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万年筆
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文房具売り場を通りかかった時、小さな万年筆に目に飛び込んできた。
久し振りに万年筆を使ってみようと思い、衝動的に買ってしまった。万年筆を持ったのは何年ぶりだろう。万年筆という言葉も最近は聞かなくなった。値段は220円と安物であったが、粗悪品ではなかった。使ってみて直ぐに分かった。とても書きやすく、文字を書く感触が懐かしく、そして何よりも新鮮だ。現代の筆記用具といえば、シャープペンシルかボールペンである。手紙を書く言えばメールのことであり、差しづめキーボードが筆記用具といえるのだろう。IMG_3679*.jpg
しかし、キーボードから打ち込んだデジタル文字は、決まり切った言葉の意味は伝えるが、あの手で書いた文字のように繊細な心の鼓動、機微を含んだ情報を伝えることは出来ない。感情の起伏をそこから読み取ることは出来ない。
我々の世代にとって、万年筆は、大人の世界に入るための、仲間入りするための品だった。腕時計と同様、それは子供から脱却するための一品であり、それを持つことは元服式の様な意味合いを持っていた。自分自身で区切りを付け、新しいスタートを切る瞬間であったような気がしたし、今思うとケジメを付ける儀式であった。IMG_3675*.jpgこのように万年筆を持つことは、子供の時代から大人の世界に踏み出す誇り高き大切な第一歩だった。
そんな訳で、母の持っていた14金のペン先の万年筆がとても羨ましかった。
私が初めて自分の万年筆を持つことが出来たのは、中学へ入る時だった。14金ではなかったが、赤と黒が使える二段式のものを、日曜学校の先生から入学祝いにいただいた。今はもう手元にないが、必ず筆箱に入れて学校へ大切に持って行った。IMG_3723*.jpg
その万年筆で字の練習を随分した。何度も書き直して手紙も書いたし、日記も書いた。
嬉しかった時も、悲しかった時も、万年筆は正に青春と共にあり、自分の人間性を育ててくれたのだと思う。
現在の子供達にとって万年筆に当たる物は何なんだろうか。
しょげたときも、ワクワクしたときも一緒にいるものは何なんだろうか・・・・


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現在、孫に内緒で「ロボザック」というロボットを組み立ってている。ロボットといえば、我々の時代は、断然「鉄腕アトム」である。小学校の頃大いに夢をかき立てられた。多分、物を作る技術ということに魅せられた最初の体験だったのかもしれない。そんな中で成長し、人のように動くロボットというのは夢のまた夢の世界だった。IMG_3690*.jpgそんな夢を忘れてしまっていたある日、早稲田大学でロボットが研究されている事が放映された。ロボットといっても下半身だけで、歩こうとしているが、直ぐにこけてしまう光景だった。それからまた時間が途切れてしまったが、今度は、本田技研で開発されたアシモが、突然、正に電撃的に登場した。倒れるロボットのイメージしかないところに、一丁前に歩くロボットが登場したのだから、本当にびっくりした。「歩く」という基本技術が突破できたんだなと感じた。そして気が付いたら、既におもちゃの世界にロボットは入り込んで居るではないか。超弱小企業をどう食わせようか、これからの住まいのエネルギーをどうすべきかなのか、などに目が奪われている内に、IMG_3691*.jpg別の世界ではどんどん進化していたのだ・・・・その冴えたる物がロボットである(それに比べて床暖房業界なんかは30年一日のごとくであり、の~んびりした業界である。30年前と何も変わっていない)。そんなロボットの世界の一端に触れられたらと思っている時、一年間掛けて組み立てるロボットの案内書を見た。勿論とっさに注文してしまった。私のような全くの素人が、組み立てキットとはいえ、自立歩行の出来るロボットが作れるのだから、これからどんなロボットの世界が待ち受けているんだろうか。間違いなく言えることは、より一層人間に近づいて行くということである。IMG_3694**.jpg当然何処かで遺伝子工学とドッキングして、サーボモーターなどのメカから、人工筋肉に成るだろうし、コンピューターの機能は限りなく脳に近づくだろう。だとすると、人間が居なくともロボットが何でもしてしまうことになる。病気にも成らず、危険も顧みず、死をも恐れないという永遠の命を持ったロボットが出来るかもしれない。SFの世界と思われていることが、いずれ実現しちゃうのだろう。当然戦争はロボット兵を使って行われるのだろう。人間は後方にいて指令を出すだけ、ということになると正にコンピューターゲームの世界である。実体験もしたことのない人間が、液晶画面の中の錯覚の世界だけで四六時中時間をつぶしているなど、コンピューターゲームはアホの代表だと思っているが、未来の価値観は意外や意外かもしれない。
もう一つ気がかりな点がある。それは加速度的に悪化している温暖化現象と、ロボットの加速度的な進化が、オーバーラップしているように見えることである。もしかしたら人類に取って代わり、生き残る為に、今、人類の本能が急速なロボットの進化を促しているようにも思えることである。
そんなことに成らないように温暖化は何としてでも食い止めなければならない。
今年の暮れ、ロボットに挨拶された孫はどんな顔をするだろうか・・・
何はともあれ、とても楽しみである。IMG_3692**.jpg


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気分転換にカヌーはもってこいだと思う。そんなつもりなので、キャンプをしながらのリバーツーリングとか、ホワイトウオーターをがんがん下るなどということはやっていない。但し時間が取れればこれからはノンビリとした川旅を楽しみたいと思っている。
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カヌーとカヤックの違いは、カヌーは千鳥ヶ淵のボートのように上面がないタイプ、カヤックは上面が付いているタイプと言われているが、気分転換派程度にとっては見た目のムードで選ぶ物だと思っている。カヌーは良いな、と感じたのは小学校の頃まで遡る。母が持っていた、確かボーグとかいうアメリカの雑誌に、底まで見える澄み切った湖の上に、カヌーが浮いている写真があった。勿論その上に水着姿のアメリカ女性が寝そべっていた。20070826214413.jpgその写真の光景と、「こんな透き通った水の上に自分も漕ぎ出してみたいな」と思ったことを今でもとても良く覚えている。
それとカヌーとは、漠然としているのだが、イヌイットの人達が鯨の骨や柳の枝を組み、それにアザラシの皮を掛けて組み立てたと、どういうわけかイメージしてる。そんな二つの記憶から、最初はノルウェー製のアーリー(二つめの写真)という組み立て式のカヌーを購入した。アルミの骨が柳の枝のようだし、塩ビのシートはアザラシの皮のイメージでかなり原型に近い感じがしたので、展示会で初めて見たとき、一目惚れしてしまった。使ってみると、組み立てがかなりしんどく、ちょっと気分転換に近くの利根川までと思っても、組み立てることと、分解し折りたたむことを考えると躊躇しがちになった。それでもボンゴ4WDに積み込み、妻を誘って(妻は自転車と違い、カヌーは常に余り乗り気ではない)中禅寺湖に行ったり、鬼怒川や小貝川にいったり随分と楽しませてはもらった。しかし、年とともにしんどさが増し、何時しか乗らなくなり、知人にあげてしまった。20070826214318.jpg
今年になって、何となくカヌーのホームページを見ていて「インフレータブル カヌー」という、要するに空気で膨らませるカヌーがあることを知った。とっさに、これならまたカヌーが出来そうだと直感した。何ったって空気を入れるだけで、組み立てが完了してしまうのだし、空気を抜けばそれで畳めるわけだから、これならいけると思った。20070826214345.jpg孫に体験させてやりたいし、といういつもの都合の良い理由に基づいて、早速、インターネットで購入した。思った通り、組み立て(膨らまし)は至極簡単であるし、乗ってみて安定感もあるし、運ぶのに少し重いが、まあ申し分ない。値段も特別高いわけではないので、散歩用に是非お勧めしたい。ただし、両側に太い空気のパイプなので、荷物を載せるスペースが少なく、その点、アーリーはいたって優れている。本格的なツーリングをするのであればアーリーの方がお勧めである。
但し、カヌーで遊ぶことにも問題がある。それはクルマが無いと、簡単に運べないからである。直ぐ近くの手賀沼(日本で一番大きい沼、つい最近まで日本で一番汚い沼だった)がもっときれいなら、我孫子は申し分ないところなのだが、今はちょっと漕ぎ出す気がしない。

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3年と少しの間、孫と過ごした。その間は父親の真似事でもしてやらねばと思い、せめて遊具ぐらいは作ってやりたかったし、男の子であるので、できるだけ物を作る姿も見せたやりたかった。
30年近く前、二人の娘の子育てをしていた頃を思い出しながら、遊具を作るのは時計の針が逆転し、気分を若返らせてくれるようで、とても楽しい体験となった。IMG_3639*.jpg当時も遊具や家具などを出来るだけ作っていた。趣味だと言ってしまえばそれまでだが、若い時は金の余裕も無かったし、安物を買うより作った方がどれだけ良いかという思いもあった。父親として「欲しい物は買う前に、先ず作って手に入れることを考えてみる」ということを教えたかったし、やはり作っている姿も見せたかった(がしかし、結果を見ると、それがどんな教育効果があったのかは、残念ながら不明)。IMG_3640*.jpg物が欲しい時、それを簡単に買ってしまうと、買うまではそれなりにワクワクと楽しいのだが、買ってしまえばそれで一巻の終わりといことがよくある。折角大切な金を使うのに、それでは何となくもったいないような気がした。自分で作るとなると、手に入れるために楽しめる時間は、何倍にもふくらみ、単に買ってしまうだけでは味わえない多くの楽しみを得ることが出来ると思うIMG_3642*.jpg(但し、できあがるのを待っている家族にとっては、かなりのディメリットに成る場合が往々にしてあるので注意を要する)。自分が考え工夫して、自分だけのオリジナルな物を、どう作るかということを構想することは、とても楽しいことである。それは人間の人間たる本能でもあるし、起業する為に、最も重要なことだと思う。そんな楽しい大切な時間を、簡単に買ってしまうことで、みすみす捨て去ることは、何とももったいなと思う。IMG_3643*.jpg普段の生活で物を見た時、それを素直に受け入れることは基本的にはしない様にしている。いつでも自分ならその本質をどう捉えるか、そしてそれをどう設計するか、という問いかけをするようにしている。これは超弱小企業を維持するため絶対に必要な訓練だと確信しているが、本来、楽しく生きるためにも必要なことであると思う。
そんなわけで、室内ロープウエーを作った。ここで使う部品まで作っている時間は無いので、先ずは、行きつけの日曜大工店に、使えそうな部品はどんな物があるか見に行った。その結果が、写真の滑車や止め金具であり、ロープである。IMG_3644*.jpg座る板以外は作るところはほとんど無いのだが、どんな角度でロープを張れば適当なスピードで下るのかは、何度かやり直しながら決めた。これを作るに当たり、どうしよう、こうしようと自分も随分楽しんだが、結果、孫にも大いに楽しんでもらえたと思っている。人間はこのロープウエーのように、自分が力を出さず重力で引っ張ってもらう様に楽して移動できることに対しては、どうゆうわけか、かなり楽しいことなのである。アクセルを踏むだけで何処へでも自由に連れて行ってくれるクルマはその冴えたる物である。
これが実現できたのは、たまたま居間に柱が5本出る様に設計してあった為であり、もし柱がなければ思いも付かないだろうし、思いついたところで実現は不可能だっただろう。勿論、ここまでのことを考えて自宅を設計したわけではないが、どういう将来が有るかは分からないのだから、住んでから新しいことが想像でき、可能性が生まれる家とは、どんな風にしておくべきかをもう少し考えても良いのではないだろうか。
人間にとって、考え、工夫し、作り上げ、それが目の前に現れた時、その出来栄えはともかくとしても、最も生き甲斐を感じらる楽しい時間なのではないかと思う。

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トレンクルで旅をしていて最も怖いのがトンネル内走行である。何時だったか、八十何歳かの方が日本一周をして、自宅間近のトンネルの中で事故死された報道を聞いた。事故の正確な原因は聞き損なったが、断じて、この方の未熟さや不注意などによるものではあるまい。勿論、直接的にはクルマの責任ということであろうが、それだけで済まされる問題ではないと思う。根本原因はトンネルの構造にあると思うし、このようなトンネルを設計したことが原因であると思う。20070822193142.jpgトレンクルでトンネルを走る時は点滅式のリヤランプ(写真の左)は勿論、やはり点滅式のストロボ(写真の右)も使い、少しでもクルマに注意させようと必死だ(ペダルに付けたリフレクターも有効だ)。それでも安全が保証されるわけでもない。トンネルのこのような危険きわまりない構造は、単なる景観問題などと違い、即命に関わる問題であり、非常に重大な問題を含んでいるのだ。
今回の福島と山形の旅は日和ってプリウスになってしまったが、トンネルに入る度に本当に腹が立った。よほど頭の悪い奴が惰性で設計したとしか思えない物ばかりだった(自転車で旅をしたことのない人には全く気付かないでしょうが)。まあ、決められた基準に基づいて設計しているんだろうけど(そんな基準を何処の誰が作ったんだ!)、お金持ちの日本人はクルマ以外は道路で乗らないと決めつけて居る様に思える。クルマが曲がりなりにも買えるようになると、一億総クルマ白痴のようで、それ以外の事は何も見えなくなってしまって居るんだろう。20070821235813.jpg
何処かの誰かが取って付けたように言っている「美しい日本」だったら、車椅子でも自転車でも歩行者でも、もっとノンビリと安全に旅が出来ないのはおかしい。治安面で安全であり、景色の良い日本なんだから、これにノンビリと安全に旅の出来る道路があれば、世界中から自転車を含めてもっともっと多くの旅人が来るのではないだろうか。そうすれば、すてきな日本をアピールできるし、もっと楽しい日本に成ると思う。その為なら公共事業も意味ある物になると思うのだが・・・・道路に関係している人達さん!言われた範囲で仕事をして、金が入れば良いだけじゃなく、もっと頭を使って、プライドを持って、本当の意味で人間のことを考えて仕事をしましょう!
安全な道路こそがすてきな日本を造るための第一歩の一つで~す!

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8月17日、財団法人千葉県産業振興センターのKさんとFさんが「第2回新エネルギー世界展示会」への出展募集のためこ来社された。場所は幕張メッセ、10月10~12日までの3日間とのことである。ちょっと時間がなさ過ぎると思ったが、先ずは、お話をお聞きした。ブースは3m×3mで結構でかい!千葉県からは4社が候補に選ばれ、イゼナがその一社であるというので、ちょっとびっくりした(出願した特許も全部調べられていた)。展示ブース代の半分を千葉県が持ってくれるそうだ。何とも良い話である。アクアレイヤー床暖房を開発して11年、やっとイゼナの理念が理解され始めたのかもしれない。
20070818223820.jpgこれからは正論に基づいた理念を持ったところだけが生き残れる時代なんだと思う(但し、そんなことを言っているから、今、商売が思うようにいっていないのだ・・・)。少なくとも「どうやったら儲かるだろうか」とか「市場調査に基づいて好まれる商品開発をする」など市場を読んで、なんって時代ではないのではないだろうか。一般の人が今欲しいと思っている物を見つけ出して(まだまだそんな商売の仕方も沢山あるとは思うが)・・・なんて言うのではなく、これからの企業は、「こうあらねばならない」「こうあるべきだ」という商品を独自に発想して作り上げるべきではないかと思う。つまり、如何に未来社会のあるべき姿を予測し、想像する能力があるかだと思う。
何はともあれ、選ばれたことは名誉なことではあるが、時間がないので9月はどこにも遊びに行けそうもない。
展示のテーマは、「木造住宅における、ダイレクトゲイン・パッシブソーラーハウスの提案」の予定。どうなることやら・・・・
頑張るのみ。

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孫家族と一緒に福島と山形の温泉に一泊ずつしてきた。目的は一応家族の保養であるが、計画を立てるときのは、孫に如何にいろいろな楽しい体験をさせるかということで、場所とコースを選んだ。そんな時は、家族で昔いろいろな所をキャンプして回った経験がとても役に立つ。IMG_3495*.jpg

IMG_3499*.jpg一日目は八溝山の麓、山本不動の渓流で遊んだ。水は天下一品きれいだし、3歳の孫にも非常に安心な水場だ。二日目は姥湯温泉近くの滝に行った。ここも20年くらい前に見つけて、その後何度か行ったお気に入りスポットである。道路から30分ぐらい軽い沢登りの雰囲気を体験しながら楽しめるコースである。今まで一度も人にあったことがないし、途中にゴミを見たこともない、すばらしい渓谷だ。しかし、そこに入る近くに「熊に注意!」と書いた大きな看板を初めて見つけた。今回は熊のことまで考えなかったので、鈴も持ってきていないし、鉈も持ってこなかった。IMG_3561*.jpg

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多分車でなければそういう用意もしたのだろうが、車というのは物事に対する捉え方を安易にしてしまうな、と改めて反省させられた。しょうがないので、出来るだけ大きな声を出して騒ぎながら行くことにした。
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IMG_3631*.jpgこの沢は、滝の上流に温泉がわいているのか、水がそれほど冷たくないので、徒渉するにも随分楽なところである。勿論ここの水も絶品である。自然の水が本来如何にきれいな物なのか、孫が自然に学ぶためにも良い場所である。多少良くなったとは言え、何時も見ている手賀沼の水が、自然で、普通だなんて頭に刷り込まれてしまわないように、出来るだけこういう所で体験させてやりたいと思っている。が、そうするとどうしても車が必要になってしまう。如何にプリウスといえども、二酸化炭素を出す車には替わりがない。今回のプリウスは、往復801Kmで燃費は25.5Km/リットルであり、さすがだなと思ったが、それでもやっぱり車を利用したことが、かなり引っかかっている。温暖化は、多分想像を超える速さで、加速度的に進んでいるんだろうから、どんな行動をするにも、もっともっと考え、工夫しなければいけないんじゃないだろうかと・・・・
(写真・上の3枚が山本不動、次の4枚が姥湯近くの滝へ向かう渓谷、下の2枚が大内宿の近く)



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2007年6月7日記載「念願のテラス完成」から3ヶ月、この猛暑の中でのタープの簡単な温度測定をしてみた。写真の通り、日射しを遮ってくれて間違いなく良い雰囲気を作り出してくれるのだが、その割にはとても暑い感じがしたので、放射温度計でその原因を調べてみた。
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20070816230629.jpgタープを付けた室内側は、当然、日差しが入らない分だけ暗いのだが、これは茅葺き屋根の民家に入った時の、あの何となく落ち着くような良い感じである。
ここで使用したタープ地は薄いテント用の防水された布である。これが直射日光に曝され、つまり太陽からの赤外線を十分吸収し50~55℃程になってしまっていた。その為、その下にいる人にとってはタープが熱源になり、今度はそこから出る遠赤外線に曝されることになってしまい暑く感じるのだ。
つまり、タープは表面温度が6000℃ほどの太陽から来る赤外線を遮ってはくれるが、そのままでは、今度は50~55℃に上昇したタープから出る遠赤外線に曝されてしまい、思ったほど涼しく感じないのだ。20070816230658.jpg
タープのない状態で陽の当たったテラス面の温度も50~55℃ぐらいに上がってしまうが、タープをすれば40~45℃ぐらいに下げることができ、勿論効果はあるのだが、テント地一枚では何となく物足りない感じである。
そこで、タープの上に緊急時用の薄いアルミシートを重ねてみた(写真参照)。
20070816230729.jpg結果はタープの裏面は36~37℃ぐらいに下がり、床面も同じぐらいの温度になった。
こうなれば、いくら太陽が照りつけていてもアルミシートの下にいれば、気温と風を感じるだけでいたって快適である。
しかし、アルミシートはほとんど全く光は通さないので、室内は更に暗くなってしまうことになる。
アルミシートの様なタープを作れば冷房用のエネルギー問題はかなり解決できそうだ。
これで藪っ蚊がいなければ真夏の庭で快適に昼寝が出来るのだが、現実は蚊帳を吊らなければ不可能である。

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2004年5月にトレンクルを持ってイタリアの旅をした。行きのアリタリア航空に輪行袋で乗せることを拒否された。勿論空港おいてではなく、事前に問い合わせたところ、受け付けてくれないということが分かったのだ。国内の旅では、各航空会社はむしろ丁寧に扱ってくれ、そんなことはないのだが、いくら交渉してもアリタリアはらちが明かなかった(だからといってイタリアの旅を当然中止するわけにはいかない)。20070813094829.jpg
出発間際のカウンターですったもんだするのも嫌だし、どうしても乗れなかった場合はどうしょうもないので、対策を考えることになった。ホテル止めで送ることも考えたが、コストや日程のずれなどのことも考えると、スーツケースに入れて自分で持って行く方が間違いないだろう、という結論になった。しかし、単に折りたたんだだけでは、厚つ過ぎて絶対入らないので、折り曲げ部分で分解することにした。ハンドル/ステム部分の折り曲げ部は、ピンは完全にかしめてあるので、その部分を金鋸で切り落とさざるを得なかった(これで完全に元に戻すことは出来なくなった)。20070813094753.jpgフレームの折り曲げ部分のピンはEリングで止めてあったので、これは簡単に外せた。これで両部分ともピンが抜ける状態になり、分解が可能になった。しかし、フレーム部分はピンがぴったりと入っているため、叩き出さないと抜けないので、小型のハンマーとポンチを持って行った。ブレーキのワイヤー類は外さなかったので、二本のピンを外して三つに分かれても、完全に分離させたわけではない。あとは64cm×45cm×26cmのスーツケースにどう入れるかである。結果は写真のごとく見事に収まった。エアーキャップを個々の部品の間に入れ少々の振動でも問題ないようにした。更に着替えを含めた衣類もできるだけパッキング替わりにつっこんだ。これで完成!出で立ちはザックを背負い、ウエストポーチを付け、トレンクル入りのスーツケースということに成った。勿論これで成田、ローマのアリタリアの窓口も難なく通過できた。テルミニ駅からホテルまでの距離は、タクシーに乗るほどではなかったので、石畳の上をゴトゴトとスーツケースを押すことになった。輪行袋であれば駅前で袋から出して乗っていけるのだが、スーツケースではそうもゆかない。113-1304_IMG*.jpgピンを抜いてまでばらしたトレンクル3台を組み立てるのもサッサッサ!と簡単にはいかなかった。自転車を出してしまったスーツケースは、その後の行動にいたって邪魔になってしまうので、これも大いに問題である。今回は最初のホテルに預けて、最終日にまたそこに泊まるようにした。折りたたんで簡単に携帯できる輪行袋と違って、スーツケースは確かに飛行機に預けるには安心していられるが、かなり計画の自由度が削がれてしまった。往復ともチケット代の高いJALを使っていれば、輪行袋で特に問題が無かったことを考えると、「時は金なり」に従っておけば良かったかもしれない・・・・とは言え、苦肉の策でこういう事を実行し、経験したことは、トレンクルの新しい可能性を見つけることも出来たような気がする。113-1309_IMG*.jpg何よりも勿論旅も楽しかったし、良い経験をしたと思っている。確かに倹約しようと思えば、頭を使わざるを得ず、工夫するしかないことになるが、時間を多く消費してしまう事にもなってしまう。単なる個人レベルだけから見ると、残り時間の少ない人生にはちょっと問題だったかもしれない。
温暖化対策に対する時間と金の使い方は少し違うと思う。なにしろ時間がないのだろうから、少しでも二酸化炭素を出さないで済む生活が出来るなら、時間はどれだけ使っても無駄にはならないと思うし、金でそれが多少でも解決できるなら(太陽電池や温水集熱器の購入など・・・)金もできるだけ使うべきであるとおもう(今回の航空費の倹約で浮いた金が、我が家の環境対策費に回れば問題はないだろう)。

20070810195220.jpg昨日、たまたま楽器屋さんの前を通ったので、ギター用の音叉を買おうと思いつき立ち寄った。ギターは学生時代に憶えたコードを多少知っているだけで、そのコードで弾ける範囲の曲を、ほとんど一人で口ずさむ程度である。音痴ではないと思っているが、基本的には、音楽の才能はほとんど無い。何故かというと、曲を聴いただけでは勿論、楽譜を見てもコードは分からないので、コードがちゃんと書いてないと全く弾けないからだ。それに、若い頃に憶えたコード以外は、新しく憶えようとしても、ほとんどと言っていいほど憶えられない。これはコードに限ったことではなくいが、もともと記憶力がかなり弱いところへ持ってきて、60歳を過ぎてしまうと、もう自分でも全くあきれ果てるぐらい、記憶回路が壊滅状態で、使い物にならなく成っているのだ。
高密度のメモリーが、非常に廉価に手に入り、いくらでも増設することができるパソコンが何とも羨ましい。1Gとは言わないが、せめて10Mでも良いから、頭の中に突っ込めたらと思っている。
今になって突然、音叉なのかというと、特別明確な動機はないのだが、なくしてしまってから久しいので、この辺で音にもけじめを付けて、ポロン!と鳴らしてみようかな、と思った程度のことである。
お店の中段の棚に2種類の音叉が置いてあった。20070810195258.jpgしかしその上の棚に、煙草の箱より少し小さい程度の、何だか得体の知らないデジタル機器と思われる物が何種類かあった。何とこれが音叉に変わるデジタルチューナーであることを初めて知った。店員さんのお薦め意見に従い、音叉を止めてこちらを購入した。たぶん人を見て、音叉で苦労するより、こちらの方が間違いないと思ったんだろう。楽器業界でどんな物が出ているのか、全く注意したことがなかったので、チューニングが「耳」ではなく、「目」で行うものであることを初めて知らされた。自分が弦の音を聞かなくても、LEDの点滅を見ながらA,B,D,G,Eの各弦を別々にチューニングできるのだ。実に便利で正確(これがどの程度正確なのかは全く分からないが、少なくとも、自分が音叉や笛を使うよりは圧倒的に正確)であり、ド素人にはもってこいだ。結果は同じコードを押さえても、今までとは明らかに違い、嬉しくなってしまうほどクリーンな和音が出るのだ。今まで、いかにいい加減なチューニングで済ませていたかを、思い知らされた。しかし、素早く正確にチューニングをするには、多分非常に優れた性能なんだろうけど、チューニングが正確にできれば、その過程はどうでも良いというわけでもあるまい。音を正確に「聞き分ける」ことは、チューニングを通しても訓練されることなのではないだろうか・・・ただ使ってみると圧倒的に便利で簡単だ。20070810195329.jpgこれを知っちゃった以上、どうも手放せそうにもない。音叉で自分の耳を訓練しておけば、電池がなければ機能しない物など、(その上、使えば使うほど二酸化炭素が排出される。それに比べ音叉はいくら使っても二酸化炭素は出さない)使わなくて済むのだが、訓練しなくても格好が付く「二酸化炭素麻薬」の誘惑に負けてしまったようだ。
これで、電池が無くなるとチューニングする自由も、当然、気分良くギターを弾く自由も奪われることになる。これを自業自得と言うんだろう。

現代は、何の練習も努力もせずに、ど素人でもそこそこ出来てしまう便利な機器が手に入る(しかし、ほとんど全ての物は、電池など石油エネルギーが無ければ全く使うことが出来ない)ことが多くなりつつある。CPUがここまで進化すると、ますます人は何もしなくても良くなるんだろう。しかし物には必ず「本質」というものが有ると思うのだが・・・・それを変えてしまうことが、進化ということなんだろうか・・・・
温暖化がますます加速する環境の中で、これから人は何を考え、どんな努力をしてゆくのだろうか・・・・



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久し振りにトレンクルについて。7月16日にトレンクルを自作した箱に入れて、宅急便で送ってしまうことを書いたが、常にそうしているわけではないく、勿論、輪行(自転車を袋などに入れて、一緒に持って行くこと)もする。自分の手で持つことを考えて、最も軽いトレンクルを選んだのだが、多少、経験は有るとはいえ、二人とも60歳は過ぎたし、旅は行きたいが、出来るだけ荷物は持ちたくないなと思ってしまう(だから宅急便用の箱も作った)。しかし、これは買った時には気が付かなかったのだが、ほとんど持ち上げることなく運ぶことが出来ることを発見したのだ。これはすばらしい想定外の機能であった(但し、トレンクル以外の自転車でこういう事が出来るかどうか、全く調べていないので、もしかしたら特別のことでないのかもしれないが、もしそうだとしたら、お騒がせして済みません!)。20070809052054.jpgトレンクルは折りたたんだ時、前輪は自由に回すことが出来る。その時、サドルは下げないで、写真のように持って、前輪だけ地面に付けるようにして傾けると、超簡単に押して移動させることが出来るのだ。これが出来るため、ほとんど持ち上げることもなく、目的地まで行くことが出来る。ただし、地方へ行くと駅にまだエレベーターもエスカレーターも付いていないことが多いので、その時は階段だけは持つことになってしまう。しかし、26インチのランドナーを輪行することを考えれば、トレンクルの移動は天国のようである。超軽くて、その上、こんな簡単に運ぶことが出来るトレンクルは、旅を更に楽しくしてくれると思う(但し、余り運ぶのが簡単だからといって、ず~っと押している暇が有るなら、組み立てて乗っちゃった方が早いことを忘れないように・・・・)。
しつこく、トレンクル(勿論、自転車なら何でも良いのですが・・・)を持って、是非是非、旅に出てみてくださ~い!。
都内の駅には、ほとんどエレベーターとエスカレータが有るので、トレンクルでの東京見物は、特に快適だと思う。
そんな意味でも、トレンクルは簡単に旅を楽しむことができます。最初の一歩は、何をするにもおっくうであり、勇気がいるが「ええぃ!」と思い切れば、自転車の旅なんてどってことないんですがね・・・・20070809052158.jpg




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では一体太陽エネルギーだけに頼る未来の地球社会はどうなるのだろうか、どんなイメージが描けるのだろうか、ここのところが大切だと思う。(なぜ太陽電池のメーカーはここのところを、もっともっと力を入れて言わないのか、「ペイする・しない論」で売れなくなることに、なぜ反論しないのだろうか。不思議でならない。もしかしてどこからか、余り売るなと圧力が掛かっているの・・・そうとしか思えない。企業にもいろいろ事情が有るだろうから、あまり軽率にものを言ってはいけないと思うが、テレビでテレビの宣伝にあれだけ金を掛けるなら、もう少し太陽電池の宣伝に金が回せないだろうか・・・)
先ずは、個人はエネルギー的に自立が出来るだろう。このことは同時に国としての新しいインフラになるわけであるから、システム設置に際しては当然国の政策としても考えるべきである。(膨大な無駄な金をなくせばどんなことでもできるのではないだろうか)つまりエネルギーの超分散化である。その上、石油も石炭もウランも(その処理も)輸入せず、金が掛からないのであるから、それらの金も当然浮いてくることになる(これはず~と浮くことになる。これは実はすごいことである)。(10)3*.jpgそうすると国としての業務も当然少なくなるのだから、今の政府の1/5(もしかして、今すぐでも無駄を省き、民間並みに仕事の効率を上げれば1/3ぐらいで済むんじゃないの???どこかの町長さんが断言していた)ぐらいで済むようになり、ますます太陽エネルギーインフラのために金を使うことが出来るのではないだろうか。それに当然、二酸化炭素排出税から膨大な収入があるだろうし・・・(しかし折角入った税金も、また暇をつぶすための仕事を作りの保養所建設に使われたり、必要もないと思われるダムや水門に勝手に使われたり、何をしでかすか分からないので、きっちりとした監視システムをその前に作らないといけない)そんな世の中の個人生活は、ガソリンは買わない、電気やガスや灯油も買わない、ということになる。(電力会社は世界太陽電力ネットワークを運用するために、現在まで積み上げた技術が必要だし、ガス会社は水素エネルギー運用に欠かすことはできないだろう)
海には太陽電池の筏(これは30年以上前に当時横浜国大の教授でいらした太田先生が述べられた)を浮かべ、そこで水から水素を取り出し、タンカーで運ぶ。また砂漠には太陽電池の屋根を作り、それを超伝導世界ネットワーク網(超伝導の材料を開発しているのは、一つには多分その為なんだろう)で結び、夜の時間帯の地域に供給するなどということになるんじゃないだろうか。こうなれば少なくともエネルギーの争奪戦争は起こらなくなるだろう。(もし戦争が無くす方策があるとすれば、それは国連などではなく、水素エネルギー社会だろう。宗教戦争はちょっと手だては分からない・・・)
太陽電池も現在のシリコン主体から、化合物半導体、有機太陽電池、そして遺伝子工学による光合成太陽電池や光合成水素分離システムなどに進化してゆくのではないだろうか。
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現在、一般家庭は3KWと常識的に言われているが、まだ特別各家庭が自立しているわけではなく、電力系統に繋がっているんだから、そういう言い方は意味が分からない。意味があるとすれば、3KWぐらいの大きさのシステムを売らないと商売的に面白みが無い、という商売的な論理ぐらいである。そのため、500Wや1000Wぐらいなら予算があるんだけど、という人は取り付けたくとも取り付けられず、結局切り捨てられることになる。随分おかしな話だと思う。太陽電池は個人が取り付けても、結局は社会全体のインフラということになる。個人が集まって社会を支えようという考え方じゃないんだろうか。今回は500Wしか付けられないが、お金に余裕が出来れば500Wずつシステムアップして行きたいという人はかなり居るんじゃないかと思う。太陽電池は単なる一企業の商品シリーズの一つということだけではあるまい。技術的な問題があるならともかく、単なる経営的な理由なのだろうから、是非ステップアップできるシステムの開発をお願いしたい。いずれにしても、個人が太陽電池を設置すれば、その分、石油や石炭やウランなどを輸入しなくて良いことになる。ほぼ100%エネルギーの原料を税金で輸入している国なんだから、税金をより国民のためになるよう、もっともっと率先して太陽エネルギー化を図るべきである。また慌てて石油確保のために銀輪で南下することなど無いように、世界の見本になるように、それこそ太陽エネルギー一等国になるように最善を尽くすべきだと思う。それには先ず、国のエネルギー確保のために屋根を貸してくれる人には、税金で太陽電池ぐらいは設置したって良いんじゃないだろうか・・・
太陽エネルギーの利用が技術的に可能になったということは、日本独自にでもエネルギー政策を作れる時代に入ったことを意味する。日本の安全と安心と平和のために、またとないチャンスの時代に入ったような気もするのだが・・・・
未来の夢を見ることは、想像することである。想像することは、現在の常識を捨てることである。夢を持たなければ、夢は実現しない。しかし、夢を持てば必ず実現することを、歴史は教えてくれているのではないだろうか・・・・
「太陽電池とは」は10回をもって終わります。
お読みいただき有り難うございました。





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自宅に太陽電池を取り付けてみてその素晴らしさを実感したこと・人類は光合成と同じように、太陽光エネルギーを直接電気に変換する太陽電池を開発したこと・国際宇宙ステーションという天体で太陽電池が使われている理由について・太陽エネルギーの有効さについて・現代は太陽エネルギーを意図的に無視している時代だということ・太陽電池は植林するだということ・「ペイする・しない論」について・真に自立した個人などについて、太陽電池の存在意義、捉え方、見かた等を書いてきた。20070804235838.jpg特に「ペイする・しない論」では、どうしてそういう理屈が出てくるのか考えてみた。そして「ペイする・しない論」が普及を大きく妨げている一つであると結論づけた。
太陽電池の普及を妨げている理由は、立場によってもいろいろ違うと思うが、しかし、やっぱり最大の理由は、国と政治が太陽電池の存在理由を理解せず、エネルギーの百年の計も立てられず、バラ色にならなければいけない日本のエネルギー未来像を示せない(どこかで何かをしているのかもしれないが、少なくとも私達にはほとんど見えない)事にあると思う。(ドイツがまた原子力エネルギー利用を復活させることが報道されているが、これはいくら積極的に自然エネルギー化を推し進めても温暖化阻止には間に合いそうもないと判断したからだろう。つまり緊急避難的には致し方ないという結論を出したからだろう。それほど事態は切迫してしていると理解すべきであり、太陽エネルギー利用の価値が下がったわけではない。どこかの国と違って、ドイツ人が無節操にその時の気分や力関係で変更したとは思えない。)
いまだに経済のみ優先、イケイケどんどん・・・・何だか無計画に何の目算も無く、未来像も描かず(描けず)所詮、自分たちの集団の立場を考えることに終始し(もしかしたら集団のことも考えず、個人の面子のみ)、大陸を駆け回り、常夏の島に突撃し、嘘をつきまくり、結果的に地球より重いはずの膨大な人生を奪い、破壊し尽くし(自国も含め)・・・・そのことを反省し現在の肥やしにしてるんだろうか・・・・違う形で、またそんなことを繰り返しているような気がする。
勿論、経済は大切だが、経済を支えているのは健全に快適に生活している人間が居なきゃいけないし、更にそれらを支える健全な地球環境がなければならない。そんなことは自明の理の理の理のはずだ。そういう仕組みを理解し、より安全で安心できる生活を得たいために、人類は文明を進化させて来たんじゃないんだろうか。地球環境を考えながら経済も考えるという能力ぐらい人類はもう獲得したと思うのだが・・・・見え見えの選挙対策で、正に取って付けた環境対策(そんなことを進言したブレーンが居るのも考えられない)もどきを平気で演説する人がまだいるなんて・・・この国の環境対策は大丈夫なんだろうか???

とまあぁブログで愚痴を言っていても始まらないし・・・・

あと一回で太陽電池は終了です。



「ペイする・しない論」について (2)
20070802225321.jpg実は電気にはいろいろな種類の電気がある。水力電気、風力電気、太陽電気、天然ガス電気、石油電気、石炭電気、原子力電気などがあり、それらは全部コストが違う。最も安いのは水力、風力、太陽電池などの原料がただで手に入る、自然エネルギーで発電されたものである。その上、環境対策費もほとんどゼロでよいこともある。次は天然ガス火力であり、次は石油火力、石炭火力の順になる。原子力発電は、今、二酸化炭素を出すか出さないかというと出さないが、その代わりに放射性廃棄物の処理に、将来どのくらいの金が掛かるか分からないし、もしもの時に対する危機管理費や、その時の想像も付かない復旧費を考えると、どうコストをはじき出して良いのか分からない。
自然エネルギーを用いる発電は、そのシステムの廃棄に伴うコストだけであるが、その他の発電システムは、今後どうしてもやらなければ成らなくなるだろう、環境の復旧という超大事業に、どのくらいの金が掛かるか分からないコストを、潜在的に含んでいる言えないだろうか・・・・
このように電気代というのは本来バラバラであり、その上、未知のコストがいくら含まれているのか、誰も知るよしがないのである。例え、個々の発電のコストが出たとしても、環境復旧コストが含まれていない限り、それらを基にしてペイするかどうかの計算をしてみたところで、本当に信用できる結果が出るのだろうか。つまり基準なんて見つけようと思っても見つけようがないのだから、太陽電池に対しては「ペイする・しない論」で評価するのは何の意味もないんじゃないだろうか・・・・「ペイする・しない論」が出てきてしまうは本当に不思議である。20070802225455.jpgしかし、家電や車などの工業製品は、それぞれが持っている便利な機能(楽することが出来る機能、得したと思う機能)を提供してくれるから、特別ペイするしないとかを意識はしていないが、心理的に「ペイする」と多分思っているんだろう。それが普通の人の心理なのだろう。いたって漠然とした定性的で抽象的な価値基準である。そのような視点のみから太陽電池を定量的に評価しようというのは、どだい無理なんじゃないだろうか。もし、太陽電池の設置についての相談を受けた時、安易に今の電気代を基にして、掛けて割るだけの計算をしてしまうことは、本当に相談者の為になるんだろうか・・・・
太陽電池の購入に対してもう一つの見方がある。太陽電池を個人が取り付けるということは、自主独立に対する気概であると言えると思う。私たちはライフラインの全てを社会に委ねている。そのシステム無くして私たちの生活は全く成り立たない。まさにそれらにコントロールされているのだが、私たちは普段それを意識していない。20070802225417.jpg食料、水道、電気・ガスなどは全て買うものだと思わされて来た。特に重要な生活のエネルギー源である電気は完全に買わされるものであったが、太陽電池の出現で一変する可能性が出てきた。理論上は各家庭が電気エネルギーを自前することが出来るようになり、社会からエネルギー的に自立できる可能性が出てきたと言えないだろうか。そのような社会が成り立つためには、無限の太陽エネルギーを電気に変えてくれる太陽電池の存在が絶対条件である。太陽電池は大規模集中電力供給システムから、完全分散エネルギーシステムに切り替えることが出来、危機管理上からもいたって安全で安心なシステムの構築が可能になる。
家庭における電気エネルギー自立システムとは、大まかには太陽電池+水の電気分解装置+燃料電池となり、その他に貯湯タンクやキャパシターなどで構成されるだろう。簡単に言うと太陽エネルギーと水から生活のエネルギーを作り出すことである。自宅で太陽エネルギーを電気に変え、車にチャージしてからドライブに行くなどということになるかもしれない。太陽電池により、完全に二酸化炭素を出さない生活も可能になるだろう(勿論、太陽熱エネルギーは直接熱として使う)。二酸化炭素を出さず、本当の自主独立の生活が獲得できるなら、そんなことが出来るんなら、いくら金を掛けても良いんじゃないか、と考える人は案外多いかもしれない。そんな時、「ペイする・しない論」はどう捉えたら良いんだろうか・・・・




「ペイする・しない論」について (1)
20070731230331.jpg相変わらず太陽電池に対してだけ「ペイする・しない論」が横行している。この現象こそが太陽電池の普及を妨げている最大の要因の一つである。勿論、価格の問題もあろうが、太陽電池をしっかり考えようとする前に「ペイする・しない論」によって片付けられてしまうのは、とても残念なことである。
それは太陽電池についての機能や存在意義や将来性が、良く理解されてないために起こるのではないだろうか。
太陽エネルギーの何たるかを、きちんと教育されていない現在の社会では、太陽電池の意味さえもほとんど理解されていないのだろ(そのため、今回、太陽電池ブログを連載している)。そういう意味では積極的に太陽電池のことを検討すること自体が、今はちょっとまだ無理なのかもしれない。
「ペイする・しない」とは一体どういう事なのだろうか。同じく購入する家電や車などは、エネルギーを消費し、二酸化炭素を出しまくっている工業製品である、にも関わらず「ペイする・しない論」が言われず(このことは次回です)、二酸化炭素の発生が無く、エネルギーを消費せず、エネルギーを生産する太陽電池だけが、その対象になるのはどうしてなのだろうか。どうしてこんなにもまことしやかに「ペイする・しない論」が語られるんだろうか。どうしてそれがあたかも正しい論理かのように捉えられているんだろうか。これはエネルギーを生み出す物に限って言われる、特殊な事情によるのではないだろうか。20070801061532.jpg火力発電(環境対策がもっも取られている一つ)で考えてみると、石油や石炭や天然ガスを、いくらで買い、それによって発電した電気をいくらで売るか、その為には設備にいくら掛かり、どのくらいのメンテナンスが必要で、システムはどのくらいの寿命があるか、等々のかなり複雑な計算をして、ペイするという結論を出して、初めて事業がスタートすることになるだろう。多分、太陽電池に対しても特別考えることもなく、ただ漠然とそんなイメージを当てはめるため、「ペイする・しない論」になってしまうのだろう。つまり、電気を発電し売るということから、その存在意義を考えることもなく「ペイする・しない論」になってしまうのだろう。
電気は電力会社から買う値段が決まっており、現在私たちはその決まった値段で電気を買っている。その為、太陽電池で発電された電気を値段に換算したくなり、一年間で発電した分の金額で、太陽電池の値段を簡単に割ったしまうのだ。
それでペイするのは何年だということになる。それではちょっと単純過ぎやしないだろうか。二酸化炭素による温暖化などを考えたなら、電力会社がいま出している電力代というのは、ほんとうに換算するのに使えるほど正しい数字なのだろうか。それに頼って良いのだろうか。20070801061504.jpgこれからの更なる環境対策費増加、燃料価格の高騰、原子力発電の放射線廃棄物の処理に関わる費用等々、電気代を押し上げるための要因ばかりである(秋から値上げ)。また、エネルギー使用税など、二酸化炭素排出規制はますます強まるだろう。
そんな中で、二酸化炭素や他の排ガスも出さない、太陽電池を「ペイする・しない」で評価するなら、それらのことも含めた上で考えるべきである。
まだそういう捉え方は、残念ながら今の社会では認知されていないが、早晩、人類は環境復旧費として莫大な税金を払うようになるだろう。それなら太陽電池の方が圧倒的に有利でペイすると考えるべきだと思うのだが・・・・
このように根拠も明白でないコストで「ペイする・しない論」など、今どき悠長なことを言っていて良いんだろうか・・・・
太陽電池は個人の所有であるが、その本質は社会を支えるインフラでもある。
明るい未来への投資のために、太陽電池を考えるのも楽しいのではないだろうか。

・・・・次回に続く



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