上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


(今回も家についてはお休みです)
この連休に小田原駅から三島駅まで、箱根の旧街道石畳を含めて40Kmばかり歩いてきた。
旧東海道を日本橋から京都までトレンクルで走ることを目標にしていたが、どう考えても箱根の石畳にトレンクルを持って行くのは無理だと思い歩きにした。329桜
歩きにして正解であった。いくら超軽いトレンクルとはいえ、あの道では苦行をするようであり、とても楽しい旅にはなりえなかっただろう。
歩いてみればみたで、トレンクルの旅とは違った感じ方が出来、捉え方が出来て楽しかった。
これで日本橋から知立市までつながったことになり、近江草津から京都三条大橋まではすでに走っているので、旧東海道を合計360Kmばかり走ったことになる。残りは130~40Kmであるが、もう一つの難関になりそうな鈴鹿峠があるので、1回にするか2回に分けて走るか決めていない。329一里塚
人生の時間も少なく成りつつあるので出来れば1回で走ってしまいたいと思っている。
箱根の山は、さすがに天下の険であり、東海道最大の難所だったことがよく分かった。
昔の人は江戸から京都まで十日ばかりで歩いたらしいが、その強靱さに呆れるばかりである。
今回も勿論早歩きをするのではなく、楽しむことが第一の目的であったから三日間を掛けた。
20日は小田原駅から箱根湯本までほぼ平坦、21日は芦ノ湖まで登り一方、最終日は三島駅まで下り一方である。それでも結構疲れたし、足が痛くなった。普段これだけ歩いていないからとはいえ、江戸時代の人と比べれば体力の差は歴然である。
329旧道
旧東海道はどこでもそうだが、かなりの部分が国道1号線とオーバーラップしていたり、平行したりしている。そんな所へ出ると全く興ざめなのだが、歩いているすぐ横を車が大きな騒音(自転車もそうだが歩いていると同じ移動でも騒音はゼロである。本来ゼロが基準になるべきだ)と共に超スピードで追い越して行くのに出っくわすことになる。実はトレンクルで走っている時はあまり感じなかった(慣れてしまったからか?)のだが、今回歩いていて強く感じたことがあった。
それは、同じ移動するのに歩きと車の余りにも大きな違いである。
現代に於いて、歩いて移動することと、車で移動することの違いなど当然なことであり、当たり前なことであるが、その当たり前が当たり前として処理してしまって良いのだろうかと感じたのである。
片や必要な荷物を自分の肩に背負い、自分の筋肉を動力源にして汗をかきながら自分自身を移動させている。
一方、車は全く筋肉を使わず、クーラーや暖房の効いた閉空間でただ座っているだけで、ガソリンを大量に消費し、人間の十倍以上の重さを歩く時の十倍や二十倍のスピードで突っ走っている。その為、ものすごい排ガスを吐き出し、騒音をまき散らし、環境を汚染し続けている。329石畳
勿論これが非常に恩恵を受けていると思っている現代文明の象徴であり、文明の進歩ということである。
つまり筋肉を全く使わず劣化させることに努力しているのが現代の進歩なのだ、ということを改めて認識させられた。
こんなことが本当に人間にとって幸せな進歩なのか疑問に感じたのである。
人類文明の進歩というのは、実は単により大きな墓穴を掘ることなのではないのだろうか。
それに輪を掛けるように高速道路が1000円にする政策が最近とられた。結論から言うと「バカじゃないの!!」である。何で今の政府はこんな程度の経済対策しか取れないのだろうか。
公共広告機構による「明日のエコでは間に合わない」という折角のテレビコマーシャルもこの国の政府は全く無視している。
温暖化対策に何を言おうと今の政府は口から出任せでしかないのだろう。この国の未来に希望が持てないのは当たり前である。
またこの国の国民らしい現象も出ている。1000円で安くなったから遠出をするということらしい。全ての自分の行動の基準が単に金が安いからということなのである。何とも情けない。329地蔵これが経済大国なんて前の、前の、前の総理ではないが「笑っちゃう」である。自分の生きて行くための価値基準が何も無いことの証明でもある。
そうであるなら、車漬けでどんなに筋肉が衰えようとたいした問題ではないのだろう。
たまたま現在は栄養価の高い物が十分あるように見えるから、運動能力が衰えても何とか寿命を維持しているのではないだろうか。
今回、箱根八里を歩いてみて江戸時代以前の人達と現代人との運動量の余りの違いに愕然とした。どう見てもこれで良いわけはないと思うし、本来の人間の姿とも思えない。
自由に主体的に人間として生きるために、もう少し違った社会が必要なのではないだろうか。
スポンサーサイト

3月7日のブログ、良い家の建て方(4)の中で、居間の中に特別当てのない200角の檜の柱が三本と120角が二本有る(勿論構造的には無くてはならない物である)ことを書いたが、それが予想もしなかった結果を生んだことを書いてみたい。
5年前に孫と一緒に住むことになった。325レンギョウ
それまでは特別利用することもなく単なる建物を構成する柱に過ぎなかったが、孫と同居することになり、それらが想像もしなかった面で真価を発揮してくれることになった。
写真を見ていただければ分かるように、一つは、200角柱二本を使った室内のツリーハウスを作ったことである。
もう一つは、居間の対角線上になる120角柱と200角の間にロープウェーを作ったことである。
勿論、孫が私達の元に来なかったら、これらの物を作るなどということは一生考えなかっただろうし、思いも付かなかっただろう。
孫が来てくれたお陰で新しい想像力を駆り立ててくれたのだ。しかし、いくら孫が来てくれても想像して作り出す環境が整っていなければ、つまりむき出しの柱を作っておかなければ何も始まらなかったろう。
これらの柱は設計の時にここまで想像して作っておいた物ではない。設計時点には思いも付かなかったことである。325砦正面
現在はもう孫は同居していないが、同じ市内に住んでいるため、多い時には週に2~3回遊びに来る。その時は必ずツリーハウスに入り込んで遊んでいる。
1.8mの高さにあるツリーハウスは、孫にとっても想像力をかき立てる場なのだと思う。時には、座布団を何枚も持ち込んで立て掛け、砦にしてみたり、時には消防署になり、垂直の鉄パイプを滑って降りてきたり・・・・と、孫の頭の中では自由自在に何にでも変身できる空間なのだと思う。
このツリーハウスは、向かって左側に垂直な木の梯子があり、右側には縄ばしごが吊してある。他に、上る時、足の指が掛けられるようにしてあるロープと、消防士が出動する時に滑り降りるための鉄棒や、ブランコ兼吊り輪、ぶら下がる所が二本しかないウンテイ、外から立て掛ける梯子などが取り付けられている。又、滑り台の下端を持ち上げて水平にし、ツリーハウスから吊り下げてあるゴムに引っかけられる様にしてある。ここに乗ってビヨョ~ンと上下させている。孫にとっては何のつもりなのであろうか。
この様に遊ぶ目的を規定していない室内のツリーハウスは、孫にとっては自由に何にでも変身することが出来る絶好な発想の場であるのだ。325斜め
人生に於いて、ツリーハウスのような物を作る機会を与えられたことはすばらしいことだと思っている。しかし、これは新居を設計している時点では全く考えても見なかったことである。今流行のように、もし、この柱を壁で隠して部屋の間仕切りにしてしまったら、見た目は部屋が増えていたのであろうが、少なくとも、孫にこういう自由な遊び空間を与えることは出来なかっただろう。勿論、私にとっても、こういう物を想像する時間も、作り上げる機会も無かったことになる。
孫にとっても、思いも寄らぬ面白い空間を得られたのだと思う。
又、天井は半間ピッチの梁の間を漆喰で塗ってあるのだが、その梁に金具を付けて自転車6台を吊ってある。これなども後から思い付いたことである。
これらは単なる一例に過ぎないが、人間がやっていることである以上、これらを住まいの設計時に全て考えておくことなど全く不可能なことだろう。
住んでから初めて気がつくことに対して、いかに自由に対応できるかがこれからの住まいには必要なのではないだろうか。
想像できない未知に対して、その可能性を広げておく設計というものが必要なのではないだろうか。
完成という言葉に惑わされて、全ての面(壁床天井)を今流行の仕上げ材で仕上げてしまうのは、後から手が加える精神を封印してしまうことではなかろうか。
住んでから更に住みやすい空間に作り直して行ける事が最も大切なことではないだろうか。
日々刻々、時間の消費と共に人の精神が変化して行くのであれば、それと共にある住まいも変化し続けられる可能性を持った物でなければならないだろう。
単なるハードとしての建物から、住んで初めて気がついたことを実現できる自由さを持った住まい、どんどん血を通わせることが出来るような「住まい」がこれから必要だと思う。325自転車
人間は未来に起こりえることを想像しながら生きることは苦手である、というより出来ない。そういう能力をほとんど全く持っていない。それは現代の温暖化社会文明を見れば明白である。常に結果に対する対策しかできないのが人間である。その対策の結果も未来のことであれば、それすらも想像できないのが現在の状況である。
また、今、目の前の「楽をする」ことと、未来を「楽しくする」ことのどちらかを選ぶかとなると、人間は必ず前者を選ぶ。それが便利で怠惰な現代文明を作り上げたのだ。
家を作る時、現代は余りにも形に捕らわれ過ぎていないだろうか。
形が精神を育むのではなく、自由に行動できる空間が有ってこそ、豊かな精神が育つのではないだろうか。
少し大袈裟だが、居間でなく、食堂でなく、子供室でなく、寝室でなく・・・・無目的な空間こそが大人にとっても、子供にとっても規制に捕らわれず自由にものを考える精神を育んでくれるのではないだろうか。

(イゼナ流良い家の建て方は今回お休みです)
トレンクルで家の近くの手賀沼や利根川、小貝川などを走る時も、旅に行く時も必ず一眼レフを持って行く。妻はEOS KISS XにTAMRON AF28-300MACRO、私はEOS 50DにEF70-300 DO IS USMを標準的に付けてゆく。トレンクルで走り始めた頃は小型のデジカメだったが、最近は特に二人とも一眼レフで写真を撮るのを楽しんでいる。しかし、一眼レフは重くて邪魔だ。38しだれ梅
トレンクルが軽いだけに何とも厄介物である。ザックに入れてしまうとチャンスに取り出し難いし、首に掛けて走るのは何かと不安定である。それで今年の正月に走った旧東海道の時に、カメラを入れるためのバックをハンドルの前に取り付けてみた。RIXEN KAURと書いてある小さなフロントバックである。
東急ハンズで購入した。取り外しが簡単なのでお店や食事に入る時は、カメラを入れたまま簡単に外して持ってはいる。取り外した時にはショルダーバック状となるのでとても便利だ。これでトレンクルを止め、カメラを取り出すのは非常にやりやすくなり、シッターチャンスも増えた。
しかし、バックがハンドルの前に付いてしまったので、フロントランプの光がバックに隠れてしまうことになった。しょうがないので写真のように左側のバーエンドの先に取り付けた。トレンクルを折りたたむ時、このバーエンドは以前から取り外すようにしているので、折りたたむ時の邪魔はならない。
今のところ、これでトレンクルの旅仕様最終形だと思っている。
最近トレンクルの旅へ出る時、以前のブログに書いたが、トレンクルは自作の輪行箱に入れて宅急便で運ぶようにしている。理由は二人とも体力が落ちているので、持ち運ぶ時に使う体力エネルギーを節約するためである。38トレンクル1前もって送ってしまうので、家を出る時はトレンクルに取り付けるようにしてあるザックを背負っているだけであり、それにカメラを入れる小さなフロントバックが新たに加わったことになった。走っている時に必要な荷物も、トレンクルと一緒に箱に入れて送ってしまうので、カメラ用のフロントバックが増えたといっても、実際に持ってゆく荷物は至って軽量である。
その上、座席指定券は取ってあるので、のんびりと本を読んだり、コーヒーを飲んだりと、正にのんびりとした移動が出来ることになる。
目的地に着くと先ずは、宅急便センターへトレンクルを取りに行く。空になった輪行箱は最終地の宅急便センターへ送ってしまう。
行き帰りは輪行箱を使っていると言っても、自作の軽量コンパクトな輪行バックは常に携帯している。何時、どの様に、予定を変えざる得ないような状況になるか分からないからだ。これを持っていると、何かあれば、すぐに折りたたんで移動できるという安心感がある。
走る時のいで立ちは写真の様になる。正月に旧東海道を三島から掛川まで走った時のものである。
背負ってきたザックはハンドルの手前に取り付け、かさばる物は防水の袋に入れてサドルの下に縛り付ける。写真にはないが水筒はザックのサイドメッシュポケットに入れれば、専用のボトルを取り付ける必要もない。
ザックをここに取り付けると、止まった時、ザックを支えにして両手を離すことが出来るという利点がある。走りながら被写体を見つけ、止まってトレンクルをまたいだまま写真を撮るには、トレンクルから両手を離して支えなければならない。
これが出来るので一眼レフ用の小さなフロントバックを付けた意味も出てくる。ザックがここにないと、こういう芸当は出来ない。
38トレンクル3GPSはとても便利なので持って行くが、地図も勿論持ってゆく。走っていながらでも見られるように地図ケースに入れてある。旧東海道のようにコースをちゃんと調べておかないと走れないような所は、正に地図が頼りである。GPSは現在速度、現在までの走行距離、走行した時間、止まっていた時間、現在位置、現在まで走ったコース、高度などを示してくれるのでとても便利である。基本的に地図さえ持っていれば、それで事前にきちんと検討をしておけば特別問題があるわけではないが、GPSがあると更に快適な旅が出来るような気がする。
空気入れはすぐ使えるようにとサドルの下に取り付けてあるのだが、走行中に使った経験は今までないので、あえてここに取り付けておく必要はないと最近は思っている。むしろ折りたたむ時には邪魔なのでザックに入れておけばよい。
トレンクルに変速機は付けていない。一人で走ったり、トレンクル同士で走る分には経験上、特別必要がないと思うからだ。もし初めてトレンクルで旅に出たいと思っているご夫婦がいらしたら、変速機に特別こだわる必要はない。トレンクルのいろいろなホームページを見ていると、様々な改良のことが出ているが、要は自分なりの楽しく快適な旅をどうするかである。先ずは自分なりの快適さを探すことが大切であり、変速機を付ければ済むことではない。特に初めての方は自転車メカマニアの方々が楽しんでいることに惑わされないようにすることが大切だと思う。
38トレンクル2変速機がなければ楽しい旅が出来ないんじゃないかと誤解してはならない。
経験上、旅のスピードは時速12~3Kmぐらいでれば十分であるし、坂道がきつければ降りて押せばよいと思う。上り坂をわざわざ乗ったまま走る必要はどこにも無いと思う。それ以上のことを望むのであればトレンクルを選ばない方が良いと思う。特に走行安定性のことを言うのであれば、勿論これもトレンクルを選ぶべきではない。トレンクルを選ぶ基準はメカの性能ではなく、軽いから選ぶのであり、それ以外の性能は自転車の基本的な機能さえ持っていれば、極端に言えばどうでもいいのである。
トレンクルを選ぶのは、楽しい旅を気分良くするためである。自分がどう楽しい生き方が出来るかということである。
トレンクルは楽しい旅を演出してくれる便利な道具の一つということであると思う。
私はトレンクルを使って一人でも多くの人が車を使わず、公共交通機関と組み合わせて楽しい旅が出来ればと思っている。
その為には、トレンクルの本当の良さを知ってもらいたいと思う。

旅が目的である。その旅をより楽しくする為のレパートリーの一つである。

現在の家を建てたのは42才で独立した2年後(1989年)の事である。床暖房の仕事に携わってから9年目である。その間に多くの建築現場を見、いろいろ体験させられ、勉強させられた。黄色37
その中でプレハブメーカーの仕事はやるまいと決めた。理由は、現場の工事の仕方にある。一軒の家を建てるには、大工、左官、塗装、電気、水道・・・・など非常に多くの業者が関わる。
しっかりした良い家を建てるには、その人達のチームワークが何よりも大切である。それが出来ているとは思えない現場に多くぶつかった(現在はプレハブの仕事はしていないのでどうなっているかは知らない)。自分の仕事さえ終われば、他は関係ないという態度の業者を多く見てきた。それでこういう現場で床暖房の仕事をしたくないと思った。
見ていて気分が悪いのである。気分悪く仕事はしたくない。これは現在まで変わらないが、勿論現場でいやなことばっかりではない。
屋根37
二軒めを建てていただいた棟梁は偶然、現場で巡り会った人である。現場が綺麗に整頓されていることもそうだが、職人さん達のチームワークが何とも良かった。勿論、棟梁自信に惚れ込んだ。次に建てる時はこの人に頼もうと決めていた。
独立して二年目であり、前回の二階増築のように、何も無しにして住みながら自分で作っている暇はないと思い、それなりに完成してもらう方針にした。
形態としては父との二世帯である。
目標項目はいくつか設定した。
先ず第一は勿論、商売柄、自分で実際に体験をするために床暖房を4種類入れた。このことが後に独自の床暖房であるアクアレイアー床暖房システムの開発につながって行くことになった。
また当時は友人であるアインズの松岡信夫さんと組ませてもらって建築用の鍛造品も仕事にしていたので、それの展示する場にもすることにした。
その中に暖炉を入れた。
これは商売の為というよりも、長年の夢であり、家を新しくするのであれば何としても家の中で焚き火をしたかったからだ。その他、断熱材、外壁材、屋根材、漆喰壁、無垢材壁など、それに耐震のことを最も考えた。
構造は在来木造(柱は全て檜の120角)とし、その外側、つまり外壁の下地として12mmの耐水ベニアをキッチリと打ち付け、筋交いと併せて完全な剛構造にした。筋交いは東西南北のバランスを考えて、出来るだけ多く入れた。
住まいで何が最も大切かと言えば、それは絶対に壊れないことである。特にこの国においての耐震性は住まいの最も重要な要件である。玄昌37その為、屋根は軽さと耐久性のため銅板にした(但し現在は酸性雨などの増加から銅板の耐久性には問題があると思う)。外壁材は高耐久性とメンテナンスフリーのためガラスや鉛、ステンレスなど考えたが、結局、中国製の玄昌石(色:グリーン、公称厚さ8mm、大きさ200×300mm、重さはモルタル壁相当である)とした。通し柱は5本にした。また、壁は大壁構造であるが、部屋の中に200角の柱3本と120角の柱を2本出すようにした。これは特別当てがあったわけではないが、住んでみてから何かを思い付いた時の可能性を大きくする為でもあった(現在、そこは孫のツリーハウスのような砦になっている)。
布基礎のコンクリートには通風口を取らず、遠野から取り寄せた厚さ45mm,、長さ450mmの栗の芯持ち材を、基礎と土台の間の全周に450mmの間を開けながら挟み込んだ。
断熱材は建物の耐久性をも考えたため、内壁側に密着させて50mmのロックウールとした。今となると余りにも少ないが、外壁側に通気層を取り、湿気を二階の屋根裏側まで抜くためであった。
二軒目の新築のテーマは上記したように色々あったが、「火」を楽しむ生活を獲得することも大きな目的だった。
要はキャンプへ行った時のように気ままに、室内で焚き火をしたかったのだ。
「火」つまり「炎」がいつでも見たい時に見られる様な生活をしたかった。
人間は、特に日本人は新しい技術にばかり目が眩み、「火」を危険な物、めんどくさい物、汚す物として捨て去り無視して来た。
火37
「火」は照明として、暖房として、調理用熱源として人類発生以来、私達の生活の全てを支えてきた。人類は正に、常に「火」と共にあったはずだ。たき火の嫌いな人はほとんどいないんじゃないかと思うが、それが「火」と共に生きて来た人間の証だと思う。
それなのにこの何十年で、いとも簡単にその火を捨て去って来た。それも何の考察も無しに無視するようになってきたのだと思う。
これからの住まいには「火」は必要だと思う。暖房や照明や料理に「火」はもはや必要ない。しかし、「火」は心のために必要なのだとおもう。
これからの住まいは、好むと好まざるとにかかわらず、いずれにしても超省エネが求められ、その為の徹底的な合理性が求められるだろう。
そんな中で心をいやしてくれる「火」の役割は至って大きいと思う。「火」は来訪者に対する最大のもてなしになると思う。
また、この新築でも新しいチャレンジをしてみた。確認申請に関わる図面を全部自分で検討し書いてみた。私は建築の勉強をしたことはないので、確認申請に関しては勉強した。
勿論、素人の私に確認申請は出せないので知人の設計士にお願いした。

一回目の新築は大いに失敗したわけだが、その失敗作に二階を上げた時には、それまでの経験から自分なりにチャレンジをしてみた。これは随分多くのことを学ぶことが出来たと思っている。
0303白クリス二階増築に当たって考えたことは、
(その1)壁、天井、床のすべての仕上げは止めた。最初の新築では、サンプル帳の小さな端切れから、分かったような顔をして悩んで選んだのだが、そんなにまでして決めるだけの価値があるのかと感じていた。住む前にいくら想像したところで、本当に全体をイメージするなどどうせできっこないんだなと思った。それなら、いっそのこと住んでから決める方がよっぽど合理的だと思った。
(その2)ちっぽけな家で生活パターンを決めつけてしまうような間取りなど考えても余り意味がないと感じていた。
二階は階段スペースとそれを挟むように二部屋を作った。勿論、内装仕上げは一切無し、ドアも無し、収納スペースも無しの、至ってシンプルな単なる箱を作った。
これらの新たな経験により、家というのはこれでも何とかなる物だという体験をした。つまり「住めば都」である。完成された家という「物」が、生きて行く価値を決めるのではないことを体験できた。
0302梅花生きて行くために、雨露をしのげ、安全とプライバシーを確保できる空間は必ず必要である。しかし、極端に言えばその空間さえあれば(生活を支えるエネルギーも絶対必要)、その中で楽しく意義のある生き方はできるし、工夫する楽しさを得ることも出来る事も学んだ。

既存のマンションでも、戸建ての建て売りでも、人は楽しく有意義な人生を送ることが出来る。自分が一生懸命いくら間取りを考えたとしても、だからといって、必ずしもそれですばらしい人生が得られるとは限らない。楽しい家庭生活が出来るとも限らない。
住む前に、余り細かいことに頭を巡らしたところで、所詮、貧弱な想像力に過ぎず、新しい家に住んでからの実生活の全て想像出来るわけもない。
0303紫クリスマス欧米式の独立した間取りがあたかも正解かの様に考えられているが、個別という概念のない日本の家の方が、ある意味で多くの夢と可能性があるように見ることも出来る。
勿論、現代に於いて障子で区切られただけの田の字の家は極端であり、そのままでは通用しないが、住んでからの自由度は個室方式よりも遙かに大きいことには間違いない。
この国が生み出した自由度の大きな文化も再考すべきではないだろうか。
そんな訳で二軒目を考えた時、先ずは大きな空間を作りたいと思った。
ある程度の大きな空間さえあれば、住んでから考えた方が楽しい家になると思った。

仕上げも何も無い二階を増築して、その後、予定通り収納スペースを作ったり、ドアも作った。作り付けの二段ベットも作った。
しかし、壁やドアなどの仕上げはついにしなかった。
そこは子供達のキャンバスと化したからだ。勿論、仕上げがしてある一階の壁は全て描いてはならないとし、メリハリを付けさせたのは当然である。

プロフィール

izena社長 前田誠一

Author:izena社長 前田誠一
FC2ブログへようこそ!

ブログ全記事表示

カテゴリー

リンク

人気BLOGランキング

ランキング人気 20070719115222.gif にほんブログ村 環境ブログへ

月別アーカイブ

FC2カウンター

ブログ内検索

RSSフィード

ブロとも申請フォーム


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。