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(今回も家についてはお休みです)
この連休に小田原駅から三島駅まで、箱根の旧街道石畳を含めて40Kmばかり歩いてきた。
旧東海道を日本橋から京都までトレンクルで走ることを目標にしていたが、どう考えても箱根の石畳にトレンクルを持って行くのは無理だと思い歩きにした。329桜
歩きにして正解であった。いくら超軽いトレンクルとはいえ、あの道では苦行をするようであり、とても楽しい旅にはなりえなかっただろう。
歩いてみればみたで、トレンクルの旅とは違った感じ方が出来、捉え方が出来て楽しかった。
これで日本橋から知立市までつながったことになり、近江草津から京都三条大橋まではすでに走っているので、旧東海道を合計360Kmばかり走ったことになる。残りは130~40Kmであるが、もう一つの難関になりそうな鈴鹿峠があるので、1回にするか2回に分けて走るか決めていない。329一里塚
人生の時間も少なく成りつつあるので出来れば1回で走ってしまいたいと思っている。
箱根の山は、さすがに天下の険であり、東海道最大の難所だったことがよく分かった。
昔の人は江戸から京都まで十日ばかりで歩いたらしいが、その強靱さに呆れるばかりである。
今回も勿論早歩きをするのではなく、楽しむことが第一の目的であったから三日間を掛けた。
20日は小田原駅から箱根湯本までほぼ平坦、21日は芦ノ湖まで登り一方、最終日は三島駅まで下り一方である。それでも結構疲れたし、足が痛くなった。普段これだけ歩いていないからとはいえ、江戸時代の人と比べれば体力の差は歴然である。
329旧道
旧東海道はどこでもそうだが、かなりの部分が国道1号線とオーバーラップしていたり、平行したりしている。そんな所へ出ると全く興ざめなのだが、歩いているすぐ横を車が大きな騒音(自転車もそうだが歩いていると同じ移動でも騒音はゼロである。本来ゼロが基準になるべきだ)と共に超スピードで追い越して行くのに出っくわすことになる。実はトレンクルで走っている時はあまり感じなかった(慣れてしまったからか?)のだが、今回歩いていて強く感じたことがあった。
それは、同じ移動するのに歩きと車の余りにも大きな違いである。
現代に於いて、歩いて移動することと、車で移動することの違いなど当然なことであり、当たり前なことであるが、その当たり前が当たり前として処理してしまって良いのだろうかと感じたのである。
片や必要な荷物を自分の肩に背負い、自分の筋肉を動力源にして汗をかきながら自分自身を移動させている。
一方、車は全く筋肉を使わず、クーラーや暖房の効いた閉空間でただ座っているだけで、ガソリンを大量に消費し、人間の十倍以上の重さを歩く時の十倍や二十倍のスピードで突っ走っている。その為、ものすごい排ガスを吐き出し、騒音をまき散らし、環境を汚染し続けている。329石畳
勿論これが非常に恩恵を受けていると思っている現代文明の象徴であり、文明の進歩ということである。
つまり筋肉を全く使わず劣化させることに努力しているのが現代の進歩なのだ、ということを改めて認識させられた。
こんなことが本当に人間にとって幸せな進歩なのか疑問に感じたのである。
人類文明の進歩というのは、実は単により大きな墓穴を掘ることなのではないのだろうか。
それに輪を掛けるように高速道路が1000円にする政策が最近とられた。結論から言うと「バカじゃないの!!」である。何で今の政府はこんな程度の経済対策しか取れないのだろうか。
公共広告機構による「明日のエコでは間に合わない」という折角のテレビコマーシャルもこの国の政府は全く無視している。
温暖化対策に何を言おうと今の政府は口から出任せでしかないのだろう。この国の未来に希望が持てないのは当たり前である。
またこの国の国民らしい現象も出ている。1000円で安くなったから遠出をするということらしい。全ての自分の行動の基準が単に金が安いからということなのである。何とも情けない。329地蔵これが経済大国なんて前の、前の、前の総理ではないが「笑っちゃう」である。自分の生きて行くための価値基準が何も無いことの証明でもある。
そうであるなら、車漬けでどんなに筋肉が衰えようとたいした問題ではないのだろう。
たまたま現在は栄養価の高い物が十分あるように見えるから、運動能力が衰えても何とか寿命を維持しているのではないだろうか。
今回、箱根八里を歩いてみて江戸時代以前の人達と現代人との運動量の余りの違いに愕然とした。どう見てもこれで良いわけはないと思うし、本来の人間の姿とも思えない。
自由に主体的に人間として生きるために、もう少し違った社会が必要なのではないだろうか。
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全米自動車ショーで新型プリウスと新型インサイトが発表された。
勿論いずれも超低燃費のハイブリッド車である。
上の写真がインサイト、下がプリウスである。
イン

ぷり
フロントの表情は違うが、横から見た感じは非常によく似ている。
車が趣味の人から見れば細かいところで色々違うのだろうが、空気の流れの処理から見るとほぼ同じデザインと言える。
この写真の前を隠すと普通の人では見分けが付かないくらいだ。
勿論どちらかが真似したわけではないだろう。
燃費を競って行った時の一つの帰結なのであろう。
つまり空気抵抗を少なくするために形を考えて行った結果なのである。
これは設計者の個人の好みではなく性能を求めた結果、決まった形なのだろう。
こういう物は他にも多くある。フォーミラーカーなどは良い例である。戦闘機なんかもそうだし、一眼レフもそうだ。特別趣味でない人には皆同じに見えるだろう。
いよいよ車もこういう時代に入ってきたのだと思う。

トレ乗る人の大きさと人数が同じ、無論四輪であることも同じ、巾と高さも変わらないし、重さもそうは変わらない。下部はほぼ直線で変わらないとなると、空気抵抗に対しても処理が重要になり、上面のカーブが似てしまったのだろう。
燃費を突き詰めない車であれば、形は設計者の趣味で決めることが出来た。
一般の人達が好む形を考えさえすれば良かった。単に見た目が良く特別燃費が悪くなければ、それで一丁前の車として成り立った。
しかし、燃費がテーマになるとそうはいかなくなり、今回のように似たような形に成るのは必然なのだと思う。
車がこういう時代に入り、次は住宅がいよいよこういう時代にはいるのだろう。
これは全て温暖化問題がトリガーに成っている。
CO2を出さない車を目指してハイブリッド車が出てきた。
次は住宅である。
同じフォルムのハイブリッド現象を住宅に当てはめてみると非常に面白い。
大体、住宅に於ける機能美とは何なのだろうか。
今までそういう考え方は存在したかというと、ほとんど存在していないだと思う。
住宅における温暖化対策とは何だろうか、というとその一つにエネルギーの自前化ということがある。
わらじエネルギーを自前するという発想はいまだにほとんど存在していない。
ほとんどと言ったのは、多少は出現しつつあるからだ。
温暖化防止対策の普及はエネルギーを自前しなければならない需要を生み出しつつあり、エネルギーを取り込む必然的な形を考えざるを得ない状況を作りつつある。
エネルギーを自前する機能を追求すればするほど、その場所の風土に頼る形を作らざるを得なくなるだろう。
昔のように風土が違えば形が違うという、至って自然な形で家が作られてゆくことになるだろう。
風土を生かしたその土地特有の形の家が作られてゆくだろう。
その為、単なる個人の好みだけではどんな家も作り得なくなるかもしれない。
その土地の風土に馴染んだCO2を出さない快適な家こそが、これからの本命になるだろう。
同じような形のハイブリッド低燃費車が出てきたことは、あらゆる場面で省エネのための機能美が追求されねばならない時代を意味しているのではないだろうか。


20年以上続いている表向き異業種交流勉強会という飲み会(会員数合計8名)に参加している。現在は四ヶ月に一回ぐらいで都内に集まり、ケンケンガクガクとまではゆかないが、色々な話が飛び出し、いつも時間が足りなくなる変な会である。
前回集まった時に、時間無制限で話をするにはキャンプにしようということに成った。トンボ1012
キャンプの前日に急な仕事が入りT氏が来られなくなったが、総勢5名のキャンプになった。
キャンプの準備はほとんどH氏にしてもらったが、私も久し振りにキャンプ道具を取り出した。
焚き火が無ければ始まらないので、当然、鉈と鋸を先ず持った。鋸は倒木を切るのに無くてはならない必需品だし、鉈はそれらを燃やしやすい大きさにする為に必要だ。
それといつも自宅の暖炉で使っている吹き竹、ビールもしっかり冷やしたいという要望があったので、カセットボンベを使う吸収式冷凍機の冷蔵庫も引っ張り出した(こういう物を使わないのが本来のアウトドア生活)。卓上レンジやコッフェル等も持った。
それにプリウスを出すことにした。遊びではできるだけ車を使わないと決めてあるのだが、他の車で行くのであればプリウスの方が排気ガスは半分以下で済むし、冷蔵庫など大型の荷物もあるので出すことにした。
虫1012テントは4~5人用を二張りとしたが、私は1人用の山用テントを別に持って行った。理由は、私も大きないびきをかくらしいのだが(自分では聞いたことはないが?)、人のいびきでは全く寝られなくなってしまうため、いざという時にはそこに逃げ込む為である。
孫と山でキャンプをする為に買っておいたテントが早速役立つことになった。近年、山用テントの軽量化は目覚ましく、背負って持って行くことだけを考えるなら最軽量の物を選ぶべきだが、軽さの前に張り安さを最優先にさせて選んだ。どんな悪天候の時でもいち早く張れる簡便さの方が重要だと思うからだ。
先に酔っぱらい寝込んでしまったK氏のいびきを聞き、予定通り山テンの出番になり、予想通り簡単に張れることが実感できた。(テントはニッピンのメスナーシングルドーム)
キャンプ場に着き、先ずはテントを張り、焚き火が燃え尽きないように十分薪を集めた。
次にイワナ二匹とヤマメ二匹をゲット、これで久し振りの骨酒も確保できた。
途中で仕入れたキノコをふんだんに使った鍋もでき、議論の為の準備万端が整った。
そこから取り留めのない議論が予定通り始まり、一時過ぎまで存分に話し合った。
議論をするのはシーズンオフのキャンプ場は絶好である。時間は次の日まで無制限だし、金は掛からないし、今の時代こういう風景があちこちにあっても良いのではないだろうか。
しかし、議論をしていれば良いわけではなく、実践に移さなければどんな議論も、酒にかまけた単なる戯言に過ぎなくなってしまう。
今回のキャンプ地は塩原温泉の先で、五十里湖の北側に位置するナラ入沢渓流キャンプ場である。
我孫子から往復で410Kmばかりの距離にある。この距離全体で燃費は27.4Km/リットルであったが、高速へ入るまでの52Kmは何と31.4Km/リットルだった。さすがはプリウスだと改めて感心した。イワナ
高速へ入ってからは80~100Km/hで走った。如何にプリウスといえども100Km/hを越えると燃費はどんどん悪くなるし、その分CO2も増えるからだ。
200Kmぐらいの距離だとすっ飛ばそうと、のんびり走ろうと時間には大した差が出ないし、それならのんびりの方が燃費は安いし、安全だし、疲れないし、良いことばっかりである。
今はそんな心境であるのだが、インプレッサに乗っていた時の自分は一体何だったのだろうか、と反省しきりである。
車の運転の楽しさは至って情緒的なものであるが、燃費を節約してCO2を少なくする工夫をしながら運転することは、とても理論的である。
車の流れを滞らせないで、最大の燃費を引き出す為にアクセルワークを工夫しながら走ることは、脳が活性化されるようで何とも楽しい。
何と言っても工夫して運転した結果が数字で出ることが最も楽しい。
アウトドアというと四駆に決まっているが、既存のキャンプ場でやる程度のキャンプであるなら、二駆のプリウスで十分である。と言うより燃費がダントツのプリウスの方がアウトドア向きと言えるのではないだろうか。
もし、全ての車が少なくともプリウス程度の機能になったら、CO2の排出量の問題だけでなく、もう少しゆったりとし、落ち着いた高速道路と社会になるのではないだろうか。



四歳にして温泉大好き孫を連れて、二泊三日の休みを取った。妹が7月2日に生まれ、特に大好きなママを独占できなくなった寂しさを紛らわせてやろうという、ジジババ心の優しさの企画であった。
田園日曜日と月曜日の宿泊であったため、両宿とも誰にも会わずに温泉を十分楽しめた。全てが貸し切り風呂状態だった。
今回は孫連れ三人旅だったので、プリウスで行くことが一時、頭を過ぎった。しかし、片道が400Kmぐらいあることを考えると、止めるべきという結論にした。
車で行けば、行く日と帰る日のほぼ全部の時間は運転に取られてしまう。
今さら特別見るべき景色もない高速道路を、ただハンドルを握ってアクセルを踏んでいるだけで貴重な時間をつぶしてしまうのは、何とももったいないし、だいたい見た目も格好良いわけではない(車でしか行動できない族と同じに見られるのもシャクな話である)。
第一、孫に公共の中で他人に迷惑を掛けずに楽しむ術も教えられない(そんなことを家庭や車の中でいくら言い聞かせたところで分かる訳がないし、核家族が車で移動するという流行が公共モラルを全滅させたと思う。いまだにそんなことも分からず親気分だけをやっている親もどきが圧倒的に多い)。
二人そんな訳で新幹線と駅レンタカーにした。
お金のことだけで言えば、勿論、自宅からプリウスで行く方が圧倒的に安い。ガソリン代が高いといってもプリウスだと多分、往復で6000円ぐらいであるし、高速代を入れても3人で一万円台で行ってこられるだろう。
しかし、人生の残り時間を考えると、車の運転ごときで二度と取り戻せない時間を失ってしまうことには、何とも勿体ないと感じてしまう。
買えるものなら、無理してでも、できる限り「時」を金で買うべきであると思っている。
案の定、新幹線の中で孫にいろいろなことを教えるチャンスに恵まれた。
特に、前の席にはのんびりと本を読みたい人が居るかも知れないし、ゆっくり寝たい人が居るかも知れない。それなのに、バタンとテーブルを跳ね上げたり、狭いスペースで動き回わったり、我がもの顔で大きな声を出すことが至って迷惑なことであることを教えられた。
降りるとき、前の人達に謝った。四歳だからしょうがないなどという言い訳はできない。
年とは関係なしに公共には公共のマナーがあることは徹底的に教えるべきである。
人間の子供は豚さんではないので、時間は掛かるかも知れないが教えれば少しづつ学習してゆくものだと思う。教えないことが最悪であるし、教えることが分からないのがもっと最悪である。
車というのは、その中でお行儀もへったくれも無いし、何でも勝手にし放題の空間を与えてくれるし、至って楽ちんな乗り物ではある。
しかし、車の多用が、本来であれば公共ルールを学ぶべき時間を奪い、そればかりか勝手さを醸成しているのではないだろうか。
吹き出し車を使うと、もう一つマイナス面がある。
何も考えずに、思い付きで持ち物をぶち込むことである。
列車などで行くとなるとそうはいかない。持ち物は全て自分達で持たなければならないので、できるだけ軽くしたいのは当然である。
その為には、旅の中で起こるであろうあらゆる場景を、先ず自分の頭の中でシミュレーションをしてみることが最低限必要である。
車でなければ曖昧さなどはとても許されるものではないし、曖昧にすれば折角の旅を面白くない物にしてしまう。
車はそういうことを余り考えたくない人にとても便利な乗り物である。
それと、旅館に泊まるといつでも、もったいないと思うことがある。
一つは料理が多すぎる。まるでメタボを奨励しているようだ。
大体、年のことを加味せず、若者と同じ物を出されたのでは全部を食べられる訳がない。
今回も日常では考えられないくらい残してしまった。
客の中には食事の量で比較する人も多いのだろうが、何とかならないだろうか。
もう一つは、これもサービスのつもりなんだろうが、電気のつけっぱなしが多いことだ。普段の生活ではこまめに消して歩くのに、旅の恥は掻き捨てのごとく電気を無駄に使うことになってしまう。特に今回の一泊目は私達だけだったので、その為に旅館中の電気がつけっぱなしだった。
また、トイレには何処にでもペーパータオルがあった。あれも当然止めるべきである。たかが手を拭くぐらい自分のハンカチを使えばよい。
温泉は両宿とも源泉掛け流しであったため、気分良く落ち着いて楽しめた。
帰りの新幹線の中で、孫は前の人が気が付かないようにそっとテーブルを畳んでいた。
ちなみに、プリウスへの給油は5リットルだった。

昨年の暮、ちょっと用事がありプリウスで往復171Kmを走った。何とリッター27.8Kmだった(これがプリウスにとってどの程度のことなのか知らない)。出来るだけ他の車に迷惑を掛けないようにした上で、如何に燃費を良くするかを考えながら走るのは楽しい。カモメ
燃費節約(乗らないことが最大の節約)の運転の仕方で最も重要なことは、先の先まで読むことだと思う。このことはかなり安全運転にも関係があるのではないだろうか。ちょっと腹が立つことは、通過できると思っていた信号が直前で変わってしまうことである。大きな運動エネルギーを持っているのに、それをブレーキ熱で捨ててしまうのは何とももったいないと思ってしまう。緩やかな起伏のある道路でアクセルを切り、良い調子でバッテリーに充電しながら下り、さあこれから惰性で登ろうという時にブレーキを掛けなければならない時も心中穏やかではない。本当にエネルギーを損した気になるので、そういう場合は出来るだけ停止線を越えて止まるようなことまでしている。他の車との競争でなく、自分の先を見通す能力と格闘しているようで何とも面白い。梅の蕾これは今まで乗っていた車では味わうことが出来ない楽しさである。いい年をして、わざわざエンジン音を大きくして(幼稚園児がアクセルを踏んだって大きな音ぐらい出すことは出来る)乗っているアホがいまだに多いが、如何に静かに走るかのテクニックを練習する方が頭を使わなければならずよっぽど面白い。
いずれにしてもプリウスは今までとは全く違う次元の楽しい車であると感じている。
そのハイブリッド車というプリウスが、どういう経緯で開発されたのか、技術屋の端くれと思っている者に取っては非常に興味があった。誰が、いつ、どういう思想で開発の決断を下したのか・・・・
そのことについての概略が朝日新聞に載った。それによると、プリウスの誕生は90年代初め、当時会長だった豊田英二氏の「21世紀に提案できる車を作るべきではないか」という思いから始まったようだ。しかし、94年に担当者から出てきた案は「99年末までにガソリンエンジンの改良と、新型変速機の採用などで燃費を1.5倍にする」ということだった。だが経営陣は満足せず、ここで「燃費は2倍」という命令になった。2倍となるとエンジンの改良では間に合わず「新しいシステムを開発しなければならない」ということになり、ハイブリッドシステムに決まったようだ。
水の光94年当時は、20世紀中に燃料電池車の量産は出来ないということ判断してのことだったらしい。95年6月にプリウスの開発がスタートしたのだが、商品化時期は99年末から98年に1年間前倒しになった。しかしその後すぐに社長になった奥田氏が更に1年の前倒しを命令したため、97年12月の京都会議の会場にプリウスの試作車を持ち込むことが出来た、ということのようだ。
これを読むと経営者の未来を想像する能力と決断する力が如何に大切か良く分かる。どんな小さな企業でも、国でも全く同じであると思う。物事を決める立場の者の、未来を見つめる想像力が欠如していたり、貧困であったりすると要は時代に取り残されることになってしまう。記事の中に書いてあるように、もし燃費1.5倍で満足していたらプリウスは生まれなかっただろうし、環境でトップを走るトヨタは存在していなかったわけである。
未来を見つめるということは、変化を読み取ることであり、夢を持つことであり、自分を変えられる勇気を持っていることなのではないかと思う。

電気自動車と太陽電池にペアで補助金を

たまには温暖化に対して明るい考え方を提案したい。先日、三菱とスバルが電気自動車の発売時期を出来るだけ早くしたいという趣旨の報道があった(三菱だけだったかな?)。出来る限り何処のメーカーも早くして欲しい。スバル*自宅で充電してそれで走れるんだからなんとも楽しいことだ。大都市に於いては公共交通網があるので車が無くても生活できるが、経済合理性だけで切り捨てられてしまった地方に於いては、車は絶対必需品である。
私は東京での仕事の為に車を使うことはほとんど無い。ほんのたまに工事用機材を持って行かなければならない仕事の場合は、車で東京へ行かざるを得ないが、そんなことは一年に一回もないぐらいだ。打ち合わせや説明のために東京、神奈川、埼玉あたりへは頻繁に行くが、意図的に車は使わないようにしているし、車を使わない方が全てにとって都合がよい。車でなければ絶対行かれない所であれば勿論致し方ないのかもしれないが、首都圏を移動するぐらいでは全く必要ないし、使うべきでない。車でなければ、第一、人との時間の約束を確実に守ることが出来る。車は間違いなく人との約束を守れないことが多い。それよりも普段、エコ、エコ、エコ・・・・と言いながら、一人乗るには余りにもでかすぎる車に乗るわけにはいかない。1000~2000ccの排ガスを出す訳だから、特に都内では公共交通機関を使うべきである。三菱2*
しかし、交通機関のない地方は別だ。車がなければ生きてゆけないと言っても大袈裟でないかも知れない。いくらCO2を出さない方が良いと言っても誰でもが自転車にするわけにはいかない。そんな時に電気自動車は絶好である。ガソリンが無くて走るわけで、自宅で充電して走れるなんて何と楽しいことか。そんな現実が目の前に迫っている。しかし、電灯線から充電するということはCO2と無縁ではない。この際、どうせなら電気自動車は徹底的に無縁にすべきである。その為には太陽電池とペアで出来るだけ多く補助金を出すべきである。そうすれば生産時のCO2は別にして全くCO2を出さない車社会を作ることが出来る。電気自動車は個人の所有かも知れないが、社会にプラスになる存在だと言うことも出来る。当然、太陽電池も個人の屋根に取り付けるかも知れないが、それが系統連係されている以上、社会に対するエネルギー供給インフラであり正に社会的、国家的存在である。いまだに太陽電池はペイしないなんて言っている人にガソリン代の計算まで入っているんだろうか。勿論入っているわけがないと思うが・・・・。
車は今まで通り走っているのに排ガスゼロの社会なんて考えただけでも楽しいのではないだろうか。
次のプリウスは自宅で充電して60Kmぐらい排ガスなしで走れるようだ。もし金が許せば、というより金で済むなら買い換えてみたいと思っている(今のプリウスが中古車としてガソリンエンジン車を持っている人の買い換えになれば、それはそれで良いと思う)。そうすれば昼間太陽電池で発電している時間帯に充電することが出来、一年を通してほとんどCO2を出さない車生活が出来ることになる。
何はともあれ、これから62兆も掛けて高速道路を作るなどという正に化石のような考えはおさらばして、CO2の出ない車社会構築に回すべきである。
たまには「流石!」と言われるようなことをやってみたらどうでしょうか・・・・
(上がスバル、下が三菱)

20071106225548.jpg
11月4日の朝日新聞の「声」に「料亭近くの車、エンジン切れ」という投書が載せられていた。黒塗りの車がエンジンを掛けたまま待機しているのをよく見かける、こういう車に乗る人は社会的立場がある人だろうからエコロジーは自分の車から考えたら、という趣旨のことを書かれていた(こういう人達に限らず、コンビニに止めて暖冷房のためにエンジンを掛けっぱなしにして買い物をしている安物の車も非常に多く見かける。日本は所得の大小に関わらずこういう程度の人がまだかなり居るようだ)。見た目には社会的立場がある様に見えるからといって、単なる成金に過ぎないかも知れないし、黒塗りの車に乗っているからと言って、必ずしも物事をきちんと認識し、考えているかどうかは別問題である。これは差し詰め、籐吉郎が信長の草履を温めていた400年以上前の光景と酷似している感じがする。籐吉郎は主人思いで温めたのだが、現在の主人思いはエンジンを乗るまで掛けず、車を温めておかないことだろう(籐吉郎は自分の体温であったため無害であったが、車を温めるのは有害である)。20071106225608.jpgそうすることにより二酸化炭素の排出まで考えているんだぞ、ということが世間にアピールできるからだ。但し、少なくても今の日本に於いてのこういう人達の現実は「君!車ぐらい何で温めておかないんだ!」と怒鳴りつけるだけだろうけど・・・・
アイドリングストップ、つまり走るとき以外はエンジンを止めよう、ということは正に新しい価値観であり、二酸化炭素排出を個人が減らすための行動の大きな一つである。アイドリングに対する古い価値観は、アイドリング状態がどういう事か、何をもたらすかを考えないで行動することである。これは技術の未熟さと人間の想像力が未熟なために起こった典型的な例であろう。
しかし、プリウスが出てからは多大の二酸化炭素を排出してまでアイドリングをすることの無意味さにを、人間に気付かせてくれたのではないだろうか。F1レースをする車でないのだから出発前のアイドリングは必要ないし、信号で止まっている時も、渋滞で止まっている時もエンジンを動かしている必要は本来全くないのである。エンジンは車を力強く走らせるために必要なのであり、減速する時と、惰性で走っている時と、坂を下っている(エンジンブレーキが必要な時は別)時と、止まっている時は必要ないのである。
新聞の「声」欄にこういう意見が出てくるのは、温暖化阻止のため自分のことだけでなく常に他人への影響を考える、という新しい価値観から出た現象であると思う。正に新しい価値観へシフトした現象であろう。当たり前の光景だったり、むしろ羨ましい光景だったことが批判の対象に成り下がったということだろう。20071106225621.jpgしかし、私自身が車に対する認識と価値観を変えることが出来たのは、思い切ってプリウスに買い換えたからだ。それまでは、確かに吹かし過ぎをした時はいやな気分だったり、渋滞の中ではエンジンを切ってみた事はあったが、積極的にアイドリングのことを考えなかったと思う。車に乗っている以上当然のことであり、しょうがないことだからである。
現在、ガソリンの値段が上がっている。石油の採掘量のピークが2010年前後と言われていることから見ると、もう余り下がらないのかも知れない。ガソリン代が上がることは、輸送に関わる全てのコストが上がることになり経済的な影響は非常に大きいが、そのことが切っ掛けで車を動かす回数を少なくする人も増えるだろう。
車を選ぶ時により燃費を重要視するようになるだろう。この際に自家用車を破棄して、タクシーとレンタカーに変える人も増えるだろう。メーカーも燃費とアイドリングゼロのことまで考えた車を出さざる得ないだろう。更に高性能のハイブリッド車や電気自動車が繰り上げて発売されるだろう。ガソリン代のアップで経済的には一時マイナスになるかも知れないが、結局は車産業も新しい活気を得ることになるだろう。目先の短時間の現象におたおたすることは無いと思う。モーターだけで何十キロも走れるハイブリッド車も出るようだし、200キロ走れる電気自動車の時代も目の前のようだ。そうしたらやっぱり買い換えたくなる。そうすれば昼間自宅の太陽電池で充電して使うことになり、二酸化炭素の排出ゼロの車社会は目の前である。しかし、車だけゼロになってもしょうがない。住まいの二酸化炭素もゼロを目指さなければならない。人間はやると決めれば出来ると思う。

20070929111852.jpg
9月27日の朝日新聞にNISSAN GT-Rとトヨタ/マークXジオの発表が載っていた。当然だが両方ともガソリンで走る車だ。ニッサンがGT-Rを出すのは分からないでもない。これは理解できるという意味ではない。いまだに過去の価値観だけでしか動けないニッサンであれば、今時こんな車を出しても、致し方ないんじゃないかというあきらめの境地である。メーカーも売れそうな物を出すわけで、それはGT-Rのようなクルマを要求する人達が健在であるからだろう。多分、以前のGT-Rよりも燃費(CO2の排出量)は多少良くなっているんだろうが、GT-Rと言う以上しれていると思う。GTR.jpg5年振りの復活だそうだが今もって5年前の価値観に頼らなければならない(5年前と現在の温暖化による環境の変化と、それらが取り上げる頻度と、人の意識がどれほど変わったことか)とは、何とも情けない感じがする。ハイブリッド車が走っている時代にもう少しましな企画があるのではなかと思う。
問題はプリウスを出しているトヨタである。セダンとワゴンとミニバンの3役をこなせるのが特徴というマークXジオを出した。エンジンは2.4リットルと3.5リットルの2タイプ。内容は所詮4輪の車に過ぎないのだから、なんだかんだと言ったところでそうは代わり映えがしない。問題は何でハイブリッドでないかということである。X.jpg折角独自技術を開発したのに何故それを使わないかということである。値段から言えばプリウスクラスであり、マークXジオが買える人は当然プリウスが買える人達である。つまりマークXジオはプリウスと競合する車である。このことはプリウスには目もくれず、ハイブリッドでない車を選択する人達がいまだに圧倒的に多いことを意味しているんだろう。だからトヨタは相変わらず単なるガソリン車を生産し続けているんだろう。確かに多くが買ってくれる車が有ってこそ企業は成り立つのだろうが、ハイブリッド車があるならもっと戦略を変えられないんだろうか。ハイブリッド車のTVコマーシャルは少な過ぎるし、内容ももっと考えるべきではなかろうか。
プリウスに乗ったことがない人達は3っのことを決まって言う。その1、加速が悪い。その2、スピードが出ない。その3,格好が悪い、である。現に乗っている人にとってどれもほとんどストレスにならないし、不満を感じていないだろう。しかし乗っても居ない人からそういう批判が出るということは原因があると思う。一つにはメーカーがそういうことを一生懸命言わないことであるが、もう一つはこれが大きいと思うのだが、街を走っている一般的なプリウスの走り方に有るのではないだろうか。それはプリウスをあえて買う人は、加速力が有るにも関わらず、そんな機能にもう興味がないため、出来るだけ急加速をしないようにしているからだろう。急加速をしたところで、目的地に着くまでの時間は1分と変わらないのに燃費は非常に悪くなってしまうことを理解しているからである。時間が半分にでもなるなら「時は金なりで」それなりに価値があるのかもしれないが、一般的には急発進、急加速することにほとんど何もメリットもない。プリウスが急発進しないことで他の車もゆっくりスタートすれば、その分燃費が下がり全てにメリットが有るのではなかろうか。
その2のスピードの問題はその1とオーバーラップするが、プリウスのディスプレイに刻々と燃費が表示されることと、チャージした電池でかなりの距離が走れるため、アクセルを切って惰性走行でチャージしながら走ったり、モーターで走ったりと任意に燃費を調整しながら走るために起こる。つまりスピード優先(CO2排出量優先)でなく燃費を最優先にする走り方のために起こることである(この場合、あまり車の流れを悪くするのはどうかと思うので、後ろを気にしながらタイミングを見て左に寄って後続車に先に行ってもらう配慮も必要である)。20070929111954.jpg
その3のスタイルの問題であるが、特に車のスタイルは時代と共に大きく変わってきている。つまり今のスタイルは今だけ通用するスタイルに過ぎず、時間と共に変化するのが必然である。何時の時代でも新しい価値観を持って登場した物は、特に最初の内は否定的に見られる宿命にある。格好悪いプリウスに比べ、格好いいと言われている他の車の形は、エネルギーが金でいくらでも買えて使えると錯覚していた時代に作り上げられた価値観に基づいて作られたのだと思う。車は一般的に何十万台も作られる大量生産品の一つに過ぎない。そのためどんな形の車を選ぼうと所詮何十万人の人が買って持っているんだから、少なくとも自分自身のステイタス的存在物にはなり得ない。つまり単なる便利な道具に過ぎないのだから、デザインに対する感覚も、もうそろそろそれも変えて良いんじゃないだろうか。
これからの形という物は、形として必然的に存在すべき価値のある形が追求されて行くだろう。つまり少しでも温暖化を抑制するための形になって行くだろう。単なる主観は廃しされ、飛行機や新幹線のようにあらゆる抵抗値を最小にするような形が徹底的に追求されるだろう。そして誰が見ても客観的に納得する形が生み出されて行くと思う。これは車に限らず住宅も全く同じ道をたどるだろう。
最後に、トヨタはもっとプリウスの加速が良いこと、スピードが出ること、燃費の良いこと、居住性の良いことを宣伝すべきである。そして一度プリウスに乗ってしまえば、エンジンを掛けてる必要のないところではエンジンを切るという常識に気が付くだろう。燃費を良くする走り方とはどういう事か気が付き、すぐさまプリウスのファンになるだろう。
温暖化による環境の悪化は決して待ってはくれない。気分だけでは何の意味もない。実行有るのみなのだが・・・・

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プリウスの空気抗力係数Cd値は0.26である。これはなかなかの数字だと思う。勿論、この数字だけで車の性能が決まるわけではないが、デザインした結果としてこの数字が出たのではなく、この数字を出すために形にこだわったように思える。なぜなら、写真を見れば分かる通り、素人が見ても、まさに空気がスムーズに流れる(但し、前面方向から)でっこみへっこみの非常に少ない飛行機の翼の断面のような形である。誰が描いてもこんな線になるようにさえ思える。これは機能のために形を考えたのではないだろうか。もしそうだとすれば、そこにも先進性がうかがえる(勿論、これらは全て私の想像であり、実情を調べたものでない)。つまり「客受けが良いセダンらしいデザイン」ではなくて、「空気抵抗の少ない形をセダン的な車にする」だったのではないだろうか。単なる車の「ムード」を売るのではなく、「具体的な燃費の数字」を売る、だったのだろう。エネルギーの消費量を下げることが設計の目標であれば当然のことである。20070703045258.jpg
このように、機能の目標をデザイン化することは、まさにこれからの住宅にも必要なことである。現在のように、家の設計が終わってから熱の負荷計算をして、初めてその家の消費するエネルギー量を知るという方法では、これからの家は設計できないだろう。何故なら、エネルギーの消費とはイコール二酸化炭素の排出量であり、今後それを無視して先ずデザインするなどあり得ないからである(デザインするという範囲が単なる主観的な好みから、客観的な機能としての数字を含んだものになる)。つまり、目標とする二酸化炭素の排出量を先ず決め、それを満足するためのデザインがなされなければならないだろう。温暖化問題は今まで培ってきた全ての社会通念を覆し、全ての価値観を180度転換てしまうだろう。その激変について行けるかどうか、などという悠長なことは言っていられない真の実力が試される社会が目の前に迫っているような気がする。

プリウスシステムが最も優しいのは何と言ってもエンジンに対してだろう。
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電気モータと力の配分を分担しているから当然なのだが、マニアル車だったらシフトダウンして回転数を上げて加速する分をモーターがやってくれるのでエンジンの立ち上がり音が少無く、同時に負担が少ない。
エンジン音と相まって醸し出した加速感のイメージが全然違い、新しい価値観を生み出している。
アイドリングが必要とプログラムが判断した時だけエンジンが回ることがあるが、それ以外は全くエンジンを動かさないのもエンジンには優しいだろう。
特に渋滞時の、あののろのろ動きの時にエンジンが掛からず少しづつモーターで動くのは、その度にアクセルを少し踏んで回転数を少し上げて排気ガスを沢山出すのに比べるといたって気分が楽だし、エンジンに対する負担も少ないだろう。
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いずれにしても、車というのは動き出したらエンジンも動きっぱなしが当たり前であるが、同じ距離を走ってもエンジンの使用時間とエンジンに対する負担は随分違うのだろう。
プリウスはエンジンをとても大切に使っている車とも言えるだろう。





プリウスがどうして開発されたのか、という経緯は何も調べたことが無いので知らない。

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しかし、単にガソリンエンジンの燃費向上だけを目指したとは思えない。
勿論、トヨタの技術者が思いつきでやった訳ではないだろう。
プリウスが今の社会に出現した位置づけを推測してみたい。
今後、太陽、水素エネルギー社会になるとすると、つまり二酸化炭素を出さない社会になると、車の動力の方向は3つ考えられる。
一つめ、現在の進化した内燃機関を更に改良して水素エンジンを作る。
(ディゼルエンジンで温暖化に対応しようとしているのはその方向を目指すからなのかな???
内燃機関を水素に代えるだけなら今の生産設備が使えるし・・・)
二つめ、燃料電池を用いた発電式電気自動車を作る。
三つめ、高容量蓄電池を開発して充電式電気自動車を作る。
が考えられる。
他にもあるのかもしれないが、太陽、水素エネルギー社会になるのだろうからこれだけのような気もする。
高性能ディゼルエンジンはハイブリッド化すれば更に性能が上がることになるし・・・・
当然、プリウスの技術が生かされることになる。
いずれにしても、ディゼルエンジンの高性能化は過渡的な技術ではないだろうか。
燃料電池にしろ、蓄電池にしろ電気自動車だから、ちょっと飛躍しすぎるが、ハイブリッドからエンジンが取れたシステムである。
これに移行するためにもハイブリッドの技術は当然生かされるだろう。
それでは、今考えられる新しい時代に存在できる車は何かというと、そのシステムのシンプルさからいって、充電式電気自動車であるような気がする。
自宅の太陽電池で充電して満タンになったらドライブに行くなんて時代が来るんじゃないだろうか??? 途中では急速充電スタンドか、電池交換スタンドか???
いずれにしても、ハイブリッド技術が原点にあり、プリウスはまさにキーマン的存在ではないだろうか・・・・
そんな目線で今後の車の進化を見るのも楽しいのではないだろうか。
一度是非プリウスの開発に至った経緯を直接聞いてみたい。

プリウスに乗って今まで考えてみなかったことに初めて気付かされた。

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(その1)取扱説明書を見ないとスタートもできない車は初めて。
(その2)エンジンの力が必要ない時(信号や渋滞で一時停止している時、
     アクセルを離した時、坂道を下っている時など)はエンジンが止
     まる・・・・ドイツでは信号停止でもエンジンを切るのがマナー
     だそうだ。
     必要ない時にエンジンを切ってガソリンの消費を押さえるという
     至極当然なことをプリウスに乗って見て初めて気づかされた。
(その3)減速は運動エネルギーを回収すること。
(その4)加速することはガソリン消費を大きくするが、同時に
     エネルギー回収の準備ということ。
(その5)登り坂は位置エネルギー利用の準備ということ。
(その6)エンジンブレーキではなくて発電ブレーキになり、エネルギーが
     生産される。
(その7)車の流れと先の信号を見ながら、できるだけモーターと慣性を利
     用して走ると有利。
(その8)それらの結果、ブレーキパッド、シューやタイヤの寿命が延び
     る。
(その9)歩行者はプリウスの近づいた音が聞こえないので、より歩行者の
     立場で優しい気持ちで運転ができる。
等々、考えてみたことのないことを考えさせてくれる、正に常識破りのすごい車です。
でもこれらのことは気がついてみれば至って当然なことで、必要の無い時は、せめてエンジンを止めるぐらいは全ての車でやればいいのに・・・・




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