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2020年、日本で光化学スモッグが増えるそうだ。原因は中国の経済成長に伴い、大幅に石炭燃焼による窒素酸化物が増えるからである。若葉429
これからますます国家間でこういう軋轢現象が現れるようになるだろう。
これは簡単に言うと「トバッチリ」ということである。
こういう事が顕著になってくれば来るほど、全ては地球という限られた空間の中でひしめき合って生きているという現実を実感させられる。
自分たちの生活をすることが国境を越えて他国に影響してしまうほど、人間の活動範囲が大きくなってしまったからだ。
プリウス429しかし、中国の窒素酸化物が増えたからと言って、それだけを取り上げて責めるには何とも釈然としない気持ちもある。
勿論そんなことは今更始まったことではないからだ。特にチェルノブイリ原発事故は世界中に大きなトバッチリの恐怖を与えたし、日本国内に於いてもトバッチリは不可抗力的にあらゆる所で起こっているからだ。
企業による公害などはその冴えたる物であり、この国はその問題に悪戦苦闘した長い歴史もある。
1954年ビキニ環礁で水爆実験が行われ第五福竜丸が死の灰を浴びた事件があった。そして放射能を帯びたマグロが大きく取り上げられた。
これも正にトバッチリの冴えたる物である。
トバッチリ無しに人間社会など存在し得ないと感じることが余りにも多い。
人間は自分自身から常にトバッチリを生み出しながら、他人からトバッチリを受けながら生きて行かねばならないのだろう。
人間社会というのはトバッチリの連鎖ががんじがらめに絡み合った社会と言えるのではなかろうか。人間とはそういう存在なのだろう。
温暖化問題というのは、そういう最も根本的な本質的な人間社会のシステムをあぶり出して行くのかもしれない。赤花429
南の島々の国は海面上昇のために消滅せざる得ないかもしれない。
しかし、多分、彼らほどCO2を出さない生活をしている人達は余りいないだろう。
他の国の欲望のために、国までなくなってしまうかもしれない時代である。
何とも理不尽な事であるが、それが地球上の人間社会がこれから迎えようとしている現実である。
温暖化が起こりつつある唯一のプラス面は、皮肉にもそんな人間社会の本質をあぶり出し、問題点をはっきりと意識させてくれることなのかもしれない。
また、国が、国がなんて言っていないで、地球は一つという意識を芽生えさせてくれる切っ掛けになるのかもしれない。
しかし、期待は期待として、現実には自分達が着実に温暖化問題に対処してゆかねばならない。


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環境のことを真剣に考えているとは思えないニュースが二つ流れた。
一つ目は洞爺湖サミットのため電話用アンテナにハルニレの木を模した、グラスファイバー幹のアンテナができた、ということである。緑葉426
環境サミットだからといって、わざわざ偽物の造木を作ったというわけだ。
どう見たって縁日の安っぽい造花と同じである。木に似せることがどうして環境と関係あるのか。
木が生えているようにそれっぽく見せることと、CO2の排出を抑えようということと何か関係があるのか。
この国はいまだに緑っぽく見せさえすればそれが環境によい影響があるとでも思っているんだろうか。
木っぽく見せればそれが炭酸同化作用をしてCO2を吸ってくれるとでも言うのだろうか。
偽物を置いて他人の目をくらますと言うことは、自分をも欺くこと、騙すことになるのではないだろうか。
テラス436いずれにしても、これも税金で作ったのだろう。鉄パイプ一本で済むところを、こんな子供だましの物を作って悦に入っているとは・・・・企画に時間を使い、設計に時間を使い、作るのに時間と金とエネルギーを使い、少なからぬCO2を排出させるとは、何と税金の無駄使いなんだろう。
もし冗談でやったというのなら、それは時期と深刻度をわきまえていない軽薄な行為であると思う。
いずれにしても環境に対して国を挙げてピントがずれているところが良く分かる実例である。
まさかこれを首相が自慢げの顔をして各国首脳に「どうですか!日本はここまでやっていますよ!」なんて見せびらかす素振りをしないとは思うが・・・・国民を赤面させるようなことはしないで欲しい。
こんな程度の環境感覚で、サミットの開催国面ではないだろうと思う。
二つ目は風力発電のニュースである。
電圧変動を押さえるために蓄電池を組み合わせたために、系統連係するのに問題が無くなったということである。しかしその為、3億円で建てられる風車が6億円に成ってしまうそうだ。実はヨーロッパではそういう高いシステムを組まなくても済むような送電ネットワークに成っているそうだ。
そういうネットワークを構築することによって、より風力が有効に利用できるなら、このエネルギーの無い国なんだから最優先でやればよいと思うのだが・・・・
黄サツキ426道路に60兆を注ぎ込めるなら、そんな物に全部使わないで先ずはエネルギーの為に、食糧の自給のために、医療の為に使うべきと思う。
日本人はエネルギーが無ければ生きては行けないのだ。こんな事は保育園生でも分かることなんじゃないだろうか。
風力でも、太陽電池でも技術が有る国なんだから、大量に石油を輸入している国なんだから、大量にCO2を排出している国なんだから、世界トップの自然力発電量を目指して然るべきなんではないだろうか。
70年ばかり前に、世界最大の大砲を積んだ戦艦を造った意気込みは何処へ行っちゃったんだろうか。あの時は先を読み間違ったピント外れの行動であったが、それにより痛い目にあったが、トップを目指すことが全て間違っているわけではない。過去にいくら痛い目にあったからとは言え、少なくても「もうトップは目指しません」などという、それこそピントの外れた反省などしてもらっては困る。
今回のトップを目指すことは、むしろ世界に貢献することである。
出来ないのなら兎も角、出来る条件は揃っているんだから、できる内に自前のエネルギー獲得に全力投球するのは当たり前なんだと思う。
温暖化という情況はみんなの合意を得るためにはまたとないチャンスだと思うのだが・・・・



4月20日NHKスペシャル「病の起源・骨と皮膚の病・太陽光との闘いの果てに」を見た。面白かった。人類は紫外線の降り注ぐ量の違いにより、つまり住む土地の日射量の違いにより肌の色を変えて過渡になると危険な紫外線に対応してきた。このことは、正に人類が太陽の下で進化してきたことを物語っている。
紫外線の多い地域ではメラニン色素を増やし、肌を黒くして紫外線を吸収する戦略を取った。紫外線の少ない地域の人類はその少ない紫外線を効率よく吸収するためにメラニン色素をほとんど排除して肌を白くした。何故なら、ビタミンDを作るのに紫外線は絶対に必要だからである。ケヤキ424
現在、人類は紫外線による3つの混乱の中にいる。
1つ目は、自分の皮膚の色を生んだ大地から紫外線量の異なる場所に移動したことによる混乱。
2つ目は、言うまでもなくオゾンホールの発生による紫外線量の増加による混乱。
3つ目は、スモッグや外に出ない生活によりビタミンDが作り難くなっている混乱である。
オーストラリアは褐色の肌を持ったアボリジニの人達の大地であった。そこに白い肌の欧州人が移住したものだから、紫外線の多い太陽光に曝され皮膚ガンの洗礼を受けることになった。その上、オーストラリアは南極上空のオゾンホールに近く、更に紫外線被爆が増加し皮膚ガンが激増しているようだ。逆に紫外線の減少はビタミンDの不足を招き、骨粗鬆症を増加させている。花見月424
産業革命当時、スモッグのロンドンに紫外線不足、ビタミンD不足によるクル病が多発した。
こんな番組を見ると改めて太陽と人類は当然のことだが、切っても切れない関係にあることを再認識させられてしまう。それはそうだろう、人類の発生はおろか何十億年前に生命が地球上に現れたときから常に太陽に曝され続け、それ無しには生きていけなかったわけである。恐竜絶滅も隕石の衝突により、それが巻き上げた粉塵などにより太陽光が遮られた為と推測されている。ほとんど全ての生物は、勿論人間も含めてその大地に降り注ぐ太陽光の強弱に会わせて、身体の中のシステムを構成してきた。つまり住んでいる地域の特性に合わせて自分自身を変化させてきたのである。
黄花424産業革命以降、人類は少し奢り過ぎたのではないだろうか。人間は化石エネルギーが有ることを知った時から、太陽のことを無視し始めたのではないだろうか。
石炭や石油により、あたかも自分達の力で明るさや暖かさが手に入れられると思ったのではないだろうか。自分たちの力で自由にコントロールして電気を作ったり、機械を動かしたり出来るのだと早合点したのではないだろうか。
その結果が勿論現在である。
自然を汚し、そのバランスをめちゃくちゃにし、決してあってはならないオゾンホールを作り出し、莫大なCO2を現在も排出し続け、地球環境、生活環境の破壊を更に加速している。何と言っても、最も根本的な存在であるはずの空気と水までも汚染し続けている。
現在に於ける太陽の存在は、暗い夜に対して単に明るい昼を作る物、天気の晴れを作る物ぐらいにしか捉えられていないのではないだろうか。
だから太陽熱でご飯が炊けたり、お湯が沸騰したりするのを見て感激したりするのだろう。太陽は随分成り下がったものだと思う。
太陽は今でも当然私たちの全てを支えてくれている物であり、最も頼れる存在であること再認識すべきである。
温暖化で北極の氷が減少したら、ここぞとばかり全く懲りずに又化石燃料を掘ろうと言うんだから・・・・
何で少なくとも未来の人類に少しでも多く残して置こうという思いやりが無いんだろうか・・・・
救いようがないとはこの事なのかも知れない。



国際間における温暖化対策は政治的、経済的にいろいろな駆け引きがあるし、各国の言い分がある。
4月18日の朝日新聞に10年前のことかと思うような記事が載っていた。しかし、紛れもなく4月17日の出来事である。木蓮422
内容は、「財務省が霞が関の庁舎を建て替える際に、二酸化炭素の排出量を抑える省エネルギー技術を導入する方針を決めた。太陽光発電を増やし、電力で効率的に熱エネルギーを得るヒートポンプシステムも採り入れ、霞が関を地球温暖化対策の先進地域にする。財務相が官邸に行き、それを首相に説明した。財務省は霞が関低炭素社会構想と名付け、洞爺湖サミットに向けて率先した取り組みを示す狙いだ。」
この国ではいまだにまだこんなことを言っているのである。
温暖化に対して何とトロイのだろう。今更何を言っているんだろう。
温暖化を配慮しなくても、石油を初めほとんどのエネルギーを輸入に頼っているこの国にとって、こんな程度のことはもうとっくに常識でなければならないことだろう。
サミットがあるからと言って付け焼き刃的な茶番劇を演じるとは何とも情けない。山吹422
自分が稼いだ金で生活している家庭であれば、ずっと昔から至極当然な感覚である。
こんな事を決めるために一体どのくらいの時間を何人が費やして居るんだろう。
こんな程度のことを決めるにも税金が使われているのである。
まさにこれも税金の無駄使いである。
今時、こんな子供だましのことをやっているとは、こんな事を首相に説明に行ったというんだから、またその程度のことを聞くために時間を取ったというんだから、その他どんなことに時間を費やしているのかはなはだ不安になってしまう。
しかし、この国の人達が選んだ人達がやっていることなのだからちょっと手の打ちようがない。
サミットは勿論、温暖化までもいまだに真剣に対応していないように見えてしまう。
温暖化をこんな程度にしかとらえられない人達に税金の運用を任せていいのだろうか。
我々の人生や生活は大丈夫なんだろうか・・・
この国の物事を決めるペースなどに合わせていてはとても間に合いそうもないと思う。
こんな記事を見ると、焦らずには居られない。



先日、経産大臣がフランスと原子力発電によってCO2問題の解決を計っていこうという提案を世界にアピールした。
国による太陽電池に対する補助金が打ち切られたのは、国策として原子力発電を推し進めることが理由だったのだろう。ハナミズキ
しかし、いつまで原子力発電でいけると思って居るんだろうか。
石油によりエネルギーを賄う様になった時、あまり先を考えず、漠然と繁栄がずーっと続くとしか考えなかったのではないだろうか。誰もがそこに落とし穴が有るとは気が付かなかったのではないだろうか。
石油から熱エネルギーを取り出すことにより、まさかCO2の激増や、それによる温暖化や、空気中に大量の廃棄物を出すだろうことなど意識ができなかったのだろう。
こんな21世紀が来ることは予想しなかったのではないだろうか。
石油文明の経験により、少なくとも、文明の未来を予測して前もって対策を立てて行動するという能力が無いことを勉強させられたはずである。
人間は環境とか未来の事について考えるより、目先の経済的価値によってしか動かないものだということを改めて知ったはずである。
また、化石エネルギーの大量消費は地球の熱バランスを崩してしまうほど不自然な存在であることも学んだはずである。その場で儲かることが必ずしも正解でないことも学んだはずである。鳥418
地球の自然とは太陽から入ってくる熱と、地球から出て行く同量の熱によってバランスが取られている。
地球ができた時以来それは変わっていない。
地球上にあるほとんど全ての熱は太陽によってもたらされたものであり、それ以外は自然ではないのだと思う。
その自然のバランスの中でこそ全ての生き物は生かされているのである。
原子力により熱エネルギーを取り出すことも石油と同然、地球上の自然バランスを壊すことに他ならない。
石油を使うに当たり、その100年後のことも考えておかねばならなかったことも、今十分学んでいるはずである。
原子力に決めたことは石油によって学んだことを生かした結果でなく、単に付け焼き刃的なその場の思い付きに過ぎないのではないだろうか。
原子力が永遠でない以上、その先がどうであるかを先ず予測し、そこに到達する過程で原子力発電がどんな位置づけであるのか明確にすべきである。
その先の未来予測なしに、いきなり原子力なんて言うのはアホでもできる発想だと思う。多分簡単に「CO2対策はやっています」と言えるから取った方向なのだろう。
化石エネルギーを使った結果出てきたCO2の挙動予測が出来なかったように、放射線廃棄物の予測も当然至って甘い判断であることも予測できる。桃花418
何故なら基本的には人間の能力がそこまでないからである。
人間の能力では完全な予測が出来ないのなら、予測が狂っても、甘くても危険側に行かない方向を選択することは常識では無かろうか。いわゆるフェイルセイフの考え方である。
放射線廃棄物は将来まで安全と今誰が予測しても、先ずはそんなものは当てにならないと判断すべきであろう。
多分どんなことをしても所詮最終的には太陽エネルギーのお世話に成らざるを得ないのだと思う。
それだったら、今から太陽エネルギーに変えるべく、そういう目標に向かって少しずつでも意識してスタートすべきではないのか。
目標も持たず成り行きで行くのは何とも効率が悪いのだと思う。見た目は確かに今原子力はCO2を出していない。しかし間違いなく放射性毒物は生産し続けている。
他に手だてがないなら致し方がないかも知れないが、太陽エネルギーという手だてが目の前にぶら下がっているのに、今さら原子力なんて言っているのは何とも不思議な現象であると言わざるを得ない。
所詮原子力は単なる中継ぎのリリーフにしか過ぎない。それも打者一人用である。それであるならその先のビジョンを明確にすべきである。
この国はかつて至ってお粗末な、と言うよりもその場の思い付きの感情による空気、つまり単なる成り行きによって国家プロジェクトを進めたことがある。そして、その運営に大失敗した経験と、失敗の原因について明確にしていない経験を持っている。
原子力の選択がそんなことにならなければよいのだが・・・・



温暖化に対しては今でも目を背けている人が多くいるし、いろいろな意見がある。ぐみ
しかし、CO2が今までにないペースで増加していることは、測定結果を見れば紛れのない事実である。これはかなり進歩した技術による測定値であるから素直に認めるべき数字である。しかし、CO2による結果は、各人が想像力を働かせなければ見えてこない未来のことであるので、いろいろな見解が出てくるのだろう。スズラン416
確かにこれから100年後に本当にどうなってしまうのか、いくらスーパーコンピュータを駆使してもその結果が絶対的こうなるという保証はない。だからといって、急いで対策をとる必要もないというのでは、この国の税金生活者団体の発想とやり方と同じになってしまい、今までの多くの事例から見れば完璧に間違いなく手遅れになってしまうだろう。結果が出てからでないと動けないというのでは、人間の人間たらん能力である想像力なんてものは全く必要なくなってしまう。この国は想像力欠如のために、数え切れないほどの失敗した歴史を積み重ねてきたのだから、もうそろそろ勉強しても良い頃だと思う。それでないと単にプログラム通り動くアシモに仕事を任せても済んでしまうことになる。月桂樹
確かにいろいろまだ分からないこともあるし、結果が確定できないことも沢山あると思う。
しかし、我々が快適に生きたいと思う時、CO2の増加は少なくとも快適ではないと思う。CO2発生の大部分は化石燃料の燃焼によるのだが、その時CO2以外にいろいろな物質が空気中に散逸される。つまり空気が汚染される訳であるが、少なくともそれを快適がったり、喜ぶ人間は居ないはずだ。
また「勿体ない」という視点から見ても化石燃料を燃して使ってしまうことはもうやめるべきではないだろうか。熱を得るために燃やしてしまうと、いくら有ってもすぐ足りなくなってしまうからだ。
だいたい石炭や石油を燃料として燃やしてしまうこと自体が本来は間違っていたのではないだろうか。
今まで石炭や石油を燃やすことは至って当然だと思われているが、その埋蔵量が有限と分かっている以上、未来の人類にそれをできるだけ多く引き渡すことは人類として当然のことではないだろうか。それが子々孫々に対しての思いやりではないだろうか。
このように温暖化が来るか来ないかなどと議論をするまでもなく、人間の都合のことだけを考えてみただけでも、CO2の排出はゼロを目指していくべきであろう。
温暖化の問題にしてしまうと賛否両論が出てしまうが、「勿体ない」ことと「空気が汚れてしまう」ことに注目すれば反対する人間は居ないはずだと思う。山吹416
人間は非常に長い間、木材を燃やして熱エネルギーを得てきた。そしてそれを何も工夫せず石炭に変えて燃やし始めた。燃やすという幼稚な使い方しか知らなかったからなのだ。石油も全く同じである。液体の方が燃すのに使い易いという理由だけで幼稚な使い方を継続したのに過ぎないのではないか。
そこには人間や環境ということでなく経済という視点しかなかったからだろう。
石油も石炭も材料資源としていつまでも大切に使うべき物なのである。
この際、温暖化の問題は、CO2の増加による「不利益の問題」と、温暖化による「環境の問題」と分けて考える方法もあるのではないだろうか。
バギーに乗せられた可愛い子供達の鼻面に相変わらず車の排気管がある。小さな子供達ほど純粋な排気ガスを毎日直接大量に吸って育っている。
本来、親としては許せる話ではないはずだが、ほとんど誰も至極当然なこととして何も言わない。それでいて子供は最も大切なんていうだから自分を含めて人間は随分矛盾した存在だと思う。
排気ガスを出すことと車で自分が楽をすること天秤に掛ければ、楽をすることの誘惑には勝てないのだからしょうがないだろう。
温暖化に興味が持てないにしても、もう少し自分の子供の未来くらい考えても良いのじゃないだろうか。
その為には、石油や石炭を使わない社会に移行することが最も手っ取り早い方法だと思うのだが・・・・



女性5人のクラシック・ア・カペラ グループ「アウラ」のコンサートを聴きに行った。何ともいえない美しい声だった。この美しいハーモニーの響きは人間だからこそ醸し出せるのだろう。木蓮414
アウラは2003年にオーディションにより結成された全員が声楽科出のグループだ。
楽器以上のすばらしさに十分堪能した。必ずファンクラブに入ろうと思う・・・・
こんな場面に出会うと「人間って一体何なんだろう?」といつでも思ってしまう。言葉で意志と情報を伝え、歌で気持ちを伝える術を持っているのは数ある生物の中でも人間だけである。
「文春新書/ネアンデルタールと現代人/ヒトの500万年史/河合信和著」を読んだ。
人間が今この地球上でこんなに繁栄していることを知る手掛かりになるようで非常に面白かった。しだれ
ネアンデルタール人はホモサピエンスと3万年ちょっと前までヨーロッパにおいて非常に近くで共存していたことが分かっている。しかし、その後の生存競争に破れ絶滅してしまった。
現在、混血が行われた証拠は見つかっていないという。
ネアンデルタール人はその化石からホモサピエンスに比べ、圧倒的に優れていた体力を持っていながら、なぜかホモサピエンスに敗れてしまったのか。
今となれば勿論化石から推測するしかないのだが、その有力な原因の一つに、喉の構造の違いが有ったことに依るらしいのだ。
つまり、二足歩行を獲得した哺乳類の内で、言葉を獲得できる喉構造を持っていたのがホモサピエンスだったのだ。
言葉を獲得することにより、道具や行動の改良、改善が行われ、その結果また新しい発見、発明がなされ、それらが繰り返し繰り返し行われていったのだろう。
意志と情報の伝達はグループの中は勿論、他のグループへも可能になり、更に進化することになっていったのだろう。
それが唯一勝ち残る結果になり人間になっていったのだろう。桜木蓮
至って当たり前に言葉を使い、歌を歌っているがその重要さを再認識させられた思いであった。
更に、文字が生み出されることにより意志と情報の客観化が確立し、加速度的に文明を進化させていったのだろう。
現代はそれに映像情報の伝達が加わっている訳である。
しかし、こと温暖化の問題を考えてみると、情報の伝達手段の進化があまり力を発揮していないように思われる。
どうしてなんだろう? たぶん情報伝達の進化に比べて、それを受ける側の進化が全く追いついていないからなのではないだろうか。
社会の風潮は、どう見ても画像や活字が伝えようとしている意味が理解されているとは思えないのだ。ホモサピエンスは情報の伝達手段を獲得したために進化できたはずなのだが、それが機能しなく成っているということはどういうことなのだろうか。
インターネット普及により情報過多に成っていると言われることが多いが、温暖化に対しては特別情報が多いとも思えないし、むしろ少ないくらいだと思う。となると、やはり情報から未来を想像する力がないということなんだろうか。
それとも、あまりにも今までの自分を変えなければならない大変さの為に無視しているんだろうか。
しかし、本当に無視すれば済むものだと思っているんだろうか・・・・



美濃でうだつの家並をみた後、郡上八幡に向かった。この町は初めてだったので、ある人を誘ってみた。電車
雲一つ無い全くの快晴、長良川線、梅山駅3時56分の1両編成ディーゼル車に乗った。
そこでその人と無事に合流。
沿線はまさに春爛漫、桜と梅と木蓮の花たちと、柳の新芽が輝いているようだった。
4時36分郡上八幡に着いた。町の中では至る所に清流があり(但し、残念ながらかなりの部分がコンクリートの側溝に成ってしまっている)、水音が聞こえ、都会で失われた雰囲気がまだ生きずいていた。滝412
いがわの小道沿いを、吉田川のほとりを、城への坂道を二人で歩いた。またとても良い想い出ができた。
今のこの町にいると、とても温暖化の脅威など感じることができない。
この穏やかさが永遠に続くとさえ思えてしまう。
新聞やテレビが伝える自然の変化を知らなければ、気候の激変が近づいているなどとはとても思うことができない。マチ
この穏やかな美しさを子供たちに孫たちに何としても伝えたい。しかし、思いだけではもうどうにもならない現実が近づいているのだろう。
4月6日の新聞に、気温上昇のため南極半島のペンギン生息地に藻類が繁殖している写真が載った。着実に温暖化が進行している証である。
>何としても、この穏やかさを見殺しにするわけにはいかないと思う。
郡上八幡にはまた待ち合わせて二人で来てみたい。
その時まで今の郡上八幡であることを祈りたい。祈って済むことなら・・・・
丸石垣しかし、もう祈るだけではなく強引につかみ取る意志を持つしかないだろう。
そんなことを考えなくてはならなとは、つくづくすごい時代になってしまったと思う。
いつか孫が郡上八幡を訪れた時、こんな穏やかさの中でゆっくり過ごすことが出来ればと思うのだが・・・・

自立循環型住宅研究会フォーラムでせっかく美濃まで来たので、もう少し仕事に関してうだつが上がるようにと、江戸時代のうだつを持った家並み見に行った。伝統的建造物群保存地区だけあり、電柱も電線も無くすっきりした街並みであった。
美濃橋しかし、しかしである、ここでもこの国ではよく見かける光景に出会うことになった。
江戸時代の街並みの中に、誰が見ても江戸の職人に負けている現代のデザインされた建物が建っているのである。
家という物は個人が金を出して建てる個人の物であるが、それは社会の中に造られる以上明らかに社会的存在でもあるはずだ。社会的存在であることの一つに調和ということが有ると思うのだが、そういう家はどう考えても調和に対する感覚がゼロで建てられた様にしか見えないのだ。
一方、最近建てられたと思われる家でも、非常に良く周りとの調和が取れている物も有る。そんな建物を見ると、それを依頼した人、それを設計した人の人間性とレベルの高さが感じられ、とても心地よい気持ちにさせられる。社会性の感じられない調和感覚ゼロの家を見ていると、周りの全てをぶち壊してしまうようで何とも悲しい気持ちになってしまう。
「自由」と「自分勝手」とは全く違うものと思うのだが、自由を自分の手でつかみ取った経験のない事が原因なのか、相変わらず自由と自分勝手さとの区別が付かないで居るように感じてしまう。
家410うだつの家並みの中程から東寄りにある旧今井家を見学させてもらった。18世紀末の建てられたらしい。
襖でしか仕切ることのできない畳の部屋は最も日本らしい空間で、何時でも落ち着いた気持ちにさせてくれる。今日のデザインされた家に比べればただ暗い部屋ということになってしまうのだろうが、何枚かの開けられた襖を通して見える庭の景色は、単なる明るさだけでは表現できない心の豊かさを感じることが出来る。中庭には水琴窟があり、耳を澄ますと反射し共鳴した「ピィィン・・・」という不思議な音が聞こえてきた。
襖程度で仕切ってある和室では、確かに今風のプライベートを保つことは出来ない。
しかし、子供達が育ってゆく過程でそんな今風プライベートの確保が本当にどこまで価値があるのだろうかと考えてしまう。ドアを閉めてしまえば自分が好き勝手に出来る空間でどれだけプラスが生まれるのだろうか。菜の花410そんな部屋が自由と自分勝手の区別が付けられないゲーム人間を生み出す土壌を育んでいるんじゃないだろうか。
和室は襖で仕切られた空間であるため、お互いに気を使い、相手のことを思いやらねば生活が成り立たないことが起こる。
しかし、そんな環境が人間性を育んでいくのではないだろうか。
襖のために時には他人のことを考えて我慢しなければならない事もあるかも知れない。だからこそ考え、工夫をすることを多く学ぶことが出来たのではないだろうか。それらが社会へ出てからの人間関係を上手くやっていく基礎力を身に付けさせてくれたのではないだろうか。
そういう環境の中での訓練が豊かな人間関係、豊かな家族関係を作り出してくれるのではないだろうか。和室「火」を「便利」という御旗の元に何も考えず切り捨て大きな心の財産を失ってしまったように、和室が本来持っていた隠れた機能までも、それを現代に生かすこともなく切り捨ててしまったのかも知れない、と思うのは私だけなのだろうか。
勿論個室を持つことが全て悪いことではないと思うが、個室を持たせることが人間性を育てる上で大切だという「常識」は本当に正しいのだろうか。
石油を沢山使うことが進化であり、便利であり、幸せであるという常識が、今や石油は出来るだけ使わないということが常識に成りつつある。
常識とはその時代を肯定するための都合の良い考えに過ぎない。
温暖化に立ち向かうためには、今まで自分に育まれてきた常識を全てリセットするぐらいの覚悟が必要だろう。

4月4日と5日と岐阜県美濃市岐阜県立森林文化アカデミーで自立循環型住宅研究会(入会したい方は事務局TEL0575-35-0259)のフォーラムに出席した。このフォーラムには建築に関わっているいろいろな分野の人達80人ほどが参加した。一口で言えばCO2の削減に熱心に取り組んでいこうという人達の集まりである。レンギョウ47
今回のフォーラムは新築、リフォームなど10例の暖房に関する測定結果の発表、考察であった。
結論から言うと、内容のバラツキはあるとはいえ、温暖化を何とかしようという人達が確実に増えているなと感じた。バラツキがあるのは、CO2の削減ということを目指した建築を考え初めてから、まだ間がないので致し方がないが、こういう会に更に一層多くの人が参加し、更に高度な取り組みがされるようになればと思う。小桜47
今回、最も気になったことは「施主の意向」ということである。建築は施主に何らかの目的があり、その為にお金を出すことによって初めて実行されるため、「施主の意向」を考えずに設計をすることは不可能である。しかし、そこに大きな問題があると改めて思った。
CO2の削減はお金を出す施主の「意識」が大きく変わらなければ、家を造る側の意識がいくら変わっても空回りをするだけである。
現在、家を造る側が最もしなければならないことは、施主の意識を変えられる提案をすることであろう。お金を出している人の要求だからと言って、その内容にかかわらず、それに従わなくてはならないということは何とも悲しいことであるし、そんなことをしていては自然環境は悪化の一途をたどるだけである。
温暖化の事態は我々が感じているよりもかなり切迫しているのではないだろうか。
CO2が海水に多く溶け込みつつあるため酸性度が増し、珊瑚の成長の低下が20年前から始まっていたということが分かったという報道が成されていた。
我々の五感では気が付いていない所でも、じわじわと急速に温暖化による環境悪化が進行しているのだろう。
これからの新しい建築を考える時に、何故温暖化が問題なのか、何故CO2の増加が問題なのか、何故CO2が大量に発生してしまうのか、を改めて先ず考えてみる必要があるし、これまでの家がどういう仕組みで、どれだけCO2を出すのか明確にする必要がある。
設備機器に於いても同じである。どういう仕組みで、どれだけCO2を排出するのか、先ず知る必要がある。ムードとか好みによる選択はもう許されない。新芽47設備の選択は単にCO2が少なければ良いだけでなく、住まい方、使い方の工夫により更に減少させられるかを研究する必要がある。
何故なら、CO2は本当はもう「ゼロ」でなければならないからだ。
CO2をゼロにするための新しい考え方を進めるためには、今までの考え方を先ずは意図的に遮断してみる必要がある。
そしてエネルギーに関わるだろう家の全ての部分を新しく捉え直して見ることである。
屋根はこれで良いの? 窓はこれで良いの? 壁はこれで良いの? 床はこれで良いの?・・・・・・・等々全て見直す必要がある。
エネルギーの視点から全ての部分を開発し直す必要があると思う。
「快適な家」などという言い方も見直す必要がある。環境の快適さが失われているのに、自分の家だけが快適などということはあり得ないからだ。
今までの全ての考え方の結果がCO2の増大をもたらしたことを先ずはもう一度肝に銘ずるべきであろう。

4月1日から京都議定書の6%削減の実行がいよいよスタートした。
現在バンコックでは温暖化対策の次期枠組みに関する作業部会が始まっている。5年後の次の削減値を決める為の会議だ。世界の動きもそれなりにだんだん切羽詰まった動きになってきた事を感じさせられる。菜の花43
だが相変わらず先進国と途上国の言い分に大きな隔たりがある。温暖化の問題に限り反目し合うことは誰の得にも成らないはずなのに、いまだに大きく進展させることが出来ないで居る。
しかし、両者の主張する心情も理解できる。先進国は今まであらゆる手段を使ってせっかく獲得してきた生活レベルを変えたくはないし、途上国は先進国が手放そうとしない生活レベルを手に入れてみたいからだ。つまり両者とも今までのような有り様が社会の発展だとするならば、温暖化対策を実行することは後ろ向きとも取れる方向に舵を切らなければならないと感じてしまからだろう。
桜243しかし、今のように国単位だけで温暖化対策を考えて良いのかどうか疑問である。少し大雑把すぎるのではないだろうか。同じ国の中でも地域や場所によって対策が異なると思う。
温暖化を克服するための最も必要なことの一つに「せっかく心」の排除ということがあると思う。「せっかく心」とは「せっかく何々をしたのに・・・・」という未練がましい心の有り様をいう(イゼナ造語)。人間は至って未練がましい心情を持った存在である。これが温暖化に対しての最大の元凶である。せっかく大型車を買ったのに、せっかく車で旅行に行けるようになったのに、せっかく勝手に何でもできる自由を手に入れたのに、せっかく手に入れた権威なのに、せっかく手に入れた既得権なのに、せっかく確立した価値基準なのに・・・・みんな、せっかく、せっかく、せっかくのオンパレードである。それらはいずれも至って当たり前に思われていることだ。それらの全ては石油が有ったからこそ得られたことに他ならないのだ。石油を加速度的に消費していったからこそできたことなのだ。CO2の排出を無視してきたからこそ成り立ったことなのである。所詮、本質的な自由ではなかったのではないだろうか。それを勘違いしていたに過ぎなかったのではないだろうか。
「せっかく心」が出て来るのも人間であれば至って自然なことであるのだが、もうそんな悠長なことも言っていっていられない状況に突入してしまったったと思う。
せっかく手に入れた数々の価値基準は所詮我々の為だけの物に過ぎず、子供や孫達に引き継がせる様な代物ではなかったのだと思う。桜43

「せっかく」の中にも、せっかくこの世に命を受け生まれてきたのに、むざむざその命を放棄せざるを得ない人達が人類の歴史の中でどれだけ居たことか、歴史とはそれの積み重ねのような気もする。未練など考えている暇もなく理不尽にも「せっかくの命」を落とした人のことを考えれば、温暖化対策の為の「せっかく心」など取るに足らないことであると思う。何故なら、価値観を逆転させたからといって命まで取られるわけではないからである。ささやかな未練心さえ押さえ込めば済むことだからだ。今まで獲得した既成概念を日々汲々としてその維持することを考えるよりも、新しいことに向かうために頭を使う方が至って建設的な人生であるし、どれだけ楽しいか知れないと思う。また、一度の人生の中でCO2を多量に排出する社会形態と、排出しない社会形態の二つを体験できるとは何とも運の良いことではないだろうか。
狭い日本の変革であった明治維新どころではなく、文明維新、地球維新に今我々は遭遇しているのである。そう思えばとても楽しいことではないだろうか。そんな中に参加して新しい価値観を作り上げて行くなんて、何とも楽しいことであると思う。
未来社会の人達は、今のこの時代の人達がどうやって新しい文明を獲得していったのか非常に興味を持つだろう。多分非常に凄いことをしたのだと思うだろう。
温暖化の解決は結局は我々一人一人の「せっかく心」と「未練病」の克服しかないのだろう、と常々自分に言い聞かせている。



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