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今から8年前、建築知識3月号(2000年)のコラム欄で床暖房の分類の仕方について書いた。床暖房というと今でも電気パネル式とか温水パネル式とか形状によって分類されたり、電気とかガスとか熱源の種類により分類されたりしている。こういう分類の仕方は床暖房の表面的な見方であって、肝心の人に対する熱環境の視点が欠落しているように思う。ピンク梅床暖房というのは各メーカーが自分の扱っている材料を用いて単に床を暖める物を作っているに過ぎず、銅を扱う会社は銅管を用いた温水式だけだし、ガス会社はガスボイラーの温水式しかやらない。電線メーカーは発熱線タイプだし、プラスチックメーカーは架橋ポリ管の温水式、というように種類と言えば種類だが、床から熱を出して暖房にする、ということから見れば一種類しかないことになる。床を暖めるだけだから性能にはそれほどの差はない。勿論遠赤外線の差など何もない。それではどれを選んでも良いかというとそうもいかない。少なくとも二つに分けて考えるべきであろう。
8年前のコラムは、床暖房には熱容量の大きいタイプと熱容量を特に小さくしようとして開発されたタイプがあることを書いた。
いきなり電気とかガスとか灯油などの熱源で選んだり、単にメーカーで選んだりするだけでは快適な家を作ることには成らないと思う。
本来、そういう選択をする前に先ずは熱容量を活かし、変化し難い温熱環境で生活をするのか、または熱容量をできるだけ小さくして立ち上がりを早くし、コントローラーで高精度に制御した温熱環境で生活するのか考える必要がある。熱源はそれが決まってからゆっくり決めればよいと思う。
熱容量の大きな床暖房を選択した場合と、小さな物を選択した場合とでは、家の設計の仕方も構造も構成部材も違ってしまうはずである。つまり熱容量の大きい方を使う場合は24時間暖房、冬中寒くないという考え方であり、一方、熱容量の小さい物はいつでも暖かいという考え方でなく、暖めたい時だけなるべく早く暖める、という考え方である。
またこの熱容量の大小の違いは体感(今までの経験上24時間暖房を考える家の方が断熱への配慮がよりされていることが多い)にも関係があるし、ランニングコストに於いては特に電気の場合は大きな違いが出る(しかし未だに特別熱容量に配慮した考え方は普及していないようである)。
言い方を変えると(1)冬中寒くないようにしたいのか、(2)必要な時だけスイッチを入れて温まるようにしたいのか、を先ず決めることが床暖房を選ぶこつである。
但し、必要な時だけ使うようにしたからといってランニングコストが必ずしも安くなるとは限らないし、消費エネルギーが減るとは限らない。特に電気を熱源にした場合、深夜電力時間帯だけ通電して24時間暖房になるように建物の設計がされていれば、それの方が一般的には安くなる傾向がある。
白い梅(1)の場合で電気を熱源にする時は熱を沢山溜められる熱容量の大きな床暖房を選択する必要がある。夜の8時間の通電で残りの16時間分の熱も溜め込むという、所謂深夜時間帯通電にしないとランニングコストが高く成り過ぎるからだ。但し、深夜電力対応の床暖房だからといって、どんな家に入れても深夜電力だけで満足な暖房が出来る訳ではないので注意したい。床暖房の性能を引き出すのはあくまでも建物の断熱特性であるからだ。
(2)の必要な時だけスイッチを入れて温まるようにしたいタイプを選ぶ場合、勿論基本的には深夜電力で使用することは出来ない。必要な時だけオンにするというのは一見節約できるように見えるが、実情は付けっぱなしにしてしまうことが多いようだ。
熱容量を大きくして冬中暖房をするというのは、車の走行で郊外をずっと定速度運転をしているのに似ている。付けたり消したりして使うのは町中をストップしたりスタートして何度も何度も加速を繰り返すようであり、燃費の違いは明らかである。
もう一つ新しい分類法は言わずと知れた、「こもり熱」の発生に対して分散機能を持っているか、いないかということである。本来この機能は至って重要なのだが考える人はほんの少数である。
また、熱容量の大きい物は当然太陽熱の利用も考えられる。
8年前と温暖化の認識は大きく変わったが、床暖房業界はまだ何にも変わってない気がするのは私だけだろうか・・・・・


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いまだに遠赤外線については訳も分からない説明をした暖房に関するホームページが多い。つまらない物に惑わされないようにもう一度、床暖房と遠赤外線について書いてみる。226クロッカス
イゼナホームページの用語辞典にも書いているように、遠赤外線とは特殊なものでも何でもなく自分の周りにある物すべてから出ている電磁波である。
身の回りの温度が測れる物からは必ず遠赤外線が出ている。遠赤外線が取り立てて健康によいとか、植物の育成に有効だとか言うほどの物ではない。遠赤外線が有効だとかどうとか言う前に、私達生命体はこの地球の平均気温15℃の中で生きているのだ。言い方を換えると平均15℃の温度による遠赤外線の環境の中にいるのだ。
遠赤外線とはそんな至って当たり前のことなのである。
温度とは原子分子の振動の激しさである。原子分子が振動するとそれに見合った電磁波が必ず発生する。
私達は以前に物質とは原子によってできていて、原子は原子核(陽子と中性子)とその周りを回っている電子からできていると教わった。それら原子核(陽子と中性子)と電子の振動によっても遠赤外線とは違った電磁波が出てくる。
そのように電磁波と言ってもその発生原因によって波長(振動数)が違い、性質も全く違ってしまう。波長の短いエックス線は物を透過するが、波長の長い遠赤外線は原子や分子を振動させるが透過はしない。
一般的な床暖房の発熱部分は高々50~80℃(アクアレイヤーは人間の体温以下)ぐらいの温度であるからそれに見合った電磁波である一般的な遠赤外線(他の電磁波は出ない)しか出てこない。勿論その弱い遠赤外線という電磁波には物を透過する力など無い。床暖房は当然その上に床材が乗り、直に使われることはないため、床暖房パネルなどの発熱部から出る遠赤外線を直に感じることはない。床材の上で感じる熱は床暖房からの熱が床材に伝わり、その中を更に伝わってきた熱である。つまり床材を構成する原子分子が順繰りに振動を受け渡してきたものである。白梅
床暖房からの電磁波である遠赤外線が透過してきたものでない。故に、「遠赤外線が出る床暖房パネル」などという表現は当たり前のことで何処の床暖房でもほとんど一緒であり(もし多少違うことがあったとしても暖房への影響は床材の表面温度によって決まってしまう)、あたかも特殊かのような表現は単に人を惑わす以外の何物でもない。ましてや遠赤外線が体の芯まで届くかのような表現は全く嘘である。
床暖房を施工した床からは温度が高い分、遠赤外線も多く出ているが、それは下から熱伝導によって上がってきた熱により温度の上がった床材の表面から出ている遠赤外線に過ない。温度と床材質が同じならどの床暖房も全く同じである。もし遠赤外線が物を透過するなら、DNAを傷つける危険なエックス線など使うはずがない。
これから重要なことは、そんなつまらんことでなく、いかにCO2の発生を減らして尚かつ快適にするかということに尽きる。今時まだ遠赤外線などと強調している会社があれば、時代錯誤でピントのはずれも甚だしい会社ということになる。
現在、床暖房で床を暖めるなどということはアホでも出来ることだ。床暖房の種類は電気式か、温水式かなどという古びた基準ではなく、今はCO2をどう減らせるか、その上快適さをどう増すかが選択の基準であり、設計の基準である。
温暖化で環境に狂いが出ても自分だけは良い家で快適に生活するなんてことは全くあり得ないことだ。「自分だけは・・・」が通用しないのが温暖化の怖いところだ。
これからはもう少し知識を身につけ、ことさら遠赤外線を強調した説明に耳を傾けるなどという無駄な時間を持つのは止めよう。



昨日、外国に本社がある企業から「店舗から発生するCO2を1/2にするために、その一部としてアクアレイヤーを検討したい」という話があった。
具体的な目標数字を明示した話は初めてである。それも店舗である。正に予測した通りの状況が以外と早く動き始めたことになる。新芽
CO2削減の問題は何度も書くように待ったなしの状況であり、ムードだけでは全く回避することはできない。特にムード化の激しい住宅に於いてはますます温暖化に貢献している状況である。
人が使う建物であるなら、先ずは具体的なCO2排出量の「目標値」を設定しなければ何事も始めることはできない時代に既に突入し始めたのだろう。京都議定書で具体的な数字が示された以上、本来はもうとっくに明確な数字目標に向かって全てが進まなければならないはずであるが、未だに大部分は人ごとのようにそれが全く成されていなかった。今回は店舗の話であるが、当然住宅も同じでなければならない。そういう時代である。しかし、利益を上げなければならない店舗に先を越されるとは・・・・CO2対策は住宅の方がよっぽど楽だと思うのだが、何とも歯がゆいが、ここでこの状況は更に加速しなければならない。その為には、同じ方向を目指すもの同士がもっと手をつなぎ、情報交換をして常にレベルアップをする必要がある。日当たり同じ方向とは勿論「CO2削減、温暖化回避」である。快適な自然環境の継続である。少なくとも人間の行動によって掛け替えのない地球の環境を変えないことである。子や孫に付けを回さないことである。
その為には、今までの価値観は石油があることを前提に、CO2を出すことを前提に積み上げてきたものに過ぎないのだから、この際そんな価値観をきれいさっぱり捨て去ることである。
文明をリセットすることである。「折角積み上げたのに!」なんて未練たらしいことはもう言っている暇はないと思う。
しかし、手をつなぐために人間が集まるとなると、またいろいろと難しい事が発生する。表面的な目的は同じでも、実は微妙にみんな違う。それが亀裂を生み、分裂という事態に成らないようにしなければならない。真剣になれば成るほど、そういう可能性が大きくなってしまうが、そんなことを調整するために時間を費やしてはいられない、という認識を持って、手をつないで行かねばならないと思う。
現在の状況は皆が山裾にいて、雲で見えない頂きに向かって思い思いの道を登り始めたところであろう。目指すは同じ頂である。各々の道を登りながら、横の連絡を取り合い、その都度、頂きに向かう道の再確認をしながら進むべきだあろう。
会の趣旨としては
(1)人の研究開発を決して批判しては成らない。
(2)人の研究開発の欠点を指摘しては成らない。
(3)人の研究開発の長所及び利点のみに注目し、それらを更に改良するための意見を述べなければ成らない。
(4)生活から排出されるCO2のゼロ化を目指す目標でなければ成らない。
(5)具体的に数値を示せるテーマでなければならない。
(6)客観性のない主観的な問題はテーマとしない、などが考えられる。
要は各人が前へ進むための研究会、勉強会である。
テーマとしては
(1)住まいへの太陽エネルギーの取り込み方について。
(2)住まいでの太陽エネルギーの保存(蓄熱)方法について。
(3)住まいに保存したエネルギーの利用の仕方について。
(4)住まいから熱を逃がさない方法について。
(5)住まいに夏の熱を入れない方法について、などが思いついたテーマである。
勿論この他に、照明の問題、給湯の問題、調理の問題、ゴミの問題などなどある。
現時点に於いて、住まいからCO2を大削減する切り札的方法が確定しているわけではない。思いついたこと全てに可能性があるだろう。同じ頂を目指すのであれば、各人の全ての試みが参考に成るであろう。また、頂はまだ見えないが、頂に到達した時どんな理想的なエネルギー社会が見えるのか予測することも大切だと思う。
何とか力を結集できないだろうか・・・・



17日の日曜日に孫と2人で筑波宇宙センターへ行ってきた。切り替え線と踏切を見るのが大好きな孫だし、プリウスで行かなければならない理由もないので移動は電車にした。
先ず我孫子から常磐線で柏駅まで行き、そこから東武線で流山おおたかのもり駅へ、最後に筑波エクスプレスで終点つくば駅へ乗り継いで行った。孫の指定席はいつもと同じ運転席の直ぐ後ろのまん中である。まだ自分の背丈では前が見えないので、私のウエストポーチの上に座らせなければ成らず、電車に乗るといつもかなり忍耐力がいる。二人乗りつくば駅からは何と北風の寒い中、トレンクルで宇宙センターまで走った。距離は大したことがないのでタクシーでも良かったのだが、あえてトレンクルにしてみた。自転車の旅が目的ではないが、久し振にトレンクルを持って出てみたかった。それで、左手で孫と手をつなぎ、右手でトレンクルをぶら下げ、駅の階段を上がり駅前広場でトレンクルを組み立てた。
トレンクルは勿論基本的に2人は乗れないのだが、孫は四万十川へ行った時のようにバーエンドを握りフレームの上に立って乗った。慣れたものである。ただ、やっぱりちょっと寒そうだった。駅前広場で拾った長さ1,5mぐらいの桜の枝を「持って行きたい」と言うのでステムにくくり付けて走る羽目になった。H2.jpg
今回久し振りにトレンクルを持って電車に乗ったが、この自転車はもっともっと都会の中でも持ち歩くべきだなと改めて感じた。旅やサイクリングという遊びのためでなく、ビジネスにビジネスバックを持って行く感じで利用すべきであるだろう。そういう視点からトレンクル(携帯用自転車であればトレンクルに限らない)をもう一度見直 してみようと思う。これはトレンクルを企画した時の最初からのコンセプトだったのだろうが、実際は全く実行されていないし、今の社会ではその兆候すら見えないのが実状だろう。
今後は自転車本体の改良だけでなく、総合的に見た扱いやすさの追求、体の一部となるようなシステム化が必要であると思う。
言うまでもないが、自転車は先ず交通費の節減(どこかの企業で営業のための車を電動自転車に変えたということが報道されていた)になるだろうし、待ち時間はないし、運動にはなるし、風を感じられて(杉花粉はダメか?)気分はいいし、何と言っても吐く息以外はCO2を絶対に出さないし、移動するために道路を占有するスペースは小さいし、いずれにしてもプラスマイナスすると間違いなくプラスになるだろう。クロッカス
現在の車のガソリンエンジンが水素燃料を使う燃料電池車に変わったり、電気自動車の変わったからといってこのまま存続して良いわけはないだろう。だいいち絶対量を減らさなければ渋滞は改善しないし、少なくとも都会に於いてあんな大きいものに一人や二人で乗っていること自体が本来はナンセンスなのではないだろうか。その量と道路占有面積を減らす切り札の一つに自転車化があるだろう。
温暖化のため生きる価値基準を急速に変えなければならない現代に於いて、相変わらずビジネスマンのスタイルがCO2をどんどん出して良い時代に確立された背広にネクタイ姿でなければならないというのも随分変な話である。
自分が常に時速20Kmで移動できる道具を身に付けているなんて、考えただけでも痛快である。



0216

「ナチスの発明」武田知弘著、彩図社が目に止まった。発明という文字につられて本を開くとV2号の写真が目に飛び込んで来たので途端に買ってしまった。特に最近はそうであるが、ドイツはいつでも気になる存在であり、興味ある国である。昨年、ドイツは設置面積第一位を誇っていた我が国の太陽電池を抜き去ってしまった。これは国の方向性がきちんとしているかどうかの違いであり、真の国力の充実を目指している結果だろう。一時は対等に三国同盟まで結んだ間柄なのに、温暖化対策に対する同盟関係は今の日本ではドイツから拒絶されそうだ。ヨット
CO2の削減に対してこの国の政治家からは全くと言っていいほど発言が無いし、ましてやビジョンなど聞いたことがない。こんな時代だからこそ国家100年の計を持つことが至って大事な事だと思うのだが、この国は目先の道路10年の計の方がよっぽど大事らしいし、その程度のことしか言わないのに又選挙で選ばれたしまうんだから、何とも不思議な選挙民のいる国だ。10年後の温暖化状況をどんな風に考えているんだろうか。
そんな訳でアクアレイヤーの特許はドイツだけ維持している。温暖化対策のトップを走るドイツの人達とは仕事をやってみたいからだ。
マミヤ光機時代、眼底カメラの開発に際してツァイス製品を参考にさせてもらったが、私にとってドイツの技術と言えば何と言っても「V2号」ロケットである。このロケットの目的は殺人兵器だったには違いないが、その後の米ソ宇宙開発の原点となった技術である。もしV2号の開発がなかったら、今のような人工衛星利用時代はかなり遅れることになっただろう。もしかしたら人類は月まで行っていなかったかも知れないし、車にGPSは付いていなかったかも知れない。純国産と言っている日本のH2ロケットといえどもアメリカの技術を勉強した物であり、それはV2号からの継承である。
ドイツでこのようなロケット技術がどうして進化したかというと、もちろんフォン・ブラウンの存在が至って大きいのだが、ヴェルサイユ条約により兵器の開発が制限された事も大きな理由だったようだ。制限された兵器リストの中にロケット兵器が入っていなかったため開発することが出来、それがV2号を生み出すことになった。
つまりヴェルサイユ条約という非常に大きな規制が掛かったため、それを避ける技術開発が行われていった。水のミラー
現在の温暖化というのも至って似た状況ではないだろうか。武器を作っちゃだめだ、でなくてCO2を出しちゃだめだ、ということであり今までは無かった規制が掛かってしまったのだ。ドイツはヴェルサイユ条約という厳しい規制があったためにそれを避けつつ、規制されていない国以上の技術開発をしてしまった。兵器の規制はドイツの力を削ぎ、自分たちより弱い立場におとしめて置くことが目的だったが、ドイツはむしろ規制をバネにして、より高い技術開発を成し遂げるという皮肉な結果を作り上げてしまった。物事というのは常に規制や障害があってこそ進化するんじゃないんだろうか。そういう目で見ると、「CO2を出してはいけない社会」という規制は進化することに対してプラスに働く事はあっても、マイナスに働くことなどあり得ないのだろう。
「環境を重視すると経済が成り立たない」などという発言は、いまだに目先だけの儲けしか考えられないバカの言うことだと思う。
人間というのは常に変革を求め、障害を乗り越えてきたからこそ進化して来たのだ。
温暖化を防止するための規制が厳しくなればなるほど、技術は進化し、文明も新しくなって行くことは歴史が何度も何度も教えてくれている。
そういう意味では、やはり今が最大のビジネスチャンスであることは間違いない。
新しく生み出されたビジネスがCO2の発生を抑え、温暖化回避の方向に舵を大きく切ってくれるだろう・・・・ということを是非望みたい。



0213

11日の休日に孫を連れて都立上野動物園に行って来た。久し振りである。最後に行ったのは、はっきり覚えていないが娘が小さかった頃なので多分30年近くになるだろう。私が初めて行ったのは小学一年生(昭和25年)の遠足だった。今から58年前になる。今はなき「お猿の電車」があったと思う。そんな懐かしいはずの上野動物園なのだが、何しろ面白くなかった。泡
動物園だから檻や柵に入れられているのが当たり前なんだろうけど、動物たちの目に覇気がないように感じられたし、何とも不自然であるように思えた。今回初めて実物のパンダを見たが、テレビで数えられないほど見ているためか特別感じるものもなかった。孫も「もう見たよ、ライオン見に行こう!」と素っ気ない。
現在、檻の中にいる動物だけを子供達に見せることにどんな教育的価値があるんだろうか、どんな意味があるんだろうかと考えてしまった。動物の見せ方に於いて58年前の昭和25年と基本的には何も変わっていない。テレビや他の娯楽がなかった時代はそれなりに価値はあったのだろうけど、今は全く時代が違うはずだ。理科離れが激しいという理由に動物園のあり方も関係するんじゃないかと勘ぐりたくなってしまった。
新芽孫は全部見ないうちに「もう出よう!」と言い出した。「これなぁに」「どうしてなの」とあらゆる事に興味を示す4才3ヶ月の孫が面白がらないのはどうしてなんだろうか。人が多かったこともあったのだろうが、何かもっと違う原因があるのではないかと感じた。
今の子供達は大自然の中で生き生きと走り回り飛び回る動物や鳥たち魚たちをテレビの中で見慣れているが、檻の中の動物をいくら見ても彼らが生きていた自然環境は何も感じることが出来ない。しかし、本来はそれを知ることが大切なんじゃないだろうか。今時それが解らない展示が本当に意味があるんだろうか。自然の一部である動物だけを見てもしょうがないんじゃないだろうか。
「不都合な真実」は映画であるが、環境が破壊されていく厳しい現実がひしひしと伝わってきた。最後のテロップが完全に終わるまで誰もが立たなかったほどショックを受けた。多分檻や柵に入れられた覇気のない動物たちを見るよりも、自然全体が見られる画面の方が子供達には明らかに理解しやすいのではないだろうか(生きた動物がいらないと言っているんではなく、画像を含めてもっと何か見せ方の工夫が必要じゃないかと思っている)。
以前にやはり孫と多分科学博物館だったと思ったが、魚の標本が数多く展示してあり、何だか意味が分からなかった。これでは何の現実も子供達に伝えることは出来ないんじゃないかと思った。水族館の方がよっぽど見ていて楽しいし、何しろきれいだ。先ずは子供達の興味を引かなければ何事も始まらないと思う。水滴特に現代は50年前と大きく違い、温暖化により環境破壊が加速している状況にある。そんな中で動物園も博物館も変わらなければその存在価値が無くなっちゃうんじゃないだろうか。情報ネットワークの社会、高画質大画面で見られる社会である。100年一日のようでは子供達に通用しないんではないだろうか。子供達に知らせなければいけないのは、自然の中から切り取った一部にしか過ぎない動物ではなく、自然環境システムの中の動物達ではないだろうか。動物園はあの様にしかできないではなく、時代の必要性に沿ったもっと根本的な発想の転換が必要なのだと思う。
温暖化という価値基準を180度逆転しなければならない時代なのだから、動物園もその存在価値変えて行くべきではないだろうか。小さい子供達が初めて動物を見る動物園は至って重要な存在であるはずだ。これからは単に生きている動物を見せればよいわけではないだろうと思う。
それとちょっと論旨からはずれるが、園内の案内パンフレットの分かり難いことったらなかった。こういう物は単なるデザインの遊びではなく、解りやすいということで作るべきである。余計な物を出さないという配慮なのかもしれないが、まともな案内標識も無く何だかスムーズではなかった。


光るつらら
しかし断熱性能換算表を眺めていると色々なことが見えてくる。特に多くの設計士から好まれて使われているコンクリートの熱性能を見るとちょっとギョッとしてしまう。これを断熱材なしで使った時代がつい最近まであったかと思うと何だか嘘のようである。コンクリートの熱伝導率は1.4、一方木造住宅などに使う密度24Kgのグラスウールは0.034である。同じ厚さの壁であれば何とコンクリートの方が約40倍以上の熱を通すことになる。120mm厚さのコンクリートだけで構成したいわゆる打ちっ放しの部屋があったとしたら、熱性能から見ると24Kグラスウール厚さ「2.9mm」のボードで作った部屋に等しいことになる。ホームレスの人達の仮宿である段ボールハウスの方が断熱的には優れていると言えるかも知れない(但し気密性と耐火性能と防犯性はコンクリートの方が圧倒的に上である)。このように材料の熱的性能を知らずに雰囲気だけで作ってしまうと、住んだ人が一丁前に暖房をしようとすると多大な熱エネルギーを消費することになり、当然CO2の排出は格段に増え、結果として社会性が疑われることになってしまう(暖冷房を全く使わず生活するのであれば全く問題ない)。いくら「生活を支えるのはエネルギー」という概念を社会が持ってなかったからと言っても、またはエネルギーは必要なだけ買えば良いんだという風に考えていたのだ、としてもちょっと酷い気がする。確かに単に雰囲気ということから言うと、その存在価値はあったのだろうけど、温暖化が環境を破壊しつつある現在に於いてはとてもお呼びでないことが良く分かる。電柱今までこういう断熱性能換算表がなかったのは日本社会の中に余りにもエネルギーの意識がなかったからだろう。決して必要なかったからではない。誰もがそういう事について要求しなかったから、本来は必要なのに必要と感じなくても済む社会だったからだろう。それだけ生暖かい温室の中でぬくぬくと生きていられる幸せな時代だったのだ。これは日本が高度経済発展をすることが出来た事による大きな恩恵の一つである。しかし、どんなに経済発展しようともエネルギーのほとんど全てを輸入に頼っている国であることには変わりがないのだから、エネルギーを大切に使おうという方向を打ち出していたらもう少しましな社会進化をしたのではないだろうか。少し調子に乗って相変わらず目先だけの1億総イケイケどんどんはこの国の最も伝統のある国技かも知れない。
これからは建材の熱伝導率、厚さによる断熱性能、熱容量などの熱特性を熟知した上で選択してゆくことが至って重要になるだろう。そうでないと社会的、個人的な要求に対応できなくなってしまうだろう。京都議定書のCO2排出-6%の目標に対して生活からの排出量は現在既に+30.4%であるとあるテレビが言っていた。住宅に関わる者として責任を感じないわけにはいかない。いずれにしても、これからの住宅に対する注文の仕方は、今までの要求の上に更にランニングコストの具体的な数字やCO2の排出量などが加わるだろう。つまり「暖房費を月2000円以内にしてくれ」「CO2の排出量を○○Kg以下にしてくれ」などである。例え要求が無くても住まいづくりに関わる立場の人間はこちらからエネルギー使用量が最小になる提案を出してゆくべきである。そうでないとそういう提案が出せるところに全ての仕事は行ってしまうし、腰が重いこの国も立場上そういうことが出来る作り手に何らかの援助をして行くことになるだろう。つらら列
現代は個人の自由が更に拡大してゆくと思われている時代だろう。しかし、その大きな要素であるエネルギーの自由な消費ということが、温暖化という地球環境の悪化をもたらすという事を起こしてしまった。
個人の生活も今までのように勝手気ままでなく、エネルギーの消費と言うことを十分確認しながら計画を立てるべきである。
根拠のない先入観、思考停止した中での思い込みが自分を支配していないか常に意識しなければならない時代になったと思う。

今回はイゼナの資料集の中にある「建築材料の断熱性能換算表」について。
ここに載っている表は主な建材の熱性能を示す物である。このような表を作ったのには勿論理由がある。住まいの断熱を考えるに当たり、余りにも勘違いというか知らない多くの人に出っくわしたからである。こりゃまずい、住んだ人は堪らないな、何とかしなくっちゃ、と思ったからである。今使おうとしている材料がどの程度の断熱性能を持っているのかぐらいは掴んでおくべきだと思った。例えば30mmの杉板は密度24Kgのグラスウールと比較してどの位に相当するんだろうか、ということを知っていれば、それだけで部屋を構成した場合どんな感じの熱環境ができるのか多少は想像が付くだろう。厚手の無垢材をふんだんに使っている自然派の家と言っても、寒いと言ってガンガン石油ストーブでも焚くようではちょっと自然派とは言い難くなってしまう。
とまあそんなことなどでこの表を作ったのだが、私の能力不足でブログへの表の載せ方が解らず見難いjpgに成ってしまった。(表に興味がある方はイゼナのホームページからメールで申し込んでください)表3
表の説明をすると、先ず左側は建材名、2番目は熱伝導率、3番目の青枠は建材の厚さ、4番目の赤枠は相当厚さと言って密度24Kg、厚さ100mmのグラスウールに相当する断熱性能にするには何ミリの厚さにすればよいかと言うことである。5番目の緑枠は、今使おうとしている建材は密度24Kg、厚さ100mmのグラスウールに置き換えるとどの位の厚さになるか、という数字である。例えばウレタンを見てみよう。熱伝導率は0.021Kcalで最も熱を通しにくい材料である。しかし、厚さが30mmの場合は緑枠の48.6mmのグラスウールと同じ断熱性能ということになる。もしグラスウール100mmと同じ断熱性能にしたければ、赤枠に示しているように62mmの厚さにしなければならない。という具合に今使おうとしている材料の熱性能を知ることが出来る。
断熱材を選ぶとき、厚さが同じであれば熱伝導率の少ない方が性能は良いが、厚さが違う場合は熱伝導率では比較できないので注意したい。熱伝導率が悪い方でも厚さがあれば断熱性能が良い場合もあり得る。
材料を雰囲気的に捉えることも大事だが、こと断熱性能と言うことになると数値をきちんと比較する必要がある。これからは益々熱性能に関しては定量的な数字で扱わなければならない。そうでないと相変わらずCO2を出し続ける家を造ることに成りかねない。

0203

新芽雪25年も続いているメンバー8人の会があり、2日の土曜日に今年初めて集まった。話題はやはり温暖化の問題になり今までになく活発な議論になった。現在であれば当然と言えば当然だが、この環境破壊の問題が先ず第一に話題になると言うことは、それなりに多くの人が深刻に感じ始めているからだろう。まだまだ温暖化問題故にいろいろと温度差もあるが、こういう議論があらゆる所で巻き起こり、各々が実行プログラムを確立し、実践が積極的に行われないと、取り返しの付かないことになってしまうだろう。
北極海、南極、グリーンランド、氷河や永久凍土の氷の溶けるニュースを見ていても尋常でないことは誰にも理解できる。勿論、二酸化炭素の加速度的な増加グラフを見てもその異常さは伝わってくる。1秒でも早く対策を急がなければならないはずなのだが、動きは余りにも緩慢すぎる。まだまだ大部分の人達は生きて行く内容を変えようとしないし、いまだに温暖化に対応する新しい生き方の基準を確立していない様に見える。クロッカス温暖化はもうスタートしてしまっている(つまりCO2の発生量が吸収量を既に上回っている)にもかかわらず、CO2を含めた温暖化ガスの排出は止まることなく増加しているのを見ると、もう既に手遅れなのかも知れないと悲観的になってしまう。
しかし、仕事の上に於いて、前向きな変化も認められるようになってきたように感じる。これは「今までのやり方でよいのだろうか?」と疑問を持つ設計者にお会いする機会が確実に増えたのだ。現在は100年1日のごときの人も相変わらず居るが、時代が変わる時はいつでもそうなのだが、古い価値観を後生大事にする人と、新しい価値観を持って脱皮する人が混在するのである。その新しい価値観を模索する人が増えてきているのを感じられるのは一筋の希望と言って良いが、何だか幕末物語を見ているようである。今までのようにCO2を出す生活はだめだという黒船に対して、早く新しい価値観の社会を作って世界に出ていかなければだめだ、という革新的な若き倒幕派と、それは兎も角として今までやって来たことに価値があるんだという主流を保ってきた守旧派が存在するように見えるからである。変化の時代は、時代が変化したからなのか、個々の変化が新しい時代を作って行くのか、どちらが先か解らないが結果としては革新派が新しく主流の位置に付くことを歴史は教えてくれている。現在はどの業界でも同じ戦いが始まっていると思うと、これからますます複雑で大変な状況になって行くのだろう。
車を見ていても革新派と守旧派が混在していることが良く分かる。降る雪
この変革期を乗り切ろうとメーカーは未来志向のハイブリッド車と相変わらずの車を混在させている。但し広告の大部分はまだ相変わらず方向である。乗り降りしやすい、ハンドリングがよい、スタイリッシュ、走りがスムーズ、低金利キャンペーン・・・・正に相変わらずであり、温暖化の「お」の字も感じられないが、一方でハイブリッドも出している、という具合である。この広告から見ると「まだまだだなー」と溜め息が出る(メーカーにでなくユーザーにである)。
現在求められている変化は、戦後私たちが体験してきた流行の変化や、収入の増加によってもたらされた変化とはスケールも何もかも全く次元が違う。ローカルな社会変化ではなく、全ての基本である地球環境の変化である。単なる社会変化であるなら自己主張を何時までも維持することは、むしろ褒められるべきことであるかも知れないが、環境となるとそうはいかない。
しかし、まだまだであることには変わりがないが、少しずつでも変化の兆しが感じられることは勇気になるし、やる気を与えてくれる。是非力を合わせるための検討会を始めたいと思う。

夕日雑誌などで床暖房の特集というのが時々あり、イゼナにも掲載依頼がある。その度に一寸うんざりさせられる。ほとんど全ての場合、特集の実体というのは単に各メーカーが言ったことや、ホームページやカタログに記載されていることを何の評価もなく、言われるままに羅列し、掲載するだけだからである。そんな内容であるならホームページを見た方がよっぽどましと思う。まるで単に編集の仕事を作り出すためだけに機械的にやっているように思える。役所じゃないんだから仕事のための仕事を作り出すようなことはせず、もう少しやり方を進化させてもらいたい。単なる言われたままの記載では今時役に立たないばかりか、ユーザーを惑わす弊害の方がよっぽど大きい。出版社が明確な基準と考え方を持ってそれらを比較するなら読者の役に立つだろうが、ただの羅列ではほとんど意味がない。しかし役に立つような記事にするには、エネルギーのこと、熱のこと、暖冷房のことが本当に理解されていなければならないのでそれも無理な注文かもしれない。メーカーの言っているてんでんバラバラな内容を鵜呑みにしてそのまんま掲載することでは、第一仕事をやったことには成らないのではないだろうか。もし特集をするなら第三者的な目をきちんと持って、同じ視点からの特徴の差違、良し悪し、誤解する内容の指摘を明記すべきであろう。
他の床暖房と競争しているわけではないため、最近は他社品のカタログなど見たことがない(見ても特別得るところが無い)が、以前は「遠赤外線が出るパネル」などという完全にユーザーを惑わす表示が堂々と特集にも記載されていた。そうなるとユーザーばかりでなく一級建築士であるプロの設計者からも「おたくの床暖房は遠赤外線が出ますか」などというとんでもない質問が来てしまうことになる。それは暖房を考える上での基本でもある遠赤外線について、編集者が全く知識がないために起こる混乱である(勿論質問者も全く知識がない)。カタログ内容をちゃんと見る目、言っていることのおかしい部分を見抜く目、指摘する気持ちを持たずに床暖房の特集など組むべきではない。
床暖房という概念及び言い方は近々必要なくなるだろうと思っている。
何故なら、100年1日の如く何も進化していない床暖房が使われていくようであれば、温暖化対策など何もできないことになるからだ。つまり今までの概念の床暖房を使うということは、初めからほとんど化石エネルギー投入が前提だからである。雀
これからは、最初から化石エネルギーありきではなく、先ずはそこの風土が持っているエネルギーをどれだけ捕まえ、どれだけ利用するかを考え、不足分として初めて化石エネルギーの登場と成らねばならない。
アクアレイヤーは床暖房と言う前に大きな熱容量を持った部材である。その為、太陽熱の蓄熱槽である。その蓄熱槽が面状に床構造内に設置してあるため、同時に床からの発熱機能を持っているのである。つまりアクアレイヤーの根本は木造床構造のあらゆる所に設置できる蓄熱部材ということになる。
アクアレイヤーは床暖房ではなく快適な室内環境を構成するための熱部材の一つである。同じ建築部品だからと言って床暖房を床材のノリで特集などすべきでない。床材は単に見た目の雰囲気が解ればよい程度で済むが、床暖房は住まいの温熱環境そのものに大きく関わるのだから、それはエネルギーの問題であり、二酸化炭素の問題であり、体感に非常に大きく関わることである。どうせ特集を組むならもう少し考え、工夫したものができないだろうか。単なる見た目のページ構成などに時間を取る暇があったら、もう少しユーザーのことを考えた21世紀タイプの特集パターンをデザインしたらどうだろうか。

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