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2008年も終わりが近づきつつある。
八月に入ってからブログ数も失速気味になった。暮れが近づくにつれ益々時間の速度が速まり、失速は更に続いている。何しろ気がつくとすぐ一週間が過ぎてしまっているのだ。勿論遊んでいるわけではないのだがブログの書く時間さえ中々取れないのが現状である。
お陰で懸案の「断熱ロールカーテン」の試作品が完成し、今、自宅の出窓で機能テスト中である。
めじろ1227一般的に家の断熱は壁、天井、床に断熱材を入れれば良いと思われがちである。「この家の断熱は?」というと、それらの断熱材の厚さを言ったり、ひどいのは「外断熱です」と、さもすごい断熱性能であるこのように言われたりする。
断熱材の種類や厚さだけいっても家の断熱性能を表したことには成らないし、断熱に関するセンスとしては何とも片手落ちである。

一般的には室内熱の約半分が窓ガラスとサッシを通して逃げる。窓の熱特性を考えずには家の断熱性能を考えたなどとは言えない。今時、断熱のことを本当に考えているのであるなら「ガラスはペア」(ペアといっても熱貫流率が倍も違う物がある)などと軽く言って済ませる話ではない。
十年以上前に、ソーラーデザインという家の熱性能をシミュレーションをするソフトを使うことによって、室内断熱戸の重要さに気付かされた。窓の熱をコントロールせずして、これからの住まいなど成り立たないと感じた。
また、新築だけのCO2削減では本来必要なCO2削減など達成できるはずもなく、既築のリフォームが何としても必要であると感じていた。
ロール1その為にも、窓の断熱を何とかしたいと考えた。既築の窓にフレキシブルに対応するためには、障子や開き戸タイプでは限界があると思い、ロールカーテン方式を選んだ。
また、パッシブなソーラーハウスとしては開口部からのダイレクトゲイン方式がベストであると考えていたので、ロールカーテン方式であれば熱の出入りをオートマチックにコントロールもでき、更にソーラーハウスの性能を上げられると思っていた。
窓というのは実は昔から最も多機能を求められる部品であるのだ。にもかかわらず、そういう捉え方はほとんどされてこなかった。何とも不思議な現象である。窓は明るさだけを入れるだけの物であり、単なる外観のデザインを構成するための部品でしかなかったように思う。
ロール2それらは所詮、エネルギーが自由に買えるという前提の時代に作り上げられた発想に過ぎない。
窓は本来複雑な機能を要求されなければならないはずである。その窓が持っているプラスの機能というのは、太陽光を入れる、太陽熱を入れる、風を通す、外の景色を見る、などがある。マイナス面は室内の熱が大きく逃げることである。それに伴い冷輻射をもろに受ける、コールドドラフトを発生させる、結露を発生させるなどであるり至って負のイメージである。また当然防犯機能を持たせなければならないことも重要である。
一つの部品で正反対の機能を要求されるのは住宅の中で窓だけであろう。特にこれから冬は日射熱を出来るだけ取り込み、ため込み、それを出来るだけ逃がさないようにして大切に使わなければならず、窓の多機能化は何としても成し遂げなければならない事である。
太陽が出たら日射熱を入れ、日が降りたら室内熱が逃げないように遮断する。夏は反対に室内には絶対日射熱を入れてはならないし、夜間は風を通して室内に溜まった熱を外部に捨てなければならない。
この様な窓の性能と、その性能を利用する家の形がこれから求められなければならない。
壁をくり抜いたのが窓などというレベルの発想では、これから求められる住まいに対応することは出来ない。
断熱ロールカーテンの商品化までにはまだ少し時間がかかる。一部の材料選定、組み立て方式の確立をせなばならない。
またどこにも参考にする物がないため、商品化が出来たとしてもいろいろ不具合が見つかると思う。販売方式もE社と検討を始める予定である。
メカ部に関してはK社に決め、今後連携して行きたいと思っている。
床暖房用国産ムク床材、アクアレイアー床暖房システム、リユース床材、集熱床材と開発し、次に断熱ロールカーテンを出す。
かにサボ時代の方向を読むことは間違いなく間違っていない。しかし、床暖房用国産ムク床材以外は時期尚早であった、が必ずその時代が来ると思っている。今でこそCO2を出さない家というと、不可能だとか特殊に思えるが、それが当たり前になる時代は目の前だと思う。
想像し、夢を持つことが出来れば、間違いなく実現化できることは今までの歴史が教えてくれている。
この未曾有の経済危機は単なる歴史の変換点に過ぎないだろう。ビッグ3が立つ行かなくなったのは、単に温暖化対策の時代を見誤ったからに過ぎない。もし彼らが立ち直るのであるなら、まさか5000ccのエンジンを作るわけではない。少なくともハイブリッド車かバッテリー車か、燃料電池車しかないだろう。同じ地球上に存在している家も例外であるはずがない。少なくともハイブリッド的な考え方は必然である。
温暖化対策というのは、エネルギー変換対策と読み直すことが出来る。エネルギーという視点を中心に全てを見直すということである。勿論住宅もそうあらねばならない。
2009年は目先の経済は絶不調かもしれないが、新文明、つまり太陽エネルギーに依存する新文明の幕開けと見れば、大いに夢のある年の始まりである。
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ある建築展を見に行った。漠然とであるが、勿論、大いなる期待を持っていったが、見事に裏切られた。1218さざんか
今の時代は、エネルギーを中心に未来を新しく創出するための変化の時代であると思う。その為の何らかの新しい提案が当然あるものと期待していったが、その点から見るとそれが全く感じられなかった。勿論、私の能力不足により深部を読み取れないことだけなのかもしれないが・・・・
私は建築家ではないし、(幸いにして?)一般的な建築の教育受けていない。出来ることと言えば、生活者としての人生観、住宅感から住まいという物を見られることである。
また、職業柄、家の熱環境について、エネルギーの種類、選択について、その消費方法については多少知識を持っているつもりである(その点からしか家を見ていないと言える)。
1218モミジ会場にはコンクリート打ちっ放しのS邸実物模型が展示されていた。
家とは住まいであるから、住んでいる人が良ければ周りがとやかく言う必要はないのだが、しかし、現代に於いて、そこで多少なりとも暖冷房エネルギーを消費するとなると、これは単に設計家と住まい手が納得していれば済む問題ではなくなってしまう。
エネルギーをお金で買ってくる(CO2を排出する)ことにより、家は個人の物ではあると同時に社会性を持ってしまい、単に個人的な納得だけでは済まなくなってしまう。それが特に今の時代に求められていることだと思う。
多分あの打ちっ放しの家は、当然だが、寒さ暑さも季節任せで暖冷房機器は使っていないのだと思うが、そうであれば実は、地球環境を最大限考えた最もエコな住まいとうことになる。
しかし、何らかの暖冷房機器を使っているのであれば、全く環境(ここで言う環境とは大気とその温熱に関わる自然環境のこと)のことに配慮していない最低の家(但しエネルギー的において)になってしまう。
いずれにしても、今更何故打ちっ放しが前面に出てくるのか私のレベルでは理解できなかった。
1218赤モミジ時代は急速に変わりつつある。それも単なるファッションではなく、より根源的な環境の問題、エネルギー利用の問題に於いて変わりつつあるのだ。
人間社会は熱用エネルギー、動力用エネルギー、通信用エネルギー、光エネルギーなどが無ければ一秒たりとも存在できない。
現在、それを支えているのは化石エネルギーである石油、石炭、天然ガスなどである(原子力もある)。
そしてそれらの大量消費が未曾有のCO2排出(原子力は超毒性を持つ放射性廃棄物)を生み出し、温暖化を急加速しつつある。
このCO2排出量は今後も更に加速度が大きくなる可能性がある。
今はそんな時代であり、人類はそのことにやっと気付き始めた。
しかし、過渡期の現象であろうが、未だに利権を主張し合い右往左往しているため、化石文明からの脱却のめどは立っていない。
その為、現代は化石文明の行き着く先に気付いたあらゆるジャンルの人達が、各々の過去の価値観(エネルギーは買ってくる物ということを前提に作られた価値観)を脱却して、新しい価値観で行動を起こさなければならない時である。
過去の価値観による実績を勇気を持って切り捨てなければいけない時だと思う。
誰でもが言うように、新しさへの変革というものは、過去の実績を現代の価値観で徹底的に分析し、評価し、反省すべきは反省し、切り捨てるべき物は切り捨てて初めてなし得るものだ。
S邸はたまたま特殊な住まい手と巡り会えたために成り立ったに過ぎないのではないだろうか。
1218落ち葉世代が変わったり、住み手が変わった場合、どうリフォームするのだろうか。
単に過去を懐かしむのではなく、未来に向かった新しい価値観に基づいたリフォームの提案がなされていれば、更に価値ある展示に成ったことだろうと思う。
これが建築家でない私の独断と偏見による感想である。

最後に、省エネ車、省エネ家電などが積極的に努力される中で、国家間でCO2排出の定量値を決めようとする時代の中で、これからは、個人的な自己主張だけで、暖冷房による家からのCO2排出量が放置されるべきではないだろう。
地球上の全ての物は太陽エネルギーに依存ている。家は地球上にある。にもかかわらずその太陽エネルギーの視点が欠如した家が未だに大多数を占めている。それは多分、エネルギーとはいくらでも買ってこられる物だ、とういう現代の罠から未だに出られないで居るからなのだろう。



経済の混乱のため温暖化対策に対する世界の足踏みが鈍ってきた。
特にヨーロッパに於いて、イタリアを筆頭にポーランド、ハンガリー、ルーマニアなどが温暖化対策反対に回っているようだ。
温暖化は本当に難しい問題だ。
温暖化は人類に人間が生きて行く本質を問いかけているようだ。
1210石段
人間は「個人」であると同時に人類という「種」である。
今、その「個人」と「種」のどちらが大切かを問われているように感じる。
つまり、家族とは何か、家族における愛とは何か、が改めて問われているのではないだろうか。
経済環境に恵まれた中で育まれた見かけだけの良い家族ごっこから、本当の家族のあり方が問われるのではないだろうか。
今まで「個人」と「種」というのは、それらを分離して考える必要がなかったんだろう。
正に人間の人間であるが為の問題が始まったのだと思う。
また温暖化問題は、今と未来を同時に考えなければならない事を提起したのとも言える。
今の自分と、未来に生きる子供や孫以降の事を考えなければならない、ということだ。つまり自分の今の生き方が、近い未来の自分の子供と孫の人生まで決めてしまうということに対して答えを出さなければ成らないのだ。
今までの自分の主義主張を見直さなければならない時代なんだろう。時として今までのレベルの自己主張だけでは自分勝手と捉えられてしまう時代なのかもしれない。
1210黄色大げさに言うと、今の自分を「犠牲」にして未来の人類に多少なりとも夢を与えなければならない時代なのかもしれない(だとしたら温暖化問題解決は不可能なんだろうか???)。
しかし、今の自分を「犠牲」にしてしまうという言葉を使うのはのは何とも寂しいく空しいことである。
「犠牲」と感じるのは、今までの価値観において作り上げられた感情であるから、この際、価値観を変えて「犠牲」と感じる心を変えるしかないだろう。
価値観というのはその時代が作り出した相対的な物に過ぎないからだ。
そうすることが温暖化問題を解決するために先ずしなければならない唯一のことなのだろう。
小手先の数値をいくら議論していても温暖化問題は決して解決しないと思う。
もしかしたら温暖化問題は、人類文明のすでに決められた避けることができない帰着点なのかもしれない。
身近な周りを見渡し、世の中を見渡して見ると、温暖化問題に対して果たして人間は対応できるのかなと思えてしまう。
1210干し柿相変わらず、ごく近くのスーパーへ車で買い物に来ているのを見ると何も変えられないように思えるのだ。
しかし、視点を変えると、我々は今まで遭遇したことのない矛盾した面白い時代に居るのだ。
人類文明の分かれ道を自分が参加しながら見られるという、二度と体験できない楽しい時代にいるのだ。
そんな時代だからこそ、自分に何ができるかチャレンジしてみるのは更に楽しさを与えてくれるだろう。
また、温暖化問題は、地球上の資源を子々孫々まで使わねばならないことを示唆しているのだろう。
温暖化問題は有限の化石資源を熱として使ってしまうのではなく、本当の使い方を問うているのかもしれない。
しかし、人間はこれからも温暖化問題の解決どころか、目先の欲望だけを満足させようと生きてゆくようにも見えてしまい、何となくお先真っ暗である。
もう少し子供の時代のこと、孫の時代のことを考えてみることは出来ないのだろうか・・・・

新型インフルエンザが不気味である。テレビでもかなり取り上げられているが、ほとんどの人はその何たるかを理解していないように見える。
124赤玉新型インフルエンザをおこす未知のウイルスに対して人類は誰も抗体を持っていない。未知のウイルスであるため、勿論ワクチンは作りようもない。
経済危機と「あっ!そうぅ」総理大臣の話題だけが取り上げられ、温暖化対策も影が薄いが、多くの人の命に関わる新型インフルエンザはもっと重視すべきであると思う。
今回の新型インフルエンザによりパンデミック(爆発的な感染拡大)が起こることは間違いないと言われている。致死量が異常に高い新型インフルエンザであれば事態は至って重要であるはずだ。
この国の政治は票と金になる道路は何兆でもで気前よく使うが、命や社会維持の根源である医療や教育に関しては大して興味がないように感じる。また国民のしもべたる行政も、縦割りの硬直したシステムの中に甘んじ、国民が快適な生活と国の維持のために出資した税金を適当にもてあそんでいる現状がある。国の無策が生んだ昨今の医師不足、それによる診療拒否の現実、あらゆる見通しを立てられないための無駄な税金浪費を見ていると、とても新型ウイルスによるパンデミックに耐えられるような対策を立てる能力があるとは思えない。
ある番組で、パンデミックに備えてニューヨーク市では、毎年850台の人工呼吸器を備蓄しているということであった。
124冬桜医師がいない、ベットが無いというこの国で、今一台でも余分な人工呼吸器があるんだろうか。パンデミックなんて言うのは夢のまた夢の世界とでも思っているんではないだろうか。
道路財源のほんの一部を使うだけでかなりの対策が立てられると思うが、税金を払っているにもかかわらず、この国に安心を任せとくわけにはいかないとは何とも情けない。
何しろ、満州へ送り込んでおきながら、人々を平気置き去りにしたり、徴兵した人たちを虫けらの様に扱った実績のある国である。
パンデミックとなるとその結果をいくら追求しても後の祭りである。何しろ税金は好き勝手に使うが、責任という言葉が存在しないような組織に命の全てを任すわけにはいかないからだ。
そんな訳でイゼナではささやかではあるが、できる限り自己防衛策を立てることにした。 
何しろ超少数精鋭のイゼナにとって、1人でも欠けることは会社にとって致命傷になってしまう。
対策に対する考え方は、先ず当然だがウイルスを体に入れないことが第一である。
次に感染してしまった時の対策を考えなくてはならない。
ウイルスを体に入れないためにはウイルスが有りそうな所には行かないことが基本であり、最良の策は家の外に出ないことである。その場合、外部の人が入らないようにすることは当然である。
宅急便などの人たちには申し訳ないが、接触しないようにして受け取る必要がある。
万が一を考え、同時に室内空気の除菌も必要である。
また、どうしても外に出なければならない時は、N95マスクにゴーグルをすることが望ましいが、ゴーグルをして外出するにはかなり勇気がいりそうだ。帰った時は頭のてっぺんからつま先までクレベリンを噴霧して殺菌することにしてある。もちろんイソジンなどによるうがいと、除菌洗剤による手洗いは欠かせない。
124黄葉しかし、パンデミックが起こったとしても100%の人がかかるわけではない。何の対策を立てなくてもかからない人はかからないし、かかっても大したことがなく済んでしまう人もいるだろう。要は、体質と体力に基づく運であると思う。
いくら対策を立てたところで完全な保証が得られるわけでもない。
しかし、自分の今までのインフルエンザに対する病歴を考えると決して強い体質ではないし、二人とも体力が落ちている年である。
それに、もうすぐ五歳と生まれたばかりの五ヶ月の孫は、何としても死なすわけにはいかない。
先ずは、できうる限りのベストを尽くすしかない。それでもだめなら致し方がないが、後悔だけはしたくないと思っている。
多分、これから発生するだろう新型インフルエンザは64年間の人生の中で最大の危機だろう。
無策の結果を運命と言うより、策を立てた上で運を天に任せる選択をしたい。

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Author:izena社長 前田誠一
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