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20011/7/7
7月2日「これからの木造住宅を考える連絡会(これ木連)」主催の会に出席した。
1999年に彰国社から出版された「民家の自然エネルギー技術」と同じ題名で、この本をまとめられた早大名誉教授の木村健一先生がお話しされた。手すりと水
木村先生は1975年、日本太陽エネルギー学会を創設されたお一人である。当時、事務所は早大の木村研究室内に置かれ、正に日本の太陽エネルギー利用を提唱された先駆者である。
この本は、出た当初に購入して読み、非常に多くの事を学ぶ事ができた。
民家には日本民族として、この地に住み着いてからの歴史が染み込んでいるはずである。
民家は住まいの原点であり、人が快適に生きて行く為の工夫の宝庫である。
民家には今のようにエネルギーがほとんど使えない時代に、営々と人が生き抜いて来た知恵が詰まっている。
その土地が持っている風土を、何十世代も何百世代もの長い年月を掛けて読み取り、形として表した物が正に民家なのである。
昨日今日簡単に作られた形ではないし、仕組みではない。
測定値は無いが、アメダスなど及びも付かない経験を噛み砕き、それ元にして作り上げた形である。
今、民家に求められていることは、その土地に生きる為に詰め込まれた暗号を読み解く事だと思う。
あらゆる知恵が詰め込まれている家の中が暗いのは、勿論、厳しい自然の中で生き抜く為の知恵がもたらしたものである。芙蓉
現在、暗いことは改善すべき遅れた古さのように言われているが、この暗さの中に含まれている意味は大きい。
しかし、特に暖冷房機器が普及するように成って、自然を読み解き、形に表す術は必要がなくなってしまった。
自然は生きる為の条件を生み出す場ではなく、単なる風景だけに成り下がってしまった。
自然の奥行き、深さは必要なく、表面に見えるだけの薄っぺらな物に成り下がってしまった。
自然の深遠さを見通す深い洞察力は無用な長物に成ってしまった。
これもそれも全てが、電気エネルギーと化石エネルギーが自由に手に入る様に成ってから加速されたことである。
特に戦後は都市化が急速に進み、読み解かねばならない自然は消滅してしまった。その為、更に拍車を掛けて自然離れが進んでしまった。

茅葺きの民家を見た時、大部分の人達が大いなる郷愁を憶えるのは何故なのだろうか。
単なる見た目の懐かしさだけではないような気がする。
DNAの中に染み込んでいる何かを感じているのではないだろうか。
だからと言って茅葺きの家をいま作れば良いわけではない。それでは単なる懐古主義に過ぎない。しぶき

去年の三月に完成した実験住宅は、民家の持っている知恵を少しでも学び取り、現代の住まいに生かして見ようという考えからスタートした。
それが「買うエネルギーから、自前するエネルギーへ」であり、「CO2ゼロを目指す家」となった。
昔はエネルギーといっても主に薪であっただろうから、全てを自分で調達したのだろう(都市部では薪は買ったのだろうが、日本の社会全体としては全てを国内で自前していた)。
結果として、CO2は自然界で循環して特別増加することも起こらなかった。

民家で注目したのは5つの機能についてである。
(1)茅葺き屋根機能、(2)空気の流れ機能、(3)土壁機能、(4)土間機能、それに(5)365日サイクルの思想である。
そこから、先ずは、基本的に全体としては出来るだけ熱容量を上げること、断熱性能を上げること、夏は日射を絶対入れないこと、冬は出来るだけ日射を入れること、無風時にも上昇気流で空気が流れること、熱容量による温度差を利用することを考えた。はく鳥
その為、断熱材の中でも最も重く、一本一本の繊維の中に湿気を吸収できるセルロースファイバーで全体をくるむことにし、南面の大きなガラス窓(12平米)には断熱ロールカーテン、最上部のジャロジー(2.3平米)にはポリカのハニカムコアを内断熱度戸として断熱の強化を図った。
今回は、身近にある材料の選択と、全体としてはその材料のリユース化などは考えなかった、と言うよりそこまで考えられなかった。
但し、2階の床だけは自社開発のリユース栗無垢材を使った。これは基本的には腐るまで何度でも取り外して再利用する床材として独自に開発した物である。
(1)の茅葺き屋根機能は特に現代の技術を持ってしても簡単には真似できない。
その機能は1)気化熱涼房機能、2)圧倒的な遮熱機能、3)雨音遮音機能、4)断熱機能、5)排煙機能、6)身近で栽培した材料を使える、など多機能に渡るからである。
これは基本的には実現が不可能なため、単に200mmのセルロースファイバーを入れるだけに止めた。
本来はガルバ+空気層+透湿ボード+セルロース+透湿ボードとすべきであるが、予算の関係で透湿ボードを構造用合板にしてしまった。
(2)空気の流れ機能は、最下部の空気の取り入れ口と、最上部の排出口までの高さ方向の距離と排出口の大きさの問題である。
最上部の排出口には0.6×0.55mジャロジーを7枚(2.3平米)を取り付けた。
(3)土壁機能は、実際に土の断熱性能程度で済ます訳には行かないので、ガルバ+空気層+透湿ボード+セルロース+透湿ボードとした。
これにより、室内湿度は常にバランスを取るように変動することを目指した。森
(4)土間機能の一つは、総合的な熱容量を付加する事と理解し、12平米の大きな玄関土間を設けたことと、二階の床40平米分にアクアレイヤー90mm(コンクリートで同じ熱容量にすると重さで14トン分)を設置した。また、熱容量を出来るだけ大きくする為に、建物全体をくるんでいる断熱材もそういう意味で最も重いセルロースファイバーを選んだ。
(5)365日サイクルの思想、これは年間を通して太陽熱を地中に染み込ませ、15~16度ぐらいの地中温度を6~7度上げてやろうという試みである。これに二階の床のアクアレイヤー蓄熱層へのダイレクトゲインと組み合わせ、ランニングコスト ゼロで、ここは昔の民家と違い、暖かく快適な冬が過ごせる事を目指した。

今回は以上の事を試みたが、これからも更に民家の勉強をし、現代まで培った技術との新しい組み合わせを模索して行きたいと思っている。
長い時間を掛けて作り上げられてきた民家の考え方こそが、新しいエネルギー時代に必要なのではないだろうか。
エアコンなどの暖冷房機器を入れて初めて成り立つ現在の家よりも、民家から出発することこそが、私達にとって新しい可能性を与えてくれるのではないだろうか・・・・
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前回、前々回とセルロースファイバー断熱材について書いた。
現時点で、総合的に見るとセルロースファイバーは最も優れた壁内充填材と言えると思う。笹
勿論、ある狭い範囲の性能に限れば他の選択肢もある。例えば、決められた厚さの中で、出来る限り熱を逃がしたくないというのであればウレタンを現場発泡した方が良い結果に成る。しかし、いずれにしても住む人に取って健康的で快適な住まいである為の選択でなければならない。
また、断熱材は一生の間払い続けなければならないランニングコストを決めてしまう最も大きな要素の一つでもある。
断熱材は未だに価格で選ぶという風潮もあるが、一生の間のランニングコストに影響を及ぼすので、少しのことをケチルなんてしない方がよい。
ランニングコストというのは、老齢になりローンがやっと終わっても死ぬまで払い続けるものである。
今の新築される住まいを見ていると、そんな重要な事であるにも関わらず、本当にそういうことまで含めて配慮して気遣っているのか疑問に思うことも多い。
断熱材に比べれば取るに足らない目先の目立つ物に予算を割き、金が足らないからと言って断熱材をケチるなど、絶対してはならないことだと思う。
まあ、金を払う施主がそう言うのであればどうしようもないが・・・・しかし、もうそろそろ、もう少し未来を見つめての予算の割り振りの仕方を提案しても良いのではないだろうか。ジェットエンジン
現在の日本社会を支えているエネルギーのほとんどは、化石燃料を燃やして作り出している物である(原子力も地中から掘り出したウランを使っている、という意味では同じだろう)。
地球という有限の入れ物から取り出している化石燃料は有限に決まっているし、それを燃やし続ければ早晩無くなってしまうのは、幼稚園生でも解る当たり前の論理である。
新たに生産される物ではないのだから当然減るだけである。そんなメカニズムぐらいもそろそろ理解し、その対応するためのビジョンぐらいは模索すべきだろう。
CO2温暖化の問題も有るから、化石燃料は無くならないとしても、早晩、その使用が制限されることは、これも誰が考えても当たり前のことである。
冷蔵庫の中に蓄えておいたアイスを買い足しておかないでどんどん食べてしまえば、直ぐに無くなってしまうことぐらいは遊びに来る孫でも知っている。
これは地球上で化石燃料を掘り起こして使っているの全く同じ原理である。そういう事が少しは考えられるなら、先ずは、なるべく化石燃料を使わない様にしようということにすべきであるだろう。こういう感覚は、本来、全く普通の人間の、普通の感覚なのではあるまいか。
そんな化石燃料の使用量を左右するにもかわらず、人生最大の出費である住まいを建てるに当たって、使う断熱材が国の規格を守っているからそれで良いじゃないかということで、本当に良いのだろうか。飛行機
今、建てる家は30年後も使うのである。それに備える設計は30年後ではなく、今しなければならないのだ。
そんな訳だから、もし新築を検討しているのであれば、その家の条件として「ランニングコスト」を指定してみたらどうだろうか。
例えば、オール電化であるなら電気代として月最大5000円、つまり年間の電気代を60000円以下になる家にしてくれと言うことである。
断熱材は次世代基準だから大丈夫と言うことではなく、具体的にどんな生活の人生が送れるかということを新築の条件として盛り込むのである。
但し、本当はランニングコストではなく、CO2の排出量でなければならない。
何故なら、オール電化の電気代というのは普遍的な数字ではなく、現在の社会の中で色々な都合で施策として作られた数字に過ぎないからだ。
国や電力会社の政策転換や化石燃料の高騰で何時どう変わるか解らない数字だからである。
特に今は太陽電池で発電した電気を高額で買い取るシステムなどは、未来に対しての明確なビジョンを未だに作れないで居るこの国のチャランポランさを考えれば、全く当てに出来るものではない(この国に限っては全てのエネルギーを自前により賄うと言う明確なビジョンを作るべきだと思う)。
にもかかわらず、大きな太陽電池を載せて、今の高い買い取り価格で計算して、ランニングコストがゼロである等と言うのは、まさに詐欺まがいとも言えないだろうか。クロッカス
新築した家で生活するのは太陽電池の電気を高価で買い取る間だけの話ではないことなど百も承知であるはずだ。
勿論ガス代にしても同じであるり、何時価格が変わるか解らない。
それではCO2なら、どれくらいの排出量にすべきなのだろうか。
勿論本来はゼロとすべきである。
もしそれが可能なら、ランニングコストは基本的には一生の間ゼロ円だからである。
そうは言ってもCO2をゼロにするには莫大な努力が必要だし、時間が掛かるだろうが、時代は確実にゼロの方向に向かっていることは確かだ。
いずれにしても、ローンが終わってもランニングコストは死ぬまで掛かるお金である。
家を建てる時、それをいかに少なくしておくかに予算配分を十分にすべきであろう。
ペイすべきかしないかと言う言葉は好きではないが、十分ペイするのではなかろうか。少なくとも、うん百万円のシステムキッチンなど見てくれはともかく、ペイなどするはずがないのだ。

最後に現在の次世代省エネ基準には大きな不備がある。
地域により熱損失係数の決まりはあるが、肝心の総量規制はないからだ。
熱損失係数というのは、ある温度差の時、家全体から逃げる熱量を延べ床面積と温度差で割ったものである。夕富士
その為、同じ熱損失係数だからといっても大きな建物に成ればそれに比例して消費エネルギーも増えることになる。つまり同じ一軒で、同じ人数の人が生活していても、温熱環境を同じにする為には面積に比例して発生熱量を増やしてやらなければならないことになる。つまり、お金持ちで大きな家に住んでいる人はCO2を沢山出しても良いんだ、という至って不公平な基準に過ぎないのだ。
勿論、未だに次世代基準も理解できないで居る人達も多くいる。そんな中で、その先まで考えて家を造ろうと言っても無理かも知れないが、新築を望む人がもっと勉強し、相変わらずの目先の願望などに止まらず、未来を見据えたきちんとした仕様の要求を出すことが必要であると思う。そういう事が、この国の建築界全体のレベルを引き上げることになるのだと思う。
太陽電池を載せるだけでランニングコストがゼロに成る、なんて言うことに欺されないように、もう、そろそろそんなことぐらいは見抜ける知識と知恵ぐらいは持ちたいものである。



そんな選定基準の中でも最も大切な一つは、結露に対する性能である。
結露を考えることは、家内外の温度と湿度の関係を考えることであり、断熱材を沢山入れることは、家内外の温度差をきっちりと付けるということである。IMG_4531.jpg
自然な生活をしたいから、家の中も出来るだけ外の温度に近づけたいというのであれば、どんな暖房器具も使わないのであれば、結露のことなどほとんど意識する必要はないが、家の中を暖かくして、適当な湿度を保とうとすれば必ず結露の問題が発生する。
家内外の温度と湿度が冬と逆転する夏期の場合も同様である。
いずれの場合も、温度が大きく変化する部分、つまり、断熱材の中に於いて露点に達する部分で結露が起きる。
その為、その部分は一般的には結露水が発生してしまうことになる。
それが起きないようにしてやるためには、断熱材の中で露点状態が起こらないようにするという考え方がある。
グラスウール内部で発生する結露水のもとに成る湿気を入れないようにしてしまおうという方法である。
ご存じのようにポリエチレンなどの防湿シートを断熱材の室内側の面に取り付ける施工方法である。朝焼け
しかし、湿気はどんな所でも入り込むので、かなり完璧な防湿施工を求められる、という条件が付く。
この方法は冬のメカニズムを考えた対策であり、逆な現象が起きる夏の事も考えた対策ではない。
これらの方法は断熱材自身が水分を吸い込まないグラスウールなどに採用されている(しかし、建築現場では未だに結露のメカニズムを理解せず、いい加減な施工をしている所が多くあり過ぎる。建築業界は一度思い込んだら絶対変えたくない人達が非常に多い所だとつくづく思う)。
もう一つの断熱材の考え方は、露点部分が出来るのは自然の原理だし、それを無理矢理押さえ込むのではなく、露点部で発生した結露水は断熱材に吸い込ませ、自然のメカニズムにまかせて最終的には蒸散させてしまおうということである。セルロースファイバーなどはその範疇である。
もう一つは発泡させたボード上の断熱材である。これは断熱材自身が湿気を通さないので良いように見えるが、これも完璧に隙間が空かないように施工するという難しさがある。実際の現場で隙間がないように施工しているのを見たことはない。
もう一つは現場発泡の断熱材である。これは湿気を通さず、その上、基本的には隙間が出来ないので熱的には優れているが、室内の湿度の調整をどうするかを考える必要がある。
断熱材を選定するためには、熱伝導率、厚さは最重要であることは勿論であるが、熱容量(重さ)、結露に対する特性、防音性能、燃焼時の性質、細部に於ける充填性、施工性などを考えて選択しなければならない。勿論、LCCO2も考えなければならない。

ここで「気密」について少し書いてみたい。
断熱材の事を考えると気密シートのことも考える必要もあるからだ。雪山2
気密というと、空気の漏れさ加減を言い、一般的には空気と湿気をひっくるめて空気の漏れとして捉えている。
しかし、空気と湿気は分けて考えなければならないと思っている。
何故なら、暖められた空気は外に逃がしたくないが、余計な湿気は自然な形で移動させてやるべきと思うからである。
私たちの先祖が長い時間を掛けて完成させてきた茅葺き屋根や厚い土壁の構造は、現代の要求する温熱性能を満足するまでには至らないが、湿気に対しては十分な性能を持っているのだと思う。それは先祖が残してくれた貴重な伝統技術として見習うべきではないだろうか。
現代の室内温熱環境を考えるために、熱を逃がさないという事だけを考えて断熱材を選ぶのは何ともお粗末な話だと思う。
単に、熱だけのことを考えて、それを逃がさないようにと言うのであれば、断熱材は何を選んでも良いことになる。
断熱材を壁や屋根、床に入れるということは、基本的にはその断熱材の中で露点に達する場所があると言うことである。
そこに、もし湿気が有れば結露することになる。つまり断熱材のなかで水滴が発生することになり、それを防ぐには断熱材の中に湿気が入らないようにすれば良いことは前記した。
発泡系の断熱材はそれ自身が湿気を通し難いので断熱材の中で基本的には結露することはない。
湿気を通す断熱材であるグラスウールなどは、防湿シートを使って湿気を入れない様にする必要がある。
しかし、それが曲者なのである。湿気はどんなに狭い隙間でも通ってしまう性質があるため、かなり完璧に防湿シートを取り付けてやらねばならないが、完璧というのは建築現場の現状から見てほとんど不可能なことである。
たとえそれが出来たとしても、室内側の湿気を強制的に排出してやらねばならない。朝のサツキ
それに対してセルロースファイバーも勿論、自身の中で露点に成り湿気が水になるのだが、セルロースファイバーの性質上その水分を断熱材自身が吸い込んでしまい、水として出てくることが起きないのである。つまり、外部近くのセルロースファイバーが湿るという現象になる。
その湿りをもたらした水分は時間を掛けて蒸散して行くことになる。
その為、結露水の出てこないセルロースファイバーを用いて、その両面に透湿機能のあるボードを貼る構造にすると、防湿シートを用いた湿気を通さない壁と対照的な湿気を通す壁や屋根を作ることが出来る。
おまけに、セルロースファイバーは断熱材の中では密度が大きく重いため、防音性にも優れ、快適温熱と静寂空間の両方を与えてくれる。

去年の3月に実験住宅も兼ねた住まいを娘夫婦が建てた。
その時、4寸柱の間にセルロースファイバー(120mm)を充填し、両側をモイスボードで挟んだ構造とした。
防湿シートを入れる構造がどうも腑に落ちず、折角なので土壁性能擬きを目指した。
外側のモイスの外側は防水のため防水透湿シートであるタイベックを貼り、その外側には通気層を設け、外壁をガルバリューム鋼板とした。
それにより高断熱・透湿壁を実現させた。
屋根側はセルロースファイバーを200mmとし、これも高断熱・透湿の茅葺き屋根擬きとした。雪山1
この様に断熱材を選ぶことは国が示した基準値だけを見ていれば良い訳ではない。
2011年は電気自動車元年と言われている。あれよあれよと言う内に時代はガソリンのいらない車を生み出した。
太陽電池さえ載せてあれば誰でもが二酸化炭素ゼロの車環境を今すぐ得ることが出来る。
少なくても30年後はガソリンで走る車は地球上に走っていないだろう。
そういう社会に向かって私たちはどんな住まいを今、作っておかねばならないのだろうか・・・・

ウエブマガジン「遷」2号を発刊しました。是非お読み下さい。「遷」

仕事で歩いているとよく次世代省エネ基準で選んでいるから大丈夫と言い、何も疑わずに満足している人によく出会う。
国の基準に従っているからそれで良いだろうという訳だ。ガラス窓
国が決めた基準だからと言って、本当の意味で公正で正しい値である保証はないし、場合によっては、単に業界団体の意向を国の名の下に決めているに過ぎないこともあろう。
にもかかわらず、何の疑問も持たず国の基準に従っているのは、本当に住む人のことを考えて設計していることになるのだろうか、と疑問に感じてしまう。
ましてや地球環境のことなど考えているとは思えない。
先ず、国が決めた基準は最低レベルであり、それで良しとする数値ではないことを理解すべきである。
現に、今の次世代省エネ基準の前には新省エネ基準があり、その前に旧省エネ基準があった。引き出し

旧省エネ基準に基づいて選んだ断熱材の家も、新省エネ基準の家も、次世代省エネ基準から見れば、単に断熱材不足で性能が悪い時代遅れの家に過ぎなくなってしまった。(それではどこに基準を置けば良いかというと、二酸化炭素の排出量で言えば限りなくゼロを目指すことであり、エネルギーの視点から言えば、買うエネルギーから限りなく自前するエネルギーにすることを目指すことだろう)
そんな訳だから次世代省エネ基準を採用しても、同じように近々時代遅れになるのは目に見えている。
国の基準なんて所詮そんな程度のものでしかないのである。にもかかわらず、未だにそんな基準だけを見て、その未来性も考えずに、抽象的に長寿命住宅というイメージを語るのは如何なものだろうか。
つまり国が指定しているから、それを使えば間違いない、ということぐらい大きな間違いはないのである。
国が決めた程度のことはすぐさま時代遅れに成ることぐらいは、もうそろそろ予測して行動しなければならない。
時代がそれを予感させてくれているはずだ。
国が決める基準は、過去に起こった結果や、その時々に起こっている事や社会情勢の結果に基づいて決められるのだ。海と夕日
つまり今のありようを決めているのであり、未来に対して明確なビジョンに基づいて決めている訳ではないのだ。
国が決めることは常に後手々々なのである。
それは人類文明の宿命のようなものなので、いたしかたがない事ではある。(文明は未来に対するビジョンに基づいて進化したのではなく、ぶつかった問題に対処するという方法だけで進化してきた。今はそのビジョンを持たずに進化してきた文明が、二酸化炭素の急増という崖っ淵にぶち当たってしまったのだと思う。つまりビジョン無き文明の終焉を目の前に見ようとしているのであろう)
それ故、未来に対する自分自身のビジョンを明確にして、自分自身の基準で、断熱材についても決めなければならないだろう。
特にこれからの家は30年や50年も持たせなければならない。つまりそれだけ時間がたった後も存続して人が生活するのである。
いま家を建てる人は、今の基準だけを後生大事にしている訳には行かないだろう。
50年後の社会は、少なくとも今のように化石燃料を燃焼させ、二酸化炭素を排出させてエネルギーを取り出す社会ではないだろう。
その位は想像して、今に当たる必要があるのではないだろうか。
断熱材は快適な自然環境と快適な住まいを作るために、未来永劫いたって重要だからである。

人間は着衣をこまめに調整することによって、体を快適な放熱環境に維持している。
人が生きる住まいであれば、その放熱環境に大きな影響を与えることは当然である。
熱を体外に捨てながら体温を一定に維持している人間にとって、人生の少なからぬ時間を過ごす屋内の温熱環境は至って重要である。
(住まいと言うシェルターにとって実は最も大切な要素なのかも知れない)
家とはそういう物である。葦と石垣
特に一日の内の1/3から1/4の時間を費やす睡眠は、断熱材が大きく影響を及ぼす家の温熱環境の中である。
快適な温熱環境を求めるということは、その為に消費する化石エネルギーの使用量を減らすということである。
つまり快適な温熱環境を求めれば求めるほど、二酸化炭素の排出も減らすことが出来るのである。
そのように、住まいの最も大切な要素の中でも、温熱環境を設計することは人にとっても、環境にとっても至って重要である。
住まいを設計する中で温熱環境を設計することは全ての快適さを設計することであり、未来の地球環境を設計することに他ならない。
石垣2段
地球上の二酸化炭素のバランスが崩れてから既に久しい。
急速に二酸化炭素を削減しなければならない現状を見つめ、断熱材とは何かを考え、選択しなければならない。
断熱材は、その種類と厚さと、持っている特性について深く考えて選ばなければならない。
次世代基準が何ミリと書いてあるからこれでいいんだ、というレベルではとても心許ない。
住宅を作るということは、住む人に快適で、同時に環境に対して極めて安全でなければならない。
それが全ての原点であり、その視点から断熱材も選ばなければならない。今はそういう時代である。

それでは断熱材を選ぶのはどうしたらよいのか。
断熱材であるから熱を伝えにくい材料を選ぶ訳であるが、厚さのことを考えず熱伝導率の値が小さいということだけで選んでも快適な家は出来ない(但し、厚さが決められてしまっていて、薄い物しか使えない場合は熱伝導率で選ぶしかないが、今時、薄い物しか入らないなどという設計の仕方が間違っている)。
熱を出来るだけ通さないためには、厚さの方を重視する必要がある。
断熱を考える上で熱伝導率は一つの指標でしかない。
家を断熱するということは、家全体から逃げる熱をいかに少なくするかということであり、いくら熱伝導率の数字が良くても、トータルで逃げる熱量が余り減らなければ何の意味もなくなってしまう。
熱伝導率が多少落ちても、厚さで稼げば良いのだが、それに加えて壁、屋根、床など生活空間を構成する面としての性能を考えることも至って需要である。
つまり断熱材を選ぶ基準は断熱のことだけ考えればよい訳ではないということである。
断熱材は熱ばかりでなく「湿気」や「音」のことも、「熱容量」のことも考える必要がある。

・・・・次回に続く・・・・

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最後のブログから、もう一ヶ月近くが経ってしまった。
書きたいことは山ほどあり、書いてみるのだが、その度に載せたくなくなってしまうのだ。
そんな中で、先日、下のような広告を見た。
「太陽光発電・全館空調・IH・エコキュート・冷暖房費ゼロの住まい  先進エコへの回答、それは太陽と生きる家、輸入住宅○○から、ハイブリッドリミテッド?誕生」
あるハウスメーカーの中吊り広告である。蓮花達
こんなことを言うだけで注文が取れるんだから、名が通った大きな企業は随分安易な商売をしていると思う(正に超弱小企業のボヤキだ)。
今の時代、何の工夫がなくてもハヤリの言葉をちりばめれば、仕事になる典型的な例である。
CO2削減や温暖化が叫ばれている現在、商売に使える新しい言葉を探すのは簡単である。
今はそういう時代ではなかろうか。
ここにちりばめられた言葉を少し解説してみたい。蓮種
「太陽光発電」これは太陽電池メーカーからお金を出して買ってきて、単に屋根に載せるだけである。特別な技術はいらないで、誰にでも出来る。
「全館空調」これも同様にエアコンメーカーから買ってきて全室に付けるだけである。これも同様である。
「IHとエコキュート」は、これも同様にお金さえ出せば誰でも出来ることである。
「冷暖房費ゼロの住まい」これは8Kw位の太陽電池を載せて、家で使う電気量を差し引くとゼロに成るという、単に簡単な机上の計算であるに過ぎない。
太陽電池を付けさえすれば「それは太陽と生きる家」とも言っている(但し、内容は兎も角として、この言葉自体は何も間違っていない。その内容に対する考え方、実行の順序が安易すぎるのだ。しかし、設計家で「冷暖房費ゼロの住まい」「それは太陽と生きる家」を目指して、新たに勉強している人がどれほど居るのだろうか)。
こんな程度のことで「先進エコへの回答」なんだそうだ。
随分、気楽なものであるし、先進とはこんな程度で良いのだろうか。
この程度で先進エコなら、何も建築の専門家に任せるほどのこともないだろう。
そして最後に訳の分からない「ハイブリッドリミテッド?誕生」と言っている。
大手ハウスメーカーとは何と気楽な考え方なのだろうか。
ただただ、何も考えていないユーザーを相手に「売ればよい」と考えているだけとしか見えない。
自分の商売以外に、特に環境に対して、これからの社会の在り方に対して、孫やその次の世代やもっと先の世代に対して、どんな責任を持って現在の商売をしているつもりなんだろうか。
キャッチフレーズを読む限り、建築的に特別な工夫は全くしていない。蓮葉
つまり、今までと同じやり方を単に続けているだけなのに、さも、それらしい言葉だけを使って、あたかも現在の問題に積極的に対処しているかの如くの態度は、何とも情けないように思う。
恥も外聞もない様に感じる。
まあ、これに反応するユーザーが居るんだから、社会的にはそれなりに成り立つ話なんだろう。
こんな程度のことを見抜けないユーザーの知性の方が、もっともっと大きな問題である。
このユーザーにこの企業あり、ということだ。
大いに考えさせられる。蓮花

建物に携わる人間としてのプライドはどうなって居るんだろうか。
「太陽光発電・全館空調・IH・エコキュート」これらは、いずれも電気機器メーカーが努力して開発した物であり、それらの開発の努力は建築とは何の関係もない物達である。
時代が変わるとは、こんな甘い物では済まされまい。
これからの時代、こんな程度のことで商売にすることは許されないと思う。
時代が急いで変わらなければならないのに、まだまだ社会の常識は変わる気配がない。


今、求められているのは、今までの単なる延長ではないし、表面的に変化しているっぽく見せる、見てくれではない。
これまでの「エネルギーは買うもの」ということで組み立てられた価値観の延長であってはならないのだ。
真に未来を見つめて、CO2の排出をゼロにする文明(言い方を変えると、有限量の石油を貴重資源として末永く温存する文明)を築くことである。
今はその礎になる改革をしなければならない時である。水面
その為の第一は、エネルギーは「買う物」でなく、「自前する物」とすべきである。
今までは、「エネルギーは買う物だ」ということさえ考えていなかった。
エネルギーはエネルギーではなく、電気代でありガス代でありランニングコストという表現でその実態は何も知らないまま使ってきた。
何をやるにも、エネルギーという概念は持ち合わせてさえいなかったのである。
そういう時代なのである。
見えないから仕方がないと言えばそれまではあるが、先ず、人が生活をするということは、エネルギーを消費することであるということを明確に意識すべきである。夕焼け4
次に、化石エネルギー消費=CO2排出=温暖化=環境悪化=不快な生活、であることを肝に銘じるべきである。
これは当然、末永い快適で楽しい生活=快適な自然環境=CO2を出さないエネルギー=石油、石炭などから熱エネルギーを取り出さない=温暖化の歯止め=太陽エネルギー文明、としなければならない。
人間が生活をして行くのに、エネルギー無しでは1秒たりとも生きては行けない。
答えは簡単で明確である。CO2を出さないエネルギーに切り替え、安心して健康で快適な生活を定着させねばならない。
その時に、太陽電池も絶対必需品である。しかし、だからといって、今までの家の設計の仕方を変えずに、つまり、買うエネルギーを前提にしたままの設計で、ハウスメーカーと同じように太陽電池を乗せるような事をしてはならない。
特に設計家が同じ事をしては、最初に分析した通りハウスメーカーには絶対勝てないことになってしまう。
そんな安易に人類発祥以来営々と作り上げてきた酸化燃焼文明を終わらせ、エネルギー改革をすることなど出来るはずはない。
太陽電池に頼る前に、やらなければならない事はごまんと有ると思う。
CO2の出ないエネルギーを考えることは風土を考えることである。その場所の自然をより見つめることである。
今、家を建てようとしているその土地が、正にCO2を出さないエネルギー源なのである。
正確に言うと、土地そのものではなく、そこの範囲に降り注ぐ太陽エネルギーであり、風力エネルギーであり、雨水であり、場合によっては小さな流れの水力だったりするのである(土地の持っている平均15℃ぐらいの温度も、元を正せば太陽エネルギーによるものである)。
それらを取り込み豊かな生活をするためには、その土地に最適な家の設計をしなければならない。
その土地で得られるエネルギーを最大限取り込み、利用できる家を設計する必要がある。マスプロダクションを基本にして作られた家は、精々、その土地に寸法ぐらいしか合わせられず、後はそれなりの化石エネルギーを使う設備で対応するしかない。つまり、相変わらずエネルギーを買うことでしか対処できないのである。葉っぱ
この様に、エネルギーを自前する為には、その土地のエネルギーを理解した上で、それに合わせて個々に家を設計する必要があるのだ。
それを誰がやるのか、少なくともハウスメーカーの営業マンではないだろう。
個々の土地に合わせて設計することをしてきた設計士や工務店が最適なはずである。
しかし、その為には今まで学び、作り上げてきた家づくりの既成概念を、全て一度払拭する必要があるだろう。
今まで作り上て来た設計手法だけでは、新しいエネルギー時代の価値基準に対処出来ないと思うからだ。
新しい価値基準に基づいた設計手法を再構築をしなければならないだろう。
ハードルは決して低くはないが、次の時代を担うために設計士に与えられた責務ではないだろうか。
より良い日本作りと、地球環境のために、また、より良い町並みが出来るために・・・・

現在、改めて知り合いの設計士を始め建築に関係している人達を訪ね歩いている。
理由はこれから住宅建築業界はどんな方向に向かおうとしているのか確認したい為である。
色々な過去の結果の統計を見て、そこから推測をするのは、その本質が本当の意味で解らないのではないかと思い、自分の目で、耳で、頭で感じ取り、自分なりに分析したいと思ったからだ。
大きく変化しなければならない時代に、過去のどんなデーターも殆ど意味はなく、そんなものに頼ったのでは肝心の変化にもついて行けなくなってしまう。夕焼け3
だから、戸建て木造住宅に於いてハウスメーカーがどれだけで、建て売りがどれだけで、工務店などの建築会社がどれだけなのか知らない。まして、建築士が設計した住宅がどれだけ有るのかは分からないが、まだ少数の設計士ではあるが、話を聞いている範囲で感じるのは、とても多いとは思えないことだ。
何故そうなって居るんだろうか。理由はいろいろ考えられるが、少ないということは、全体が少なくなっていることもさることながら、設計士に頼む人が少なくなっている事を表しているのは当然である。
それはどういう事かというと、簡単に言うと、設計士に頼む必要性を感じていない人が多いからなのだろ。
それはハウスメーカーや安値メーカーがテレビを通して大宣伝をし、モデルハウスを充実して、超立派なカタログを作りアピールしている為なのかも知れない。それらは大多数の家を建てたい人達の心を大金を使って、上手く掴むことを目指してやっていることなので当然である。
しかし、その内容は兎も角としても、CO2の問題や省エネの問題の取り上げ方が、設計士が主張することよりも、一般大衆の心に響いて居ることもあるんじゃないのだろうか。
ハウスメーカーのキャッチフレーズを特別調べては居ないが、設計業界の人達の言うことより人の心を引きつけているのじゃないだろうか。水面2
設計業界で思っているより、一般の人はハウスメーカーとの違いを感じていないんだろうと思う。依頼数が減っていることがその証拠なんだろう。
設計士に頼んだ場合の家づくりについて理解されてないからだ、と言って片づけてしまって良いのだろうか。勿論当然知らないのだが、だからといって世の中が成り立っていないわけではない。
しかし、これからの時代は設計士と地元の工務店が家を作って行かなければならない時代に成らなければいけないと思っている。
何故なら、今は「エネルギー=CO2」の時代である。エネルギーとは化石エネルギーを中心にした原子力を含む全エネルギーのことである。
原子力に於ける猛毒の放射線廃棄物の問題をどう捉えるかという問題はあるが、石油、石炭、天然ガスを消費することを前提にした時代である。
これらのエネルギーは、勿論、CO2を大量に発生する。
その為、今までのやり方を継続することが出来ないことは明らかである。
これに対してハウスメーカーは太陽電池を大量に乗せることで解決したと言おうとしている。それに対して住宅設計業界は何をしようとしているのか、今のところ私の目にはよく見えてこない。31年前に建築業界に入った時と何が変わってきているのか、私の能力では見つけられないで居る。夕焼け1

太陽電池を大量に乗せれば、それでCO2問題が解決するが如くの態度は、少なくともこれからの新しい社会を作り上げて行く上で、精神的にプラスには成らないと思う。むしろその安易さは弊害にすら成るのではないかと思っている。
太陽電池で発電するということは、CO2を出さないで電気エネルギーを作り出すことである。基本的には至って結構なことであるし、太陽電池は化石、原子力に代わるこれからの時代を担うエースだと思っている。
何故なら、太陽核融合炉からの光エネルギーを直接電気に変換するシステムだからである。
正に自然界が作り上げた光合成システムと、特にそのシンプルさに於いて近いシステムと見なせるからである(これは今の太陽電池の形状がそのまま未来まで継続されて行くということではないく、更に光合成システムに近づいて行くだろうと思う)。
光電磁波を直接利用するという面に於いては、太陽電池は光合成と同じと言って良い。
だからといって今までの生活はそのままで、家の形態は何も変わらず今のままで、太陽電池をより多く乗せればCO2ゼロに成ります、というのは、何とも脳タリンなやり方だと思う。今までの生産方式や、考え方を変えずに、あたかも非常に環境に良いことをやって居るんだと見せかけるのは、何とも姑息でさえあると思う。
つまり、建築的には何も努力しないで、電気業界が努力して作り上げた太陽電池をただ持ってきてごまかしているように見えるのは私だけなんだろうか。

次回に続く


10年以上前から、「家とはエネルギーを消費する箱である」と定義してきた。
家に人が住む以上、エネルギー無しにその中で生活するなど考えられないからだ。タンポポ3
エネルギーと家との関わりについては、このブログで何度も書いてきた。
何故そう言ってきたかというと、現在、家を設計するにあたって、その形を決めるのに、その中で大量なエネルギーを消費するにも関わらず、エネルギー的視点が全く無視されて来ている現実があるからである。
それは、エネルギーという言葉が「ランニングコスト」と言い換えられ、つまり単に「お金」に置き換えられ、家の形に対する価値よりも軽い物とされてしまったからである。
つまり「エネルギー=ランニングコスト=お金」と成ってしまったのだ。
その為、お金のことを考えさえすれば、それでエネルギーという視点を全く持たなくても、そういう見方ができなくても家は設計出来るようになってしまった。
にもかかわらず、人間は必ず家の中でエネルギーを消費して楽で快適な生活を求めるのである。それは、今の日本経済が悪いとはいえ、電気代やガス代を払えないほどではないかららなのであろう。
つまり、たまたま電気代やガス代が払える経済状態があるから成り立っている設計手法に過ぎないのではないだろうか。
今の社会は、あらゆる場面で「エネルギー=ランニングコスト=お金」という捉え方であるため、いまだに温暖化問題の収束の目処は立っていないのだろう。タンポポ2:1
人類が人類になる前夜の生活は、現在のゴリラやオランウータン、チンパンジーなど類人猿の生活の仕方に近かったんだろう。つまり、屋根のある空間は持っていなかったんだろう。それは勿論その必要がなかったからである。
屋根が無くても、つまり、雨に当たっても特別問題なかったんだろう。
それなのに、なぜ人間に進化してから屋根のある空間が必要になったのだろうか。
なぜ、屋根の無い葉っぱの寝床から、屋根付きになっていったんだろうか。
これ以後は私の仮説であるが、人類になる以前の私たちの祖先が人類化したことと、「火」との関係が至って重要なのだと思う。
人類は人類に進化したことが先か、火を使ったから人類に進化できたのか、どちらが先なのか分からないが、いずれにしても人類へと進化する過程で「火」は切っても切れない重要な役割を果たしたのだろう。
では、人類が火を手にした時、一体どうしただろうか。火を手に入れたのは、最初は偶然からだろう。しかし、それは雨や風などで直ぐに消えてしまい、また偶然に手にはいるまで待たなければ成らなかったのだろう。
そして彼らは直ぐに、それを消さないようにするためにはどうすれば良いのか考えたのだろう。
そして、火を洞窟に持ち込んだのではなかろうか。(または、火を消さないようにするための工夫の過程で、葉っぱ葺きの空間を先ず作ったのかも知れない。しかし、その貧弱さのため洞窟へ移ったのかも知れない)。
それにより雨と風から火が守られることになったのだろう。そしてホモサピエンスはそれに味を占め、火を中心に洞窟の中で生活するようになったのだろう。タンポポ4
つまり、火を維持する目的が無ければ、わざわざ湿度の高い洞窟などに住む必要がなかったであろう。
もともと外で生活をしていたのだから、洞窟に入る必要なんか無かったと思う。
洞窟に入り生活を初めホモサピエンスは、熱を通した旨い食事と温かさと明るさを手に入れ、常に火を囲む生活になったんだろう。
そういう生活を獲得した結果、体毛の必要性が無くなっていったのではないだろうか。それと同時に、種火を保存するテクニックを見つけた者が何らかの違った立場に立てたのではなかろうか。
それが身分関係を誕生させていったのかもしれない。
体毛が少なく成りつつあるホモサピエンスは、火のある洞窟から外に出る時、自分の体温を維持する工夫を迫られることになり、狩りをして得た動物の毛皮などを身につけるようになったんではないのだろうか。
着衣の始まりである。
また、洞窟の中で火を囲み、体毛を失った身体を寄せ合いながら密な生活をする内に、発情期というシステムを失い、何時でも妊娠する事が可能になったのかも知れない。無限の増殖機能の獲得したほ乳類の誕生である。
人口が増えるに従い、食料の争奪も激しくなり、戦うための知能も急速に進化していったのだろう。
戦争をするほ乳類の出現である。タンポポ1:1
火と着衣と多くの仲間と戦うテクニックを手に入れたホモサピエンスはどんな地域にも移住する能力を獲得したのである。
その結果、食料を得るためのホモサピエンス間の争いによる移動の必要性に対しても、それを合理的に可能にすることが出来るようになったのだろう。そしてホモサピエンスは世界中に広がっていったのだろう。
その時、つまり移動する時、火をもって行く必要に迫られ、その容器として土の器が作られたのかも知れない。煮炊きを発明する以前に火を維持し、持って移動するために、安全に熱くなくするために、どうしても粘土の器が必要になったのではなかろうか。粘土の器の中に火を入れたことにより、結果的に粘土が焼かれ、偶然、土器が出来たのではないだろうか。
争いの圧力から洞窟を出て行った一部のホモサピエンスは、自己の健康の維持と火のある生活を維持するため、洞窟でない雨露を防ぐ「家」を発明したのだろう。
こう考えて行くと「人間=火=家」というつながりが明確になる。
人間は人間になった時から火とは切っても切れない縁にあるのだ。
人間と火つまりエネルギーと家は三位一体の関係なのだろう。
(「家」は「エネルギー」を加えることにより、人間が住む「住まい」になる)
その関係は実は現在も何も変わっていないのだが、石油がその感覚を狂わしてしまったのだろう。
現代はそのエネルギーを意識できないような社会であり、その意識されないままの行動が、環境破壊を更に加速して行くのだろう。




(実験の種類)
棟がわら
(1)実験住宅の目玉は幾つかあるが、最大の目的は、土壌蓄熱による暖房効果と少し温度の低い水による冷輻射面効果(土間床暖房効果)であり、それを実現するためのシステム開発の実験である(そんなことが可能なのか試してみる実験である)。
太陽熱による土壌蓄熱は日射熱が得られる毎日、一年中行う。
最も高温が取れる夏は、最大の蓄熱時期である。勿論、その熱が冷房機器の無い屋内に影響しないような対策も取ってあり、その実験もする。これらのシステムは特許も申請済みである。

(2)もう一つは木造住宅の木造床構造におけるダイレクトゲイン方式の実験である。
これまでは木造であっても床をコンクリートや煉瓦などにする必要があった。
今回はあえて縁の下のある木造構造であり、まして、二階の床を対象とした。
それをアルミ集熱床材、アルミ伝熱根太、アクアレイアー蓄熱槽(以上全てイゼナ独自の開発品)を組み合わせた構造とし、その効果を確認する。
勿論、(1)、(2)の実験とも暖房CO2排出のゼロ化が出来るのかどうかの試みである。
つまり、(1)はこれからの時代に必要な一年サイクルの考え方であり、(2)は今まで通りの一日サイクルの考え方である。
瓦
(3)夏対策としては、常に空気が自然に流れる構造の実験であるが、空気の流れのシミュレーションはしていない(熱のシミュレーションは勿論してある)ので、頭の中のシミュレーションがどこまで通用するのかの試みである。
最上部に取り付けられた、7面の断熱内戸付きジャロジーの効果により、自然な気流が作り出せるかの実験である。

(4)もう一つの夏対策として、3面のタープを用いることを考えている。東西面からの日射を防ぐ垂直タープと上からの日射を防ぐ水平タープである。
時期と時間により変化する太陽の位置に合わせて、完全に日射をカットするためである。
その為、庇は雨切り機能を持たせただけで特別長く出していない。
冬の日射をできるだけ取り込める様にするためである。

(5)外壁に於いて、防湿シートを貼り湿度の動きを止めてしまう方法に疑問があったため、セルロースファイバー断熱材を透湿性能のあるモイスでサンドイッチしてみた。壁の中を湿気が通り抜けてゆくためである。
土壁もどきのつもりである。
内側から、モイス+セルロースファイバー+モイス+タイベック+通気層+ガルバリュームとした。
実際の透湿量の差を計るわけにはいかないので、今のところ住まい手の感想を聞くしかない。
桃色ハナミズキ
(6)日射を取り込む南側の巾2540、高さ2200の開口部1面と巾1600、高さは同じの開口部2面に断熱ロールカーテンを取り付け、その性能と操作性を調べる。
今まで実験したことがない大きさであるので、部品も設計し直した。

(7)また、土壌蓄熱用の熱源である自作の太陽熱集熱温水パネルの性能を調べる。
大きさは1820×910を横向きとして4台を真南を向いた二階のベランダの手摺りに取り付けた。
集熱部配管の総延長は75mばかりであり、集熱面積は5平米強である。
集熱効率は集熱面のアルミと架橋ポリエチレン管との密着度が不明のため、熱の伝達がどの程度おこなわれるか不明であり、実際に流し、その量と入口水温、出口水温のデーターを得てから確認する。
以上のことを主な目的とし、出来るだけデータが取れるようにしてある。

4回にわたって実験住宅について書いたが、何故、実験住宅を企画したのか、その背景を改めて述べてみたい。
最も根底にあるのは、私たちホモ・サピエンスの文明の在り方である。
私たちホモ・サピエンスは今に至る間に欲望を満足させるために、また自分たちだけが生きるために、地球に住む多くの仲間達の生き物を食い殺し、滅ぼしてきた。鯨も、マグロもそう遠くない将来、マンモスを絶滅させたように食いつぶしてしまうだろう。
そして今、貴重な石油・石炭という資源さえも自分たちだけで食いつぶし、孫やひ孫、玄孫・・・・達には何も残してはやらないつもりで居る。まるで共食いとも取れる行いである。そんな価値観が今の文明を作っている。そしてそんな中で私たちは今を生きているのだ。そんなことを何時までも許しておいてはいけないと思うし、許されないのではないだろうか。
レンギョウ私たちに本来与えられているのは、太陽からの莫大なエネルギーと、無限に広がる真空の空間に浮かぶ閉じられた地球という場所だけである。
好き勝手に、今の自分のためだけに、これ以上、化石燃料を浪費してはならない。温暖化の危険を冒してまで今の化石エネルギー文明を継続する価値は無いと思う。未来を無視した欲望に未来は来ないだろう。
今こそ、更なる快適な生活のために化石エネルギーから太陽エネルギーに転換させるべきである。
人類最後の産業革命を起こすべきである。
これが実験住宅を作った背景になった考え方である。
所詮、太陽エネルギー社会になればCO2はゼロである。
今からゼロを目指す技術開発をするのは起業家として当然なことではなかろうか。

今回、書いたイゼナ実験住宅の見学会については、イゼナホームページを参照してください。



人間が人間らしく快適に暮らして行くために最も大切なものは、エネルギーであることは以前から何回も述べている。
立派で格好良い家であれば良い訳ではない。
どんなに素晴らしい形の家であっても、そこにエネルギーが無ければ、それはただの物体としての家に過ぎず、倉庫と同じであり、誰も住もうとしないだろう。椿
しかし、「家」という物の基本は、どんな地震にも台風にも絶えられる構造を持ち、雨風が防げる物である(そうでないものは「家」とはいわない)。その上で、初めて「住まい」としての体裁を整えなければならない。
そこで最も大切なものがエネルギーである。
家という建物を人間の住まいにするためにはエネルギーが無くてはならない。

現代は必要なだけエネルギーを金で買える時代である。その為、皮肉にも最も大切なエネルギーのことをほとんどの人が意識するこができなくなってしまった(これらのことも何度も書いている)。
その為、エネルギーのことを全く考えずに物事全てを進めることが当たり前になってしまった。
つまり、エネルギーの意識無しで全ての価値観が組み立てられてしまったのだ。
その中で甘えていられたのだ。
それが出来ることが先進国の条件であるかのように言われた。
経済成長だけを考え、石油をたくさん買えるようにしておけば、それで良いと思われてきたのだ。
それが永遠に続くと勘違いされてきたのだ。
それらの考え方に対して世界は危険だと思うようになってきた。菜の花
石油を使うことがまずいということになれば、今までの間に作られ、社会を牛耳ってきた価値観と権威はほとんど全て失墜することになってしまう。
家の設計手法も例外ではないと思う。
それは設計の順序を見れば自明である。
最後になって今まで設計してきた建物の熱負荷計算をやっとすることだ。
熱エネルギーのことを全く考えないで設計をしてきた証拠である。
つまり、今、自分が設計している家がどのくらいの石油エネルギーを消費(CO2を排出)するのか全く知らないで、意識することなく全ての仕様を決め、形を作ってしまうのだ。
後から石油エネルギーが好きなだけ金で手に入れることが出来る、という条件の下でだけでしか成り立たない設計方法なのである。故に主観だけで、単なる個人の好みだけで設計することが成り立ってしまうのだ。
しかし、エネルギーを自前するために自然の原理を取り込むとなると、自分の好きなようにするということだけでは行かなく成ってしまう。
少なくとも、自然の原理を理解し、それと仲良しにならなければならないだろう。しだれ桜

延べ床面積は四人家族の生活を考えて40坪と決めた。これに然したる根拠はない。欲しいスペースを足していったら40坪ぐらいになっただけだ。
勿論、構造を出来るだけ単純化するためと、外壁面積を最小にするため正方形とし、総二階にした。
ダイレクトゲインを利用する以上、本来は東西に長く取り、南面を出来るだけ広くすべきなのであるが、土地の寸法上、それができないので、せめて熱が逃げる面積を最小に押さえるため、正方形とした。
当然、屋根は太陽電池を載せたり、給湯用集熱温水器を載せるため南面に傾け、雨水が集めやすいように出来るだけ広い面積にした。また、夏の南風が吹き抜けて行くように、無風時でも空気の上昇気流が起きやすいように、北側に近い最上部に大きな北向きの開口部を取った。ほぼそれらの条件だけでプロポーションを決めた。

次につづく


今回の実験ハウスの熱源は勿論、太陽熱である(補助熱源として、お湯を作るヒートポンプつなげてある。これは冷水も作り出せるので、夏には土間もどき冷輻射面として実験もしてみるつもりだ)。
太陽熱を利用するという考え方には、24時間サイクルでの利用する考え方と、365日サイクルで利用する考え方の二つがある。
実験ハウスには、両方の仕組みが実験できるようにした。クロッカス
考え方としては、アクアレイアーを床暖房としては使っていない。あくまでも太陽熱の蓄熱槽であり、木造住宅の熱容量を高めるための熱部材である。
勿論、そこがアクアレイアーの良いところであり、結果として蓄熱槽が同時に床暖房機能も持っていることになる(なお、基本的な考え方としては今まで言われてきたような、床暖房を入れなければ成らないような家の設計は止めるべきであり、「床暖房」という言葉自体を死語にすべきである。床暖房さえ入れれば快適になる、などということは幻想に過ぎず、床暖房=買うエネルギーの投入=CO2発生システム、であり、そういう意味でも基本的にはこれからの時代に不必要とすべきである。但し、熱容量は必要)。
今回の建物のキーワードは「太陽熱」と「空気の流れ」であり、CO2排出大幅削減の可能性を探る試みでもある。
床暖房という陳腐な技術にしがみつかずに、当然、企業として未来のイゼナを担う為の技術の開発でもある。
その為の最大のキーワードは勿論「エネルギーの自前」である。CO2排出大幅削減の最大のテーマである。
イゼナが以前から練っていたアイデアを出来るだけ組み込むことにした。それに設計方法も順序も、勿論概念も変えることの試みでもあった。
先ずは構想を練るに当たり、間取りを考えることを無視したことである(家の形が決まってからは考える)。
今までの間取りから先に考えるやり方には、エネルギーの視点が入っていない。(単なる定性的な省エネの考え方は取るに足らないので、エネルギーの視点が入っているとは見ない)。
キツツキ間取りをいくら練ったところで完全なものなど出来るはずもないし、所詮、住んでみなければ分からない事である。
例え、万が一、良い間取りが出来たとしても、そこで生活するためのエネルギーが思うように手に入らなければ、暮らしなど成り立たないからである(今まで通りCO2を垂れ流すエネルギーを買うことが前提であれば話は別であり、論外である)。「エネルギーの自前」という考え方をすれば、間取りからスタートできないし、間取りは二の次三の次になってしまうのは当然である。
家とは住まいであると同時に、太陽エネルギーを取り込み、溜め込むための箱である、とすべきだ。また、空気が自然に動く構造を持った箱でもある。
だから、エネルギーを取り込みやすく、溜め込みやすい形はどうすべきかということと、自然な空気の動きをどう作るかを先ずは考えなければならないのだ。
それと同時に、熱エネルギーが出難く、入り難く、直射日光が冬が入りやすく、夏は入らない形と構造と仕組みを考えなければならない。
先ずはそこに主観の入る余地はほとんど無い(ただし、エネルギー自前の形が決まった後は主観の世界、デザインの世界である)。
自然の原理が左右する世界であり、それに基づいて、それに順応する形を見つけなればならない。
それを住まいの設計の原点にした。
要するに、体温37℃を維持するために常に放熱している熱を、出過ぎないようにしたり、出やすくする空間環境をどうするかということである。
ただ深い庇にすれば、それで夏の日差し対策をしたことには成らないし、それほど単純ではない。また、冬対策としてペアガラスを入れれば、それで良いわけではない。梅
今回の土地はほぼ南向きであるが、13度ばかり西に振れている。二車線道路をはさんで二階建ての家が建っているだけの太陽エネルギーを得るためには非常に条件の良い場所にある(そういう場所を選んだのだ)。
その先は田園風景が広がっている。
先ず争点になったのは、建物を完全に南に向けるかということであった。
前を走る道路は北にちょっと振れた西向きであり、周りの家は全てその方向に合わせてある。家の向きの理由はそれ以外に考えられていないので、特別それらに合わせる必要はないのだが、今回はそれだけは日和ってしまった。
その代わりに太陽熱集熱温水パネルを取り付けるベランダの手摺りの方向は真南を向けることにした。
土壌蓄熱用の太陽熱を最大限得るためである。

次につづく



鳩山政権がCO2/25% 削減を掲げる中、CO2ゼロを目指す実験住宅と銘打った。
多分、多くの人から、そんなことは不可能と言われるだろう。
まあ、化石エネルギーの中にどっぷり浸かった生活の中から、その維持だけを考えているのならば当然だろう。
しかし、よく考えて欲しい、最後は所詮太陽エネルギーを利用した社会を作るしか無く、CO2ゼロの社会が来るのは必然である。白梅
その為には、今からCO2ゼロを目指す技術を開発しておくことは至って当然のことではないだろうか。
道のりは遠いかも知れないが、やるしかないのだろうと思う。
今、私が社会の為になるということは孫の世代に効果が出る技術を開発することだと思っている。
そんな目的を含んだ実験住宅の見学会が無事に終わった。
その準備のためブログが全く書けなかったが、100人以上の方々にいらしていただきとても満足している。
悪い天気の中、遠路ご足労いただき有り難うございました。
実は前日まで「何でこんなつまらない家で見学会をやるんだ!」と言われはしないかと非常に心配であったが先ずはホッとした。後日、励ましのメールを何人かの方々からいただき、当日の朝まで大変な思いをしたことが報われた気がした。紅梅
前々から住まいのイメージは大地から泡が持ち上がり、それがしっかり断熱されているものであった。つまり、泡の中は大地の温度の影響と断熱材に穴を開けた開口部からの太陽熱の影響を受けることになる。
こんな形が何時の頃からかイメージされはじめていた。
この実験住宅「椎名邸」はイゼナ社員椎名夫妻の住まいである。
この住宅が大袈裟にも実験住宅と言っている所以は、これからの住宅の温熱環境の熱源の在り方を試すためである。住まいに必要な熱エネルギーには暖冷房用、給湯用、調理用があるが、今回は先ず暖房についての実験を試みた。
先ずは、暖冷房に於けるCO2の発生をゼロにすることにチャレンジしようと思った。
これに見通しが付けば、次は給湯用、調理用のCO2ゼロを目指してみたいと思っている。
というより、この地球上で使用できる最終的なエネルギーは太陽しかないのだから、CO2ゼロというよりも一年を通して太陽エネルギーで使える給湯、調理システムを開発するしかない。建物1
勿論、太陽電池とバッテリーや水素発生器・燃料電池を組み合わせて利用する方法もあるが、先ずは、そこに安易に逃げ込まず、太陽「熱」エネルギーを利用するシステムにチャレンジしてみたい。
太陽電池を使うシステムは金さえ払えば誰にでも出来ることであり、技術屋の端くれとしては太陽熱の利用で解決することを先ず考えてみたい。
いきなり白旗を揚げるようなことはしたくない。

次回につづく

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