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今まで書いてきたように、どう見ても太陽電池はこれからの時代に絶対的な必需品だと思うのだが、補助金を打ち切るなど日本政府は、むしろ逆方向を向いている様に感じる。このまま化石エネルギーを使い、二酸化炭素を出し続けることが地球環境にとって成り立たないことは周知の事実であるにもかかわらず、太陽電池に対する補助金を中止して何に金を使おうと言うんだろうか。20070730073708.jpg一般通念から言ったらますます増えて当然だと思うのだが(まてよ!まさか特殊法人か何かの退職金?それとも天下りの人員増加のための給料用ではないでしょうね???)。人類の生存があと100年で良いのであれば、どんなエネルギーを使っても良いかもしれないが(勿論、だめですよ!)、これから1000年も2000年も・・・・1万年も、それ以上存続して行こうというなら、これまでのように、どんなエネルギーでも良いというわけにはゆくまい。だとしたら何があるのか?太陽電池以外に二酸化炭素を出さないで、常識的な観点から危険性もなく、安全で半永久的に継続できるエネルギー源は他にあるんだろうか。(勿論、風力発電も水力発電も太陽エネルギー利用なので二酸化炭素は出さないが)もっともっと力を入れるべきなのだと思う。もしかして原子力に全部切り替えることで二酸化炭素排出の問題にけりを付けようと言うんだろうか。それとも核融合炉なのか、核融合炉でエネルギーの問題は解決すると言われているが、実用化にどれだけ時間が掛かるか分からないし・・・・確か原子力の時も同じようなことを言っていたんじゃないだろうか??20070729222604.jpg
人類が太陽エネルギーと決別して石炭エネルギーの方を選んだ時、もしかしてバラ色の未来が約束されると信じたんじゃないだろうか・・・・石炭から石油に変換していったときにも、ますます太陽エネルギーはいらないと確信し、永遠なる希望に満ちた未来社会が約束されたんだと錯覚していたんじゃないだろうか・・・・その結果が温暖化なのに、太陽エネルギーに頼らなくても何とかなると・・・・また同じ繰り返しにならないようにしなければならないだろう。20070730071448.jpg地球には太陽というメンテナンスフリーで四六時中途切れることなく、エネルギーを供給してくれている自然の核融合炉がある。今こそ、その利用するシステムを全力で開発する必要があるのではないだろうか。国際宇宙ステーションを支えている、安全なエネルギー供給システムである太陽電池こそ、これからの地球にも必要なのだと思う。もう悠長な議論をしている暇はないだろう。孫のためにも・・・・

・・・・次回に続く


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20070727070830.jpg新築は樹木を切り、光合成の息の根を止めてから始まる。
私たちはそのことも考えながら家を設計し、建てなければならない時代に入ったのではないだろうか。樹木の息を止めるということは二酸化炭素の吸収を止め、地球環境に酸素の供給を止めることであり、それは一部の光合成活動を消滅させることである。
そのことをもう少し肝に銘じて建築を考えるべきなのではないだろうか。
また、国際宇宙ステーションに戻るが、もしステーション内の空気の浄化に植物の光合成(二酸化炭素を吸収して酸素を供給する)を使っていたら、その植物を伐採する(殺す)ことは、ステーション内の生きていくことのシステムを破壊をすることになり、そこに暮らす人たちの命を奪ってしまうことは明白である。20070727070439.jpgスケールは違うが時間軸を縮めたら地球においても同じことが起こると言えないだろうか・・・・
新築時、使用した木材の分を本来は植林して復旧させなければならないのだが、それが出来ないのなら、せめて木材が吸収していた分の二酸化炭素は、生活から発生させないという価値観を持つ必要があるのではないだろうか。
その具体策の一つに太陽電池の設置があると思う。太陽電池の設置だけで、植物に取って代われるわけではないが、一種の模擬植林的行動と言っても良いのではないだろうか。二酸化炭素を吸収しないまでも、せめて、新築により始まる新しい生活から発生する二酸化炭素の排出量の一部を、太陽エネルギーによって削減する効果があるからだ。
皆さ~ん!自宅の屋根の上に太陽電池を植林して、町全体を太陽電池の森にしよ~う!20070724070305.jpg

・・・・次回に続く


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直径が100倍以上違う太陽と地球の関係を俯瞰してみると、地球は常に太陽の莫大なエネルギーに曝されていることが分かる。しかも24時間で自転しているため、どの面も均等にエネルギーを得ることができるような公平なシステムになっている。20070723060928.jpg
20070723060902.jpg今、こうやって太陽系を俯瞰できる視点を人類は獲得し、太陽の存在の有効さを実感できるようになったのだから、エネルギーに対する価値観を大きく変える必要があるのではないだろうか。
太陽に曝されている地球が選択するエネルギー消費システムは、メンテナンスフリーでほぼ永久に稼働する、自然が用意してくれた核融合炉である太陽からのエネルギーで支えるべきだろう。それがいたって合理的ではないだろうか。
人類が太陽エネルギーを意図的に、積極的に使わず、地球内から掘り出した化石燃料を使い文明を成り立たせたことは、これから滅びるまでの人類史の中でかなり特異な時代だという気がする。今が常識だと信じている現代は、実は歴史上においていたって希な時代だということなのかもしれない・・・・
石炭石油を主なエネルギー源としている現代を挟んで、それ以前はありのままの太陽エネルギーを利用した時代(無意識的利用時代、風土になじんで生活した時代)。現在は利用しない時代(太陽エネルギー、つまり風土を無視して強引に突っ走った時代)。20070723061151.jpgそしてこれから来る未来は意図的に太陽エネルギーを利用する時代(風土を現代の目で新しく捉え直し、そのエネルギーだけで社会と生活を成り立たせる時代)と言えるのではないだろうか。200万年以上の過去から、これからも何百年? 何千年? 何万年?続くか分からないが、人類が発生してから滅びるまでの長い時間の中で存在したこの200年(戦後の新しい価値観だったら5~60年に過ぎない)は、ほんの一瞬であり、「エネルギーは金で買う物」ということがあたかも常識であるかのように錯覚した、非常に特異な価値観の時代なのではないだろうか。そう考えると今、私たちが後生大事にしている価値観とは何なのだろうかと考えてしまう。少なくても人類の根源的、普遍的価値観ではあるまい。もしかしたら、石炭や石油の海に浮いていることに気が付かず、脆い泥船の船上で浮かれ騒いでいるはかないファッションに過ぎないのではないか・・・となると、その価値観を前提にして成り立っている今の生き方や社会とはできるだけ早く決別した方が良い、ということになる。そうだとすると、太陽エネルギーを我々が使いやすい電気に直接変換してくれる太陽電池は、新しい時代の切り札だと思うのだが・・・・
温暖化を本気で食い止めるためにはそれしかないと思う・・・・

・・・・次回に続く







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太陽電池の開発により、エネルギー問題は基本的に解決できるのだと思う。ほとんど無限(恒星である太陽には寿命があるから厳密には有限)な太陽エネルギーからいくらでも電気が作れるようになるからだ。(勿論、暖房のように熱が必要なものは、わざわざ電気に変えず太陽熱を直接使えばよい)木材や石炭・石油などを直接燃やした燃焼熱からエネルギーを取り出さなくて済むということは、いたって画期的なことであり、人類史上、最大の革命的出来事といっても良いだろう。
現在、国際宇宙ステーションが地球の周りを回っており、そこでエネルギーを使いながら宇宙飛行士が生活している。人間が生活するために、酸素と水と食料は欠かせないが、エネルギーがなければどんな行動もすることが出来ない。ステーションは人間が作った人工物とはいえ、宇宙に浮いているのだから地球と同じ天体と言える。そこのエネルギーはすべて太陽電池でまかなわれている。複雑なメカニズムの火力発電ではないし、勿論原子力発電も選択されていない。20070722123241.jpg
これらはメカである以上必ず故障は起こるわけで、もしもの時には危険だからだろう。それに比べ、スタティックな構造である太陽電池が使われているのは動くメカ部分もなく、いたってシンプルなため、振動も起こらず、あらゆる面で故障し難く、ほとんど危険は無いからだろう。
国際宇宙ステーションは、勿論有限な空間である為、その中には有限の空気(酸素)しかない。地球は国際宇宙ステーションに比べればとてつもなく大きいが、同様に有限の空間に、有限の空気しかないことには変わりがない。ここで、例えば、どんなに高性能な火力発電システムがあったとしても、有限の空間しか持っていない国際宇宙ステーションの中では利用するという選択はないだろう。何故なら、上記の理由がある上、誰が見ても空気が汚れてしまうことは予測できるし、汚れた結果何が起こるか予測できるからだ。20070722122810.jpgこのように、結果が直ぐに予測できる場合、人間はいたって適切な選択をすることができるのだと思う。地球においても同じ様に、もし結果が予測できていたら(温暖化により環境が大きくダメージを受け、人類の生活が今まで通り立ち行かなくなること)化石燃料による火力発電システムを含め、化石燃料を燃焼させて熱エネルギーを取り出すという選択をしなかったんじゃないだろうか。勿論、車もしかりである。つまり石炭・石油の炭化水素系物質は燃料として燃して二度と使えなくしてしまう(そればかりか二酸化炭素も含めて、かなりの有毒廃棄物も出る)のではなく、プラスチックや薬品などをつくる非常に大切な原料として、リサイクルを繰り返しながら人類が滅びるまで使うという選択をしていたんじゃないだろうか・・・・

・・・・次回に続く

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地球は太陽からのあらゆる種類の莫大なエネルギー(電磁波)に46億年前から曝されているが、私たちが利用している太陽エネルギーは、主に太陽「光」エネルギーと太陽「熱」エネルギーの二つである。その他のエネルギーは空気層やオゾン層によってほとんど吸収されたり、地球磁場の効果により私たちのもとには届かない。20070723062848.jpg(例えば、紫外線はオゾン層によりその大部分が吸収されるため・・・というよりは吸収されるように成ったため、私たち陸上生物がが地上に生きられるようになったのだが、なんとなんと人間は地上で生存してゆくための、その最も重要なオゾン層を破壊しつつある。文明の進化とは、温暖化を含めて、どうして自分で首を絞めるような方向に向かうんだろうか???どう考えても不思議でならない。一体全体人間の遺伝子は、人間をどこに向かわせようとしているんだろうか・・・・)だから地球上には、たぐい希なる生物圏が広がることが出来た。
太陽「光」エネルギーとは生きていく上で欠かせない「明るさ」のことであり、同時に全ての物に「色」を与えてくれる電磁波である。太陽「熱」エネルギーとは、赤外線、いわゆる熱線と言われ、これもまた私たちには欠かせない「暖かさ」を与えてくれる電磁波である。同じ電磁波でも、「光」の方が「熱線」より波長が短く、その為、地球上の生物に対しての役割が違う。あらゆる生物は必ず何らかの栄養分を取らなければ生きてはいけない。勿論、私たち人間も動物や植物を食料にして生きている。20070713072715.jpg
その栄養分の原材料は全て光合成によって作られている植物である。私たちは光合成をする植物があるからこそ生きていることが出来るのだ。その光合成は太陽「熱」エネルギーにより作られた暖かい環境の中で、太陽「光」エネルギーによって効率よくなされている。つまり植物とは、太陽「光」エネルギーを直接食物に変換する変換システムと言うことができる。生物は太陽「光」エネルギーを「明るさ」としてだけでなく、食料の原点として利用しているのである。「光合成」とは自然が作り出したいたって効率の良い唯一の「光」電磁波変換システムなのだ。このように人間は、太陽「光」エネルギーに対しては「明るさ」と「色」と「光合成」の恩恵に預かってきた。特に「色」は人間に美しい自然の景色を与えてくれ、人間らしい感性を育ててくれた。(太陽「熱」エネルギーは地球上を平均15℃ぐらにして、住みやすい環境を作ってくれている)新たに太陽電池を人間が作り出したことにより、太陽「光」エネルギーを直接「電気」に変換して利用するという道が開けることになった。
これは「電気」までもが太陽「光」エネルギーの恩恵にあずかれるようになったと言えるのではないだろうか。そのシステムはまだまだ自然が作り上げた効率の良い仕組みの足下のも及ばないが、シアノバクテリアが光合成を始めてから遅れること27~8億年で、人類は曲がりなりにも太陽光エネルギーを直接「電気」に変える、太陽電池システムを開発するまでに漕ぎ着けた。そういう意味で太陽電池開発は人類にとって、いたって記念すべき出来事だと思う。

・・・・次回に続く



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ブログを二つに分けました。
一つは「izenaの社長ブログ」です。考えたこと、気が付いたこと、を気ままに書いてみようと思います。
二つ目は「izena博世・住まいの大研究」としました。特にアクアレイヤーを通して学んだことを、実際にどうしたらよいのか、対話形式で書いてみたいと思います。
二つに分けたのは、イメージがだいぶ違うから、というぐらいであまり大きな意味はありません。
内容もオーバーラップする部分も出るかもしれませ。
両方ともホームページから入れますし、各々のリンクリストに入っています。
今後ともお読みいただければ幸いです。

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太陽電池は1954年にアメリカのベル研究所で開発された。今から53年前である、私が小学校3年生の時ということになる。その前年に日本でテレビ放送が開始され、同じ年にシャープが白黒テレビを発売した。翌年にはソニーがトランジスターラジオを発売している。日本太陽エネルギー学会は1975年に発足した。太陽電池が開発された1954年は人類にとって、大いに記念すべき年だと思う。
しかし、太陽電池を実際に個人が購入することは、その何億という価格から全く高嶺の花であった。いつだったか正確なことはほとんど覚えていないのだが、確かキャノン(間違いであったらごめんなさい)だったと思うが、1ワットあたりの価格がかなり安く成るということを新聞に発表したのを見て、「これでやっと太陽電池の時代が来るぞ」とても胸がワクワクしたことを覚えている。20070719223128.jpgその後、1994年に太陽電池に対する国の補助金が始まることになった。早速5Kwタイプを申し込んだが翌年の8月にやっと工事が完了した。途端に自宅が発電所になり、そこの所長に収まることになった。何とも良い気分だったことを覚えている。年間の発電量は4000~4500Kwhぐらいだったので、12年間合計48000~54000Kwhの発電したことになる。何といってもこの発電分は二酸化炭素を出さなくて達成されたものである事を自慢したいことと、もう一つすごいことは、発電所の所長はほとんど何もしていないということである。要するに太陽電池が勝手に発電してくれたのであり、これはいたって重要なことではなかろうか。もし、自宅でこのくらいの薪火力発電機を12年間動かしたら、どれだけ手間が掛かっただろうか。光合成のように水や養分や二酸化炭素が無くても、太陽電池は太陽からの光電磁波をちゃんと電気に変換してくれた。同じ太陽光エネルギーの直接変換器として、効率では光合成にかなわないが、太陽電池の方が非常に優れた面もあると言える。
・・・・次回に続く


20070718175219.jpgまた地震が大きな災害をもたらした。日本はプレートのせめぎ合う位置にあるため、地震災害はいかんともし難い宿命にあるのだろう。しかし、そういう地理的条件にあるため、沢山の温泉が吹き出し、神代の時代から私たちを楽しませてくれているとも言える。多分そんなところから日本人の風呂好きが形成されたのかもしれない。とは言え、大きな地震により必ず発生する災害は何としても出来るだけ小さくする努力をしなければならない。土砂崩れによる大きな地形の変化は一瞬にして人命を奪ってしまう。建物の倒壊と、それにより発生する火事もまた非常に恐ろしいものである。阪神淡路大震災の際の火事が何千人もの命を奪ってしまったことは記憶に新しい。地震災害がこの日本に住む以上避け得ないものであるなら、万が一遭遇したとき、そのダメージを最小限にする努力は必要であろう。今回の中越沖地震に被災され、特に体育館などで避難生活を強いられた人たちの多くの方が、インタビューで「生活水」の不足をあげられていた。このことは今回に限ったことではなく、大地震の度に必ず繰り返される話である。阪神淡路大震災の時もそうだし、中越地震の時もそうだった。正に、二度あることは三度ある、ということだが・・・と言うよりも「前からいつも問題だったことは、反省されることがないからまた問題になる」と言う諺に変えた方が良いんじゃないかと思ってしまう。私達は普段の生活の中で、余りにも自由に、ふんだんに水を使っている。そんな中では水のありがたさに麻痺してしまい、往々にして甘い判断をしてしまいがちなのではないだろうか。「二三日ぐらい顔や手を洗わなくたって平気だろう」とか、「風呂に入らなくたって死にゃしないよ」とか、漠然と軽く考えてしまうようなところが有るように思う。それが「前もって用意しよう」という切実感を生み出さないのではないだろうか。人間はとっても頭が良いにもかかわらず、その場になってみないと何事も理解できないという、かなり確固たる普遍的な性格をも持っている。(特に「公」と付くところはその傾向が非常に強い)結局こういう問題は誰も当てにせず、出来るだけ個人レベルで自己防衛するしかないんじゃないかと思う。命がなくなってしまったら文句を言おうにも言うわけにはいかないし、全く後の祭りになってしまっては、元も子もなくなってしまう。命がなくならないまでも、毎度問題になるこの「生活水」の問題ぐらいは何とかならないかと思う。20070718180118.jpg
イゼナのアクアレイヤー床暖房(http://www.izena.co.jp/)は自然で快適温熱環境を作り出すために非常に沢山の水道水を床材の下に使用している。イゼナでは非常時にこれを何とか利用できないだろうかということから、アクアレイヤー床暖房を設置し、尚かつ、非常時に床材の一部が手で簡単に外せる構造を採用されたお客様に対して、20070718175151.jpg
20070718175123.jpg無料で「水汲み出し用セット」(左写真、下の写真はそれを使って汲み出したところ)をプレゼントすることにしている・・・が、なかなかそこまで用意周到な方は本当に少数である。何かあれば、1トンや2トンの水は部屋の中で直ぐ確保できるのに・・・・
その場にならないと理解できない、頭が良いはずの人間の性格が地球温暖化対策に本当に対処できるんだろうか・・・・





20070715185745.jpg20070715185800.jpg20070715185825.jpg20070715185846.jpg20070715185906.jpg20070715185937.jpg20070715190020.jpg20070715190048.jpgトレンクルの旅でより行動的な計画を実行するためには、宅急便の利用が欠かせない。トレンクルや荷物を先に運んでもらっちゃう訳なで、行きも帰りも手ぶらでノンビリとした計画が立てられる。トレンクルがいくら軽いといっても、もう若くないからだろ、荷物を含めて持ち歩かなくて済むなら、そうしたいと思ってしまう。やり方はこうだ。先ず運送してもらうための箱を作る必要がある。これは専用の箱など無いので5.5mmのベニヤで自作しなければならない。寸法は宅急便の最大寸法である、3辺の合計が1600mmに成るようにした。外寸で高さ620mm、横610mm、奥行き370mmで合計1600mmになる。これで見事にぴったりトレンクルが入る。無理すればもう何ミリかは減らせるかもしれないが、ほぼぴったりなのでこの寸法がよいところだろう。宅急便で運ぶことまで考えて開発したわけではないだろうけれど、これもまあトレンクルのすごいところだと思う。それではこれをどう使うかというと、先ずスタート地点に送らなければならないので、その近くの宅急便配送センターを探さなければならない。次に旅の終着地の配送センターを探しておく。ほとんどの所が翌日か翌々日に着くが、安全を見て一日余裕を持って発送しておく。スタート地点でトレンクルを受け取ったら、その箱は勿論空で終着地の配送センターに送ってしまい、到着するまで保管しておいてもらう。このことは念のために前もって連絡しておいた方が良いだろう。そしてまた箱を受け取り、その場でトレンクルを詰めて自宅に送り返して一巻の終わりである。後は最小限の軽い出で立ちで、今走って来た旅を思い出しながらのんびりと帰れることになる。
箱への入れ方を説明する。先ず、ペダルを外してしまう。これは写真のように手で簡単に外せるタイプに変えてある。次に左側のハンドルバーを外し折りたたむ。このときクランクは上に成らないようにする。箱に入れ、スポンジ状のパッキングをフレームが折れた部分と箱の間、前後車輪の車軸と箱の間に入れる。できるだけ持ち物を減らすため、かさばる荷物も一緒に箱に入れてしまう。外したペダル、ハンドルバー、空気入れなども忘れないように入れる。ふたをして四隅のビスをしっかり締める。これで完了。後は集荷に来てくれるのを待つだけ、と言うわけだ。
いつものことであるが、出発前にトレンクルを送り出してしまうと、これで計画が実行できるという楽しさと、同時にこれでいよいよ本当に実行しなければならないのだという、後戻りできないという多少追い詰められたような一種の緊張感を感じてしまう。
旅は楽しむために工夫するところがまた楽しいと思う。自分の車で家を出て帰るまで走り抜く根性の旅もあるのかもしれないが、手ぶらで飛行機や新幹線に乗り、目的地でトレンクルを受け取って気ままに走り回り、また運転手付きの乗り物で帰ってくるのも自由で楽しいものだと思う。騙されたと思って試してみても損ではないと思うのだが・・・・
(わざわざ箱を作ったのは絶対に安全を期したからである。傷など気にしなければ袋に入れるだけでも良いのかもしれない)
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20070714131456.jpg現在の自宅を新築したのは1988年の6月である。その前は27歳の時に選んだ某プレハブに17年間住んだ。建築の勉強をしたわけではないので、勿論、全くのド素人であった。今にして思うと、それまで住まいに関してなど何も考えたことがないのに、よくもまあ分かったような顔をして、展示場で家を選択し色々と打ち合わせたものだと、感心するより思い出すだけで恥ずかしくなる。当然の結果として、今までの人生の中で失敗した買い物のトップクラスの一つに成ってしまった。但しそれからの人生のためには大いに勉強になった。追々思い出しながらまとめてみようと思うが、今回は今の家の外壁について、当時いろいろ悩み、選択に至った経緯を書いてみたい。最初に某プレハブで建てたときの外壁はモルタルにした、というより種類を選択する余地はなかったように思う。そして住んでから初めて知ることになったことは、モルタルはかなりの頻度で防水メンテナンスをしなければならないことである。20070714131551.jpg
家の仕様を決めるとき、そんなことは誰も言ってくれなかった。まあ、知らなかった方が悪いんだろうが、勉強するには金が掛かることをつくづく感じさせられた。そんな痛い目にあったため、今の家に立て直す時に外壁の選択に対しては非常に気を使った。まず最初に選ぶ基準にしたことは、当然ノーメンテナンスである。勿論コストもあるが、先ずは住んでから金が掛からない様にするためには何が良いのか考えた。20070714131434.jpg 非常に長い間変質しにくい材料は、鉛板、ガラス、ステンレス板、銅板、ガルバリューム鋼板、チタン板など候補に上げ、特に端材(そうじゃないと高いだろうから)が手に入らないか考えた、が結局玄晶石に行き着くことになった。決め手となった理由は、東京駅の屋根に使われていたことである。屋根に使われているわけだから、どう見ても頻繁なメンテナンスがあるわけがないなと思った。しかし、自宅の屋根には使おうと思わなかった。重さの問題と、より安全側に考えて、日射のあたり具合からいって壁だけにしておいた方がより長寿命だろうと考えたからだ。中国産の緑の玄晶石が手に入ることになり、頭領に相談したところ「今までやったことがないし、面白いね」ということで採用が決定した。60坪の家の全外壁分で3500枚ぐらいになった。19年が経ったのに未だに1枚も割れていないし、雨漏りもしていない。勿論メンテナンスなんか1度もしていないし、特に雨の当たる部分はほとんど汚れてもいない。思った通りになった。雨に濡れると特に緑が濃くなり、屋根の銅板の緑と相まって自然色の美しさに今もとても気に入っている。20070714131521.jpg
以前、某超有名なI設計事務所の若い所員が、我が家のドイツ下見張りの玄晶石を見て「こんなの家じゃない」と言ったのをよく覚えている。彼らのセンスから言うとダサイと言うことだったんじゃないかと思うが、化石エネルギーをいくらでも使えるという前提があってこその設計の価値観が激変しつつある現在、彼はどんな家を設計しているんだろうか・・・・

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前回、トレンクルだけが全てじゃないよということを書いたが、勿論、自転車に対しての思い入れは人一倍ある。こんな簡単なメカと人力だけで、普通に軽くこいで1時間に20Km、時にはそれ以上走ることが出来るからだ。時速20Kmであれば、計算上10時間で200Km走れることになる。その力を出すためのエネルギー源は、握り飯3個と、水と、レモン1個と、あめ玉が少々あれば何とかなるだろう。自転車は、人の声の力を拡大してくれる「拡声器」ならぬ、筋肉力を拡大してくれる「拡力機」であると言える。しかし、いくら拡力されるとは言っても、拡声器のように単に声を出せば済むわけでなく、少し長い時間、力を出し続ける必要がある。その為には、先ずは乗り安くなければならない。次にできるだけストレスなく快適に走れることだろう。そして最後に軽くするためにやっぱり徹底的にシンプルな拡力メカであるべきだろう。メカとは言っても、出来るだけメカをそぎ落とし、必要最低限のメカであるべきだろう。自転車の存在は、あくまでも濃密なメカの固まりである車と対極にあるべきだろと思う。それ故、絞り出したメカのエッセンスだけで構成されるべきであろう。なにしろ、あのガソリンの爆発によるとてつもない膨張力に対して、自転車は筋肉のささやかな収縮力に過ぎないからだ。
また車は、ガソリンさえ飲ませてやれば(勿論、あのメカの性能を出すためにはオイルを含めて色々必要だが)かなり荷物を積んでも、いつでも同じように力を出してくれる。しかし、自転車はそうはいかない。自転車の動力源である筋肉は、脳と直結しているため、周りの状況を見て制御するには至って優れているが、いつでも同じ力を出すということには向いていない。だから筋肉に対する負荷を出来るだけ軽くするために、出来るだけシンプルにすべきなのだ。しかし、物には必ず存在すべき目的と理由があるから、それを満足させるための最小のメカを付加することは当然である。変速機の無いロードレーサーなど存在しない。
ただ、ちょっと知ったかぶりをして「変速機がなければ自転車じゃないよ」と言っていた私が、それは少し違うだろうということを、かなりショックを持って以前に悟らされた経験がある。特に新しい物や状況を作り出そうとする時に、既に自分の中にできあがっている価値観や既成概念を取り外せなければ、それは殆ど不可能になってしまう。20070710063538.jpg



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トレンクル、トレンクルって書いているが、トレンクルが一番良いのだ、トレンクルでないと楽しい旅は出来ない、と言っているんではない。「私たちは旅を楽しむのにトレンクルを利用している」という単なる例を述べているに過ぎず、勿論折りたたみ自転車がなければ楽しい旅が出来ないわけではない。要は「自分流」で旅が楽しければいいのだと思う。しかし、自分が見つけた「自分流」の行動ならなどんな方法でも良いかというと、今後はそうも行かないような気がする。特に住宅は、「自分流」だけでは通用しなくなるのではないだろうか。何故なら、好むと好まざるとに関わらず、住宅とはその中に人が住んで初めて住宅であり(単なる形ではない)、人が住む以上、必ずその中で化石エネルギーを消費を伴うからである。住宅は個人が金を出して造るため、個人の物のように見えるのだが、できた途端に社会的な存在(環境を左右する存在)になってしまう物でもある。そこがこれからは「自分流」だけでは通用しなく成るのではないだろうか。つまり、個人の行動には必ず少なからぬ化石エネルギーの消費を伴い、そのことが個人の行動を左右すると同時に、環境と社会をも左右してしまうからだ。しかし、「自分流」とは、つまり「自分のやりたいことをする」ことであり、それは自然な人間の気持ちのはずなのだが、それの爆発的な拡大が、何だかやばいことに成っているんだろう。
随分と窮屈で難しい社会になってしまった様にも思えるが、新しい基準の「自分流」が試せる社会に成るのだと思うと、かなりわワクワクするのではないだろうか。見方を変えると、新しい文明のスタートラインに専門家も素人も、権威のある人もない人も、プロもアマも平等に並んで「よーいどん」の社会であり、権威が移行する社会であり、人(企業)によってはチャンスであり、人(企業)によっては、うかうかできない社会になるかもしれない。
まあ、化石エネルギーを使わない社会になれば、少なくとも、今より住みやすい社会になるのではないだろうか。
今まで、少なからぬあいだ単に持ち続けてきたというだけの「自分流」が「永久に正しいなんて思っちゃだめだよ!」と開発マンと自認する自分にはいつも忘れないように言い聞かせていきたいと思う。20070702223911.jpg



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旅に出て雨に遭うことは仕方ないことである。日帰りでどんな予約もしない旅であれば、雨が降ったら中止にしてしまえばそれで済んでしまうが、何日かの旅ではそうはいかない。前もって特に旅割の航空券や旅館を予約してしまうと、明日から雨といっても簡単に変更や中止は出来ないし、勿論、仕事もそれに合わせて調整してあるのでますます変更は不可能である。また、旅の途中で思いがけず雨に遭ってしまうこともあるし、いずれにしても雨に遭うことは当然であるという心構えで旅を計画し、実行しなければならない。だからこそ、雨対策を自転車側と人間側の両方で考えておく必要がある。いずれにしても雨が降っても出来るだけ快適な旅をしようということが対策を立てる原点である。
自転車側の対策は6月26日の「トレンクル/泥よけ」を参照していただきたい。20070709224641.jpg人間側は写真のように、自転車用ポンチョと、ゴアテックスのレインパンツと同じくゴアテックスの山用スパッツである。靴はこれも同様にゴアテックスの防水透湿のウォーキングシューズを用いている。いくら他が濡れなくても、靴の中がグショグショになってしまうと何とも不快でいただけないので、防水の靴にしている。但し、靴の中の湿気が抜けてくれないとこれも不快なので、透湿性能を持ったゴアテックスの靴を選んだ。いくら防水の靴でも強い風の日などは縁から雨が入って気持ち悪いので、スパッツでそれを防いでいる。自転車用ポンチョというのはそれだけで雨具として使うことが基本であるが、どんな雨の時でも出来るだけ快適に楽しくしようとすると、レインパンツとスパッツと防水透湿靴の構成になってしまった。(その他に散歩用のコンパクトな折りたたみ傘を持って行く)これでかなり万全な対策のはずだが、実は肝心のポンチョがダメなのだ。勿論一寸した雨なら十分これで対応できるが、少し強く長い時間となると防水処理はしてあっても、縫い目の部分にシームテープがないので、だんだん染み込んでくることになる。20070710051251.jpg
その為、ゴアテックスを買ってきて自分で作ろうと思ったが、何とシームテープを熱溶着できる設備等を持っている企業でないと売ってくれないのだ。そこで旭化成のドリームライトという防水透湿素材を見つけ、シームテープと共に購入した。実はまだ作っていないが、当然、自転車の旅用の理想的な物を作ってやろうと思っている。コアテックスが、どんな性能の製品を作れるのか能力の分からない所には売らないというのは、アクアレイヤーをやっていると非常に良く理解できる。技術が伴わず、防水透湿の劣る製品が作られてしまうと、ゴアテックスの責任にされてしまうからだ。暖房の何たるか、断熱の何たるかをいまだによく理解していないまま設計された家には、アクアレイヤーはお勧めしたくない。いくら熱の逃げる家でも、もし寒ければアクアレイヤーが悪いと言われかねないからだ。





20070630162914.jpg空気入れは自転車の旅で絶対必需品である。快適に走るには空気圧の管理は欠かせないし、空気が減っていればパンクもしやすくなる。空気入れが必要になる原因はいくつかある。釘などによるパンク、チューブからの自然な空気漏れ(トレンクル6500のチューブは軽量化を図ったため特に漏れやすいので、ブチルチューブタイプに交換すべきである。大阪の赤松工房さんで購入できる、http://www.kobo-akamatsu.com/)、側溝の鉄製のエッジなどによるパンク、空気を入れるバルブ分の不具合による空気漏れ、これは聞いた話であるが、長い下り坂においてのブレーキの発熱によるパンク、などがある。但し、空気圧が適切であればパンクは滅多に起こらないが、起こってしまったら当然直すしかない。前にも書いたように、パンク直しの準備として、パッチやゴム糊など補修キットは持って行かず、予備のチューブを1本ないし2本持って行くようにしている。水の中に入れて泡の出ていることでやっと見つかるような小さな穴を見つけることはとても大変だし、見つかったところで、雨の中での修理などになると確実性も落ちるし、ましてや夜などは更に大変になってしまう。それなら一層のこと、穴を探したり、不確実な補修をイライラしながらするよりも、チューブそのものを代えてしまった方が早くて間違いないと思っている。いずれにしてもその後に空気入れが無くては、走るわけにはいかなくなってしまうので至って重要だ。20070707130018.jpg
上の写真は今まで使った携帯用の空気入れである。現在、一番左の物を使っている。使ってみての空気入れの選択条件は、足で踏んで固定できるようになっていること、当然ホースが取り出せてバルブに接続できること、圧力計が付いていること、押し込む方向と握る部分が直角にできること、等である。勿論その上で出来るだけ軽いことである。右側の3本は左手で握って右手で押し込むタイプであり、バルブに直接はめ込む方式である。勿論コンパクトさだけが優先であれば最も小さい物の方がよいことになるが、左手で握って支える物はかなり体力を消耗する。年のせいだろうがやはり楽な方が良い。チューブを取り替えた後、タイヤの内側から何か刺さっていないか十分に調べる必要がある。折角チューブを取り替えたのにまたパンクなんていうことにもなりかねない。バルブにはご存じのように英式(ママチャリは全てこれ)仏式、米式がある。バルブ部分に不具合が生じやすいのは英式であるが直すのも簡単である。トレンクル6500は仏式である。空気入れにはどのバルブでも使える物が多いが、初めての人は念のために対応バルの確認と、バルブが変わったときの使い方を購入時に教わっていた方がよいだろ。
20070707130059.jpg空気入りのタイヤの特許は1845年にイギリス人が出したが、実用化するための技術が追いついていなかったんだろう、そのまま忘れ去られたらしい。それから43年後の1888年、やはりイギリスのダンロップが初めて息子の自転車用として開発し、車の空気入りタイヤは1895年にフランスのミシュランによって初めてレースに使われたらしい。それから車は百年少しで大進化し、温暖化原因の一翼を担うまでに成長した・・・・ということになる。


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超軽量なトレンクルにとって盗まれないための対策は十分にしなければならない。重いママチャリのように車輪が動かなければ済むわけでない。簡単にヒョイと車に乗せて持って行かれてしまうからだ。そうさせない為、鍵はいつも写真の右の二つを持って行く。いずれも外形が7Φぐらいで、長さは2400mmと1500mmだ。止めるときは、必ず立木など動かせない物と一緒に2台のフレームの間を通す。2本のワイヤー錠を必ず同時に使う。また、鍵ではないが、サドルが盗まれないように、ステンレスのワイヤーでフレームとつないである(左の写真参照)。サドルは高さ調整が簡単にできるように成っているため、簡単に外すことが出来るが、こうしてあれば少なくても手では外すことは出来ない。
どんなことをしても本格的なワイヤーカッターなどを持って来られたのではどうしようもない。
カギを掛ける前に、先ずは、目の届くところに置くことである。美術館や資料館どを見学しているときはそうもいかないので、発券所の人などに頼んですぐ脇に置かしてもらうなどすることが大切である。20070705223814.jpgいずれにしても、出来るだけ目立つ所に置くことが一番安全だと思う。また、止める時は当然GPSとヘッドランプは外して持って行くし、非常に長い時間止めて置く時は、空気入れや、場合によってはザックも持ち込むことがある。上の写真左の二つのワイヤー錠は、イタリアへ行ったとき持っていった物である。左から二つめの物はアラミド繊維の物で、多少は軽い。ちょっとやり過ぎかなと思ったが、イタリアでは何と4本掛けておいた。寂しいかな、世の中にはどんな輩がいるか分からないので、楽しい旅にするためにも盗難対策は万全にしなければならい。それから、これらのカギがどんな風にしたら切られてしまうのか実験したことはないので分からない。分からないまま2本使ったり4本使ったりしているのもよく考えてみると変な話だ。この他にも分かったようで分からないまま使っている物がどのくらいあるんだろうか・・・・


0705

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久し振りに石炭を焚いている蒸気機関車にお目に掛かった。やはり懐かしい思いがこみ上げてきた。
長岡の伯母の所に遊びに行く時、当時一番長かった清水トンネルで、勿論冷房の無い客車の窓をみんなが閉め、それでももうもうと入ってくる煙の中で、いつ通り過ぎるかとじっとしていたのを、つい最近だったように思い出した。終戦から10年も過ぎていない小学生の夏休みだった。20070704114214.jpg
最後に乗ったのは確か我孫子から上野までだった。都内で蒸気機関車が引っぱった列車の最後の運行は、朝の5時台の成田発上野行きだったと思う。学生時代、朝早番の学士会館のアルバイトで利用していた記憶がある。懐かしく感じるのは、「ポォォ~!」という汽笛であり、「シッシュ、シッシュ」という蒸気を吹き出す音であり、煙というか、石炭のあの独特の匂いである。受験勉強をしていて毎日聞いていた荒川鉄橋を渡る夜汽車の汽笛も、本当に懐かしく思い出される。
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しかし、久し振りに乗ってみて、時代は終わっているな、とつくづく感じさせられた。懐かしい煙の匂いも、今となっては単に石炭の燃焼排ガスに過ぎないと言わざるを得ないし、スタートした時の、あの波を打ったような加速感は全くいただけない。20070706070532.jpg
帰りに、常磐線の最新車両に乗って、その余りにも大きいギャップに、時代の大きな変化を今さらながら改めて感じさせられた。今では当然として誰も感謝も何も感じていない当たり前のことであるが、現在の車両のあの滑らかで柔らかなスタートと加速感はすばらしい。こうなるまでの開発に対する努力と技術の進歩はすごいなと思った。
人間はこのように過去のことと、現代を実体験として比較してみない限り、その変化のありがたさが理解できない生き物なんだろう。しかし、当たり前と思っている自分が置かれている「今」を、もう一度見直してみることが「今」求められているのではないだろうか。慣れきった鈍感さで相変わらず物を見るのではなく・・・・



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プリウスの空気抗力係数Cd値は0.26である。これはなかなかの数字だと思う。勿論、この数字だけで車の性能が決まるわけではないが、デザインした結果としてこの数字が出たのではなく、この数字を出すために形にこだわったように思える。なぜなら、写真を見れば分かる通り、素人が見ても、まさに空気がスムーズに流れる(但し、前面方向から)でっこみへっこみの非常に少ない飛行機の翼の断面のような形である。誰が描いてもこんな線になるようにさえ思える。これは機能のために形を考えたのではないだろうか。もしそうだとすれば、そこにも先進性がうかがえる(勿論、これらは全て私の想像であり、実情を調べたものでない)。つまり「客受けが良いセダンらしいデザイン」ではなくて、「空気抵抗の少ない形をセダン的な車にする」だったのではないだろうか。単なる車の「ムード」を売るのではなく、「具体的な燃費の数字」を売る、だったのだろう。エネルギーの消費量を下げることが設計の目標であれば当然のことである。20070703045258.jpg
このように、機能の目標をデザイン化することは、まさにこれからの住宅にも必要なことである。現在のように、家の設計が終わってから熱の負荷計算をして、初めてその家の消費するエネルギー量を知るという方法では、これからの家は設計できないだろう。何故なら、エネルギーの消費とはイコール二酸化炭素の排出量であり、今後それを無視して先ずデザインするなどあり得ないからである(デザインするという範囲が単なる主観的な好みから、客観的な機能としての数字を含んだものになる)。つまり、目標とする二酸化炭素の排出量を先ず決め、それを満足するためのデザインがなされなければならないだろう。温暖化問題は今まで培ってきた全ての社会通念を覆し、全ての価値観を180度転換てしまうだろう。その激変について行けるかどうか、などという悠長なことは言っていられない真の実力が試される社会が目の前に迫っているような気がする。

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自転車の旅に工具は必需品であるが、使わなくても良いように出発前の整備はちゃんとしておくのが原則だ。トレンクルに限らないが、持ち歩く工具はコンパクトで、厚さの薄い物にして出来るだけ軽くしておこう。その為、ドライバーは入っていない。ドライバーが必要ないように全てのネジは六角レンチ用に代えてある。それには利点が三つある。先ず第一は、ドライバーより六角レンチの方が確実に閉め込むことが出来る。第二はネジの頭が崩れることがない。第三は工具が薄くなりコンパクトに収納できることである。
写真を説明すると、左から工具箱(厚さ30、巾75、長さ150mm この中に全て入れてある)。プライヤー(ブレーキワイヤーを引っ張って調整する時など多様目的)。三段に並んだスパナー、上は前輪ハブ用、中はペダル用(片側は使わないのでカットしてある)、下は後輪ハブ用。右隣上、ニップル回し(車輪が曲がったりしたときスポークを張ったりゆるめたりする。但し今まで使ったことはない)、その下の横に並んだ3本はパンクの時にタイヤをリムから外すタイヤレバー。右隣のスパナーとメガネレンチはブレーキワイヤ調整など用。5本の六角レンチの内の2本はよく使うので、回しやすいようにテープを巻いてある。残りはヤスリ、はさみ付きの小型のスイスアーミーナイフ、板状のマイナスドライバー、なぜか木工用のこぎり、これらは用途不明。実際、3泊4日ぐらいの旅に出て工具は殆ど必要ないが、持ってないとやっぱり不安である。
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