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「火」と人間の関わりは深い。「火」は猿(のような)から人間に進化した時から人間を支えてきたのだろう。と言うより、「火」を使うようになった猿が人間に進化したのかも知れない。いずれにしても「火」と人間は切り離せない関係である。「火」を使うことは人間の人間たる証と言っても良いだろう。にもかかわらず、現在、生活の中にガスの燃焼はあっても「火」は存在していない。ガスの燃焼は火ではあるが、人間がずっと馴染んできた「火」ではなく、人工的に作られた火である。火とは言っても、それに求められている機能は単に煮炊だけであり、本来持っている「火」の機能のほんの一部を取り出したに過ぎず、人間が暖かみを感じる本来の「火」ではない。20071026223142.jpgつまり車からエンジンだけを取り出し、これが車だと言えないのと同じである。
「火」には5つの機能があると思う。その1)暖かさ機能、その2)明るさ機能、その3)煮炊き機能、そん4)団らん機能、その5)神事機能、である。このように「火」は複合機能を持ったものである。「火」は本来、複合機能のまま使われるところに意義があったはずだが、それに気が付かずどんどん単機能に分解され、置き換えられてしまった。「火」の暖かさ機能はエアコンや床暖房に取って代わられてしまったし、明るさ機能は電球や蛍光灯に、煮炊き機能はガスレンジやIHヒーターに、団らん機能はテレビやゲームに、神事機能に至ってはもう忘れられてしまった。その他「火」には、明暗の揺らぎ、熱の揺らぎや、薪と煙の匂い、音などの性質が含まれている。本来「火」にはそれらが総合されて醸し出す神秘的な魅力があったはずだ。その魅力的である「火」を近代の工業主義は、汚い、危険、めんどくさいと言って簡単に切り捨ててしまった(勿論それで多大な恩恵を得ている)。そしてついには家庭生活の中から抹殺されてしまった。そんなわけだから現代の日本で「火」が馴染むような住まいはほとんど見あたらなくなってしまった。家の中で自然の「火」を焚けることが珍しくなってしまった。20071031065210.jpg
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20071031065348.jpg多分、都会では「火」をじっと見つめた経験のある子供達はほとんど居ないのではないだろうか。テレビゲームで時間をつぶしても、「火」を見ながら物事を考える時間など当然経験していないのではないだろか。なにしろ今の日本では、キャンプ場へ行っても焚き火禁止なのだから、「火」はとことん嫌われてしまったものだと思う。これは特に家族にとって本来かなりの異常事態だと思うのだが、住まいの中に何とか「火」を入れようと努力している人は皆無と言って良い。現在、「火」に求めることは、勿論暖かさの機能でも、明るさの機能でも、煮炊きの機能でもない。「火」という自然に接する時間を持つことだと思う。だから「火」の量や強さではないのである。今の生活を維持するために、暖かさや明るさや煮炊きの機能を求めて日本中の人が「火」を使ったら、途端に日本中は禿げ山になってしまうだろう。それは今さら成り立たないし、その為には薪を使うまでもなく、太陽エネルギーを使いこなせば十分だと思う。
今、「火」に求めることは、自分自身が作り出せる数少ない心のゆとり時間なのかも知れない。「火」を見つめることによって、忙しない生活の中で自分の心を見つめられるような気がする。人と対話する時、お互いに「火」を見ながらなら話すことが出来る。それだけでも「火」はとても神秘的な気がする。家の中に「火」を入れないという理由ばかりを考えるのではなく、家族にとって更に居心地の良い住まいにするために、何とかもう少し「火」を入れる努力ができないものだろうか。家族関係も必ず変わると思うのだが・・・・
63回目の冬がまたそこまで近づいて来ている。暖炉の前で飲むビール(但し、少々)も格別である。
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20071026160730.jpg集熱床材について、太陽熱の利用について色々と書いてきたが、集熱床材を利用して住まいを設計する場合、今までやっていないことを新たにかなりやらなければならない。
(1番目)先ずは家を建てる土地の日射条件を分析することが必須である。土地の中のどの場所が、どの高さの時、どの時間に、どう日射が得られるのか知ることである。
(2番目)日射の入る状況を見ながら、建物を置く位置を決める。ダイレクトゲインを利用する場合の建物の形は出来るだけ東西方向に長くなるようにする。又、ダイレクトゲインをより多く取り込むためには、当然だが建物を出来るだけ北側に寄せる。
(3番目)ダイレクトゲインが1階で間に合うのか、それとも2階にすべきなのか、それとも屋根でなければ日射の利用は出来ないのかを確かめる。
(1、2階ともダイレクトゲインが取れなければ屋根集熱を考えるしかない。ここで、ソーラーハウスのシステムを決める)
20071026160749.jpg(4番目)開口部の大きさと集熱床材の面積を決め、実際に取得できるダイレクトゲインの量を算出する。
(5番目)ダイレクトゲインによって得られた熱量だけで、出来るだけ生活するための家のトータル断熱仕様を検討する。
(6番目)実際に生活の何%のエネルギーがまかなえたかを算出する。それの数値を見ながら断熱材の種類、性能、取り付け方、ガラスの性能、サッシの性能、開口部の大きさなどを再検討する。
(7番目)それらの基本仕様に基づいて、間取りや外観デザインを考える。
非常におおざっぱに書いたが、今後太陽エネルギー利用を考えた住まいの設計をするとなると、こんなプロセスが必要ではないかと考えている。
これらの設計プロセスのシミュレーションソフト及び土地の分析方法は、時間が掛かりそうだが現在開発中である。
住まいを設計することは生活を設計することでもある。現在のように化石エネルギーを使って生活しているのであれば、その使用量に比例して二酸化炭素もまた排出されるのも当然である。加速度的に進みつつある温暖化を考えると、生活することによって排出される二酸化炭素の量を定量的に捉え、それをより少なくするために最大限の努力を欠かすことは出来ないだろう。
図は集熱床材の取り付け方と、一部だけが取り外せる構造を示している。
今回の「集熱床材について」はこれで終了です。


太陽エネルギーを利用するという ことは、現在までのエネルギーの使い方のように電気やガスや灯油を適当にドンと持ってきて、これも適当に分配して適当に使う、という訳にはゆかない。
太陽エネルギーの欠点というのは、あくまでも現在の化石燃料の視点から見た場合であるが、集めるのに大きな面積が必要(エネ ルギーが分散している)である。
しかし物事には 欠点が有ればその裏側に必ず利点もあるのが常である。化石燃料の場合 は限られた場所から個人が掘って持ってくることはほとんど不可能であるが、太陽エネルギーの場合はエネルギーの方から勝手に 来てくれるし、その希薄さ故に誰でもが安全に自由に工夫して使うこと が出来る。20071024160642.jpg
化石エネルギーは極端に狭い範囲で大きな力を出すことに優 れているが、太陽エネルギーは広い面積全体で初めて大きな力を発揮す ることが出来る。また、化石エネルギーは取り出した大エネルギーを広い範囲に分配して使う中央集権型であるが、太陽エネルギーは個人レベルの個別分散型である。その為、一部が壊れても全体への影響は至って少ない が、中央集権型である化石エネルギーはそこが壊れれば、そこからエネ ルギーの供給を受けている範囲は全滅である。
このように先ず視点を変 えて少し努力すれば快適で安全な社会も夢でないだろう。結果としては 人類は必ずそういう社会に移行してゆくのだろう。但し、温暖化により破滅しなければの話であるが・・・・
20071024160657.jpgソーラーハウスを考える場合、どう太陽熱を取り込むか、取り込めるか、溜め込めるかを考えなければならないことは当然である。集熱床材を使ったダイレクトゲインシステムというのは、屋根の集熱部の機能を床に持って持ってきたようなものだ。屋根集熱の場合は屋根材と集熱機能が一体化したものだが、床集熱の場合も同様に床材と集熱機能が 一体化したものだ。屋根集熱の場合は熱媒体である水や空気をポンプやファンで下へ移動させ蓄熱することになるが、床集熱の場合は直接蓄熱させるため、構造を至ってシンプルにすることが出来る。
ソーラーハウス化するための条件は色々あるが、その中でも蓄熱槽は絶対必要な物の一つである。アクアレイヤーは深夜電力用の蓄熱槽として多くの実績があるため、集熱床材と組み合わせることにより木造住宅を簡単にソーラーハウス化することが出来る。ダイレクトゲイン方式は最もシンプルなソーラーハウス方式であるが、屋根に比べると一般的に日射量は少ないことが多い。その為、その土地で得られる太陽熱量を知る必要があるし、そこにどんな箱を置いたら、どの部分はどれだけどんな日射量が得られるのか当然知らなければならない。
一階で十分な太陽熱量が得られるのか、二階でないとダメなのか、それとも屋根だけなのかシュミレーションする必要がある。つまりその場所の風土を定量的に知る必要がある。主観に頼る設計では難しい。20071025074742.jpg
ダイレクトゲイン方式を最初に検討するのは最もシンプルな方式だからである。これで上手く行くならそれに越したことはない。しかし、立地条件によってはダイレクトゲイン方式が採用できないことも当然出てくる。集熱床材を使ったダイレクトゲイン方式が万能であるわけではないので、その土地と風土に合ったソーラー方式を選択することが、これからの住まい設計の第一歩の仕事になるだろう。
これからの時代は益々 Simpe is best. が全ての面で求められてゆくだろう。アクアレイヤー ダイレクトゲイン システムはそれを満足させるための方法の一つに成り得ることを確信している。

5回までやるつもりです。

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それではいま考えられる太陽エネルギーで生活する住まいとはどんな家なのだろうか。冷蔵庫、レンジ、洗濯機、照明等々を使用すると必ず二酸化炭素を発生するが、前記した通り、これは現在社会のエネルギー供給システムのためであり、冷蔵庫、レンジ、洗濯機、照明等が二酸化炭素を出すわけではない。
これらの生活必需品を利用して行くためには二酸化炭素の排出しない電気が必要である。そういう電気を作るためには太陽電池(勿論、自然エネルギーによる物は全て含まれる)しかない。しかし現実は太陽電池を取り付けても系統連係をしなければならないが、将来、各家庭が水素を効率よく作れるようになれば、同時に燃料電池が家庭に入るようになれば、二酸化炭素を出さない電気の生活が可能になり、個人のエネルギーにおける完全自立も夢で無くなるだろう。20071022234023.jpg
ご存じのように生活で必要なエネルギーには熱エネルギーと電気エネルギーがある。
熱エネルギーとしては更に給湯用の高温水用、暖房用などの低温水用、煮炊きに使う更に高温の熱エネルギーなどに分けて考える必要がある。
煮炊きのエネルギーは別にして、いずれの温水を作るのも太陽電池により得られた電気でヒートポンプを回して得ることが出来る。また太陽熱を直接利用できる物は、わざわざ太陽電池の電気を使うべきではない。太陽電池によって作られた高級なエネルギーである電気は、パソコンやテレビや照明や冷蔵庫など、電気でなければだめな物に優先して使うべきだからである。
太陽熱が直接使える物が何かというと、その代表が暖房である。その中でも特に直接熱を床の蓄熱層に溜め込めるダイレクトゲイン方式が分かりやすい。つまり、これからの住まいは、系統連係をさせた太陽電池を出来るだけ多く設置し、その電気でお湯を作り、機器を動かし、冬は太陽熱を屋内に取り込み、溜め込み、夏は直射日光を入れない構造とし、屋内に風の流れができる形状とすべきだろう。20071022234036.jpg
設備としては給湯用の高温ヒートポンプと暖房の補助熱源としてのヒートポンプという構成(これは一体化するかも知れない)になるだろう。そんな中で暖房を構成する構造部材の一つとして「集熱床材」は重要な位置を占めることになれると思っている。
太陽熱を利用して温水を作るには、一般的に屋根に載せる温水集熱器があるが、それで温水を作ることは得策ではない。それを載せるスペースと金があるなら、その分を太陽電池にすべきだろう。冬に必要なだけお湯が取れる容量の温水器を載せてしまうと、夏は温水が完全に余ってしまうことになる。出来てしまったお湯は誰かに配るわけにはいかず、完全に無駄になってしまう。太陽電池とヒートポンプでお湯を作るシステムにしておけば、お湯が余るということはないし、電気が余れば系統連係を通して社会の需要の中に供給することができ、無駄になることは無い。今まではお湯を作るのはガスとか灯油に決まっていたが、二酸化炭素による温暖化の問題を考えると、今後は二酸化炭素の出ない電気(太陽電池)とヒートポンプの組み合わせにならざるを得ないと思う。


久し振りにランドナーで秋の手賀沼湖畔を走ってきた。
GPSのデーター:走行距離29Km、移動していた時間1時間57分、自転車から降りていた時間43分33秒、最高速度時速29.6Km、移動平均速度時速14.8Km、全体平均速度時速10.8Kmでした。
GPSが勝手に計算して表示してくれる。文明の進化は何とも便利な物だ。
GPS用の単3電池はサンヨーの充電式ニッケル水素電池を使用している。
3回目の集熱床材については次回に変更です。20071021233246.jpg

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ダイレクトゲイン方式というのはいろいろあるソーラー方式の中でも最もシンプルなシステムである。ただし、いままではコンクリートなどの熱容量の大きな床を持った建物にしか採用することが出来ず、熱容量が小さ過ぎる木造住宅の木造床では、折角日射熱が入って来てもそれをため込むことが出来ないでいた。日本の戸建ての住宅の多くが木造であることを考えると、木造住宅でのダイレクトゲイン方式によるソーラーハウス化はどうしても解決しなければならない問題である。
20071018230714.jpgイゼナ式床暖房アクアレイヤーシステムは根太間を水で満たし、その自然対流機能を利用した床暖房である、と同時に大きな熱容量を木造住宅に与えるシステムでもある。これは又大きな蓄熱層とも考えられるので、これに直接太陽熱をため込むことができれば木造住宅におけるダイレクトゲインソーラーハウスが初めて可能になる。
但し、既存の木製の床材は熱伝導性能は良くないのでそれを通して、ダイレクトゲインによりアクアレイヤーを温めることは難しい。木材はダイレクトゲインの熱を積極的の通すという使い方には向かないが、ダイレクトゲインにより床材の表面の温度が上がり、深夜電力などによりアクアレイヤーに溜まってる熱を逃がさないので、より長い時間保温する役目は果たすことが出来る。少々消極的ではあるが、蓄熱できる床に対してダイレクトゲインはそれなりに有効である。20071018230534.jpg床に吸収されたダイレクトゲインの熱を出来るだけ素早くアクアレイヤーの水に伝えるためには、床材と根太材に出来るだけ熱伝導性の良い物を使う必要がある。熱伝導性が良い材料は金属しか無いが、その中でも建材としてある程度形が自由に作れ、扱いやすい物はアルミしかない。その為、集熱床材と熱伝導用根太はアルミで作ることになった。アルミは金属の中では融点が低いため、リサイクルしやすい金属である。また、大きな電力を使ってボーキサイトからアルミは作られるが、現在、生産国に於いての大部分の電力は水力発電によって得られたものが使われているらしい。仮に100%水力による電力が使われたならば、アルミの生産に於いて大きなエネルギーを食ったとしても二酸化炭素はゼロということになる。人類が生きるために何らかの材料が必要であるならアルミはかなり使いやすい材料であると思っている。これからの住まいの温熱環境を考える上で、アルミは構造材の前に良熱伝導材として捉える必要があるのではないだろうか。
また、これからの住まいの設計に於いては、化石エネルギーに頼る割合を出来るだけ減らし、太陽エネルギーの割合を出来るだけ増やすということが最大の課題になるだろう。20071018231001.jpgエネルギーは自前しない限り必ず二酸化炭素が発生する。他から持ってくるエネルギーは必ず二酸化炭素を発生してしまう。そのことをわきまえながら住まいの構造を考え、形を考え、設計をしなければならないだろう。その為には先ずその土地で得られる太陽エネルギーの量を知らなければならないし、近隣条件から実際に得られる日射量を知らなければならないだろう(住まいを構想する前に情緒的ではなく、定量的に風土を理解することが必要になってくる)。つまり土地が取得できるエネルギー条件を把握した上で、それに適したソーラーシステムを先ず選ばなければならない。そうしなければ住まいの設計のスタートが出来ないことになってしまう。ダイレクトゲイン方式も有効なソーラーハウスシステムの一つであるが、あくまでも土地の条件によって最良のソーラーハウスのシステムを選択すべきであり、初めから何々方式と決めつけるべき物ではないと思う。場合によっては太陽エネルギーが有効に使えないことも有るわけだから、土地の条件を素直に捉え、できるだけ二酸化炭素を出さず、快適な生活が出来る方法を選択しなければならない。
(最後の写真は手賀沼湖畔の散歩道で狂い咲きしてい桜)

次回に続く


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特許申請は直前に間に合わせ、「集熱床材」を「新エネルギー世界展示会」で公開した。集熱床材とは何か、どうして開発したか、どう使うのかについて書いてみたい。
ブログ上で何度も書いているように、現在、人類にとって最も大きな問題の一つに地球温暖化があり、それは何としても止めなければならない。その為には、自分に何が出来るかではなく、自分は何をするかを決めなければならないと思う。そうしなければ、今までの生活にただ流され、更に温暖化に貢献してしまうことになってしまうからだ。
20071017225305.jpg温暖化を解決する最も簡単な方法の一つは、物を供給する企業、つまりメーカーが二酸化炭素を出さないで済む商品を社会に供給すればよいことである。二酸化炭素を出さない車、二酸化炭素を出さない冷蔵庫、レンジ、洗濯機、照明等々・・・であるが、今は社会システムそのものが二酸化炭素を排出することを前提にして成り立っているので、単に商品の改良だけでは、よほど発想転換をした画期的な物でない限り二酸化炭素は発生してしまう。しかし、いくら改良しても肝心のインフラとしてのエネルギー源が変わらなければ二酸化炭素の排出が少なくなるだけで止めることが出来ない。
「二酸化炭素を出さない」と言うことは簡単であるが、それらのことも含めて考えなければならない至って難しい問題である。
20071017225322.jpg現在、家の中にある大部分の物は石油、ガス、石炭によるエネルギーが直接的又は間接的に供給されなければ使用することが出来ない為(原子力発電は当面二酸化炭素の発生なしに電気エネルギーを作り出せるが、その後の核廃棄物という別の問題がある)、今のままでは私たちが道具を使って便利に生活すればするほど(それらがどんなに省エネであっても)全てから二酸化炭素が必ず発生し、それがますます増加して行く結果になってしまう。
当然、どんな暖房機器からも直接的間接的に二酸化炭素が発生する。それを何とか出来ないか、ということからダイレクトゲイン方式(室内の床や壁などに差し込んだ日射により得られる太陽熱を利用する方式)のソーラーハウスの開発をすべきだという方針が決まった。解決策は、先ずエネルギー源を変えるしか無いからだ。(しかし、「無い」と言い切ってしまうのは寒気を遮断する部位を家の外壁部にしたからであり、現在、性能がかなり進歩している衣服にすれば特別エネルギーを持ってこなくても寒さをしのぐことは可能である。これからは、それらのことを踏まえた上で住まいの総合的な温熱環境を設計せざるを得ない時代になるだろう)

次回に続く

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新エネルギー世界展示会がやっと終った。先ずは、お忙しいところわざわざイゼナブースへいらしていただきましたことに感謝申し上げます。多くの仲間が見ていてくださることを実感し、とても力強く感じました。有り難うございました。
20071014183207.jpg3日間参加して感じたことは、新しい方向性を見つけようと、この展示会にいらした方が多かったように思ったことだ。そんな中で、少なからぬ人達にアクアレイヤーダイレクトゲインシステムのシンプルさを評価していただいたことは何とも勇気づけられる思いだった。
しかし、この展示会全体を見ると何とも寒々しいものを感じないわけには行かなかった。何と言っても、世界「展示会」というのにスケールが余りにも小さ過ぎることだ。出展国は勿論、出展企業が少な過ぎるし、大体、こんなに価値観が変わらなければならない時代なのに、何故ベンチャー企業がもっともっと参画しないのだろうか不思議に思った。この少なさは単にこの展示会の企画運営
の問題だけではあるまい。20071014183224.jpg今の時代は人々の生き方の価値観が変化しているのではなく、むしろ価値観が変化しないために自然環境が悪い方向に激変しようとしているのである。そんな時、企業は自分達がこれからも快適に存続するために、それを阻止することを最優先に掲げ、先頭を走ることを宣伝し、積極的に新しい商品を開発すべき良いチャンスなのではないだろうか。特に動きの自由であるはずのベンチャー企業にとっては、世に出るための大きなチャンスではないだろうか。何度も言うように、私たちが当たり前の生活をしたために温暖化は起こったのだ。20071014183243.jpg私たちが当然正しいと思って選択した生活が温暖化による環境の悪化を引き起こしつつあるのだ。と言うことは、「当たり前」と思っていることの全てを見直さなければならないということである。当たり前の生活をするために当たり前に必要だった物の全てを見直す必要があるということだとも言えるのである。勿論物だけでなく生活の仕方そのものの意識も変えなければならないのは当然である。大げさに言えば、全ての物は今までの当たり前により作られた物なのだから、それらは全て変えなければならない、と言えるのではないだろうか。全て、温暖化を起こさないシステムに変えなければならないと言うことではなかろうか。弱小企業にとってこんなビジネスチャンスは二度と無いと思うのだが、こんなスケールの展示会で終わってしまうとはどうしてなんだろうか。不思議でならない。20071014183306.jpg「既成の価値観」に対してどんなことでも提案できるのが今の時代だと思う。「既成の価値観」をひっくり返すことこそ、これからの時代に生きるための価値観を作り出すことなである。何でもっとそんな時代を利用しないのだろうか。
イゼナが単独で展示会にブースを出すのは初めてであった。8月17日に出展のお話しをいただいてから、全社を(と言っても6人)上げて全力で準備した。正に激暑の中で準備が始まり、終わってみたらもう秋になっていた。この美しい秋を何時までも残したい。子供達の世代にも、孫達の世代にも、その次の世代にも・・・・なにしろやらなければいけないと思う。20071014183144.jpg
「生活新エネルギー展」が出来ればよいのだが・・・・


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2日目も立ちっぱなし、説明しっぱなしでかなり疲れた。
あと1日、明日が思いやられる。
こられるお客様は企業の専門家が多い。
ダイレクトゲインで床に蓄熱することに対してはかなり反応が大きい感じがした。
「二酸化炭素の削減」という言葉を使うことがいたって自然になり、随分と社会の感じが変わったようにも思える。

10月10日から12日まで幕張メッセで「新エネルギー世界展示会」に出展しています。
見に来てください。
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孫の通っている保育園の運動会を見学した。グラウンドに響く子供達の楽しそうな声と笑顔に日々の忙しさを忘れ、安らぎの時間を与えられた思いであった。
しかし、屈託のない笑顔を見ていると、とても複雑な思いにさせられるのは私だけなのだろうか。次の世代の子や孫達に、この笑顔が引き継げるのだろうかと考えてしまう。親であれば、子や孫をかわいいと思うのは当たり前である。子が病気になり苦しんでいるのを「目の前にする」と、親であれば誰でも本心から変わってあげたいと思うものだろう。20071008193742.jpgしかし「目の前」でないと、つまり自分の目の前で確認できない未来のことであると、その時、実際に子や孫がどんな境遇に置かれるか分からないと、つまり想像しなければならないことについては、親と言えどもいたって冷淡であるように思える。
今している自分の行動が子や孫のどんな影響をもたらすか、ほとんどの親は考えようとしないように見える。今まで(今でも)の自分たちの行動が温暖化をもたらしつつあることが分かっても、それをほとんど変えようとしないように見える。生活を変えようとせず、単に維持することだけしか考えないで居られるのは何故なのか。20071008193724.jpg
温暖化が多少でもバラ色の未来を約束するものならまだしも、それを予測するどんなデータも皆無である。そこまで分かっていても、悪化するであろう未来の地球環境を放置して、現在の生活維持だけを考える人間とは何なのだろうか。ほとんどの親は、なぜ子や孫の未来よりも今の自分の生活維持を優先するのだろうか。今の自分さえ良ければ未来は考えないのは何故なのだろうか。
「未来に対しての行動」ということを考えると、特攻隊員として死んでいった若者の遺書を思い出す(勿論、特攻隊を賛美しているのではなく、彼らのような極端に理不尽な人生にされてしまった人達がかつて居て、彼らは現在の生にしがみつけず、未来のためにという理由で死なざるを得なかった)。彼らの多くは「自分が死んで日本のためになるなら、親のため、妻のため、子供達のため、恋人のためになるなら・・・・」と書き残している。20071008193757.jpg彼らの取らざるを得なかった行動は、正に今の現象とは反対である。自分は良い思いをしても子や孫の未来のことは考えない。片や自分はともかくとしても、未来のために・・・・である。
状況が違うと言ってしまえばそれまでだが、そういう人達が居たことぐらいは忘れてはいけないように思う。
勿論、今は未来を考えても死ぬ必要などなく、むしろ新しい生き方を模索し、新しい自分の可能性を探せる楽しさが有る時代である。
最近の報道の中で、アマゾンとインドネシアのことが取り上げられていた。地球の肺と言われている(そうだ)アマゾンの違法伐採のことと、インドネシアも同じく森林を伐採して焼き畑にしていることである。アマゾンの森が急速に減少していることは以前から色々聞いていたが、インドネシアの焼き畑が出す二酸化炭素の量が日本の一年分に相当するということには驚いた。20071008193708.jpgアマゾンの農民もインドネシアの農民も同じく、生きるため、生活を守るためと言っていた。地球より重い人命ということからすれば、さもあらんことになるが、それが60何億の人類の未来に関わることになると、どう考えたらよいのだろうか。個人の自由とは何処まで許されるのだろうか。私たちにも自分の子や孫に良い環境を与える自由と権利があるはずだ。これからは今まで考えても見なかった地球環境という視点から、そのシステムにマイナスにならない範囲においてのみ個人や国家の自由が認められるということになっていくのではなかろうか。いずれにしてもこれからの人類の議論は泥沼の様になるだろう。
今、どんなに頬ずりをして孫を可愛がったところで、それが一体彼らにとって本当に可愛がってもらったことになるんだろうか。10年前まではそれでも済んだかも知れないが、今はどうもそれでは違うと思う。その場限りの、可愛いと思っている自分の心を、単に大切にしているだけでは、もう済まない時代になってしまったような気がする。少なくとも、温暖化による環境の悪化を招いたのは保育園児のせいではない。彼らを温暖化の犠牲にしてはならないと思う。

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月探査機「かぐや」が約11万Kmの彼方から地球の写真を撮った。その写真が朝日新聞の1面に載った。地球全体が写ってはいないが、何と、私たちの全てを支えている、あの大気層が薄い白い輪郭として見事に映し出されている。人間が住める実際の大気層の厚さは、写真よりも更に薄いはずだが、この写真からも十分その様子が受け取れる。地球の大きさと大気層の厚さほど、持っているイメージとかけ離れている物もないように思う。8000m以上のエベレストの酸素は地上の1/3であることを思えば、大気層はとんでもなく薄いことが想像できるはずなのだが、大気層の底で生活していると全くその現実が伝わってこない。20071005092100.jpg残念ながら人間にはその薄さを直感的に想像する能力が与えられなかったからだろう。宇宙から見ればほんのちっぽけな地球でも、人間から見れば途轍もなく大きい為、実体験の中からはその感覚を掴むことが出来ないのだろう。
この薄く白く見える大気層の底で、60何億かの人間が自己主張し、全てのひしめき合いが行われていると思うととても複雑な思いがする。また、こんな地球が俯瞰できる様になったのに、いまだに人類はほとんど価値観を変えずに生きているということは、不思議と言えばかなり不思議な現象である。どう見ても、この薄さの中で法律に違反しないからと言って、したい放題、好き勝手は成り立たないだろうなということぐらい、それなりに理解できると思うのだが・・・・温暖化が更に加速しているのは何故なんだろうか。
技術が進歩して11万Kmの彼方からも地球が見られるようになったということは、ある意味で人間の暴走を止める為の遺伝子が行った技のような気もする。つまり技術の進歩とは、人間の行動を調整(反省)する制御機能として人間に付加された能力なのだとも言えないだろうか。だとすると、もっと真剣に最先端の技術によって得られたデーターを大切にしなければならないだろうし、新しい価値基準作りの原点を見つける為に、有効に利用しなければならないのではないだろうか。
自宅の庭にも温暖化に因るらしい顕著な現象が現れ始めたようだ。
シャラとシナの木が枯れ始めたので、今日、植木屋さんに見てもらった。シャラの木が枯れる現象は、この何年か非常に増えているそうだ。20071005092115.jpg
シャラは元々海抜700mぐらいの所を好む樹種であるため、最近の気温上昇によりどうも関東平野の気候では住めなくなってしまったらしい。だとすれば、シナの木も15~6年ほど前に菅平から持ってきた物であり、気温上昇の影響をもろに受けてしまったのかもしれない。そういえば近頃近所で白樺をめっきり見なくなったような気がする。言われてみれば随分と顕著な現象だが、何気なく過ごしていると全く気が付かないことである。しかし、大きさを想像すら出来ない地球上の自然現象が気が付くほど変化しだしてしまったということは、これもまた想像の域を脱した莫大なエネルギーが関与してるのだろうということだけは想像できる。
少しは分かりやすい量で計算してみる。地球上の海水の量は14億立方キロメーターほどと言われているが、この温度が1度上がるということはどういうことか。もし100万Kwhの原子力発電所を1年動かして地球上の海水温度を1度上げるとしたら、2億台近くを動かさなければならない計算になる(多分間違っていないと思うのだが?)・・・・やっぱりこれも想像を絶する。人間にとって自然の変化を地球規模で捉えることは所詮不可能なのかもしれない。
『画像提供 JAXA』


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昨日だったか、中国のある現状がテレビで紹介されていた。少し前の紅衛兵や人民服を着た市民の姿を思うとまるで隔世の感がある。マスコミや人々が伝える中国経済の発展については目を見張るものがあるが、しかし、それが行われてゆくプロセスの中ではまた同じ問題を生み出していることを伝えていた。何故、経済発展するには同じ過ちが繰り返されるのだろう。何故、人間は他の場所で過去に行われた愚行を平気な顔をしてまた同じように行うのだろうか。東京の空は見た目は確かにきれいになったが、かつてスモッグに悩まされた時もあった。工場からの煤煙と車の排ガスによるスモッグは工場などが休みになる正月の間だけ緩和された経験がある。20071002234610.jpg都市のスモッグは産業革命以後のロンドンでも起きていたようだ。当たり前のことだが煤煙も排ガスもエネルギーの消費によってもたらされる。経済が発展するとはエネルギー消費を増大させることであるから、化石燃料の燃焼と共に二酸化炭素を始め、有害廃ガスを多く排出するのは当然のことであることは誰でもがもう知っている。にも関わらず国が変わると経済の発展は常にそれらの対策を立てずに進んでゆくのはどうしてなんだろうか。既に多くの負の実例が有るというのに、何故学習しないのだろうか。また経済発展は煤煙や排ガスだけでなく、有害な廃棄物も多く排出されることが当たり前であることも既に知っている。その番組の中で、化学工場から川に出されるどす黒い廃液が映し出されていたが、何故、人間はまた懲りずに平気でそういうことをやるのだろうか。何故、あの多大に犠牲を払った「水俣」に学ぼうとしないのだろうか。その反省を参考にしようとしないんだろうか。それが一番金の掛からない方法だとして簡単に川や海に流しているんだろうが、いずれ近々、対策と保証で更なる金が掛かってしまうことは目に見えているのに、何故そんなことが予測できないのだろうか。経済の発展は社会万民の為のものであり、経済が発展するために犠牲者が出るなんてことは絶対にあってはならないはずなのに、反省しなければならない事例はもう既に幾多も存在しているのに、何故また繰り返すのだろうか。20071002234630.jpg
人間とは、イケイケどんどんの時は金しか見えず、自分さえ良ければ、自分にいま金さえ入れば、と思っているとしか思えない。人間ってそんなもんなんだろうか。同じ番組の中で、工場排水の汚さの程度によるランク付けのことが語られていた。最も汚いのが「劣5」と言うらしい。中国地図上の広い範囲に非常に多くの場所がプロットされていた。前記したどす黒い廃液の工場のその中の一つである。そんなに汚なく危険な場所が多いことが分かっているなら、政府は解決の実効策を直ぐさま行えば良いと思うのだが、プロットして実情を把握したことだけで満足しているように思ってしまう。人間にとっては環境と生命と健康を大切にすることが何よりも優先されるべきであるのに、その動きが遅いのは何故なんだろうか。
また、車事情についても放映されていた。「マイカーを持つのが夢だった」「車を持っている人が羨ましく、ずっと車が欲しかった」ある夫婦が語っていた。
20071002234645.jpg日本の昭和40年代の光景であろうか。正に自分が車を持つことだけしか考えていないことが、その言動と振る舞いからよく見えていた。勿論、温暖化など何処吹く風であろうことは、まだ今の日本人の多くがそうであるのだから致し方ないかもしれない。40年も先行しているのだから、もう少し環境のことまで考えられる大人に成熟しても良さそうなものだが、相変わらずであるように見えるのは何故なんだろうか。
温暖化は多く見ても10億人ぐらいの先進国によってなされたと言って良い。65億人の内のたった10億人によって地球の温室効果システムのバランスが壊されてしまったわけである。もう既にここで二酸化炭素の排出は止めても遅いくらいなのに、これから残りの45億人が更に増加しながら先進国10億人が得た生活を目指そうとしている。地球上での人間の存在は宿主を死に追いやり、同時に自分も死んでしまう癌みたいな存在であるように思える。なんてバカなんですかね・・・・


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