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ギアクランクが到着したので、チェーンも含めて交換しました。
50×39から、44×30のツアー用への変更です。
先ず、今まで使っていたシマノ・デュラエース7700を外さなければ成りません。
クランクを軸から外すために今まで持っていた工具ではだめで、新に買いました。
何とかクランクは外す事が出来ましたが、軸部分を外すために六つの溝のある押さえ板を外さなければ成りません。この形状は昔からの形状なので、これも昔から馴染みのある溝に引っかける爪が一つ付いた(一番目の写真)工具で回そうとしたのですが、そうは簡単にいきません。
昔使っていた物は鉄製でしたが、ここで使われている物は軽量化のためにアルミ製でした。
アルミは柔らかいため、実はこれを外す工具は六本爪の専用工具が必要でした。
一本爪では角を駄目にしてしまい、回す事が出来ません。
今回の改良は、全部自分でやろうと思っていたのですが、万策尽き、近くのフレームを自作している工房に持ち込みました。
専用工具を使って簡単に外してもらいました。
ギヤクランクはスギノ製のOX801Dですが、ギヤクランクと一緒にBBと称する軸とベアリングのセットされた物が付いてきました。
こういうセットは昔はありませんでした。
現在は、メーカーによって軸とクランクの取り付け形状が違っているようです。
昔は何処のメーカーも共通のコッターピン式という取り付け方だけでしたが、高性能と差別化を追求した結果、共通の基準が無くなってしまったようです。
但し、ベアリングを調整する必要が殆ど無くなり、取り付けは非常に簡単になりました。
今回はチェーンも取り替えました。
9段用の軽量チェーンです。
何十年振りかでチェーンを切り、つなげました。
残りの改造は後ろのギアの大きい歯数を28から30にしてみて、現在の変速機で使えるかどうか試します。後はアルミの手作り部品の黒塗装です。
そして最後は同じ条件で走れるように妻のレーサーをランドナー化します。
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後ろの変速機のワイヤーを交換しました。
現在の変速機の切り替えレバーはブレーキレバーと一緒になっていて,昔、慣れ親しんだ構造とは大きく違い、学生時代に取った杵柄は殆ど使えません。
進化した為と言えるのでしょう。
ワイヤーを取り替え、9段が確実に変速できるように調整するのに1時間以上掛かってしまいました。
今の自転車は高性能には成って居ますが、その分、調整が微妙だったり、メーカーによって構造が違ったりと、素人にはいろいろと難しくなってしまったようです。
市販のメンテナンスの本にも専門店に任せた方が良いというふうに書いて有る部分が幾つか有ります。
そう言われてしまうと意地でも自分で何とかしてやろうと思ってしまいます。
この自転車はレーサーなのでフロントバックは付くような前提に成っていません。
その為、フロントバックを付けると変速用のワイヤーがバックで無理に曲げられ、上手く変速が出来なくなります。
それで今回の交換になった訳です。
今回は後ろのギアも変えました。
一番大きいギアが歯数27から28に、最小ギアが11になりました。
本当は最大歯数を30にしたいのですが、今付いているデュラエース7700という変速機は歯数30に対応していないことに成って居ますが、その内、試してみようと思っています。
ギアを外す為の専用工具は2種類買いました。
これから、9段用チェーン、ギヤクランク(44×30)、サドル、バーテープを変えてサイクリングをしやすくするつもりです。
それにサイクリングをするのならサドルバックと輪行袋も必要です。

我孫子のサイクリングコース1
地図2
翌日は良い天気になりそうというので、久しぶりに我孫子の良いサイクリングコースを探しに行こうということに成った。 
早速、ヤフーの地図と国土地理院1/25000の地図閲覧サービスを開く。
我孫子は北に利根川、南に手賀沼に挟まれた台地の町である。
手賀沼の南には柏市と沼南町の台地が広がっている。
手賀沼は台地と台地の間に入り込んだ低地に出来た沼である。
大昔は直接海とつながっていたらしいし、その前は海の底だったようだ。
その証拠に木下化石帯があり二枚貝など多くの貝殻を見る事が出来る。手賀川
我孫子の周りには手賀沼の他、印旛沼、牛久沼、少し離れて霞ヶ浦など点在している。
手賀沼を含めてこれらの湿地帯は江戸時代から開墾が積極的に行われたようで、何々新田という地名が多く残っている。
しかし、開墾され田畑になっている平地は農道が縦横に直線で作られ、地図で見ると当然だが、意図的に作られた様が見え過ぎで、サイクリングコースとしてはいささか興ざめである。
自転車で走りたくなるような道はくねくねと曲がった自然発生的に道に成っていったんだろうと思われる道である。
大昔から人が歩きやすい所を歩いたため、付けられていった足跡の名残が残る道である。
どう見ても造成されて出来たのでは無いと感じられる道である。
狙い目は、台地と平地が接する所に付けられた道である。
これらの道は先ずは地図上で探す事に成る。橋の上
そんな古くから使われていた道を探すもう一つの手段として、お寺や神社の存在である。
人が通る道が無くてそれらが存在するはずもなく、ましてや、生活ともっともっと関わりを持っていた、お寺や神社と古い道は切っても切れない縁があるはずである。

勿論今回のサイクリングは自宅から出発した。
一週間に一度の部屋の掃除を終え、12時少し過ぎた遅い時間にスタートした。
海抜20mぐらいの自宅から先ずは手賀沼のレベルへ一気に下る。
この坂はコースの最後では心臓破りの坂に成る坂であるので、本来はそう気楽には下れないのである。
下った所は台地沿いの古くからの道であるが、その向こうの手賀沼側は若松という大きな街になっている。旧橋
そこにはケーズデンキ、ユニクロ、マツキヨ、カスミストアー、京北ストアー、夢庵、ココス、その他蕎麦や、イタリアン、ラーメン屋などがあり、我孫子市の中でも一大ショッピングストリートに成っている。
引っ越してきた時には、自然そのままであったため、至って不便な所であったが、自然がほとんど全て消えてしまった現在は、皮肉にも至って便利な場所に大変身をしてしまった。
何しろ「卵が足らないわ・・・」というと、明治からの別荘地であり、現在は市に寄進された庭を通り、その当時から使われていた大谷石のすり減った階段を下りると、直ぐに京北ストアーとカスミストアーに行く事が出来るのだ。古い道
但し、暗くなってしまってからだと、外灯も無いのでヘッドランプを持って山道を行く感じである。ここの別荘跡だけはまだ十分に古の我孫子の面影を残している。

今はこんなに成ってしまった若松も、私が引っ越してきた昭和39年(1964年)は、手賀沼の浚渫による工事により出た砂により埋め立てが行われていた。
台地の端にある子の神神社の松林から見る、夕日の沈む手賀沼は本当に美しかった。
当時もしデジタルカメラがあったら、どれほど写真を撮った事だろう。しかし、今はその面影は全く残っていない。社
残念としか言いようがないが、まさに自然より便利を取ったなれの果てなのであろう。
スタートし急な坂道を降りた所で話が横にそれてしまったが、手賀大橋の下をくぐり、手賀沼公園まで続いている手賀遊歩道を左に曲がり手賀沼に沿って先ず走る。
遊歩道は利根川とつながっている手賀川の入り口までである。
この遊歩道は自転車専用の道ではないので歩行者優先でゆっくり走らねばならない。
但し、時間と景色の関係をもう少しきちんと考えておけば良かったと、帰り道で気が付いた。
帰りは同じ道を避けるために手賀沼の南岸を何の気なしに選んだのだが、走って見て水面に映る夕日をうまく写す事が出来なかったのだ。
どんな旅でも景色の見え方は、そのたびの印象を左右する大きなポイントである。
写真を撮るとなると、特に太陽から来る光の方向は大切であるのだが、その基本をついうっかり忘れてしまったのだ。
今回のサイクリングのコースは地図を見ていただきたいが、45Kmばかりの適当な距離の良いコースだったと思う。夕焼け
古くから有ったのだろうと思われるリズムを持って右に左に振れながら延びている道は、周囲に民家が点在し、穏やかな田園風景が広がっていた。
長楽寺の手前の斜面には木下化石帯と思われる貝の地層も見ることができた。
小林牧場で一休みしてからの帰り道はGPSが大いに活躍した。
帰りのコースを特別決めていなかったので、GPSを見ながら幹線道路を避けて道を選んだ。
真っ赤な夕焼けに向かって手賀沼の南岸を走り、最初に下りた心臓破りの急坂をハァーハァーしながら、前42枚と後26枚で二人とも登り切り、今回のサイクリングを終えた。




前回のブログで小豆島の旅について書いた。
4日間の間にロードレーサーで飛ばしている人には何人か会ったが、自転車で旅をしている人には会えず仕舞いであった。
正確に言えば、私たちが走っている時間に、その場所で自転車で旅をしている人がいなかった、ということである。トレンクル
しかし、小豆島に自転車で旅をしている人がいなかった訳ではないだろうが、至って少数ではあったことは間違いないだろう。
既にブログに度々登場させているが、トレンクルという、折りたたむと超コンパクトになり、おまけに超軽量な自転車で私たちは十年以上も旅をしている。
勿論、二人とも自転車で走ることが好きだから旅にまで自転車を持ち出すのだが、走る度にいつでも何か物足りなさを感じてしまう。
自転車で旅に出た時、もっともっと多くのサイクリストに巡り会い、情報交換を含めた楽しい会話ができれば、更に楽しい旅にできるのだと思う。だが現実にはそういう状況に滅多にお目に掛かることはない。

現在、ブログに自転車の旅に行ってきた経過や感想を載せているのは、この年になっても二人で自転車の旅が出来ることを知ってもらいたいからである。船
自転車の旅は年にはあまり関係なく、やろうと思えば誰でもが出来ることを証明したいのである。
少しでも多くの人たちに、特にリタイアしたご夫婦にその可能性を知ってもらいからである。
若い人たちにも知ってもらいたいことは勿論である。
そして自分たちにも出来そうだ、自分たちもやってみよう、という人達が一人でも多く現れることを期待してのことである。
要は65歳を過ぎても自転車の旅が出来るんだ、という実例を出来るだけ多く見てもらいたいのだ。
自転車の旅は、単に旅が楽しいという単純な事だけではない。
旅に出るまでの過程を含めて全てがおもしろいし、楽しいと思う。オリーブ
普段からの準備、行く場所を決めるための過程、場所が決まってから具体的な計画過程、もちろん旅の実行、そして、帰ってからの反省に基づいた次へ旅への対策、などなど自分自身でやることが幾らでも有り、そのやり方によっては旅の内容が大きく左右されることである。そしてその経験が次の旅を更に楽しいものにしてくれる。
自転車の旅を完成させるためには、計画から達成まで全てを自分自身でやらなければならない。
全てを自分だけで決めねばならない。失敗も成功も自分自身の力の結果であり、全ては自己責任である。
これほど自主独立の気分を味あわせてくれる事も少ないだろう。
しかし、今の日本に自転車を使ってまで旅をしたいと思っている人の人口は少ないのだろう。
どうしてこれほど自転車で旅をする人が少ないのか何とも不思議である。
現在、還暦を過ぎた夫婦でどれだけの人が自転車で旅をしているんだろうか。
何故、自転車で旅をしないのだろうか、と聞いてみたとしたら、「そんなこと考えたこともない」というのが大部分の人の答えだろう。
答えは多分、危険だ、坂道が大変だ、めんどくさい、くたびれる、雨が降ったらどうするの、やったことがないから自分には出来ない、等という事だろう。
確かに自転車は危険と言えば危険だ。
何しろ世界に名だたる自転車所有国であるにも関わらず、多くの人達が利用しているにも関わらず、この国は自転車が安全で快適に走れる対策をほとんど何もしていない。
だからといって家の近くを走るだけでは何とももったいないことである。
危険と言っても大部分は車に対してである。先ずは車の少ないコースを計画することになるが、歩道を歩いていた幼い二人の子供がバカな若造の無謀運転で殺される様なことも起こることがあるので、道路を走っている以上100%安全にすることは不可能なのかもしれない。鳥居

また坂道を上るのが大変と言えば大変だし、くたびれもする。
何しろ重力に逆らって、自分の体重を含めて持っているもの全てを、自分の足だけで持ち上げなければならないからだ。
しかし、きつい所は降りて時間を掛けて歩いたり、変速機を使ったりすれば何とかなる。
それよりも何と言っても、それは位置エネルギーをどんどんチャージすることになるので、今度は下る楽しみを味わうことが出来るのだ。
頂上への到達感と、それに連なる風を切り重力に引っ張られて加速して行く爽快感は、上りの大変さをきれいさっぱりすっ飛ばしてくれる。
少しもくたびれないで何かをすることは出来ないが、問題はそのくたびれさ加減である。
出来るだけくたびれさ加減が少なくて済むように計画を作り、疲れが溜まらないように走れば済むことである。
もし長い旅になるのであれば、一日ぐらい走らない日を作り、のんびりと散歩をしたり、写真を撮ったり、本を読んだりするのも計画の内である。
島
また、自転車の旅を実行することは、めんどくさいと言えばめんどくさい。
自転車に対するあらゆるものが整備されていないから当然と言えば当然である。
ツアー旅行のように何でもかんでも全てが用意されているのとは対局の旅行である。
ツアーは100%全てが決まっている気楽さと便利さが有るが、自転車の旅はゼロから全てを決めて行かなければならない大変さがある。
「楽」を求めるならツアー旅行であり、満足感のある「楽しさ」を選ぶなら自転車に優れるものはないだろう。
旅の全てを自分だけで決められる自分だけの独壇場であるからだ。
年も年なので知人にはリタイヤして時間が余り過ぎている人が多くいる。
先ずは、日本地図を広げて自転車の旅の夢を見たらどうだろうか。勿論、世界地図でも良い。
夢は広がるはずだ。
楽しく時間を消費することは何事にも代え難い。
自転車の旅は誰でもが自分に合わせて計画し、行える旅である
自転車の旅にチャレンジしていただきたいと思う。
是非、どこかでお会いしましょう。

小豆島という言葉には優しく、さわやかなイメージがある。瀬戸内海の穏やかな明るさと、それに「二十四の瞳」の舞台であること等によるのだろう。夕焼け
そんな小豆島には一度行ったことがある。昭和37年高校二年生の修学旅行である。しかし、遠い昔のことなので殆ど覚えていない。
思い出せるのは緑の実を付けたオリーブの木々と、場所は定かでないが、夜光虫がキラキラと光る幻想的な夜の浜辺だけである。初めて見る夜光虫の光に皆で大いに感激したことが懐かしい。それにバスガイドさんが歌ってくれた「オリーブの歌」の・・・小豆島山、忘す~らりょ~か・・・・という一部のフレーズだけが頭の片隅に残っている。
「二十四の瞳」の舞台になった岬の分教場のことは、とんと思い出せない。宅急便

妻はまだ行ったことがないと言うので、そんな小豆島に半世紀振りに行ってみることにした。
旅の計画を作るには、先ずはコースを決めなければならないので、ぼーっと地図を眺めることになる。そして概略のコースのイメージが決まったら、ヤフーの地図を使ってコース上に距離を記入してゆく。
次にトレンクルを何処の宅急便センターに送るかを決めなければならない。
フェリーで渡った所で受け取れれば一番良いのだが、島の北側に当たる大部港や福田港の近くには無かった。三軒あるセンターの全てが四国に面した島の南側だった。
島の生活の中心が南側に偏っているのだろう。フェリーとまち
仕方がないのでフェリーに乗る前にトレンクルを受け取る事にした。
自転車を持ってフェリーに乗るとなると、実は自転車代も払わなければならない。それに乗る前に受け取ると、自転車の組み立て時間が必要であり、何かあればフェリーに乗り遅れてしまうことになる。そうなれば、その先の予定が狂ってしまう可能性がある。その為、予定の乗り物の時間が決まっている場合は、その途中で受け取らないようにしている。
結局、宅急便センターは駅とフェリー乗り場に近い岡山県日生(ひなせ)にした。船に乗っているのも一時間と一番短いからでもあった。雲間
しかし、ちょっと気になっていたことが案の定、現実になってしまった。
トレンクルを組み立て、食堂へ入った折に、そのハプニングは起こった。
カギを掛け、そのキーを入れた所を忘れてしまい、結局店のご主人にワイヤー錠を切ってもらう羽目になったのだ。
北海道に続いて二度目の大失態である。歳の勢とは言え、二度までもワイヤー錠のキーでミスをしてしまったのだ。二度あることは三度あるといけないので、これからはキーの無いダイヤル式のワイヤー錠に変えるか、キーを二人で持とうと悟とらされた。
実はフェリーに乗ってから何と何とキーが出てきたのだ。食堂に入った時、カウンターに置いた帽子の中に忘れないようにとキーを入れたのだ。にも関わらず、フェリーの時間が迫っていたので、そのことをすっかり忘れてそのまま帽子をかぶってしまった。たまたまその帽子は耳カバーが中に折り込んであった為、かぶる時うまい具合にその中にキーが入ってしまったのだ。もう何をか言わんやである。我ながらあきれた一幕であった。吉田港

次に、宿をインターネットで調べて地図上にプロットし、コースの距離と起伏の感じを考えながら場所を決めた。
我孫子からの交通機関は、飛行機を使っても5時間弱であり、新幹線だと6時間弱である。一時間差であるならとノンビリ本でも読んで行ける新幹線にした。
下りマチ
一月三日は朝4時に起き、4時50分に家を出た。こんなに早く家を出るのも珍しい。新幹線は6時16分発のぞみ3号博多行き、岡山から赤穂線に乗り換え日生下車である。
昼食の時間を含めて時間はたっぷり取ってあったのだが、ワイヤー錠事件の為に大いに焦ることになった。幸運にもフェリーがちょっと遅れて到着した為、何とか予定通り間に合うことになったが、一時はもう乗れないかもしれないと諦めたほどだった。あに
瀬戸内海は穏やかそのものだった。一日は寒波が来て為相当荒れたらしいが、その日はべた凪で全く揺れを感じなかった。
目前に見える小豆島には雲が掛かり、その切れ目から時々ビーム状の日差しが海をキラキラと輝かせ、いやが上にも期待を膨らませてくれた。
今回の旅は、海岸線に沿って一周する約110キロぐらいの予定であった。
地図は何時ものように全体のコースが見られる道路地図と、起伏の状況などが見られる国土地理院1/25000の地図を細かく分けた物を持って行った。
初日三日の走行距離は10.2キロだけである。3時には宿に着いてしまった。
一泊目はホテルではなく、滞在型リゾートマンション「AQUA」である。とても居心地の良い宿であった。今まで泊まった中でトップクラスである。バス
小豆島に行かれた折には是非泊まることをお勧めする。部屋は8階であったが、その入り口が広いのでトレンクルをそこに入れさせてくれた。それが先ず気に入った。エレベーターで1台ずつ持って上がった。
部屋の広さは60平方メートルで、その上、海に面した大きなテラスがついている。浴室はトイレと別でこれもとても広く、トイレを含めてとても清潔だった。部屋は隅々まで掃除が行き届いているし、ツインの寝室スペースにはかなり大きなベットが置いてあり、車の音が全く聞こえない立地条件とで、とてもゆっくりと休むことが出来た。
ホテルではなく、リゾートマンションであるため、本格的な厨房が無い為だろう、夕食は仕出し屋さん弁当だと思うのだが、部屋まで届けてくれた。
宿泊代は、勿論、朝食が付いていて、二人で24600円は至って得した感じであった。
翌朝は、たっぷりの生野菜サラダ付き朝食を取り、気分良く出発した。天気は晴れ。一路、岬の分教場に向かった。小豆地図1
国道436号に入った途端に上り坂の洗礼を受けるが、改良トレンクルはかなり強力であった。
改良前のトレンクルは1回こぐと4m少し移動し、それでどんな上り坂も下り坂も走っていた。それが改造後は一番軽くした時に1回こぐごとに1.7mしか移動しなくなり、1番スピードを出すようにすると1回で6.7mぐらい走ることが出来るようになった。その1.7m/1回転から6.7m/1回転の間で、道路状況により足に掛かる重さが変わるわけであるが、それに対して18種類の早さを選べるのである。もしこの改造が行われていなかったら、小豆島一周はかなり苦戦しただろうし、もしかしたら、もうトレンクルの旅は卒業してしまおうと思ったかもしれない。
二日目は35.9キロ、三日目は32.2キロ、最終日は17.2キロで今度は悠々とフェリーに乗ることが出来た。
今回は合計95.5キロを走った旅になった。
カギのハプニングはあったが、天気にも恵まれ、瀬戸内海の景色を堪能することが出来、とて楽しい旅であった。
これからまだ5年ぐらいはトレンクルの旅が出来そうである。教室
昨年の12月28日高峰秀子さんが亡くなられた。
岬の分教場では若き日の大石先生の姿が懐かしく思い出された。
昭和という時代はどんどん遠ざかって行ってしまうんだろう・・・・

前回のブログから随分時間が空いてしまった。
その理由はトレンクルが改造されて来てから、その結果を報告しようと思ったことと、何と、愛用のMac Book Airがぶっ壊れてしまったことである。変速レバー
これに関しては結局、予約してApple Store持って行くことになった。
このブログは気を取り直し、普段仕事で使っているiMacで書いている。
だから本当はMac Book Airがぶっ壊れてしまったことは理由にならないのだが、三年半もブログを書くのに使っていると、何となく書く体勢にはならず、今となってしまった。
要するに自分の中で何だかんだと理屈を付けて自己弁護をしている心境であることは、自分でも良く分かっている。
現在のネットワークシステムは、ブログは書こうと思えば世界中何処からでも書けるのだ。
トレ姿
待望の多段化改造のトレンクルが河内長野の工房赤松から出来上がってきた。
改造中のハプニングは二台とも後ろのリムにひびが入っていることが判明したことである。
継続して使えないほどではなかったのだが、ひびが入っていることを知りながらこれから旅をするのも気持ちの良いものではないし、何時までもトレンクルで旅ができるわけでもないし、予算オーバーであったが思い切ってアラヤのトレンクル用リムに換えてもらった。
リア変速
今回の多段化改造は結論から言うと大成功であった。
乗って先ず第一に感じることはブレーキの制動力が格段に上がったことである。
トレンクル純正ブレーキだと何しろききが悪かった。
その為、握力の弱い妻のブレーキレバーは少しでも腕の長いギドネットレバーに取り替えてあったほどだった。
それと、走行中の変速感覚が何とも小気味よい。特にアップダウンの道を走る時、18段の中から足の力の感じに合わせて変速して行くのは、何とも快適である。
その快適さをもたらす前後の変速レバーは、ハンドルバーの中心寄りに取り付けてあり操作性が抜群である。
操作しやすい位置と同時に、ギヤの内側への移動と外側への移動が別々なレバーに成っていて、親指と人差し指で操作するのは何ともやりやすい(ダウンチューブの両側に付いていた40年前の変速レバーに慣れ親しんでいた者に取っては夢のようである)。リア変速レバー
また、高速のためのギヤと超軽量なトレンクルとの相性もとても良い。特に14インチを小さな車輪の勢なのだろ、スタートからの加速感が独特な感じでとても良い。
そんな訳で、トレンクルの多段化は私たちに確実に新しい旅の仕方を必ず与えてくれる予感を感じさせてくれた。
しかし、だからといって多段化されていない自転車だと旅ができないわけでは決してない。
何と言っても十年以上もシングルギアのトレンクルで旅をしてきている実績がある。前ギア
物事何でもそうだが、これじゃなければ駄目だなんていう物はほとんど無いのだと思う。
楽しく生きるために、自分はどうするかという工夫が大事なんだと思う。

要は、自分だけの楽しみ方をどう見つけるかである。
自分の体力の範囲で如何に快適に旅をするかである。

(株)イゼナの23期もこの十月で終わる。近年では最も売り上げが落ちた。
特別、アクアレイアーの評判が落ちたわけではないので、世の経済状態の影響を受けたのだろう。又、時代が変化しているためだろう。その為、事業形態を変革することを含め、経営状態をどの様に良くするかを考えなければならなくなった。林2
そんな訳でノンビリ遊んでいる訳にも行かないのだが、気分転換をするためにという理由を付けて、実は恒例の夏の北海道へ行った。
じっくりと計画する時間もなかったので、二度お世話になったお気に入りのペンション星ヶ丘を宿とし、美瑛をノンビリ散策することにした。
勿論、トレンクルである。しかし、一応レンタカーも予約しておいた。
残念ながらプリウスは借りられずインサイトになってしまった。道
トレンクルは例の如く宅急便センターに前日到着するように送っておいた。
ペンションの齋藤さんからは、トレンクルを受け取っても良いという了承をいただいていたのだが、ちょうどペンションの休憩時間帯に私たちが到着する事になってしまうので美瑛の宅急便センターにした。
旭川空港でレンタカーを借り、トレンクルを取りに行った。
二年ぶりの美瑛を堪能したのだが、上り坂では随分歩かされることになり、年には勝てない事をつくづく感じさせられた。
12年前にトレンクルを利用し始めた頃は、その軽さだけで変速機が無くてもかなりの坂道を登ることが出来たが、妻ともども体力の衰えはいかんともしがたく、大分疲労感を憶えるようになってきた。
結果、一日の走行距離がだんだん短くなって行くことになった。
それと同時に、起伏の有り様でコースの選択をするようになり、自由に計画が作り難くなって来ていた。
だからといってトレンクルの旅をこれからも続けて行きたいので対策を考えることになった。トウモロコシ
現在、軽いトレンクルも輪行箱に入れて前もって送ってしまう(これも年のせい)ので、それなら多少重くなっても変速機付きの新しい自転車にしてもよいだろうと考えてもみた。
しかし、スペースと管理と年のことを考えると、これ以上自転車を増やすのは納得できず、否定していたトレンクルの多段化を検討することにした。花1
早速トレンクルを多段化した二人の友人に話を聞き、腹は決まった。
今までの主張を年に免じて取り下げることにした。
多段化への改造は本来自分でやるべき事であるのだが、技術や工具以前に時間的、気分的な余裕が無く、今までチューブやタイヤを購入した工房赤松の赤松さんにお願いすることにした。
しかし、予算がいくらでも有る訳ではないし、目的は先ずは、今までより楽に坂道を登れることであり、出来れば緩い下りや追い風の時にもう少しスピードが出せればということであるので、その範囲で検討を始めた。林1
時代が変わってしまい、どんな部品があるのか全く分からない状況の中で全てをお任せしてしまうのは、これもささやかなプライドが許さず、結局、赤松さんに直接お会いして色々勉強させてもらうことにした。
結局以下の仕様にした。ひまわり
1)前輪はそのままで改造無し。
2)ハブのクィック化はいらない(これは今まで十年以上使っていて、2台でパンクは2回だけだったので、わざわざクィックで車輪を外す必要はないため)。
3)リムは現品のまま。
4)その為、リアハブはアカマツオリジナルに交換。
5)フロントギアの大きい方はTAの56枚。
6)フロントギアの小さい方は現状の42枚を使う。
7)ブレーキは前後ともTEKTROに交換。但しブレーキレバーは現状のままで変更無し。
8)リア変速機はアルテグラ10段用。
9)フロント変速機もアルテグラ。
10)ハンドルバーテープは現状の物を使用。
11)後ろの泥よけの取り付けは自分でやる。
などである。花2
シングルギアトレンクルで最後まで通そうと思ったが、それにこだわり旅の快適さが損なわれたり、ましては出来なくなったしまっては何の意味も無くなってしまう。
体力の低下という状況の変化を素直に認めればシングルギアにこだわる必要は無いことを悟った訳である。
まだ出来上がる日程は分からないが、非常に楽しみである。何だか又新しい可能性が得られるような気がするのだ。


5月3~4日
前日の予想に反して、午後から雲行きが悪くなると言うことだったので、急きょ8時予定の朝食を7時にしてもらって三四郎旅館を出発した。木蓮桜
今日は能代の宅急便センターまで30キロばかりの旅である。風は大分収まったが、それでもまだ向かい風が残っていた。
途中、澤目神社という所で小さな祭りに出会った。満開の桜の中の御輿は小さかったが、旅情をかき立ててくれた。
ほぼ予定通り宅急便センターに着き、ホテルグランメール山海荘から送っておいた輪行箱にトレンクルと不要な荷物を入れ込み、自宅へ送り返した。
これでザックとフロントバックだけになった。それに私はD50のカメラを持った。鉄橋
能代駅でNさんに車で迎えに来ていただくことになっていった。Nさんとはお会いしてから24年ばかりになり、床材の件で大変お世話になった方である。現在は会社を変わられ、東北六県をエリアとして営業活動をされている。
Nさんには今回もいろいろお世話になってしまった。人の親切は本当に有り難いし、何よりも嬉しい。人生も残り少なくなってきたが、このことは決して忘れてはならない。
駅前の商店街は殆どシャッターが下りていた。厳しい時代の変化を感じざるを得ない。一軒一軒の人達はどんな思いでシャッターを下ろし、出て行ったのだろうか。活気のある声が響いた時代もあったのだろう。ここで多くの人が楽しく、そして悩みながら生活をしていたかと思うと何とも胸が痛む。
それに比べて能代駅前に向かう国道沿いには、にぎやかな大型店をいくつか見た。駅前商店街のお客を奪ったの張本人である。しかし、これも時代の流れ、駅前商店街を懇意にしていたお客さんが、商店街を捨てて郊外店に行ってしまったのだからしょうがないのだろう。お祭り
Nさんには八郎潟を埋め立てた上に作られた大潟村に連れて行ってもらった。菜の花と桜と人が満開だった。私たちが小学校で学んだ八郎潟は日本で2番目に大きな湖だったが、今の大潟村にその面影は感じることは出来ない。八郎潟の埋め立てが始まったのは1957年であるそうだ。(この年はソ連が初めて人工衛星を打ち上げた人類の記念すべき年でもある)
その地域で生活している人のために埋め立ても仕方のないことなのだろうが、自然を一度壊してしまうと、もう二度と元通りには成らない。ホモサピエンスの支配する地球の自然なんだから、どうしようと勝手でしょ、と言ってしまえばそれまでであるが、もういい加減そのことに気が付かねばならない。
今日の宿である、秋田県藤里町の「ホテルゆとりあ藤里」までNさんに送っていただいた。今時珍しい禁煙室のない宿だった。禁煙してから40年近く経ち、煙草の臭いには妻共々もうとっくに馴染めない。
翌朝はまた、Nさんに迎えに来ていただき鷹ノ巣駅まで送っていただいた。少し時間があったので、途中、Nさんの自宅にお寄りし、珈琲を入れていただいた。短い時間ではあったが、奥様とも久し振りにお会いでき、楽しいひと時を過ごすことが出来た。その間の話の内容は、言わずと知れた孫、孫、孫、孫、孫・・・・であった。孫持ちが集まっては、どうしようもないと言っていい。興味のない人にとっては、これほどどうでも良い話は少ないかも知れないが・・・・桜1
鷹ノ巣駅からは秋田内陸縦貫鉄道でに乗った。一両編成の最小列車で角館が終点である。私は仕事に来た帰りに一度乗ったことがあるが、今回は妻のリクエストで秋田内陸縦貫鉄道経由で角館に行き、そこで途中下車し、桜を見て新幹線で帰ることにした。
鷹巣では快晴だったので、角館も快晴の下の桜を期待したが、それは叶わなかった。
人生、期待通り層々上手く行くものではない。雨には成らなかっただけでも幸いと思わなければならない。
しかし、桜はどんぴしゃ満開であった。それも例年より10日遅れというのだからこんな幸運はない。
二ヶ月前に計画を立てたのだから、その偶然の一致の幸運は神に感謝するしかない。
曇りになったぐらいで嘆いてはならない。黄花
こう気候変動が激しいと、来年にもう一度来ようとした時、宿をいつ取れば良いのか的中させるのはいかにも難しい。
武家屋敷通りは、まるで原宿竹下通りのような人混みであった。
近隣の人達が満開を聞きつけて押し寄せたのだろう。
旅で行くどんな場所でもそうなのだが、自分たちのことを棚に上げて人の多さに嘆くことが多い。
自分たちも混じって人が多いのだから、他人事ではないのだ。世間は往々にしてこういう勝手な意見で構成されている。
人の多さに嘆くのであれば、その場所に泊れば良い。桜2
そうすれば、観光客の去った静かな夕暮れ時の陰影を楽しみながら歩くことが出来るし、次の朝も人が押し寄せる前に、もしかしたらヒヤッとした朝靄の中に浮かぶ景色を独占することが出来るかもしれない。
大部分の観光客は、昼間の上からの光で構成された景色だけを楽しんで帰ってしまう。
泊まってまでして、夕方と朝方の陰影まで楽しもうという人はいたって少ない。
勿論そういう傾向で良いのである。もしみんながそんな風に考えたら大変なことになってしまう。
宿を取るのが大変になってしまうし、夕と朝が静どころか竹下通りになってしまう。
しかし、朝夕の風景を楽しむとなると、そんなに有名な場所ばかり行く必要はないだろう。
一本の満開の桜を見ても人は感激するものだと思う。こまち
どこの宿でも非日常の生活を肌で感じればそれで良いのではないだろうか。
そういうセンスを持てば人生がもっともっと楽しめるのではないだろうか。
角館の売店で弁当を買い込み、17:18発の「こまち88号」に乗り込んだ。
二人で弁当を食べながら、いろいろあった今回の旅を振り返り、2010年5月の連休が終わった。

5月2日
8時にペンション深浦を出る。相変わらず強い向かい風の中、今日は秋田県八森の三四郎旅館まで走る。新緑枝
一日中見事に向かい風なんていう経験は初めてである。しかし、天気は晴れ。雨の心配は無し。
コースの基本は国道101号線の南下であるが、当然、出来るだけ旧道を通った。国道は歩道は少なく、車が多く危険であり、その上面白くない。ノンビリ景色を見ながら走ることが出来ないし、まして道ばたの花などを観賞ては居られない。だから幹線国道と自転車の旅は馴染まない。また、今回は向かい風なので更に走り難かった。
車であれば、この程度の向かい風では、車外に出ない限り風があることすら気が付かないだろう。車は自然とは馴染まない。3海に向かって
いかに自然現象に左右されないようにしようか、という人間の欲望から作られたのが車だろうから仕方ない。
それに比べて全てがむき出しの自転車は、自然現象に曝されっぱなしである。だから風にも雨にも大きく影響されるが、それらに向き合って自分の力で対処して目的を成し遂げてゆく達成感がある。そんな気持ちの問題など大部分のドライブする人達にとっては取るに足らない些細なことなんだろうが、これからも出来る限り自転車に乗り、生きている以上その部分を大切にしてゆきたいと思う。
今回の旅でサイクリストには残念ながら二組しか会わなかった。いかにも少ない。
最初にあったのは男女のペア、次は男性一人旅だった。
いずれも秋田から青森へ向かう人で、挨拶を交わしながら追い風に乗ってスイスイと走り去っていった。吊り花
これだけ向かい風にやられると、何も考えず単純に青森が上で、そこから秋田に向かって下りてくる、という地図のイメージでコースを決めてしまったことが悔やまれて成らなかった。
車であればどうでも良い話であろうが、自転車の場合は、その季節の起こりやすい気圧配置も加味してコースを決める必要もあるだろうと改めて学ばされた。
特に高齢化して体力が落ちてくれば、そんな配慮はとても大切だろう。3桜の道
サイクリストの数に比べ、今回特に感じた印象は、キャンピングカーが非常に多かったことである。
不況不況と言われている割には、キャンピングカーが多いのはどうしてなんだろう。
運転者の年齢は私たちと同じぐらの人が多いように見えた。
多分、リタイアして先ずはノンビリと旅でもしようという夢をかなえているのかも知れない。
しかし、相変わらずトレンクルで旅をしている人にはお目に掛かったことがない。
やはり車の方が手っ取り早いし、車社会だからしょうがないのだろう。
それに、自転車や歩く旅のインフラが無さ過ぎるのが大きな原因だと思う。
この国は車にはいたって気を遣うが、自転車や歩行者、車椅子に対しては全くと言って良いほど無視する政策をとってきた。道路の構造を見れば分かる。
もしそれらがきちんとしていたら、リタイア後の旅の仕方も排ガスを出してキャンピングカーを乗り回すだけでなく、様々な選択がされるのではないだろうか。
車という物を違った方向から見ると、筋肉を弱体化させるための、とても素晴らしい機械でもあると言える。滝
閉じられた自分だけの空間で速く走る快感を得る為に、自分の体力を生け贄にしているのである。(車のアクセルペダルを無くし、その代わりに自転車のようなこげるペダルを付ける。沢山こげばアクセルを踏み込んだようにエンジンの回転数が上がり、ゆっくりこげばスピードが落ちる様にしたらどうだろうか。その場合、ブレーキはハンドルを握る様にすればよい。ペダルを回転させる強さは変えられるようにしておけば良い。そうすればスピードを楽しみながら筋力もアップする車になるのではないだろうか。)3白神岳
高齢化してゆくことは、それでなくとも足腰が弱まってゆくことであるが、今の車ではそれに拍車をかけるだけである。
健康第一と言いながら車を多用することは、実は、健康第一どころか反健康的なのではなかろうか。
人間社会は不思議だ。便利で楽だと言うことを隠れ蓑に、反健康的な商品を売っている企業が大手を振って歩いているんだから・・・・
そう言えば、不思議な現象はまだある。個人個人が持っている自由な想像力を奪うために漫画(全ての情景を、登場者のイメージを決め付けてしまっている)を普及させ、相手の目を見て話す対話力を奪うためにネット社会を拡大し、子供達の思考する時間を奪うためにゲームを広めているのだ。
これらを支えているのは実は最先端の技術であり、単なる商売の拡大欲望である。
車が便利なことは間違いないが、それが持っている負の面も一人ひとりが意識すべき時代だろう。黄色葉
十二湖に入る手前で地元の方に道路状況を聞いた。車でしか行ったことが無い人にその道路の微妙な状況を聞いたところで意味がないことは分かっていたが、案の定、聞いたよりも可成りきつかった。これは年で体力が落ちて、そう感じているのかも知れないが・・・・
十二湖の一部をざっと見て、今度は最も得意なくだり道を一気に下り101号線に戻った。
途中、山野草を販売する店を見つけ入ってみた。全部、種から育てた物だというので、6種類ばかり選び宅急便で送った。世の中、便利になったものだとつくづく感じる。
岩館漁港前にある三四郎旅館に4時ぐらいに着いた。
向かい風の一日が終わり、予定通り一番風呂を頂いた。

次回に続く

2010/5/1
5月1日は私の誕生日である。昭和19年の敗戦色の濃いまっただ中、千葉県の市川で生まれた。近くの国府台に高射砲部隊があり、その砲弾の破片(と母は言っていた)が屋根にバラバラと落ち、その度にギャーギャー泣いていたそうだ。それからもう66年が過ぎ去った。誕生日は殆どいつも旅先であり、自宅で過ごした記憶は少ない。車窓1
天気は勿論快晴。妻は昨日から体力の消耗を押さえるため出来るだけ寝るようにしていた為か、汗もかき、熱も下がり大分回復しているようだった。そうは言っても年のことも考え、予定変更通り列車で深浦まで行くことにした。
ホテルでトレンクルを箱から出し、自作の輪行袋に入れ、箱は予定通り能代宅急便センターに送った。実は輪行袋は途中で走れなくなった時のことを考えて常に携行している。しかし使うのは久し振りである。
鰺ヶ沢駅までホテルのバスで送ってもらった。
CO2の事を考えると本来トレンクルで走るべきなのだが、便利で楽な方を選ぶと、バスを動かすことになり、どうしてもCO2の発生を招いてしまう。車窓2
便利で楽=石油エネルギーの消費=CO2排出=現代経済社会、という構図なのである。
自転車は確かに走っている時はCO2を出さないが、その行動を支えるためには多大のCO2が排出されてしまうということも忘れてはならない。
今の社会はそういう仕組みになっている。
鰺ヶ沢駅を10:56発に乗り、深浦には11:57に着いてしまった。
その間1時間にわたって日本海の景色を堪能したのだが、海岸に打ち寄せられたゴミの景色も同時に堪能させられた。
海水に浮かぶゴミはこの様に打ち上げられて見えるのだが、浮かばないゴミはどれだけ海底に沈んで居るんだろうか?
また海水に溶け込んでしまった物はどれほど有るんだろうか、PCBにしても農薬にしても自然界に漏れた物は最後は海にたどり着き、薄められて人の五感からは消えてしまう。灯台しかし、消えたんじゃなくて見えないところに堆積されただけだ。これは可成り恐ろしい事のように思えるなだが、取り越し苦労なんだろうか。

深浦で降りトレンクルを組み立て4キロぐらい先のペンション深浦へ向かった。
途中で昼食を取ったり、珈琲を飲んだりとゆっくりしたのだが、チェックイン時間より大分早く着いてしまった。
荷物を置かせてもらい、空荷のトレンクルで深浦文学館(建物は太宰治が泊まった秋田屋旅館を改築したもの)や円覚寺(807年に坂上田村麻呂が東夷東征の際に拠点とした場所が始まりらしい由緒ある寺らしい)をブラブラと見て回った。車窓3
ペンションに戻り一番風呂を頂いた。
一番風呂は意図的にいつもそうなるようにしている。風呂のことは前にも書いたが、至って非常識な輩が多く、旅の思い出を大いに損なうことが多々あるためである。
勿論一番風呂に入るからには、その後入る人達の気分を損なわないように十分な配慮をすることは当然である。人が見ていないからといって勝手は許されない。
日本海に落ちる絶品の夕日を見ながら、食べきれない海の幸とビールは至福の時であった。
速度を増しながら水平線に沈んでゆく夕日を見ていると、何時でも、この巨大な球体である地球がゴーゴーと音を立てながら自転しているのを感じられる様な気がする。夕日2
夕日が沈む時が唯一、地球の自転を人間が感じることが出来る時のように思う。
そうして目をつむると太陽の周りを回っている地球が鳥瞰図のように見えてくる。
その中で日本がまさに陰の時間に入って行く様が、目の前の夕日が水平線に沈んで行く光景につながってゆく様に思えるのだ。
夕日が沈み窓の外には陰が訪れ、食事をしている人達の姿が窓ガラスに映り始めると夕食の時間も終わりである。後は今日のことを思い出しながら日記を書いて寝るだけである。明日の体力のために早寝が鉄則であるが、慣れない場所では何時もなかなか寝付けないのが常である。

次回に続く

2010/4/30
五能線は青森の奥羽線川部駅(南津軽郡田舎館村)から東能代駅(秋田県能代市)までの147 Kmばかりの単線であり、電化区間はない。車両は当然ディーゼル車である。路線の半分以上が日本海の海岸線間近を走り、絶景を見ながら旅が出来る路線である。駅
五能線に沿った旅(2010/4/30~5/4)を思い立った理由は今回も単純であった。
テレビや雑誌などで見た景色をこの目で見てみたいと思ったからだ。旅を決める場合は相変わらず熟慮無しの気分のままである。
計画は2月中から時間を見つけて少しずつ練った。
宿はその時点で予約し、決定してしまうのだが、JRは乗車日の一ヶ月前の更に1週間前に予約が出来るだけで、決定は一ヶ月前にならないと分からない。新緑1
今までに予約して取れなかったことは無かったのだが、やはり正式に取れたというメールをもらうまでは何となく不安である。
そんなわけで、いつも行きと帰りの乗車一ヶ月前に届くメールをもって旅の計画の最終決定としている。
今回は特に今まで経験したことのないハプニングがいろいろとあった旅になった。
今頃の時期は暑かったり寒かったり普段でも衣服の選択には気を遣うのだが、今年は更に分からず迷った。新緑3
案の定、日本中が晴れで気温が高くなったというのに、今回の旅の場所である青森と秋田の日本海側だけが、曇りで、強風で、低温と来ているのだから何とも付いていないことになった。
それもただの強風ではなく全て向かい風なのである。
その強さは坂の下りも、こがなければ走れないほどであった。
これは日本海側を北海道に向かって抜けていった低気圧に、太平洋上にある高気圧からず~っと風が吹き込んでいたのだ。にもかかわらず、ここだけ上空には寒気が張り出し、気温が上がらないときていた。
道すがらぽつんぽつんと立っている風力発電機は人の気持ちも知らないで、正に大車輪で水を得た魚の如く気持ちよさそうにグルグル、グルグル回っていた。
低周波音の問題があると言われている風力発電機であるが、今回走っていて人に被害を与えない場所はいくらでもあるように思えた。
しかし、何とも数が少なすぎる。桃花
私たちが気持ちよく走るのを邪魔している風は、少なくとも邪魔できるほどのエネルギーであり、何と言ってもタダで純国産のエネルギーなのだ。
その上CO2はおろか、どんな廃棄物も出さないで電気に変えられるエネルギー源なのである。
太陽電池に比べると機械であるという欠点はあるが、その専有面積は太陽電池の比ではなく、至って小さい設置面積で大きな電力を生み出すことが出来る優れものでもある。
景観も勿論大事だが、人間は高層ビルが建ち並んだ都会ですら良い景色だと言って平気で暮らせる生き物であることを考えれば、石油の輸入を少しでも減らすため、国家戦略としてもっと積極的に風力発電機も増やすべきである。
菅さん!お願いしますよ!桜2景観、景観と言っている内に、その大切な景観が元から崩れてしまっては、それこそ元も子もないのではなかろうか。

トレンクルはいつもの様に専用の箱に詰めて宅急便で4月27日に送った。
4月30日の初日は走らないため、最初の宿である鰺ヶ沢のホテルグランメール山海荘止めにした。
列車のルートは時間を優先にしたため、八戸まで新幹線、そこから青森を経由して弘前、鰺ヶ沢とした。
鰺ヶ沢へは2時30分着であるため、昼飯の弁当を乗り換え時間の短い八戸で買い込み、特急つるが7号に急いだ。
無事に乗り込んだが、ここでハプニングが起こった。新緑2
妻が急に喉が痛くて鼻水が止まらなく成ってしまったのだ。
旅がスタートして後、体調が悪く成り、計画全体が立ち行かなくなるのではないかと思ったのは初めてである。
直ぐにホテルに電話し、薬を買いたいので迎えのバスの時間を遅らせて欲しい旨を連絡した。
ただ、ローカルな駅を降りてお店屋さんも何もないことをよく経験するが、鰺ヶ沢に果たして薬屋さんがあるかどうか不安ではあった。
しかし、それはあっけなく杞憂に終わった。何と何と私たちを待っていたかのように、駅前に立派な薬屋さんが有ったのだ。桜1
勿論、薬は風邪薬も含めて殆ど持ってはいる(今回持って行った薬/イソジンうがい薬、太田胃散分包、新ワカマツ、イブ頭痛解熱、アリナミン、ビタミンC錠剤、オロナイン軟膏、コンタック総合感冒薬、その他薬ケースに入れてある物、アミノバイタル、救急バン、石けん、綿棒、毛抜き、凹面ミラー、爪切り、ハサミ、裁縫セット、安全ピン、歯ブラシ、カミソリ、櫛、吸引器、糸ようじ、など)のだが、症状に最もあった薬を選び、出来るだけ早く回復させなければならないので直ぐに飛び込んだ。
花粉症も疑ったが、何と熱が38度近くもあり、風邪のためのアドバイスと薬とドリンク剤を選定してもらった。
その上、体力回復に良いという錠剤の朝鮮人参や、漢方の液薬をカプセルに入れた物をサービスしてもらったり、鼻をかむ為の特に柔らかいというティシュペーパーまで一箱頂いてしまった。
このティシュはその後の旅に大きく貢献してくれた。
かたくり
お陰で喉の痛みも取れ、熱も下がったのだが、大事を取り翌日の走行は取りやめ、次の宿泊地である深浦まで鉄道で移動することにした。
旅はいつでもそうだが、温かい人情に触れることが出来、気分をとても良くしてくれる。

現代文明は、多くの病気をたちどころに治してしまう力を持っていることを改めて認識させられ、感謝することにもなった。
今回はたまたま薬屋さんに恵まれたが、年も年だし、これからは旅に出る前に薬局が何所にあるのかぐらいはちゃんと調べておくべきだということを学ばされた。

次回に続く

腹ごしらえをして、関西本線で亀山に向かう。そこから乗り換えて一駅で関に到着。今年の正月以来、二ヶ月半振りである。6地蔵
電柱が無く、江戸の面影を色濃く残す関宿をブラブラと歩き、満開の白梅、紅梅を楽しみながら今日の宿、国民宿舎・関ロッジに着いた。バストイレ付きの部屋を取ったのだが、浴槽の小ささに大浴場に行ってみた。
相変わらずモラル違反が多い。5地蔵
体を洗わずに湯船に入ったり、湯船の中にタオルを入れたり、辺りに構わず泡を飛ばしていたり、シャワーのお湯を飛ばしたりと、自分さえ良ければ周りの他人の気持ちなど全く顧みないバカが多かった。頭と体を急いで洗い、シャワーで体を温めてから早々に退散した。周りにいる他人のことは全く無視し、自分の今だけの気分を満足させるために振る舞う人間には、がっかりするということを通り越して頭に来る。4地蔵
こういう人間が多くいるのは、結局は親の教育が生なんだろうし、自分さえ良ければという雰囲気を醸し出している社会に寄るんだろう。その中でも、他人のことは考えず何をやっても良い、という雰囲気を作り出し、赤ん坊の時から洗脳してしまう冴えたる元凶は車なんだと思う。板
生まれた時からその中で育てば、他人のことなど無視する脳みそに成ってしまうのは当然なのかも知れない。
それが音の静かな車からわざと音を出して歩行者に先ず解らせて、人をどかそうという発想にもつながって居るんだろう(車社会では歩行者優先であることが明文化してある。歩行者優先なら、その歩行者が静かな車に気が付かないなら、気が付くまで待てばよいのではないか。待てないなら窓を開けて「済みません!車が通ります!」と声を掛ければ済む話ではないのか。音のでない車は革命である。価値観の大変革である。それなのに今までの価値観を引きずろうとする。窓を開けて声を掛けることになれば、自己中心に振る舞う元凶である車文化の変革になるのではないかと思うのだが・・・・そういう文化にすべきではないのか)。
こういう嫌な気分を味あわない為に、せっかくの旅では本意ではないのだがなるべくホテルに泊まるようにしている。民宿やペンションを取る時は出来るだけ少人数しか止めない宿を探すようにしている。その上で、なるべく早く風呂を利用させてもらうようにしている。勿論、髪の毛などを残して、次に入る人が嫌な気分成らないよう十分配慮はしている。二人
今回の旅では初めての経験をしたことがある。昔から言われている「旅は道連れ、・・・・」の道連れのとても良い経験をさせていただいた。
関宿の家並みを出て直ぐの所のコンビニでその方とお会いした。
群馬県からいらしたOさんである。旧東海道を歩き始めて、もう十年、二十回近くになり、何時も一人で歩かれているそうだ。百名山を制覇された方でもある、根っからの山やさんだ。
一人を基本とされていて、とてもフィーリングの素敵な方だった。鈴鹿峠

21日の目標は同じ水口宿であったが、手前8~9Kmぐらいの長泉寺でダウンとなり、タクシーで水口宿まで行くことにした。
Oさんは水口宿に宿を取っていらしたので、お別れすることになった。
私たちは気に入った宿が見つからなかったので、草津駅前に宿を予約していた。
当然、次の日に電車で水口に戻り歩き始める予定であったが、更にまたタクシーで長泉寺まで戻ることになった。
22日、長泉寺には9時頃付いたが、待ち合わせしていたわけではないのでOさんはいらっしゃらなかった。
後で知ったのだが、8時頃出発されたとのことであった。
ノンビリと歩き昼前に水口宿に着いた。そこで昼飯をと鰻屋さんに入ったが、予約が入っていてかなり時間が掛かる言われ遠慮することにした。そして店を出たその前に何とOさんが歩いてこられたのだ。同じ旧東海道を歩くのだから再会する可能性はあるとは思っていたが、同じぐらいの早さで歩いている場合は、よほど出発した時間が近くない限りほとんどは合うことは出来ないとも思っていた。石仏軍
それが何んと何と目の前にOさんが現れたのである。何か縁のようなものを感じた。
当然そこからまた道連れにさせていただいたが、昨日と同様、目標草津までの20Kmばかり手前でOさんも止めようということになり、野洲川の横田橋を渡った所の「すしふじ」という店でビールで乾杯してお開きとした。
そんな訳で今回の旧東海道の旅は完了しないで終わってしまったが、今までにない楽しい旅であった。
こんな偶然の楽しい旅が二日間も出来たのは、車を使わなかったことによるのだが、これから何度体験できるか今の社会では何とも解らない。


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izena社長 前田誠一

Author:izena社長 前田誠一
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