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先日、墓参りに孫を連れて電車で行った。
その中で、車社会になった為に行き着いた一つの光景に出会った。アケビ
電車の中にはかなり立っている人が居たが、そこで見た家族は、そんなことはお構いなしの様子だった。
8人席のほとんどをジジババとパパママと小学生ぐらいの二人の子供達の6人で占拠していた。子供達はパパママの間と、ジジババの間に寝そべっていた。
降りしなにそれを見たのだが、何とも場違いな異様な感じを受けた。
これじゃまるで自分の車の中で取っている姿と同じゃないかと感じた。
ジジババは若いパパママや孫に注意できないのか、それとも車に乗り浸ってしまったため、公共の場と自分の車の中と区別がつかなくなってしまったのか、幸せそうにただにこにこ顔をしているだけだった。
車を持つことは、単に持ち物の一つとして車が増えたという単純なことでない。
もうそろそろ、そのことを肝に銘じるべきではないかと思う。
車は一端ドアを閉めてしまうと、その中は治外法権、租界地に成ってしまう。
車というのは、まあ言ってみればやりたい放題が可能な空間を提供してくれる物である。
そんな中で、生まれた時から育てられると、どう足を組もうが、寝っ転がろうが、大声で騒ごうが・・・・自由であるし、車の中にいる以上は誰にも迷惑は掛けないし、誰も注意はしてくれない、ということが当然になってしまう。
その為、それが当たり前になり、どんな所へも、それを平気で持ち出してしまうようになったのが現代ではなかろうか。
車はある意味で公共に接する機会を著しく少なくなってしまう道具ではないのだろうか。
今回目にした光景はそんな車社会の中で生まれてきた当然の結果なのだと思う。
若い女性が場所をわきまえず、電車の中で平気な顔をして化粧をしている光景も、何かしら車社会いと関係があるのかも知れない。
公共の場であるにも関わらず自分のことしか考えない今の風潮は、もしかしたら、これも車生活の存在と切り離して考える事は出来ないのかも知れない。
虫と紫
車はちょっと気を抜くと人を殺してしまうし、死にたくなくても自殺させられたり、二度と歩けないようにさせたり、させられる恐ろしい凶機であることは間違いない。
しかし、更に恐ろしいことは、社会のモラルとマナーの破壊なのではないだろうか。
それと同時に車は、利用すればするほど筋力が低下し、車を使わない時の自主的な行動の自由を制限してしまう道具なのではないだろうか。
これは一人一人の問題であるが、社会全体の筋力が低下するという、社会保障にも大いに関係する問題なのだと思う。
車というのは、見方を変えると老化を促進する機械であるとも言えるだろう。
筋力が低下すればするほど更に車を使いたくなる。すると更に筋力が低下する、という正に悪循環に陥る。
「今」を楽するために積極的に将来の老化を促すのが車だと言う見方もできる。

今日も昼の弁当を高級車で買いに来る何組もの老夫婦を見た。車から降りて歩いているところを見るとまだ歩けるらしい。
そんな光景を見ていると、何で高級車を使って寝たきりに成ることを急いでいるのかと思ってしまう。
しかし、もし私に車の運転が好きかと聞かれれば、好きだと答えざるを得ないほど魅力的な道具ではあることは間違いない。
今さら完全に車を生活の中から切り離すことはできないだろう。
だからこそ、その功罪をきちんと分別して使用しなければならない。
特に老後の豊かさは高級車を持つことで得られるわけではない。
もうそろそろ車を主役の舞台から下ろしても良いのではないだろうか。
そうすると新たに色々な物が見えてくると思う。


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久し振りに工事をしている工務店が倒産した。
独自に開発したアクアレイヤー床暖房に切り替えてから初めてである。
今まで何度も取引企業が倒産した経験をしているが、それら全ては手形の不当たりである。お金の変わりに金額がメモされた手形という紙切れをもらい、約束の日にちになるとそれが現金に変わるという物だ。その日になっても相手に現金がなければ、単なる紙切れになってしまいお金の回収は出来ないことになる。秋月926
イゼナは手形の取引は一切していない。その為、今回大きなダメージを受けていない。それは単なる偶然ではなく、相手が何時倒産するか分からない、という前提に立って意識的に仕事の方法を決めているからである。
いくら商習慣とはいえ、手形という紙切れが誰にでも通用し、いつまでも続くものだと考えているこの国の社会に根本問題がある。
そのため工事前に半分現金、最終工事前残り半分現金という支払い条件を明記し、その条件を書いた注文書を必ずもらうことにしている。その条件が不満の場合は、非常に残念(受注できず今までの努力が無駄になってしまう)であるが、絶対に安易な妥協をして仕事を受けるようなことはしていない。その上、注文書が来ても現金が振り込まれなければ工事は行わないようにしている。こういうやり方は、建築業界の慣習からすると常識的ではない事は分かっているが、自己防衛をする為には当然のことと思っている。大企業に何かあれば銀行や国までもが助けてくれることもあるが、弱小企業の我々には何があろうとも誰も助けてくれないのが現実である。
自分の身を守る為には自分自身できちんと守るしかないのである。
独自のアクアレイヤー床暖房ではなく、メーカーが作った床暖房を単に売っていた時期にいろいろ理不尽な目にあった。
特に支払い条件が一方的に建設会社や工務店に決められてしまう現実はどうしようもなかったし、工事が終わって残りの支払い分を更に値引かれたこともあった。
それはある意味で仕方がなかった。扱っている物が誰でもが買える一般的な物でしかないので、当然こちらの希望など強く言える状況ではないからだ。何かを言えば「うちはこうゆう支払い条件なのだから、嫌なら他社から買うから来なくていいよ」と言われてしまい一巻の終わりである。
その結果、手形を受け取るしかなくなり、挙げ句の果てに倒産されてしまうと手形は正に紙切れになり「はいそれまでよ」となってしまう。
蓑虫926そうなってしまうとその後どんなに努力しても金の回収はほとんど不可能である。
社長の自宅へ行っても不在なため、一晩中張り込んで帰ってきたところを直談判しようしようと、刑事番組まがいのこともしたこともあるが、倒産されてしまうと全ての場合徒労にしか過ぎなかった。そんな事を経験する度に、真の自立した独立をする為には、社会の慣例に流されず自分が主導権を取らなければ駄目だ、と何度も悟らされた。
そして、それらの経験がバネになり、アクアレイヤー床暖房という独自商品の開発に行き着くことになった。結果から見ればこれらの理不尽なマイナスの経験を全てプラスに転化することが出来た。

倒産の被害に遭わない為には、自分が最も経験のある得意な分野で、他に類のない独自の商品を持つことが先ず必要(私にはそれしかできない)であると思う。その上で、販売戦略を明確にすべきである。
イゼナの場合は前記したように、支払い条件に加え、値引きは見積価格から一律とし、それ以上の交渉はしない事にしている。途中に何社入ろうとそれは先方の単なる都合だけであり、エンドユーザーの何のメリットにも成らないし、勿論イゼナにとって何のメリットも無いので無視している。間に入って中間マージンだけを取るような企業は特別存在する意味がないからだ。
又そういうこと以前に、売り込みの為の営業活動そのものをしていない。適当なことを言って売り込むことは私の趣味に合わない。
あくまでも、使ってみたいと言うエンドユーザー、設計士の方と納得の上で採用していただくようにしている。
これが営業方針と言えば方針である。エンドユーザー、設計士の方以外は営業の対象にはしていない。
家を作る側の建設会社などは、床暖房というと、いくらで仕入れられるかだけが問題になり、本来住む人にとって最も大切な性能面など全く興味がないことが多いので、特に採用を働き掛けることはしていない。
また、アクアレイヤー床暖房という設備だけを売っているということでなく、快適で環境への負荷が少ない温熱環境の家が一つでも多く実現することを目指して取り組んでいる。
今の時代、単に床を温めるに過ぎない床暖房ということだけの発想では、既に対応できないからだ。
設計士の方には「床暖房を入れて床から熱を出さなければ快適にならないような家など設計しないで欲しい」と話している。
その為、家の熱計算をしてCO2の発生量やランニングコストまで出せる独自のシミュレーションソフトも開発した。
これからは益々、床暖房という一部の設備のことでなく、住まいの温熱環境という、住まいの基本の企画が出来る事を、最大の武器とした営業戦略を立てて行きたい。
現在は自然環境が破壊されつつある時代である。それはイコールCO2の排出を極力抑えようという時代である。それはCO2を出す化石エネルギーから、CO2を出さない太陽エネルギーの時代に入らざるを得ないことを意味している。価値観が180度転換しようとしている時代である。
変化の時代は、速い動きが出来る弱小企業が有利な時代と言えるのではないだろうか。独自商品を開発できる大きなチャンスの時代であると思う。
つまらん倒産のとばっちりを受けないで済むような、企業体質を作る為には千載一遇の好機である。
彼岸花926
下請け業者に手形支払いをしているかどうかを調べることは至って重要であると思う。
手形システムを採用していることにはいくつかの理由がある。一つは、資金繰りが苦しく現金が無い場合である。二つめは、金はあるのだが、なるべく長いこと金を自分の所に置いて運用益を得る為である(これは現在ほとんど意味がない)。三つめは、金はあるのだが単に昔からの習慣でやっている、ということである。
いずれにしても、手形をもらって喜ぶ下請け業者など世の中には居ないと思う。
推測であるが、現金で支払えるということは、当然繁盛しているからだろう。それは特に全ての業者が良い仕事をしているからだろう。だから更に仕事が増え、下請け業者も益々やる気になる、というプラスの循環に成っているのではないかという事も有るかも知れない・・・・



先日、JALのパイロットの方が、10000m上空から36年間撮った写真のことがテレビで報じられた。
上空で幽霊が出るわけではないが、分かっているつもりでいてもゾッとさせられた。種輝き
10000mから見る地上の姿と、上空の雲に明確な異変が2000年頃から現れているというのだ。
10000mというのはジェット旅客機しか見ることの出来ない特殊な場所である。
36000Km上空の静止気象衛星に比べればかなり地上に近い位置である。衛星では観測できない現象を見ることが出来るのではあるまいか。
その写真の中に積乱雲が写っている一枚があった。
いままで東南アジアの上空でよく見られるような積乱雲であるらしい。
その写真は何と北極地域だそうだ。
今までは見たことが無いと言う。
地上の温度が上昇している証拠なのだろう。
黄蝶8年前のグリーンランドは白一色だったが、現在は完全に氷が解け、その水により多くの池が点在していた。
アラスカの氷河は激減していた。
こういう状況は、一枚の写真を見ただけでは全く分からないことである。長い時間を掛けて同じ場所を撮る事によってのみその変化の大きさを認識できるのである。
今世紀に入り、特に異常を感じ始めたということは特に気を付けておくべきだろう。
多分、右肩上がりのCO2の増加グラフが急速に立ち上がり始めた時と時間的に一致するのではないだろうか。
異常に気が付き始めたのが今世紀の最初の年というのも、因縁のような物を感じる。
戻ることが出来るか、出来ないかの変曲点は一般的にその時点を通過してかなり経たないと認識できないが、温暖化の変曲点は変化が余りにも急なため、こんなに短時間で意識できるのかも知れない。
人間とはどんな動物かという時の一つの答えとして、尻に火がつかないと理解できず、対処する行動が取れない動物である、ということがある。
数々の歴史的事実を見るまでもなく、自分の行動を振り返りさえすれば直ぐに分かることである。
この国は既に尻どころではなく、身体全体に火がついて多くの国民が死んでいるにもかかわらず、まだ気が付かず同じ事を繰り返えしていた近年の歴史を持っている。
しかし、何の反省をすることもなく、又尻に火がついているのに能天気のようである(この国だけに限らないが)。白小花922
もうそろそろ耳を澄まし、目を見開き、脳を少しぐらい動かしても良いのではないだろうか。
人間として、もう少し人間ぽく思考すべきではないのか。五感を働かせ、第六感も動員にて全ての変化を見直し、注意すべきではないのか。
誰でもが温暖化の現象として意識するようになったのはごく最近である。それまでも変化は徐々に起こっていたわけだが、ほとんどの人は気が付かなかった。
問題は、気が付かないほどのことであったことが、気が付くほどのことに成ったということである。
これは意識が高まったこともあるだろうが、変化の量が近年急速に加速しているからではないだろうか。
でも気が付いていない人がまだ居るようだが・・・・
もうそろそろ子供や孫の未来がどうなって行くのか、ちょっとぐらいは考えてみても罰は当たらないと思う。
彼らの未来の為に、今こそ一肌脱ぐ男気、女気があっても良いのではないだろうか。



熱容量を意識的に取り込んだ住宅というのは、いまだに至って少数である。
熱容量は周りにある全ての物にあるが、物によりその大小は様々である。
ご存じのように熱容量が大きければ大きいほど、暖まり難く、冷め難いという特性を持っている。暖まり難いとは熱を沢山吸収でき溜め込むことが出来るため、なかなか暖かく感じないことであり、冷め難いとは貯まっている熱が多いため、出ていくのに時間が掛かるという現象である。小白花
各々の物質を熱を入れる容器と考えると分かりやすい。
たとえば、同じ直径で深さの違う筒状の水を入れる容器があったとしよう。それを真上から見ると当然皆同じ大きさの丸に見える。
各々の容器に同じ速度で水を入れてやると、いっぱいになるまでに深い容器の方が時間が掛かるし、入った量は多い。
出すときも同じ早さで出せば、当然深い方は時間が掛かるし、浅い方は早くなくなる。
物の熱容量とは、こんなイメージである。勿論ここで水と言っているのは熱のことである。
実際の物で熱容量を比較してみると、水の場合の円筒容器の深さを1000とすると、コンクリートは480、土壁は268、レンガは304、檜は144,杉は105ぐらいになる。
つまり水はコンクリートの約2倍、土壁の4倍、レンガの3倍、杉の9.5倍の熱を溜めることが出来るが、熱を溜め込むまでの時間は、105しかない杉が最も短く、1000もある水が最も長い。
熱容量が大きいということは蓄熱量が大きいことであり、熱容量の大きい物が一般的に蓄熱材として利用されている。
影絵蓄熱材が暖まり難く冷め難いのは、熱容量の大きな物質を使っているからである。
温められた蓄熱材が屋内にあると、外気温度が急激に下がっても蓄熱材からの放熱が続くため、室内側の温度がなかなか下がらないことになる。
私達が知っている最大の熱容量を持った物は地球、つまり大地と海であろう。自然界から簡単に手に入り昔から生活に利用している大きな熱容量の物は水である。
建築で利用されている物では、コンクリートや石や土などが多い。
人間は定温動物である以上、急速な温度変化より安定した温度環境を好むという性質を持っている。その為温度変化をし難くさせる熱容量を生活の中で利用することは、快適さを得るために当然なことである。
しかし、現代の日本の木造住宅のほとんどは、熱容量を高めて安定した温熱環境を作り出そうという努力どころか、考えようともされていないのが実情である。
勿論、前記した通り木材も熱容量を持っているが、一般的にそれだけでは室内の熱的安定性を得ることには不足である。
今の日本社会では熱容量をどう取り込んで、どう快適な生活をするか、というところまで発想が至っていないのだと思う(それは、いまだに化石エネルギーがいくらでも金で買えるという古い社会通念を引きずっている中からの発想だからであろう)。
昔から有る土蔵造りは、この国唯一の熱容量が大きい建物である。厚い土壁のため内部の熱環境はかなり安定している。
何故土蔵のような物が出来たのか調べたことはないが、火災と盗難に対する仕組みを工夫して行くうちに、結果として熱的にも安定した建物に行き着いたのだろう。
だが、土蔵が一般の住まいまで進化しなかったところを見ると、住まいとしては魅力を感じられなかったのだと思う。
いくら熱容量が大きく室温が安定してるとはいえ、ほとんど窓のない環境では風も通らず、夏の生活向きではないと感じたのだろう。
夏を旨とすべしが日本住宅の伝統から見ると、熱容量の大きい土蔵を進化させるより、熱容量をとことん小さくして風を通す方法を選ぶ方が、断熱材のない時代には正解だったのだろう。
その為かどうか分からないが、明治維新になりヨーロッパの石やレンガを使った建物の模倣が行われても、それらが持つ熱容量の機能までは取り入れなかったのかもしれない。(もしかすると、気が付かなかったのか?)
きのこ919だとすると、コンクリート造りでありながら、内断熱という熱容量を利用することを全く意図していない物が多いのもうなずける。
しかし、これもまた化石エネルギーが勝手気ままに使えることを前提にして、設備で思うようにコントロールしてやろうという考え方であり、既に時代遅れである。
とは言っても熱容量を積極的に利用した建物も増えつつある。施工実績が1000件に近づこうとしているアクアレイヤー床暖房システムも勿論、水の大きな熱容量を意図的に付加した建物である。
OMソーラーはベタ基礎に熱容量を持たせているし、地熱を利用している建物も正に熱容量の利用である。児玉裕一郎氏や花田勝敬氏が手掛けられているダイレクトゲイン利用の住宅は、床をコンクリートなどにして熱容量を稼ぎ、太陽熱を昼間の内に溜め込む方法である。今流行のオール電化住宅の場合も、電気代の安い夜間電力時間帯に暖房熱を溜め込んで使う方が経済的に至って有利である。その為には大きな熱容量を建物に持たせて置かねばならない。
現在、全盛を誇っている化石エネルギーでるが、それが無くなる問題ではなく、使えなくなる問題の方が益々大きく成りつつある。
そんな時代に対応するために、熱容量の大きな家を造ることは避けて通ることは出来ない。
せめて暖房エネルギーぐらいは昼間の内に溜め込んでおく必要がある。大きな熱容量を考慮せずに太陽熱の利用はあり得ない。太陽熱の利用を積極的に考えずしてこれからの住宅もあり得ないと思う。




温暖化が進みつつある現代に於いて、CO2の発生量、つまりエネルギー使用量を考える上で、又、快適な室内温熱環境を設計する上で、放射温度計は絶対必需品である。
四季に於ける快適さの程度と、実際の室内温度分布がどういう関係になっているのか自分の感覚と目で確かめることはとても重要である。特に冬夏の室内の壁面やガラス面の温度は知っておくべきであろう。噴水放射温度計を常日頃から携帯し、周りの温度を認識しておくことは、暖冷房設計をする上で至って大切だと思う。
放射温度計とは、簡単に言うと非接触で、離れたところから物の表面温度をほとんど瞬時に測ることが出来る温度計のことである。
私達の周りにある全ての物は、当然、温度を持っているので、その表面からその温度に応じた遠赤外線を四六時中放射している。
その放射量から表面温度を表示できるのが放射温度計であり、とても便利な温度計である。
(遠赤外線は表面の温度に応じて全ての物から出ている物であり、取り立てて口に出して言うほど特殊な物ではない。一部の床暖房で遠赤外線をうたい文句にしている物もあるようだが、何ともお粗末さがにじみ出ている)
室内に於いて暖房効果を感じるための要件には、壁、天井、床、ガラスなどの面の温度と、一般的に温度計で測られている空気温度、空気の動き、それに湿度がある。
これらが総合されて初めて暖房効果が生まれる。
暖房効果とは、床暖房が入ってさえいれば大丈夫なんて言えるような簡単なことではない。もう少し奥が深い話である。
しかし、いまだに、暖房量を表すのに室内の空気温度で判断しているのが普通である。暖房感と囲まれた面の温度との関係が理解されていないのだ。
昔から温度計は寒暖計と言われるように、それが表す数字が暖房感や冷房感を表すと、脳に刷り込まれているからだろう。
雲912温度計による温度は、暖房状態を表す目安の一つには違いないが、温度計が示す数字と体感の違いを感じたことがある人は多いだろう。
例えば、レストランなどで部屋がいくら暖かくても、大きなシングルのガラス面に背中を向けて座っていると、寒さを感じるのは誰でも経験したことであると思う。
いわゆる、冷輻射という現象である。ガラス面は外気温で冷やされ、表面の温度が非常に低くなっているため、体温がそちらに奪われてしまうためである(ガラス面は放射温度計で直接測れないので、表面に紙などを貼り付け、その面を測るようにする)。
シングルからペアガラスに変えると、室内側の表面温度が余り下がらず、背中が寒いという現象はだいぶ緩和される。トリプルガラスや真空ガラスにすれば、更に表面温度が上がり、室温に近づくため快適さも増すことになる。
又、ペアガラスでも二階までの大きな物になると、その面に接した空気が冷やされ重くなり、床の方へ下降して行くという現象が起こる。
これがコールドドラフトと言われ、あたかも冷たい風が窓から入ってきたように感じてしまう。
壁も全く同様である。断熱性能が悪ければガラスと同じ現象が起こる。いくら室温を挙げても快適な暖房感には成らないばかりか、エネルギーも余計に食うことになる。
だから窓も壁も出来るだけ断熱性能は上げておくべきである。
そうすればエネルギーの使用量が少なく、ランニングコストも安くなることになる。
断熱性能に対するイニシャルコストの多少のアップをケチることは、不快な上、高いランニングコストの家を作ることになり、一生涯経済的に大きな無駄をすることになる。と同時に、環境に対しても大きな負荷を掛けることになってしまう。
このように人間が感じる快適さの中で放射熱(輻射熱)の役割は非常に重要である。
それでは快適さとは何かというと、これから訪れる秋の日のようだと思う。
暖房機も冷房機も必要が無く、窓を開け放ち、20℃前後の外気が入り込んでくるような日である。
その時の周りの色々な物を放射温度計で測ってみると、天井も床も壁も家具も、全ての物が外気温と同じ温度になっていることが分かる。
蓮912直射日光が当たっているところは別にして、外気温度以外の温度の物は存在しない。
そういう、特別温度の高い所がない状況が人間にとってとても快適なのだと思う。
冬にアクアレイヤーを入れた家にお客さんを連れて見学に行くことがある。
室温は大体18~20℃前後になっている。寒い外から家に入ると「暖かいね!」という言葉が当然飛び出す。
しかし一時間も居ると、その暖かさに慣れてしまい、床の上に座っていても床暖房が入っていることは勿論、暖かいことまで忘れてしまうようになる。
体感見学のお礼を言って外に出ると、判で押したように「やっぱり暖かかったんだ!」ということになる。
これが暖房の快適さの本質を表していることになると思う。「床が暖かかった!」などと言われたら、それこそ首をくくらなければならなくなる。
地球上の生命は太陽からの放射熱のみにより生かされて来た。
放射熱の意識無くして、特に人間用の快適な空間など作れるはずもないと思う。
放射温度計は人間の第七感を得るために必要である。

環境負荷を考慮することは誰に言われなくとも、やるのが当たり前な時代である。
空間の快適さも必要だが、それはあくまでも個人のみの問題であって、同時に環境とも共存できなければならない。99稲個人が建てた住宅だからといって、個人のことだけ考えてればよい時代はとっくに終わったと思う。
今の生活は少なくとも、石油石炭と原子力による電気エネルギー(勿論、直接熱エネルギーを取り出すこともある)がふんだんに手にはいるという前提の中でのみ成り立つ便利さ、快適さである。
全ての仕事の手法も化石エネルギー有ってこその中で組み立てられたものに過ぎない。
99雲もしエネルギーの供給が滞ることになれば、また高価になれば、今の生活や仕事のかなりの部分が成り立たなくなるだろう。滞らないまでも、今までのように勝手にたくさん使うな、ということにでも成れば、今の生活を変革せざるを得ないだろう。
特にそうなった場合、電気エネルギーの大量消費を前提にしている超高層ビルの機能は悲惨なことに成ると思う。
百年とか二百年と住宅業界では騒がれているのに、超高層ビルは少なくともエネルギーの面での寿命は圧倒的に短いのではないのだろうか。
全く自然の熱環境を無視し、莫大なエネルギーの投入を前提にした超高層ビルは、その存在そのものが成り立たなくなってしまうからだ。
近い未来のエネルギーをどうするのか、そのビジョンを示せないこの国は、超高層ビルの未来をどう考えているんだろうか。
この国は一体、化石エネルギー後のエネルギーをどうあればよいと思っているんだろうか。
99竹ビッグバンから始まったとされている宇宙は、それ以後、常に変化している。
その一部を構成する太陽系も地球も常に変化しているのは当然である。
その中で営まれている地球社会も変化し続けているのは、これも又当然である。
この様に全てが変化している中で、人間の心だけが変化を恐れ、拒んでいるのはどうしてなんだろうか。
この全ての世界は変化していることが常態であり、変化が止まるようなことがあれば、それこそ異常事態ということであるのだが・・・・
温暖化も変化の一つであるが、産業革命以後からのCO2の増加は、自然の変化とは言えないことが多くのシミュレーションのより証明されつつある。
温暖化対策とは、言い換えると、自然の変化に戻そう、より自然の変化の中で生きよう、という行動だと思う。


夜、庭の虫の音が踏み場もないほどであるが、昼間はまだ蝉の声が聞こえる。残暑は厳しいが九月に入るとさすがに朝夕は涼しくなった。夏が終わり、また秋が来る。
最近ブログのペースががくんと落ちた。理由はある。新製品の商品化の為に量産方式を考える事と、独自のソーラーハウスの実用化のために頭のかなりの部分が取られているからだ。赤葉0908もう一つ、これからのあるべき社会について考えているつもりであり、その方向は間違っていないと思うのだが、どうも実社会の流れとは時間がずれ、空回りしているようで、何となく書く気が起きなく成ったのである。
社会は相変わらず、今までやって来たことを何も変えずに、要は如何に安直に儲かればいいかというような発想で全てが動いているように思える。大体、変革期にそんな安易に変革など出来るわけがないと思うのだが、かなりの努力が必要なはずなのに、そこまでして変革しようとは考えていない様に見える。と言うより変革はしたくないと思っているようにさえ見える。
そんなことを感じると発言してみようという気持ちも萎えてしまうので、思考が一部停止してしまい、ブログも進まないことになってしまった。
実0908自民党の総裁立候補者や議員が時々テレビに出て発言しているが、二度も放り出しているというのに、相変わらず何も変わらない発言を繰り返している。同じ事を繰り返しているだけで又当選してしまうんだとしたら、何とまあ気楽な商売なのだろうと羨ましくなってしまう。選ぶ方も選ぶ方で、負けず劣らず能天気である。

変わらないと言えば、住宅雑誌の内容も本当に代わり映えがしない。勿論、選ばれた住宅が変わらなければ雑誌の内容も変わりようがないのかも知れないが、そうは言ってももう少し時代を牽引しようという意気込みぐらい持って編集すればよいと思う。
今、読んでみようと思う雑誌があまりない。
特に近年の住まいとは、その中でエネルギーを消費するために作る空間、箱である。
しかし、このエネルギーの事で騒がれている時代に、相変わらず個々の住まいに対して、新しい評価の視点で見ることが出来ないでいるように思える。
鱗雲家電品が増え、生活が便利になったということは、取りも直さずエネルギーの消費量が増えたということである。エネルギーがなければ生活できないということである。
何は無くてもエネルギーだけは絶対必需品である。
それがこの文明だろう。
にもかかわらず、専門的な一部の本を除いて、エネルギーの視点を持って家を取り上げて評価している建築雑誌は皆無に近い。
大多数の読者はそんなことを望んでいないから当たり前なことなのだろうけど、これからの時代を先取りするためにも、各出版社は独自の新しい評価基準ぐらい作るべきである。
ただ単にきれいに撮った写真だけ載せて、ページを稼ぎ、当たり障りのない軽いコメントをつけていれば良い時代ではないと思うが・・・・

次回に続く

温暖化問題については、何度でも自分自身の問題として問わなければならないと考えている。自分なりに答えが出たつもりでもまた疑問が湧いてくる。温暖化問題は何故起こったのか、どうしたら解決できるのか、の二点である。ナイト炉
温暖化は本当に起こるのか、という事については議論の余地はないと思っている。温暖化はこれから始まるのではなくて、もう始まっている、始まってしまっているのである。
温暖化問題の最も厄介なところは、その原因が人間の欲望そのものであるからだ。
温暖化が起こった理由も、解決する方法も欲望ががんじがらめに関わっている。その為、解決は困難を極めるのだろう。
温暖化は始まってしまったため、世界中が右往左往していることはしているが、もう多分、元の環境に戻すことは出来ないのかも知れない。
温暖化しつつあることを自分を含めて、実感として捉えられる人がこの国にはどれだけ居るんだろうか。60何億の中でどれだけ居るんだろうか。
突発的で、局地的な豪雨は温暖化のためと、かなり前から予測されていた。しかし、それでも大部分の人は「最近豪雨が多いね」と感じるぐらいで、さしたる問題とも感ぜず、ましてや命に関わる事につながっているとは感じる事ができないのだろう。
例え床上浸水になっても、ついていない、運が悪かった程度で片付けてしまっているのかもしれない。そういう人間の楽天的なところが、問題解決を更に難しくしているのかも知れない。
全国的な規模で、家族の誰かか、親戚の誰かが命を落とす事態に成らないと、人間は事の重要さに気が付かないのかも知れない。ナイト岩井
しかし、そんな状態に、もしなったとしたら、それこそ何も手のつけられないだろう。
温暖化の予測の中に入っていたハリケーンの巨大化は現実の物となり、カトリーナは至って深刻な被害をもたらしたが、またそれが再現されそうである。その為、北に避難する車の列がハイウエイ上に延々と続いている車の光景が映し出されていた。
地球全体から見れば、この車の列から排出されるCO2は大した量でないかも知れないが、温暖化を更に加速するのに貢献していることには間違いない。
そしてこれからは、もっと巨大なハリケーンがアメリカを襲うことになるのだろう。
自分や家族の命を救う行動が、更に危険なハリケーンを生み出す結果になるとは何とも皮肉な結果である。
これが温暖化問題の解決を難しくしているのだろう。
勿論、北に避難する人が全て車を使わなかったとしても、温暖化が収まる訳ではない。その時でも世界中で何万倍も何十万倍もそれ以上のCO2が排出され続けているからである。
一端手に入れた便利さは簡単に手放せないところに、やはり温暖化問題解決の難しさがある。
それでは温暖化を食い止める決め手は無いんだろうか。理屈としては勿論あるが、それを実行するのが人間であるとなると、どうなのだろうか?
戦争はよくそれを避けるための選択肢が有ったかどうか議論されるが、いつでも避けるための選択肢を見つけることが出来る。
しかし、温暖化に至った現在までに、温暖化にならない為の選択肢は有ったのだろうかというと、無かっただろうという答えしか出てこない。
それは余りにも大きい人類の歴史という壮大な流れに逆らえるほどの理屈が見つからないからだ。
温暖化は必然であったのだと思う。その必然な出来事に、急ブレーキを掛け、一旦停止させずに進む方向を変え、再スタートを切ることなどということが、人類全体として可能なんだろうか?
自分が最も大切であり、自分さえ良ければ、と考える人間にそんなことが可能なんだろうか?
未来を想像して、それに対する対策を今の自分をさておいて出来るのだろうか。
疑問ばっかり浮かんでくる。
それでは今やっていることは全て無意味なのかというと、そうも思えない。
赤い実901
人類が温暖化のことを考え始めてまだ間がない。
温暖化に向かわない人類文明の選択肢は無かったが、温暖化を加速させない選択肢はまだあるだろう、と思いたい。
しかし、だんだん時間が無くなっているのも確かなのであろう。
相変わらず些細なことを積み上げるだけの自己満足では追いつかなくなるだろ(既に追いついていない)。
究極の温暖化に至までの間に解決策を見つけ出さねばならないが、そのための時間稼ぎには成ると思う(本土上陸を出来るだけ伸ばすために、適当に定められた絶対国防圏の最前線のように成らなければと思う・・・・)。
根本的な解決策は「脱化石燃料」しかないのだと思うが、60何億の流れの慣性力をどうやったら変えられるんだろうか。
「温暖化は文明の必然の結果である」という認識を先ず持つべきだろう。そしてその必然を変える方法を人類の叡智で急いで探し出さなければならい。
解決策は必ずあるだろう。
一人一人が「自分に何が出来るんだろうか」という問い掛け、そして実践をしていけば、何とかなるだろう、と思いたい。



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