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山埼雅弘著 戦前回帰「大日本病」の再発 より
今の状況を理解するのにとても良く書いてあります。
是非この本をお読み下さい。

何で安倍シンパは、自分達の人権よりも国民の自由を縛る国家体制の方が好きなんですかね・・・

以下は抜粋です。
『●首相が目指す「憲法改正」よ先にあるもの
「国家神道」というOSを再起動させた安倍政権と、それを支持する政治勢力が、戦前・戦中の政治体制を現在に復活させるとすれば、ます以下の条件が絶対的に必要となります。
戦後の1947年に施行された日本国憲法を廃止すること。
そして人権や人道といった現在の国際社会で重視されている価値よりも「国家全体の利益」を優先する内容を記した、憲法が国を縛るのでなく国家体制が国民を縛る形式の「新憲法」への改訂です。
今まさに、安倍政権とそれを支持する政治勢力は、憲法改正に向けた政治的なな状況作りに邁進しています。
本書は、そうした流れを国民に本当に受け入れるのかどうか、正しく判断する材料を提供する目的で書かれました。
・・・・・・・・・・・
安部晋三首相は、つまり2016年の参議院選挙で勝利した後に、いよいよ憲法改正の国民投票に着手すると公言しています。
そして、憲法改正に向けた動きと平行して、日本国民の意識や思想、価値判断基準を、戦前・戦中の日本、つまり「大日本病」が蔓延した時代と同じ方向へと導くための制度変更が、大学改革や道徳教育、歴史教育などの幅広い分野で、既にスタートしています。
その重要な国民投票の輪郭が,日本という国の進む道の彼方に見え始めた今、この国で何が行われているのか、誰が、何の目的でそれをしているのかという冷静な現実認識を、国民の誰もが持って行く必要があるように思います。
歴史的な文脈で、きわめて重要な分岐点に差しかかりつつある日本に住む皆さんが、現在進行中の現実を深く読み解く材料として、本書を活用していただければ幸いです。』
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山埼雅弘著 戦前回帰「大日本病」の再発 より
今の状況を理解するのにとても良く書いてあります。
是非この本をお読み下さい。
安倍を始め安倍政権のメンバーはほぼ全員が「国家神道」の理念に酷似した主張を掲げる宗教的政治団体「日本会議国会議員懇談会」と「神道政治連盟国会議員懇談会」に所属しています。ご丁寧に、安倍は後者の会長でもあります。両者とも「個人」の人権に最大の価値を置いていません。国に仕える事が国民の義務に成って居ます。
どんな選挙に於いても、候補者がこれら二つの宗教政治団体には行っているか知った上で投票すべきです。

以下は抜粋です。
『●「国家神道」体制は日本どこに向かわせたんか
大手メディアで目立って応じることはありませんが、首相をはじめ現在の内閣を構成するほとんどの国会議員は、戦中の「国家神道」の理念に酷似した主張を掲げる宗教的政治団体(日本会議国会議員懇談会、神道政治連盟国会議員懇談会など)に所属しています(安倍首相は後者の懇談会の会長でもあります)。これらの組織は、戦前・戦中の体制に対する批判的認識には触れず、逆に戦前・戦中体制の復活を目指すことこそが日本にとって唯一の「愛国の道」であるかのような政治宣伝を活発に行っています。1935年(昭和10年)から1945年(昭和20年)までの10年間は、「国家神道」の最も極端な思想がこの国のあらゆる政治を支配した時代でした。この時期の日本では、天皇をいただく日本は、世界で他に類を見ない、最も優越した国家だと言う、自国の「国体」(「国のあり方」や「国柄」などを示すとされた概念)を礼賛でする政治運動、いわゆる「国体明徴運動」が広く展開され、日本国民は(表向き)その政治思想に無条件で賛同しました。国民の人権や人道、人命の価値はほとんど尊重されなくなり、「国体」への貢献・奉仕・犠牲を推奨・賞賛する言説が、各種メディアに氾濫しました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
憲法を超越する形で「国家神道」が国を支配した戦前・戦中の体制は、日本の長い歴史上ただ一度、国の主権を外国に譲り渡すという悲惨な「敗戦」を最後にもたらした政治体制です。それはわずか10数年ほど日本の政治を支配したに過ぎない一過性の現象でした。当時の日本人が「自国の伝統の継承」だと信じ、唯一の「愛国の道」だと理解して歩んだ道は、現実には日本という国を滅亡の淵へと導いた「亡国の道」でした。国の内外で大勢の人は死に、明治時代と大正時代に生きた日本人がコツコツと築いた国際的信用は、日本が始めた戦争での完敗によって完全に失墜してしまいました。言い換えれば、戦前・戦中のわずか10数年ほどの期間に、軍人を含む日本人が国内と海外で行ったさまざまな人権侵害や軍事侵攻、そして「非人道的行為」は、決して「日本の伝統」や「日本人固有の資質」に根差したものではなく、敢えて言うなら一時的な「熱病」に浮かされた結果であるとも言えます。
本書では、この「熱病」を「大日本病」という言葉で表現しています。
・・・・・・・・・・・
しかし戦後の日本の1部ではこの「亡国の体制」あるいは「大日本病に罹った時期の日本」を礼賛したり擁護する行為が、なぜか「愛国的」であると見なされてきました。
・・・・・・・・・・』


山埼雅弘著 戦前回帰「大日本病」の再発
今の状況を理解するのにとても良く書いてあります。
是非お読み下さい。
よく安倍擁護論として、デモの中での「戦争反対」に対して「直ぐに戦争が始まる訳ではない」という言い方があります。「戦争反対」は国民主権を否定し、戦前・戦中回帰である国家主義、皇国思想の中で中国、韓国、日本以外のアジア人蔑視の先に行き着く先であろうという事です。
市民を公民と言い、国の為に尽くさせるという考え方が戦争に結びついて行く可能性が有る為に叫ばれているのです。
また、武器の輸出を奨励し、軍需産業を経済成長の一つに組み込んだ事は、紛争を積極的に多く起こし「武器の消費」を加速せねばならず、必然的きに戦争と結びつきます。
「安倍を降ろせ!」と叫ばれている最も大きな問題は、今すぐ戦争が始まるかどうかなどという事ではなく、一にも二にも憲法を無視した事です。
この国は、全体主義に簡単に移行しまった実績を持って居ます。その空気は今も変わっていません。 

以下抜粋です。
『人は歴史を学ぶ意義の1つは、過去と現在と未来が「途切れずに連続している」と言う感覚を、思考の底流に形作ることだと思います。現在目の前にある様々な問題には、いきなり完成した形で出現したのではなく、ほとんどの場合、少しずつ視野の中で拡大してきたはずですが、大抵は「はっきりわかるほど大きくなる」または「深刻化する」まで、その変化に気づかずに見過ごしてしまいます。
・・・・・・・・・・・・・・

それでは、第二次安倍政権が発足してから、日本国内がどのように変化したのか。 以下が私の主観ですが、早速前と比べて日本国内の様子が「変わったな」と思う点を、リストアップしてみます。
▶人種差別や民族差別など、偏見と差別を堂々と主張する攻撃的.排外的な言説(いわゆるヘイトスピーチ)がふえ、ネット上だけでなく路上でも公然と叫ばれるようになった。
▶特定の国を名指ししてその国民や慣習を貶めきたり、その国の前途が悲観的.絶望的であるかのように描いた本が数多く出版され、書店の目立つ場所に並ぶようになった。
▶「日本」や「日本人」を礼賛する本やテレビ番組が急激に増加した。「日本人や日本文化世界からこんなに賞賛されている」と、外国人の口から言わせる企画が増えた。
▶公共放送のニュース報道が、首相や政府に対する批判的内容を報じなくなり、逆に首相や閣僚のコメントはたっぷりと時間をとって丁寧に応じるようになった。
▶政府や政権に批判的な人間への威圧・恫喝・見せしめのような出来事が増えた。
▶政権与党の国会議員が、国会の議場で「八紘一宇」と言う言葉(大平洋戦争中、日本のアジア侵攻と植民地支配を正当化する概念として使われた語句)を肯定的な意味で使用しても、全然問題視されなくなった。
▶近い将来の戦争や紛争への関与に備えた法案が、次々と国会に提出され始めた。
先に述べたように、歴史の文脈で見れば、社会の変化は継続します。政治的状況を、ある瞬間だけ切り取った「静止画」として見るなら「今はまだ大丈夫」に思えても、刻々と変化する「動画」として捉えれば、この数年で生じた変化を何もせずに放置して本当に大丈夫なのかという、より現実に則した不安が生じます。
・・・・・・・・・
●首相はなぜ、戦前・戦中の国家体制を全く批判しないのか
・・・・・・・・
現職の首相が、先の戦争の責任の所在を問われて右のような一般論に終始し、当時の国家指導者の責任を一切認めなくても、ほとんど問題視されず、首相としての地位を失うこともありません。これは、どう考えてもと恐ろしい状況です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
「当時の日本の何が問題だったのか」という重要な点について、実は何も認識しておらず、個人として考えも何も持っていないのと同様なことになるからです。
・・・・・・・
責任の所在が分からなければ「反省」のしようもありません。同じ出来事の再発を防止できません。・・・・・・・・・
▶「戦後レジュームからの脱却」と言い、戦後日本の憲法や価値判断基準を否定しつつ、戦前・戦中のレジューム(国家体制)の問題点には特に言及しない。
▶「国の為に戦って命を落とした軍人」を慰霊する目的で靖国神社を参拝するのは「国民として、国の指導者として当然のこと」と言いつつ、死亡した軍人の6割が餓死、つまり「運用管理側の不手際」で死んだ事実には触れない。
▶慰安婦問題では「慰安婦となった女性の国による強制連行を裏付ける文章はない」と言いつつ、慰安婦施設を実質的に運営管理した軍や政府の責任者の名前や、具体的な組織図等は一切明らかにしない。
▶先の戦争が「侵略であったか否か」と問われると「私は『侵略でない』と言ったことは一度もない」という巧妙なレトリックを使うが「侵略であった」「侵略ではなかった」とは明言しない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これらの「首相が言及しない」「論点化を避ける」問題をみると、すべてに共通する方向性が浮かびなります。
それは何かといえば、戦前・戦中の国家体制の肯定と是認です。』


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成せば成る、成さねば成らぬ何事も

走っていてだいぶ身体が楽になりました。
走り始めて3ヶ月ばかりですが、70歳に成っても体力はやればまだ多少は改善する物だと実感しています。
年だからと言って、何事もまだ諦める必要は無いだろうと自信が湧いてきます(もっとも、三浦雄一郎氏の実績が有りますが)。
勿論、レースをやっている人から見れば取るに足らない能力なのかも知れませんが、自分としては努力の甲斐のあった成果です。
結果としてのタイムは良くなっていますが、その見える変化よりも、自分自身が感じる疲れなくなった身体の変化が嬉しくなります。
走り始めて2ヶ月以上の間は色々な身体の不調が起き、その度に走るのを止めていましたが、その頃から考えると10Kmを走れるような体力に成ったことは夢のようです。
何事も最後まで努力して行こうと思い直した次第です。

0126

2014年1月26日
昨日は久し振りに、小学校の恩師、森先生をお訪ねした。
85才に成られた先生は、奥様共々相変わらず頭脳明晰で、現在の世相を非常に憂えていらっしゃった。
先生は予科練に志願されましたが、運良く特攻に出撃することなく終戦になり、教師になり、4年5年の担任でした。
安倍政策の全てが戦前の軍国主義とオーバーラップしていると指摘されていました。
特に、「日本を取り戻す」という発言が、「アジアの名主」と自称し、侵略をし、内外に多大な犠牲者を出し敗北したことを反省していない為だとおっしゃいました。
全く現実を見ず、超大国アメリカとの戦争に粋がりだけで、馬鹿げた突入していったことが又繰り返されて行くように見える、とおっしゃいました。
それも今度はアメリカの後ろ盾だけを当てにしている哀れな姿に見えるとも・・・
所詮、膨大な借金国家が全予算を使って軍事力を強めたとしても、適う訳がないことは目に見えています。人口が違いすぎるし、現に勝てないことが70年前に実証されています。それに粋がってやる非合理な敵対にアメリカが手を貸すはずもないし、もし、中国が日本に原爆を使うという時、既に実行しているアメリカにそれを中止させるどんな説得力も持ち得ないことも計算に入れるべきではないでしょうか・・・
また、先生が厚木基地時代に棍棒制裁により同期の友人が殺されたことがあり、一切が隠蔽され、戦死とされた事が有ったそうだ。
戦後になり、その真相を調べてご家族にお知らせしようと思い、死ぬ時に枕元にいたという仲間に詳細を改めて聞こうとしたが、そんな事は知らないの一点張りだったそうです。
真実を公開するより、黙ってうやむやにし、誰にも責任を取らせないことの方が美徳であるという大和民族の特性が出たのだと思います。
真相が分からない様にすれば責任も明確に成りません。
あんなに国外国内の多くの人を殺しながら戦争責任も全く問われません。
国民の金を使って好き勝手をやって、後は知らね〜よ、です。
その体質を安倍政権は強烈に引き継いでいるようです。
勿論、原発事故がそのまんまです。
こんなに膨大な損害が出ても誰一人責任を取らず、その原因も曖昧にしようとしています。
これが本当に国家と言えるものなのでしょうか・・・
まあ、大部分の国民は、既にそんな事はもうどうでも良いと思って居るようにも見えますが・・・・
最後に「永遠のゼロ」の話になりました。
もし、予科練の募集ではなく、特攻隊の募集であったら、誰も志願しなかっただろうと話されていました。
皆さん、甘い言葉に、その裏に隠れている悪巧みに引っかかりませんように・・・・
最も大切なのは経済などではなく、命と一人ひとりの尊厳です。

20131007
政府、踏切救助女性に感謝状 紅綬褒章を授与
2013年10月4日 13時00分
 菅義偉官房長官は4日の記者会見で、横浜市緑区の踏切で男性を助けようとして死亡した村田奈津恵さん(40)に安倍晋三首相名の感謝状を贈ると発表した。人命救助した人が対象の紅綬褒章も授与する。遺族には銀杯を贈る。感謝状は菅氏が6日に遺族の元に届ける。
 また、警察庁は4日までに警察協力章を授与することを決めた。
 菅氏は感謝状授与に関し「村田さんの勇気ある行為をたたえ、弔意を表するためだ」と説明。「他人に関心を払わない風潮の中、自らの生命を顧みず、男性の救出に当たった。国民とともに胸に刻みたい」と強調した。

女性が踏み切り人を助け、電車にはねられて死亡した。何とも悲しく痛ましいことである。しかし、彼女は死ぬかも知れないと思いながら踏切に入っていったんだろうか・・・助けたいという一心以外に何も無かったのじゃないだろうか・・・勿論、英雄になろうとした訳ではないのは当然である。助けなくちゃ、という彼女の人に対する思いやりであり、優しさであり、人間性なのだろう。命を「捧げよう」と思っての行動ではないとだろうが、彼女の行動は賞賛すべき事であることは間違いはない。
それに対して、ソーリダイジンが感謝状を贈るというのだ。何かその前に発言すべき事が有るんじゃないのだろうか・・・何故この事故は起こってしまったのか、こういう事が起こらない鉄道システムはどうすべきなのか、社会のあり方どうすべきか、村田奈津恵さんの死を決して無駄にはしません、と言うべきなのではないだろうか。大体、踏切が立体になっていればこの事故は起きなかったはずだ。結果的に死を持って訴えた現実を、具体的にどう対策を立てるんだろうか・・・ソーリやカンシが言ったことが言いっぱなしではなく、本当に本気なのか見てみたいものだ・・・
勿論、紅綬褒章や銀杯を贈るのは大いに結構だが、本当に称えたい気持ちがあるならこんな物だけでよいのだろうか・・・オールスターの最優秀選手賞は賞金 300万円だし、敢闘選手賞は100万円である。命を掛けて人を助けたのに国として銀杯じゃお粗末すぎないか(何か慰労金が出ているかどうかは分かりませんが)・・・それともソーリからの銀杯だから同じ銀杯でも価値が違うとでも言うのだろうか・・・要するに他人のために命を捨てることが美しいことなんだ、という空気を作りたい為に利用したなんてことは無いでしょうね・・・勿論、無いと言うだろうけど・・・
70年前、多くの玉砕と称する全滅が起こった。しかし、その原因を、作戦の稚拙さを反省し、全滅させられないようにするためにはどうするかを考えず、お国の為に命を捧げたという賞賛だけを送った。その為、その後も多くの人達が死んで行く事に成った。最初の全滅が次の全滅をくい止める知恵が無かったのだ。挙げ句の果てに原爆の投下まで招いてしまった。

 ■批判封じる 空気怖い、精神科医・香山さん
 
事故の犠牲になった村田さんをたたえる安倍晋三首相の書状をどう見るのか。精神科医の香山リカさん(53)に聞いた。
 非常に違和感を覚えている。長嶋茂雄さんと松井秀喜さんの国民栄誉賞をはじめ、安倍首相はことさら光の当たる場面に登場しようとする。その延長で、今回はヒューマニズムの感動に自分の姿を刻もうとしている。
 パフォーマンスだとの批判も想定しているだろうが、その声を上げると「長嶋さんを認めないのか」「村田さんの死を非難するのか」という議論のすり替えで、逆に攻撃に遭う。微妙に、絶妙に批判しづらい対象を選んでいる。本来は短絡的な賛成反対では語れないことのはずなのに。
 深読みかもしれないが、自己犠牲を推奨し、誰かのために命を省みないことを全面肯定しているかのようだ。両親からすれば「生きてほしかった」と思っているだろうし、救助自体にも多様な意見があってしかるべきなのに、そういった議論を封じ込めてしまう。
 政府は本来、事故防止など現実的な方向を示すべきなのに、精神論に入っていこうとする。「こうあるべきだ」という規範を押し付けようとする空気が怖い。
 ご両親にしたって、悲しくてやりきれないだろうに、英雄視されることで、きちんと悲しめなくなるのではないか。それは戦争でわが子を失った親と同じ。死んでほしくなかったと言えない苦しみを与えてしまう。
 いまの社会は、いつ自分が少数派になるか分からないという不安感がある。そこに陥るとはい上がれないという恐怖から、多数派を見つけて、そこに属することで安心しようとする。そういう意味では「今はこれが正しい」というトレンドをつくり出すゲームの中で、社会を覆う不安感が政権運営に利用されてしまっているのかもしれない。

20130909
今朝のニュースに仰天した。
「(汚染水問題は)結論から言って全く問題ない。事実を見てほしい。
汚染水による影響は福島第1原発の港湾内の0・3平方キロメートルの範囲内で完全にブロックされている。
近海でモニタリングしているが、数値は最大でも世界保健機関の飲料水の水質ガイドラインの500分の1だ。
日本の食品や水の安全基準は世界で最も厳しい。
健康問題については、今までも現在も将来も問題ないと約束する。
さらに完全なものにするため抜本解決に向けたプログラムを決定し、着手している。
日本の首相として(子どもたちの)安全と未来に責任を持っている。
日本に来るアスリートにも責任を持っている。
その責任を完全に果たす。」と言った。
大本営発表の嘘と何処が違うのか。これが同じ日本人なのかと思うと何ともいたたまれない。
陸上でタンク一つの汚染水ブロックも出来もしないくせに、港湾内の海の中で水中カーテンぐらいで海水の行き来を完全に止められるなんて出来っこないことは小学生でも解る事であるし、あの信用できない東電だって海水が行き来をしていることは認めているじゃないか。
こんな誰も信用しない嘘をついている事は当然、IOC委員も分かっているはずなのに投票しているのはかなり多くの見返りをもらってのことなのだろう。
もしそうでなければ、IOC委員は何も見抜けないバカの集まりだと思う。
選手が喜ぶのは良く解るし、純粋な気持ちの何物でもないだろ。
少なくともこれで金が儲かると喜んでいる選手などいない。
しかし、経済界のインタビューなど何故するのか、平和のへの字も出る訳でなく、ただ金が儲かるから良いと言っているだけである。
そんな画面が何故必要なんだろう。
建前だけとしても世界平和に貢献したい、とぐらい言っても良いんじゃないだろうか。
経済効果と言うが、世界的に見れば単なる東京(日本の隅々などと言う事は有り得ない)というミクロの部分のことに過ぎないだろう。
現在、地球的に見れば温暖化や海洋や大地の汚染など、海洋資源の枯渇、化石燃料の枯渇、相変わらずの対立と殺し合い、核武装などなど、末期的症状に見える。
もっとそれらを意識した中で「平和の祭典」オリンピックを語っても良いんじゃないか・・・
その位の人間的進化があっても良いのじゃないか・・・
全てのマスコミは大はしゃぎしている場面だけを繰り返し流している。
周りを見ているとそんなに賛成している人が多いとは思えない。もっとやるべき事が先にあるんじゃないかと言っている意見が多いと思う。社会を冷静に見ている人が多いと思う。
にもかかわらず雰囲気は大政翼賛的に賛成一辺倒である。
異論を言えない空気を戦前と同じ様にマスコミがこぞって作り出しているように見える。
完全に先祖返りの様相である。
孫達の運動会を見ていると一生懸命の姿が何ともほほえましい。
オリンピックは先ずは選手が一生懸命競って楽しめばよい。
そしてそれを見てみんなで感動して楽しめばよい。
経済界が金のことだけを言ったり、議員が嘘っぱちを並べ平和の祭典を汚すべきではない。


朝日新聞12月29日に「原発存続、政官で歩調〈政策再転換〉」という記事が載った。
その中の一部である。
 「脱原発ではなく、3年、10年という期間で原発のあり方を決めることが支持された」。自民の石破茂幹事長はこう語る。安倍首相は26日夜の就任会見の冒頭発言で経済対策は多く語ったが、これから原発をどうするかには触れもしなかった。
 しかし、朝日新聞が衆院選の投開票日に投票所出口で聞いた調査結果は違う。「今すぐゼロ」と「徐々にゼロ」を選んだ人が78%を占め、「ゼロにしない」の15%を大きく上回った。
 「神様が自民党に政権を戻したのは、原発の後始末を自分でしなさいということよ」。28日午後のテレビ番組に出演した茂木経産相に対し、長崎に投下された原爆で被爆した歌手の美輪明宏さんはこう言い、使用済み核燃料の最終処分場も決まらないのに再稼働に突き進む姿勢を批判した。
 押される一方の茂木氏だったが、原発を動かすのは前提だと言わんばかりにこう言った。「すでに使用済み核燃料はある。再稼働しようがしまいが、大きな問題は残っていく」
と言う部分がある。
今回の選挙は小選挙区と比例合計で自民党へ入った票は約35%に過ぎない。
投票者数のたったの35%である。
全有権者数から言うと、小選挙区約24% 比例代表約15%に過ぎない。
これが幹事長の言う、「脱原発ではなく、3年、10年という期間で原発のあり方を決めることが支持された」というものの実態である。全くふざけた話しだ。
民意も民主主義もあったものではない。
こんな政党が懲りもしないでまた政治をやるというのだ。
大きく見ても、自民に投票したのは高々有権者の1/4にしか過ぎない。
これが自民の実態である。
にもかかわらず、茂木軽産相に於いても民意など何の関係もないんだ、と全くの居直りである。
その上「大きな問題は残ってゆく」と明言たようだが、大きな問題と知っていながら、それを一言も言わずに何十年も国民を欺し続けた訳だであり、その結果として、人生を駄目にされた多くの被害者を出した訳だから、明らかに自民は犯罪者でないのだろうか・・・・
また、朝日新聞調べの「自民党に投票した人の理由」は「自民党の政策が良いので」が7% 「民主党批判のため」が81% である。
この81% は明らかに自民に賛成している訳ではない。
その他の党がこんなに乱立せず、別の党がキチンと有れば、この81%の大部分は自民には行かない票である。
この7%は自分が住んでいる日本の政治を考えている訳ではなく「おらがムラの先生様」的な、単なる棚ぼたで仕事を得たいと思っている自民ファンといことなんだろう。
それと、自分の意志を持っていない連中が集まった組織票なんだろう。
それにしても、流石にいかにも少ない。
また、投票日に投票所出口で朝日新聞が行った調査結果は「今すぐゼロ」と「徐々にゼロ」を選んだ人が78%を占め、「ゼロにしない」が15%を大きく上回った。
この15%は日本経済が云々かんぬんと言うのだろうが、別に経済の事が分かっている訳ではないだろう。
勿論、将来に対するビジョンなど有る訳ではなく、経済界の誰かが言った程度のことを、ただのオーム返しで口から出任せに過ぎないだろう。
大体、原発の事実を知って後に、それに賛成するのは常識的に原発ムラ人以外には無いだろう。
勿論、自民もムラ人として相当な利益が得られるのだろう。
いずれにしても、自民の当選者が多かったのは、大多数の民意とは関係無しに選挙方式のトリックに過ぎない。
こんな選挙システムしか作れない国が民主主義などとは笑止千万である、と民主主義を自分達の手で勝ち取った国からはバカにされないだろうか・・・・
このシステムを変えられない国会議員と、それを選んでいる我々も民主主義などと軽々しく発言し、実は民主主義を冒涜しているのではなかろうか・・・・
要するに、封建社会から民主主義がどうして生まれたのか、何の実体験もなく、単なる観念に過ぎず、何も分かっていないのではないだろうか、と思ってしまう。
しかし、いくら忘れっぽい国民と言えども、3年前の選挙は、一時の感情で自民を見限った程度ではあるまい。
上記の数字にはそれが示されていると思えるのがせめてもの救いである。

昨日は民主党衆議院議員・松崎きみあき氏のタウンミーティングに行ってきました。
メインテーマは原発です。
松崎氏は「原発は人間が扱ってはいけない技術でる」と断言し、「脱原発を70%の人達が思っているという認識である」とも発言した。
しかし、再稼働は反対と明言したのにもかかわらず、2030年末までにゼロを目指すと、政府の発表と同じ発言をし、何とも歯切れが悪いものでした。
参加者の奈良氏から大間原発の建設を政府が認めたのは30年代を過ぎても動かすことになり、言っていることの整合性がないのではないか、との批判に対して答えは得られなかった。
また、原発ゼロにする為にはいきなり自然エネルギーで置き換えられない場合もあるから、その間に電気エネルギーをどうカバーするかの具体的な計画案を聞いたがハッキリしなかった。
松崎氏の「原発は人間が扱ってはいけない技術でる」と「脱原発を70%の人達が思っているという認識である」と明言したことは至って評価できるのだが、それを実行しうる為の民主党として方策は以上のように至って曖昧であり認めるわけには行かない。
原発の再稼働は、今でも処理する事が出来ず溜まっている強毒性の核廃棄物を、更にこの狭い国の中に蓄積することになるので、その理由一つで再稼働すべきでないことは当然である。
だとすれば原発に依存しない電気エネルギー社会をどう作って行くか、具体的な幾つかの案があって然るべきだろうが、民主党はそれを明示していない。
それでは案が作れないのかというとそうではあるまい。
今その案を作ってしまうと、原発を維持するよりも圧倒的に安い予算で今のエネルギー社会が成り立ってしまうことが証明されてしまうからであろう。
そうなれば勿論原発の再登場の可能性は完全に失われてしまうことになる。
それを阻止しているのは電力業界から恩恵を受けている御用学者、産業界、特に原発メーカーや原発建設会社、今までそれを担当し、単に継続維持したいだけの変化を嫌う官僚、そこに住んでいるというだけで金が得られる原発地元、それに原発関連産業で働いている従業員の組合、そしてそれらを票田としている変革に度胸のない政治家などであろう。
それにアメリカの圧力が更に大きいのだろう。
この狭く地震の巣である日本にあえて原発を高密度で作る事を推進したのはアメリカである。
日本のエネルギーの問題ではなく日本に弱点を作っておく戦略とも取れる。
そうであれば、脱原発は一筋縄ではいかない。尋常な手段ではどうにもなるまい。
エネルギーの方向を検討する立場にあった古川元久国家戦略相が降ろされ、その後マスコミ上にも出なくなった様に思う。
それもとても気になる。
民主党の中で脱原発にもっともまともな発言をしていたように思う。
彼が力を持てば少しは変わるのかなと思ってた矢先なので残念であると同時に、かなり大きな圧力が掛かったのだろうと思う。
その辺のことを松崎氏にも聞いて見たいと思うが、果たして本当のことを喋ってくれるかは分からない。
いずれにしても松崎氏は「原発は人間が扱ってはいけない技術でる」、「脱原発を70%の人達が思っているという認識である」と明言した訳であり、そうであるなら、このまま民主党に止まるべきではなく、「原発は人間が扱ってはいけない技術でる」を原点にして新しいグループを作るべきだろう。
今、明確に10年で原発を全廃すると言っているのは小沢氏だけである。
橋下氏は民主党と同じ30年代と言っているので曖昧で当てにならない。
10年と言っている小沢氏にはきちんと具体的な工程計画を示してもらいたい。

安倍晋三自民党党首(総裁という言葉は全く似つかない)が、原発ゼロを目指す野田政権の方針は「無責任」と発言した。
どちらが無責任だろう。
経済活動という抽象的な屁理屈以外しか示せないくせに、これからも原発を動かそうという方がよっぽど「無責任」ではないか。

経済界から票が欲しいからなんだろうが、そんなけちな根性に力を入れるのは良いが、肝心の核廃棄物処理の問題も、プレートが重なり合っている問題も、それにより想定外の地震や津波が起こる問題も、一旦事故が起こればどんなに労力を費やしても多くの人達の人生を台無しにしてしまう問題も・・・・何一つ解決していない。
それなのに原発を動かさないのは「無責任」なのだというが、経済界の前でよい子ぶって軽々しく発言するその無責任さに何とも腹が立つ。
原発とはそもそも、今、言われている危険さなどは全く検討もせずにスタートしたものであり、本来は人類が手を出すべきでない技術であるが、票取りの為にまだ利用しようという精神で、よくもまあ「美しい国、日本」などとヌケヌケと言えたものである。
もっと心が美しくならないものだろうか・・・・
この国の未来など考えず、ただただ現状維持だけをしたい原発ムラが動いている日本が何で美しい国なんだろう。
東京湾や伊勢湾や大阪湾という、最も消費地に近い便利な所に作る事が出来ない、詰まり至って危険であると認識しているにもかかわらず原発が50基もあり、処理の出来ない強毒性の核廃棄物がこの人口密度の高い国にどんどん溜まって行く現状が何故「美しい国」なんだろう。
核ゴミが野積みにされかねない「汚い国、日本」ではないだろうか。
原発が無いと電気代が上がり、日本経済が駄目になり、空洞化が進むから原発を動かし現状維持をしろという程度の屁理屈を言えば、無知の大衆などは簡単に騙せると思っている「愚かな権力者がいる国」ではないだろうか。
そんな連中がいる国であるが、「これが結論!日本人と原発」を書かれた竹田恒泰氏のコンバインドサイクル発電に触発されてちょっとある計算をしてみた。http://izena.blog95.fc2.com/blog-entry-404.html#

現在、日本で行われている火力発電と原発を高効率のコンバインドサイクル発電に置き換えたら燃料の使用量はどうなるかということである。
この本に書かれている通り、コンバインドサイクル発電は天然ガスを燃料とした火力発電である。
火力発電の中でも天然ガスは最もCO2の排出が少ない化石燃料である。
そのこともあり、発電所は最も消費地の近くに作ることが出来、送電ロスも最小にすることが出来る。
しかし、所詮、化石燃料であるから枯渇することは何ら他の化石燃料とは変わらない。
いずれにしても人類は最終エネルギーを太陽に100%依存する社会を作るしかないのであり、今はそれに向かい始めた時代である。
コンバインドサイクル発電は化石燃料文明の最後のシステムであり、目の前に太陽エネルギー文明が近づいている証拠でもある。

2009年の日本の発電力は 水力:8.1% 石炭火力:24.7% LNG火力:29.4% 石油などの火力:7.6% 原発:29.2% 新エネルギー:1.1%であり、化石燃料を使う火力発電の合計は61.7%である。
原発も入れると90.9%が所謂蒸気の力をタービンに入れ、発電機を回して電気を生み出す発電方式である。
これを元にちょっと乱暴な計算をしてみると面白い結果になる。
先ず、61.7%の火力発電の発電効率を40%とすると、その時使う燃料は相対値であるが154.24となる。
次に火力発電全てと原発を足した90.9%の電力を効率60%のコンバインドサイクル発電に置き換えたとすると、その値が151.5となる。
詰まり、今、原発を含まない火力発電所で使っているエネルギー量と、原発を含めた90.9%の発電を効率60%のコンバインドサイクル発電に置き換えると、大体今までの原発を含まない火力発電に掛かったエネルギーだけで足りてしまうことになる。
原発を全て止めてコンバインドサイクル発電に変えると、電力は今まで通りで、少なくともCO2は原発に頼らない方が減ることになる。
それに原発を止めた分だけCO2も更に減ることになる。
何のことはない、原発などに莫大な安全対策費を投入する暇があったら、コンバインドサイクル発電の更なる効率化と、メタンハイドレートの採掘方法の実用化に金を使うべきである。
コンバインドサイクル発電は僻地に建てる必要は無く、各自治体が各々持って良いのかも知れない。
そうすれば送電ロスも無く、地域の雇用を生み出し、自分達の電気は自分達で作ろうということになるから、市民のエネルギー意識も高まるだろう。
そうなれば何と言っても国防上の問題も安心できるだろう。
原発が50基もあるということは、原爆を50発も海岸線に設置してあるのと同じ事である。
何処が相手になるか分からないが、原爆を持っていない国でも日本に対して核攻撃が出来る事に成るのと同じである。
そう考えると、この国は全滅賛成と言っているようで随分脳天気な国だ。
21の指定都市、768の市、747の町、184の村がその地域の特徴に合わせて独自に電気を調達する国になれば、エネルギー面に於いてどんな災害に対しても、万が一何らかの攻撃を受けても至って頑丈な国になるのではないだろうか。
それこそ地域の風土を生かした「美しい国、日本」に成るのではないだろうか。
原発を動かしておいて「無責任」だとか、「美しい国、日本」など軽々しく発言すべきではない。


安部党首が威勢の良い発言をしている。
特に気になったのは「経験のある自民党・・・」と言っていることである。
3年前に何が起こったのかもう忘れちゃったのだろうか。
長い経験のあるはずの自民党に圧倒的なる「ノー」を突きつけられたのが3年前である。
どうしてなのか、そのことについては何も触れていない。
何の反省もしていない様に感じる。
それでいてニコニコ顔だけでは随分能天気な話しだ。
二大政党が成り立つ為には「反省」が基本だ。
負けて反省して、進化して、そして取り返すという切磋琢磨に意味がある。
自民は何を反省し、何処が進化したのかきちんと表明すべきである。
民主が駄目だからしょうがないから自民、何ていうのでは二大政党になった意味はないし、そんなことで票を取ったのであるなら自民党は恥じて自分から辞退すべきだ。
議員のプライドとは何なんだろうか・・・・
反省のない自民党であるなら、選ぶに値しない。単に、民主党が上手く行かなかったことにつけ込んでいるだけだ。
大体未来に向かうエネルギー政策一つ出来ていないんじゃないのか。じゃあ民主が良いのかというと、とても「イエス」などは言えない。
今のままではどっちもどっちだ。
それなら他にあるかというとそれも何とも言えない。
選ぶ政党がないほど今の日本の政治は地に落ちている。
既存のパターンを受け継ぐことしか知恵が回らない二世三世議員がやっている以上、そんな程度だろう(親の代から地元に利益をもたらしてくれるなどという事だけで、そんな奴らを選ぶな!)。
そうであるなら、民主党に一期目を大いに反省させ、それを公表させ、もう一期やらせるしかないと思う。
そうでなければ日本の政治は何時まで経っても単に票集めのみに汲々としている四等政治国家であり、その地位は揺るがない。

2012/9/27朝日新聞/社会面
「安部さん再登板に一言」で新右翼団体「一水会」顧問鈴木邦男氏が発言している。
「中国や韓国に厳しいメッセージを発するよう期待する一部の国民に、軽々しく乗せられてはならない。常に国益を意識して発言し、行動すべきだ」
 安倍氏が目指す「闘う政治家」を体現しようとする際にのぞく、強硬な一面に対して、
 「たとえ国民の一時的な熱狂を敵に回しても、『まずはアジアの平和を実現するんだ』との姿勢を貫くくらいであってほしい」と述べている。
勇ましいだけの発言に同調するのではなく、こういう冷静な日本人であって欲しいと思う。
一部の勇ましくがなりたてている発言など無視すべきである。

もう一つ
「〈高橋源一郎〉変化を求めて■「暴論」じゃない、まともだ」に孫崎氏の「領土」に対するドイツの対応の仕方(孫崎享著 「戦後史の正体」より)が書かれたいた。この国の発想が戦前と変わらないのに対して、ドイツはどんどん先に行ってしまう感じである。原発対策もしかりである。ヨーロッパは国境を接しているため、原発事故は隣国に対しての問題でもあるが、島国の日本国民に国境の意識などなく、まして隣国への配慮などは育ちようもない、という違いが有るのかも知れない。

論壇時評「暴論」じゃない、まともだ」の一部抜粋
今月はなんといっても「尖閣」「竹島」を中心にした領土問題が論壇誌だけではなく、メディアの報道の中心となった。そして、その多くは「我が国の領土」を守るために、どのように中国や韓国に対するか、というものだった。中には、「日中もし戦わば」といさましいものまである。その中で、異彩を放っているのが、元外務省国際情報局長・孫崎享(うける)の発言だ。孫崎さんは、いざとなってもアメリカは尖閣を守ってくれない、という〈2〉。あるいは、豊富な資料をもとに「尖閣諸島は日本古来の領土である」という前提には根拠がない、ともいう〈3〉。まことにもって、ギョッとするような「暴論」ではありませんか。しかし、孫崎さんは、「領土」問題に関しては専門家中の専門家なのである。
 たとえば、同じ敗戦国のドイツは、「領土」に対してどんな態度をとることにしたか。敗戦後、ドイツは、膨大な国土を失った。人の住まぬ岩礁ではない。ドイツ語を話す人々の住む土地を、である。だが「ドイツは歴史の中で新しい生き方を見いだした」、「失ったもの(領土)は求めない、その代わり欧州の一員となりその指導的立場を勝ち取る」ことにした、と孫崎さんは指摘する。そのドイツの戦後の「国家目標」が、ぼくたちの国では「暴論」に聞こえてしまうのが、なんだか哀(かな)しい。

片山さんは、いちど「内閣などをぜんぶ、女性に変えてしまう」ことを提唱していて、それは、「子供を産むとか、育てるということを本気で考えていない男の社会」がかくも悲惨な結果を招いたからだというのだが、これも、ぼくには「暴論」ではなく、ものすごくまともな意見に聞こえるんですけれどね。
 最後に、教育のことを。内藤朝雄は「いじめの蔓延(まんえん)」を食い止めるために、「法の介入」と「学級制度の廃止」を提案し、同時にその実現は困難をきわめるだろうと書いている〈7〉。これを読んで、「学級制度の廃止」だけではなく、さらに進んで、学年も、試験も、宿題も、通知簿も廃止して、その結果、いじめを実質的に根絶している、「きのくに子どもの村学園」の学園長、堀真一郎さんと話した時のことをぼくは思い出した。そのあまりにラディカルな(つまり「暴論」といっていい)教育理念を、文部科学省は支持してくれて驚いた、と堀さんは言った。「抵抗があるのは、実は、現場の自治体や教師や親の方なのです」。ぼくたち自身の中に、「変化」を拒むなにかが存在しているのだ、と。

片山さんの「内閣などをぜんぶ、女性に変えてしまう」・・・大賛成である。第一面白い。
人間は受胎して細胞分裂を起こし、先ずは女性になり、それを経てそこから男になる者は男に変化して行くというのを読んだことがある。
これは関係ないだろうが、今までの男が牛耳る社会は常に最後は殺し合いである。
今回の島の問題もその方向を向いて相も変わらず威嚇し合っている。
威嚇は猿でも犬でも鳥たちでもしている。
威嚇するなどということで解決を図ろうというのはそのレベルと変わらない。
もう少し進化したらと言いたい。
民主だ自民だなどと代わり映えのしない選択をしている暇があったら、本当は「女性内閣」の試みをしてみた方がよっぽど楽しい気がするが・・・・

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