘッドランプも携帯ラジオも電池切れで使えなくなる心配がなくなった。
トレンクルで旅に出た時、山へ行った時、GPSの便利さには何とも感激する。便利で信頼している機器ほど、それが機能しなくなる恐怖(少し大袈裟・・・)が大きいが、そこからやっと解放された。なす花

この様に、現代の持ち物の中に太陽電池が加わると状況が一変する。電池が切れたらお仕舞い、ということから解放され、何時までも使えることになる。
「電池切れ」という今までの常識からの決別することができる。
勿論、それらの機器に寿命があるから永久とはいかないが、電池にチャージされているエネルギーに比べれば半永久に使える能力を獲得したと言えるだろう。
こういう見方は携帯用の太陽電池だけの話ではない。現在普及しつつある一般住宅の太陽電池も同じ事が言える。
電池地球にチャージされている石油などの化石エネルギーやウラン等が底をついても(いずれ間違いなく消滅する)、太陽電池さえあれば今まで通り、生活にエネルギーを供給することがは可能であり、安全と安心を確保することができる。
但し、それらを使い切るような政策を選んだなら、それらが無くなるずっと以前に私達が住める環境は破壊されてしまうだろう。
この様に、太陽電池、つまり太陽エネルギーは山などへ行った時の安全性を確保してくれるという小さなシステムにとどまらず、私達の住める快適環境を、太陽の寿命がつきるまで安全に確保してくれるのではないだろうか。
(購入先 富士ファインケミカル(株) http://fuji-fine-chemical.p-kit.com )

太陽光発電について朝日新聞に載っていた。「設置費 元取るのに20年」の見出しである。太陽光発電パネル設置に対しては十年前と変わらない相変わらずの捉え方である。
黄鳥
結論から言うと、元が取れるかどうかを考える人は、太陽光発電パネルなど載せない方が良い。せいぜい省エネ家電を買い込んで、できるだけ電気を節約して生活をしていた方がよっぽど得だ。
太陽光発電パネル利用に付いては、今までに何度も書いている。太陽エネルギー社会の入り口が見えるまでこれからも何度でも書いてゆきたいと思う。
しかし、太陽光発電のことを検討する時、どうしていまだに価格のことしか考えないのだろうか。
太陽光発電は単に目先だけの価格で判断する程度の物なのだろうか。
20年先の未来がどんな社会になってるかなど考えたことがない人が、今の電気代が1Kwh/25円だからといって、それで計算してしまうとは、どういう事なんだろうか。それで何かが分かったような顔して判断してしまうというのはどういう事なんだろうか。
勿論、10年後でさえ電気代がどうなっているか、エネルギー事情がどうなっているかなんて誰にも分からない。
唯一明確に言えそうなことは、温暖化が進んでいるだろう、ということだ。
それにもかかわらず、いい大人がそれを判断基準にしてしまうというのは何とも不思議でならない。
朝日新聞ともあろう者がもう少しましな書き方はないのだろうか。
黄水仙2太陽光発電パネルを単なる家電製品程度に捉えてしまって良いのだろうか。その辺の位置づけが全く議論されず、金だけでその価値を判断しようとする社会風潮に先ず問題がある。
何故、大分部の人は金が儲かるかどうか以外に意義を見つけようとしないんだろうか。儲かるか儲からないかという金のことしか考えていないから、いきなりペイするかしないかなどという言葉しか出てこないのだ。
太陽光発電パネルはエネルギーを作り出してくれる製品であり、エネルギーを消費する製品ではない。石油や石炭、天然ガス、原子力を使わないでエネルギーを生産してくれる至って優れものである。
現在、太陽光発電パネルは少しばかりの補助金はあるが、個人が設置することになっている。あたかも個人がやらなければいけないようである。
これが先ずおかしい。自分の屋根に乗せて、その電気をどこにも配らないのであるなら、それは個人が金を出すべきものである。
しかし、電力会社の電線につなげるのであれば、それは個人の為だけのものではなくなってしまう。何故なら、その電気を他の人が使うからであり、そうすれば、その分だけ電力会社は発電しないで済むことになる。つまりその分だけ石油の輸入をしないで済むことになる。これは大部分のエネルギーを輸入しているこの国の為にも成ることである。
太陽光発電パネルを載せるということは、国のインフラを作ることに他ならないのだ。
水仙太陽光発電パネルの設置というのは、本来、安全保障手段の一つとして国の最大の事業とすべきことである。それにもかかわらず補助金を出してやるぞ、という態度と、その少なさは本当に腹が立つ。もしかして、原子力さえあればそれで間に合うと思って居るんだろうか。
現在、この国がエネルギー輸入のために使っている金は年間ざっと20兆円ぐらいだと思う。全予算の25%ぐらいになる。これだけの金を使っているのに多分その自覚はない。これを毎年繰り返しているのだ。当然10年で200兆円である。凄い額である。これだけ使ったら出来ないことなど無いのではないだろうか。
太陽光発電パネルの設置の金は全て国が出すべきである。つまり税金を使うべきである。個人の家の屋根を借りるべきである。勿論、屋根を貸すのだから、そこで発電された電気は家主が優先的に使えるのは当然である。
菜の花2
エネルギー問題は正に政治問題である。政治がきちんとした目標を設定し、金を投入すれば解決する問題であると思う。
現在、原子力発電復帰の波がヨーロッパを襲っているようだ。あの環境対策優良児ドイツも、スエーデンも原子力発電の寿命を延ばさざるを得ないと考えているようだ。それだけ温暖化の見通しはせっぱ詰まって居るんだろう。
だからといって原子力復帰で本当に良いのだろうか。それで文明が継続できるんだろうか。
温暖化社会から本当の意味で脱出するチャンスを見逃すことに成りはしないだろうか。
我々は目先の合理性につじつまを合わせた結果、現在の環境問題が発生したことを学んだ。
今こそ、それを生かすべきであろう。
地球上で生きてゆくのに太陽エネルギー以上のエネルギー源は無い。
そうであるなら、一刻も早く太陽エネルギーに頼る社会を目指すべきであろう。
同じ間違えを二度と起こすべきではないだろう。



2009年1月1日、暦上では特別な日だが太陽系の動きから見れば、相変わらず自転しながらの公転による通過点に過ぎない。
勿論、宇宙空間に於いて1月1日が特別な場所でもない。
もし太陽系が移動していないとしても、365日で同じ場所に戻ってくるわけではない。
この様に宇宙空間的に見ると1月1日といっても何ら特別ではないのだが、私たち人間にとっては何となく特別な日、新しいスタートの日になっている。
11太陽
今日からまたあの春に向かうとなると何となくワクワクした明るい気分になる。冬至は過ぎているからこれからは陽が伸びるばっかりだ。益々明るい気分になる。
実は今年はもうクロッカスの芽が出ている。クロッカスの花が咲くと特に春の近さを感じる。
しかし、新しいスタートといっても過去が無くなるわけではない。
過去は、新しいスタートの気分であるにもかかわらず、何も変わることなく相変わらず付きまとってくる厄介者でもある。人によっては手放せない貴重な財産でもある。
この貴重な財産という奴が温暖化対策、つまりエネルギー転換政策の足を引っ張っているのだ。
人類は核エネルギーさえ電気に変える技術を実用化している(しかし、電気エネルギーに変えることによって排出された廃棄物、いわゆる核廃棄物の安全な処理方法は全く開発されていない。そのため完成された技術とは言えず、本当の意味では実用化されているとは言えない。全ての生物にとって超毒性の核廃棄物は本来地球上に存在させてはならない物なのだ。太陽からの有害な放射線や電磁波がカットされるシステムが地球に備わったために人類が発生出来たのだ。その人類が事もあろうに自分達の目先の欲望のために放射線を出すシステムを作り出している。至って理屈に合わない事に屁理屈をつけている)。
不完全な技術とはいえ、曲がりなりにも複雑で高級な技術を実用化しているのだから、そのことを考えると太陽エネルギー技術など、へのカッパであるはずだ。核技術に比べれば太陽エネルギー利用技術など赤子の手をひねるような技術である。つまりどうってことない技術でどうにでも成る事なのだ。単に「太陽エネルギーにかえよう!」と言えばいいだけなのだ。
11虹暮れの29日、NHKの番組で低炭素社会のことが放映された。
その中で環境エネルギー政策研究所所長、飯島哲也氏の話があった。
自然エネルギーだけで100%日本のエネルギーがまかなえるというということだった。それも2050年の予想電力量8400億Kwhが自然エネルギーだけで全てまかなえるというものだ。
ここで自然エネルギーと言っているのは太陽光エネルギー、風力エネルギー、バイオエネルギー、潮力エネルギー、波力エネルギー、地熱エネルギーである。この中で地熱エネルギー以外は全て太陽エネルギーということになる。
現在、直接的な太陽エネルギー利用は3%に過ぎない。水力発電は7%である。原子力が23%、石油、石炭、天然ガスの二酸化炭素排出エネルギーは67%である。そしてそれらを輸入するために何と20兆円も私たちは使っているのだ。
今の生活を維持するために20兆円をすでに使っていることを、この国の何人の人が意識して居るんだろうか。10年で何と200兆円である。太陽エネルギーは金がかかるから出来ない、なんて事があるんだろうか?と思ってしまう。
自然エネルギーに置き換えるとこれが浮くことになる。買わないで済むのだ。自然エネルギーに変えれば毎年20兆円を他のことに使うことが出来るのだ。
自然エネルギーシステム維持の為の経費以外は全て浮くことになる。同時に現在の集中エネルギーシステム維持よりも圧倒的に雇用が増えるだろ。それになんと言っても二酸化炭素を含めた排ガスが全く出ないことである。
勿論、核廃棄物も出ないし、将来の心配もない。原子力、石油、石炭、天然ガスを使っている事に比べれば心配はゼロと言うことになる。
11キラリ現在の既得権で暮らしている至って小数の人以外は、全ての人間にプラスになることだ。今までの変革の歴史を見ていると多大の犠牲を強いられているが、自然エネルギーへの変革では至って犠牲は少ないといえる。
自然エネルギーに変換して100%自前のエネルギーに変えたときの最大の利点は、なんと言ってもエネルギーの争奪戦争が無くなることだ。こんな大きな利点はない。
戦争は最大の悪である。しかし、人類愛をいくら説いたところで戦争に対しては全く無力であることは今までの歴史がしつこいほど証明している。オリンピックも無力であるし、いくら交流があったところで戦争を回避することは出来ない。
原因を解決していないからだ。戦争の原因の大きな一つはエネルギーだ。それと今後は食料や水になるだろう。しかし、そういう問題が解決すれば国境問題はなくなるだろう。
そうすれば戦争のない世界も夢ではないだろう。エネルギーが自前され、衣食足りれば、おのずと礼節を知り、宗教戦争もなくなるだろう。
これからの新しい文明を迎えるためには、自然エネルギー社会の構築が欠かせない、というより、それだけが新しい地球社会を末永く継続するための絶対条件だろう。

温暖化問題については、何度でも自分自身の問題として問わなければならないと考えている。自分なりに答えが出たつもりでもまた疑問が湧いてくる。温暖化問題は何故起こったのか、どうしたら解決できるのか、の二点である。ナイト炉
温暖化は本当に起こるのか、という事については議論の余地はないと思っている。温暖化はこれから始まるのではなくて、もう始まっている、始まってしまっているのである。
温暖化問題の最も厄介なところは、その原因が人間の欲望そのものであるからだ。
温暖化が起こった理由も、解決する方法も欲望ががんじがらめに関わっている。その為、解決は困難を極めるのだろう。
温暖化は始まってしまったため、世界中が右往左往していることはしているが、もう多分、元の環境に戻すことは出来ないのかも知れない。
温暖化しつつあることを自分を含めて、実感として捉えられる人がこの国にはどれだけ居るんだろうか。60何億の中でどれだけ居るんだろうか。
突発的で、局地的な豪雨は温暖化のためと、かなり前から予測されていた。しかし、それでも大部分の人は「最近豪雨が多いね」と感じるぐらいで、さしたる問題とも感ぜず、ましてや命に関わる事につながっているとは感じる事ができないのだろう。
例え床上浸水になっても、ついていない、運が悪かった程度で片付けてしまっているのかもしれない。そういう人間の楽天的なところが、問題解決を更に難しくしているのかも知れない。
全国的な規模で、家族の誰かか、親戚の誰かが命を落とす事態に成らないと、人間は事の重要さに気が付かないのかも知れない。ナイト岩井
しかし、そんな状態に、もしなったとしたら、それこそ何も手のつけられないだろう。
温暖化の予測の中に入っていたハリケーンの巨大化は現実の物となり、カトリーナは至って深刻な被害をもたらしたが、またそれが再現されそうである。その為、北に避難する車の列がハイウエイ上に延々と続いている車の光景が映し出されていた。
地球全体から見れば、この車の列から排出されるCO2は大した量でないかも知れないが、温暖化を更に加速するのに貢献していることには間違いない。
そしてこれからは、もっと巨大なハリケーンがアメリカを襲うことになるのだろう。
自分や家族の命を救う行動が、更に危険なハリケーンを生み出す結果になるとは何とも皮肉な結果である。
これが温暖化問題の解決を難しくしているのだろう。
勿論、北に避難する人が全て車を使わなかったとしても、温暖化が収まる訳ではない。その時でも世界中で何万倍も何十万倍もそれ以上のCO2が排出され続けているからである。
一端手に入れた便利さは簡単に手放せないところに、やはり温暖化問題解決の難しさがある。
それでは温暖化を食い止める決め手は無いんだろうか。理屈としては勿論あるが、それを実行するのが人間であるとなると、どうなのだろうか?
戦争はよくそれを避けるための選択肢が有ったかどうか議論されるが、いつでも避けるための選択肢を見つけることが出来る。
しかし、温暖化に至った現在までに、温暖化にならない為の選択肢は有ったのだろうかというと、無かっただろうという答えしか出てこない。
それは余りにも大きい人類の歴史という壮大な流れに逆らえるほどの理屈が見つからないからだ。
温暖化は必然であったのだと思う。その必然な出来事に、急ブレーキを掛け、一旦停止させずに進む方向を変え、再スタートを切ることなどということが、人類全体として可能なんだろうか?
自分が最も大切であり、自分さえ良ければ、と考える人間にそんなことが可能なんだろうか?
未来を想像して、それに対する対策を今の自分をさておいて出来るのだろうか。
疑問ばっかり浮かんでくる。
それでは今やっていることは全て無意味なのかというと、そうも思えない。
赤い実901
人類が温暖化のことを考え始めてまだ間がない。
温暖化に向かわない人類文明の選択肢は無かったが、温暖化を加速させない選択肢はまだあるだろう、と思いたい。
しかし、だんだん時間が無くなっているのも確かなのであろう。
相変わらず些細なことを積み上げるだけの自己満足では追いつかなくなるだろ(既に追いついていない)。
究極の温暖化に至までの間に解決策を見つけ出さねばならないが、そのための時間稼ぎには成ると思う(本土上陸を出来るだけ伸ばすために、適当に定められた絶対国防圏の最前線のように成らなければと思う・・・・)。
根本的な解決策は「脱化石燃料」しかないのだと思うが、60何億の流れの慣性力をどうやったら変えられるんだろうか。
「温暖化は文明の必然の結果である」という認識を先ず持つべきだろう。そしてその必然を変える方法を人類の叡智で急いで探し出さなければならい。
解決策は必ずあるだろう。
一人一人が「自分に何が出来るんだろうか」という問い掛け、そして実践をしていけば、何とかなるだろう、と思いたい。



7月27日の朝日新聞社説に”太陽光発電「創エネ」に早く行動を”が載った。
今になってもまだそんなことを書かなければならないこの国は、何とトロイのだろうか。黄小花
今頃、太陽光発電を2020年までに今の10倍とか、30年には40倍だとか言うくらいなら、何でもっと前に言わないのだ。
何をボヤボヤしているんだ。
そんなに太陽光発電に興味が無いなら、煮え切らないような、でれでれとした決め方などせず、いっそのことやらなければよいと思うのだが、それもできない。
本当の未来像も指し示せず、この国の未来社会に対する信念もなく、キョロキョロと周りを見回し、一体全体、何の後にくっついて行こうとしているんだろうか。
全く何のもくろみもなく、何の勝算もないのに無益に時間を引き延ばしたために、本来死ぬ必要がなかった非常に多くの人を、死に至らしめた前の戦争の時のようである。
まだ、また原爆を落とされなければ分からないのだろうか。赤花小81
太陽光発電の量を決めるのに、今の何倍かなどという言い方はないし、何で今が基準になるんだ。
何も考えていない適当な数字合わせとしか言いようがない。
大切なのは、これからどれだけ太陽光発電の必要な社会にするか、定量値を出すことである。
太陽光発電の量を表すのは「倍」という単位ではなく「ワット」であることをご存じないのだろうか。
「また、泥縄式かよ!」と言いたくなる。
どこの国だろうが、どんな業界だろうが、それらがどんなに地団駄踏んだところで、近い将来は太陽エネルギーに頼らなければならない時代が来ることぐらい分からないんだろうか。もたもたしていて、もし、太陽エネルギーに頼らないのなら何に頼るというのか。
温暖化戦争の絶対国防圏はもう既に突破されているのである。
いつかのように絶対国防圏を無目的にズルズル後退させ、莫大な犠牲を出してから渋々気が付くような愚を二度と犯しては成らないと思うのだが・・・・
しかし、何が、誰が太陽光発電の足を引っ張って居るんだろうか。
何が加速されない原因なんだろうか。
太陽光発電パネルが格好悪いと言う抵抗勢力がある。こういう言い方は、勿論単なる主観に過ぎず、次元が違う。ゴウヤ
エネルギー(=生きる)の問題であり、それも単にお金で買うエネルギーと言うことではなく、地球環境を破壊しかねないエネルギーの問題である。
主観だけでは処理できる問題ではない。
今だけ儲かればいいという化石エネルギー業界の欲望なのか、これから伸ばしたい原子力業界の力なのか、今までの金蔓が無くなる政治家や役所等の税金族の抵抗なのか、それとも今の自分さえ良ければよいと考える人間の本性なのか・・・・
少なくても予算の問題ではない。60兆円を道路だけに使おう、ということが平気で言える太っ腹お国柄だから、少なくても金の問題ではない。
勿論技術の問題ではない、となると、単に決めるかどうかという問題に過ぎない。
それに必要なのは、未来を夢見るビジョンである。そして決断力である。
しかし、その能力を最も持っていないのが、税金族達であろう。彼らが牛耳っていてはいつまで経ってもらちが明かない。
至ってシンプルな問題だと思うのだが、こんな問題がまだ解けないとは・・・・



渋谷でも新宿でも歩いているだけで、ポケットティシュが何個か直ぐに手に入る。
便利な世の中になったと言えばそうだが、こういう社会現象が心の粗雑さを生み出しているんではないかと思う。小花723
つまりポケットティシュはタダなのである。
タダでもらえるということが、そこに隠れた全ての資源やエネルギーもがタダであるかのように錯覚させるのではないだろうか。
ティシュペーパーは昭和39年に日本で初めて発売されたらしい。私が20歳の時である。
ポケットティシュが出たのは昭和43年だそうだ。
我々が小学校の頃はティシュペーパーに変わる物として手ぬぐいを腰にぶら下げていた。
今は保育園生でもちょっと何かあれば、その度に親の真似をしてティシュペーパーを一枚二枚と引っ張り出している。
それがこの時代の常識になっている。温暖化阻止の為には、少なくとも20世紀までの常識は変わらなければならないはずなのに、ことティシュペーパーに関しては変わる兆しさえ見えていない。
日本に於けるティシュペーパーの消費量は年間約50万トンで、材木換算で住宅7万軒分、一人あたりにすると約4Kgで世界一だそうだ。こればっかりは何の自慢話しにもならない。ちなみにトイレットペーパーの年間消費量は約95万トン、木造住宅14万軒相当の木材を使い、紙おむつの年間消費量は約37億枚で、約1000万本の木が必要、紙パックは年間72億本が使われ、その重さは20万トンになるらしい(いずれの数字も地球温暖化白書ホームページより紙 - 『地球温暖化白書』)一人一人の何気ない消費が莫大な消費につながっていることに驚かされる。
この様に何気なく行われている紙の消費は想像も付かない大量なものになっている。
雲723よくホテルやレストランなどのトイレに置いてある、手拭き用のペーパーも2〜3枚を無造作に引き出して平気で使っている大人を見かけるが、これなんかもタダであるが為の無駄使いの極地と言える。
店の方はサービスのつもりなんだろうが、この時代、トイレに手拭きペーパーなどいらない。ついでに、あのうるさいだけの風で吹き飛ばす手の乾かし機など全く必要ない。
各人がハンカチを一枚持っていれば済むことである。
これらも又、人の感性や、気遣いを麻痺させ、人の進化の方向を逆転させる無意味な商品達である。まさにアメリカから入ってきた旧世代の遺物である。
私はティシュペーパーを使う時、必要に応じて口から出ている分を2〜3センチや、5センチの巾で裂いて使う。
いくらデジタル時代だとは言え、常に一枚が必要なわけではない。
スーパーマーケットのトレイによる決められた量の販売方法には文句を言っているのに、ティシュペーパーを使う時は、状況を少しも考慮すること無しに決められた一枚を使っている。至って矛盾していることを平気でやっている。
しかし、必要量だけ裂いて使うとなると、取り出し口と平行に裂けるタイプのティシュペーパーでないと使い難い。
取り出し口と直角方向に裂ける物はとてもやり難い。
そうするとティシュペーパーを自由に選ぶわけにはいかず、100%再生紙か100%パルプの問題にぶち当たる。
前記した、紙「地球温暖化白書」の数字は100%パルプの場合の換算値だろう。
理想は再生紙に決まっているが、現段階でどちらが良いのか何とも難しい。
社会のエネルギーが全て太陽エネルギーに変わった時、そのエネルギーをいくら使って再生してもかまわないわけだが、現在のように化石エネルギー電力を使う再生紙はどうなんだろうか。
月下だからと言って、砂漠化が進行しているこの地球上の森林を、これ以上伐採して良い訳はない(間伐材など森林育成のために出てくる木材や、計画的な植林とシステム化している木材は別だが)。
いずれにしても、単なるムードや感情論だけで判断する訳にはいかない問題である。
一般的に人の日々の行動基準は慢性化していて、常にそれを見直しながら生活することはほとんどの人がしない。
しかし、温暖化阻止ということは一人一人が、自分の日常生活の中の些細で何気ない行動を見直すというみみっちい行動の積み重ねが必要なんだろう。
今、孫達は紙おむつで育っている。買って使って捨てるだけ、の女性(男性も?)にとっては至って便利な社会環境になった。
三十何年か前に子育てをした時、妻によって一生懸命作られたオムツが、きれいに洗われてまだ手元にある。勿論、オムツ以外のいろいろな用途に現在も便利に利用している。
文明の進化とはこれから何を生みだそうとしているんだろうか?
ますます分からなくなる。
何でもかんでもティシュペーパーを一枚使うのではなく、100%再生紙のトイレットペーパーを必要なだけちぎりながら、ケースバイケースで使い分ける方が良いのだろうか・・・・



暑い毎日が続いている。そう成れば成るほどエンジンを掛けっぱなしで駐車している車が増えてくる。
勿論、冷房を効かせるためである。
しかし、2000ccものエンジンを載せているのは車を走らせるためで、クーラーの為だけに動かす物ではない。手賀大橋
本当にこの国は、子供を卒業したはずの身体の大きくなったグループ(通称”おとな”と言われている)が、欲しい物を手に入れるため駄々をこねるような、幼児化が進んでいる様に見える。
自分さえ良ければ良い症候群なのであろう。
炎天下でない日陰の涼しい場所を選んで駐車して居るんだから、窓を開けて風を入れて済ませればよいと思うのだが、それが出来ない。そういうことに気が付かないのか、分からないのか分からないが、少なくともこういうグループの人達は、普段からCO2とか温暖化とかには取り立てて興味はなく、別世界のことぐらいにしか感じていないのだろう。
しかし、ガソリンを湯水のごとく使うヒトが勝ち組で、大切に使う羽振りの悪い人が負け組のような価値観が、今は完全に逆転しているのに、そのことがまだ分かっていないようだ。鈍感というか、鈍いというか、低いというか・・・・ホモ・サピエンスとして立派な脳みそが与えられているはずなのに、一体全体その何%が使われているんだろうか。
紫式部大体、ホモ・サピエンスとは知性人とか叡智人の意味である。
少なくとも、「猿人」から進化したはずなのに、また「えんじん」に戻ってしまうのではないだろうかと心配してしまう。
ホモ・サピエンスはエンジンを発明し、自動車を乗り回すまでに進化したが、それが存在出来る環境に変化が出ていることに未だに気が付かないでいる「えんじん族」がどうもまた再発生しているようだ。
うっすらと汗をかいた身体に風が通り過ぎてゆく時のホッとする感じは、爽やかでさえあると思うのだが・・・・
まして、人が乗っていないのにエンジンを掛けっぱなしの物がかなり有る。未だにこういう行動を平気でしているのはどんな顔か見てみたいと思うが、それほど暇ではないし、見たところで得はしないし、大体想像は付くのでそうまではしない。
もし「どうしてエンジンを切らないで平気なのか」と質問をしてみたとすると、多分、よくても「自分だけやったってしょうがない」程度のお粗末な答えしか返ってこないだろう。
ホモ・サピエンスとして1400ccの脳みそをご先祖様から頂いているのにしては、ちょっとお粗末過ぎるのではないだろうか。「えんじん族」なら脳の使用量に比例して車のエンジンも50ccぐらいにすればよいと思うが・・・・
温暖化に対応するということは、生き方を変えることである。
今まで常識だったことを「これからもこれで良いのだろうか?」と見直すことである。
今までの惰性でしかない継続を遮断する勇気が必要である。
露葉「エンジンを切らないのは、自分の勝手だろう!」とあたかも自主性が有るような言い方をしながら、直ぐその後で「みんなだってやってるじゃないか!」と平気で言って、その矛盾に気が付かないのだから、やはりちょっと幼児化しているのではないだろうか。
と偉そうに言う自分も常に原点に戻って反省することを忘れては成らないと思っている。
原点とはCO2がゼロの事であり、よく言われる低炭素社会が原点ではない。
低炭素という抽象的な言い方は、単に曖昧にしたいが為の表現に過ぎない。
車で言えば、乗らないのが原則である。その上で、急発進急加速の為に吹かさない、不必要なスピードは出さない、急ブレーキにならないように前方の流れを特に見て、アクセルコントロールをする、などをプリウスで実行している。が、それだけで良いわけではない。
仕事も、化石エネルギー消費を前提にした床暖房から、CO2ゼロの暖房システムの開発を何としてもしなければならない。
CO2ゼロの生活を目指すためには、自分だけの努力では確かにどうにもならないが、今までみたいに単なる気分だけで生活の全ての判断をして行くわけにはいかないことも確かである。
前回「人体、失敗の進化史」の本の中で、人類の終焉が断定的に述べられていたが、その実現は何としてでも阻止しなければならない。
その為には、余り勝手なことは言わずに「エンジンストップ」ぐらいは実行しなければならないと思うが・・・・



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