上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


カメラ上最近はキャノンG10を持ち歩くことが多くなった。何と言っても一眼レフに比べればとても軽いからである。そんな基準で持ち歩くカメラを決めるのは、一にも二にも年を取ったからだろう。カメラ横
カメラ前
カメラ部
三脚部しかし、トレンクルと違って軽さだけを最優先で選んだわけではない。むしろG10はコンパクトカメラとしては重い部類だろう。それに、他に持っているキヤノンカメラとの共用部品が特別あった訳ではない。
G10を選んだ理由の第一は古いカメラのイメージを持っているからである。その一つにファインダーがある。どうも液晶画面を見ながらだと、カメラを操作して写真を撮っている気がしないのだ。これは常々否定している既成概念なのかもしれないのだが、どうもカメラの場合は、それが自分の中で機能していないのだ。
それとダイヤルでISO感度が選べることと、露出補正もダイヤル式だったからだ。
特に露出補正がダイヤル式なのは気に入っている。他にもこういう方式のコンパクトカメラはあるのかもしれないが、最初にG10が目に入り、「いいな!」って思ってしまったため、もう他の物は眼中に入らなかったし、興味もなくなってしまった。まるで一目惚れの恋心のようなものだろう。
物を選ぶなんて事はそんな程度で、先入観が最優先されるのだろう(但し、かなりいい加減な私の場合である)。ついでにテレコンバーターレンズも揃えたが、コンパクトさを考えるとかなりマイナスである。
但しこのレンズを付けると少なくとも見てくれだけは更にカメラっぽいイメージには成り、まあ、ほとんど見た目で選んだだけなので結構満足している。
デジタルカメラの最大の欠点は、ちょっと条件を変えようとすると、何でもかんでも液晶画面に呼び出して選択しなければならないところである。
デジタルカメラは盛りだくさんの機能がそろっている(携帯電話も一緒)ため、至って使い難いし、面倒くさい。その点ISO感度と露出補正がダイヤルで選べるのは随分使いやすい。いっそのこと、設定するための機能を一つ一つダイヤル式に取り出してあったら、一目瞭然で使いやすくなると思うのだが、時代に逆行となるためか見掛けない。
写真を撮っている時の使い易さ、使い難さは三脚を使うときにも感じる。トレンクルで旅をしながら三脚を使って写真を撮りたい時、その度にねじ込んで三脚にカメラをセットしなければならず、躊躇することがある。実際は大した時間ではないのだが何となく面倒くさくて躊躇してしまうのだ。
ワンタッチで三脚からカメラを付けたり外したり出来るパーツはあるのだが、一眼レフ用であり、コンパクトカメラにはいかにも大きいし、重い。
そこで自分用に自作してみた。自分で作ったと言うほど大袈裟な作業ではなかったが、作ってみると中々便利である。
購入部品は三脚取り付け用のホットシュー、とカメラ側に取り付けるための手で回せるネジである。
後はそこらに転がっていた1mmのアルミ板だけである。アルミ板をホットシューに入る幅に切り、ネジのはいる穴を開けてからコの字型に曲げた。ホットシューの方は中のバネを外し、1mmのアルミ板がピッタリ収まるように溝の上側に、上面にクッションになる薄いゴム材を張ったアルミ材を貼り付けた。
これでバッチリである。単に三脚側にコの字のアルミを押し込めば終わりである。正にワンタッチでカメラを三脚に取り付けることが出来るようになった。
何でもそうだが、便利な物がなかったら自分で作ることを考えてみるべきである。売っていないからといって不便に甘んじていることはない。工夫さえすれば、かなりの物を自分で便利にすることが出来ると思うのだが・・・・・


スポンサーサイト

やっと、自宅の西壁側の植物フェンス用ネットを取り付けた。何年も前から考えていたのだが色々な理由を付けてサボってきた。苗と網
これからの建物は特に、太陽エネルギーの出入りのコントロールが大切である。
太陽エネルギーは、冬は十分取り込みたいが、夏は出来るだけ入れたくないものである。特に夏はクーラーで暑さをごまかすのではなく、強烈な輻射熱を先ずは徹底的に入れないようにする工夫と構造が必要である。
夏に室内に入ってくる熱は色々あり、その部位や種類により、入れないための対策を立てなければならない。つり金具入ってくる熱の先ず第一は、窓を通して直接入ってくる日射熱である。これが一番目立つが、その他、窓からは空気中で乱反射した天空輻射熱、隣家の屋根や壁での反射熱と二次輻射熱、テラスや道路表面からの反射熱と二次輻射熱などがある。また、直接太陽光に曝される屋根や壁では、熱が吸収され、高温になり、伝導熱として室内に入ってくる。
今回の植物フェンスは西日として窓から直接入ってくる太陽光をカットすることと、壁に当たる日射熱を低減させるためのものである。
我が家には雪止め用のあつらえた金具が軒先に取り付けてある(実は一生懸命考えた上で作ってもらった物なのだが、雪止めの役目は余りしていない)。つり金具2地べたからそこまでの高さは約6.5mぐらいである。西側の壁は足場になるような部分が無く連続している。その為6.5mある雪止め金具からどうやってネットを垂らしたらよいのか考えさせられた。屋根に登ってやれれば簡単なのだろうが、銅板で葺いた四寸五分勾配の屋根は高さも9mぐらいあり、怖くてとても登る気がしない。
そこで長さ6mの棒を作り、それを使って重りを付けたワイヤーを引っかけ、そのワイヤにネットを結びつけて引っ張り上げようと先ず考えたり・・・・・色々試行錯誤の結果、結局、二階の窓から何とか取り付けることを考えた。先ず、4mmの太いステンレス針金で引っかけ金具を作った。
それを雪止め金具に何とか引っかけ、それに20mmの鉄パイプに吊したネットをパイプごと引っかけるようにした。窓から体を乗り出しハラハラドキドキの場面もあったが、妻にロープで確保(落ちたとき本当に確保してもらえるかどうかは疑問?)してもらいながら何とか吊り下げることが出来た。吊り下げこれで巾3.6m、高さ6.5mの大きなフェンスが吊り下がった。
時期的には少し遅くなってしまったが、宿根朝顔10株とゴーヤを3株植えた。
グリーンフェンスは至って有効な微気候コントロールの武器であり、エコ的構造を格安で提供してくれる優れものである。
陽を遮ること、食料源になること、部屋に入ってくる空気の温度を下げてくれること、美しいこと、炭酸同化作用を増やしてくれること、等々こんな多機能な部材は人間の技術力を持ってしても作ることが出来ない。
正に地球上の全生物のための基礎的存在である植物のなせる技である。
自然の仕組みをより理解し、そのありのままの姿を積極的に利用してこそCO2を出さない快適な住まいを実現できるのだと思う。苗
遮光するだけならヨシズでもスダレでもカーテンでも何でも良い。しかしそれらは自分で温度を下げる機能を持っていないし、勿論成長する機能など無いし、日射が必要な冬には葉を落として自然に取り入れる形を作ってくれる訳でもない。
これからの時代は、植物を初め自然界を動かしている原理を理解すること、特に自然界の現象を正確に定量的に捉える能力が要求されるだろう。
これからの住まいを考える上では自然現象を見つめる目と、それを取り込み利用して行く能力が最も重要視されるだろう。
つまり、何をやるにも、先ずは自然科学的能力が求められるのではないだろうか。
今までやってきた常識だけでは新しい社会に通用しない。
仕事をしていく上で怖い社会だが、夢のある社会でもありそうだ・・・・・



ハイブリッド車の静寂性が問題になっている。
車が近づいたことに気が付かなくて危険だということだ。今までエンジンの音が聞こえたために、車が来たことに気が付いたが、ハイブリッド車は静か過ぎて危険だというものだ。
まるで車が近づいたことを歩行者の方が気が付き、歩行者の方が避けるべきだと言わんばかりの論理だ。苔
この議論はおかしい。正に本末転倒である。
先ず、一般的な常識として静かであることが悪いなどということはあり得ない。
今まで(今も)大きな騒音を出している車をなぜ常識の基準にするのだ。
そんな偉そうなことを言う私も、特にうるさい車に乗っていた。当然、私の車が近づけば歩行者は黙って避けてくれた。
勿論それが当然だと思っていた、がプリウスに乗るようになってから、その静かさを得るためには、今までの自分の価値観を変えるべきだという事に気が付いた。
だいたい車は大きな騒音を出す物であり、その音で歩行者が自主的に避けろ、などということが常識的な基準であるなど誰が決めたんだろうか。
議論としてはもっともらしく聞こえるが、静かであることが問題であるなどと言う議論など成り立つ訳がない。
人間は初めからこんなに騒音のうるさい社会を作ってはいない。
人類の歴史はホモサピエンスがアフリカから広がり始めてから五万年といわれているが、こんなにうるさい社会になったのは、たったこの何十年でしかない。
人類は便利さという麻薬を買うために静寂を売り渡したのだ。紫蛍袋
以前、旧東海道、赤坂宿の大橋屋さんという旅籠に泊まったことがある。確か、1715~6年の建物ということであったが、夜中に時たま通る車の騒音の大きさに度々目を覚まさせられた。静寂の中に突然車が通ると、改めてその騒音の大きさにびっくりさせられた。

7月16日の朝日新聞に「ハイブリッド車に発音装置検討」「静かすぎて、気づかない」という記事が載った。
某大学教授のコメントの中で、「視覚障害者が杖を折られたり、足を踏まれたりする事故が起きている。
高齢者や子供も音が有れば危険に気づく」と言っていた。
しかし、これは音がしない問題ではなく、単に運転者自身が車の変化を理解せず、鈍感で注意力が無かったに過ぎないことである。
騒音の出る車から、今までの常識に反した、騒音が非常に少ない車が出たのだから、今までの常識を変えるのは当然だと思う。
騒音の車を運転していた運転者は、そのままの常識でハイブリッド車を運転すること自体違うと思うのだが、運転者の常識と態度をどう変えなければならないかについては何も言っていない。
ハイブリッド車からわざわざ何らかの音を出すということは、車が近づいた時に運転者は今まで通り自分は何も注意力を変化させず、椅子に座ったまま歩行者、車椅子、自転車などを排除しようという発想である。もし音を出して人を排除することが正論なら、自転車も音を出させるべきではないだろうか。
自転車に乗っている時、前の人が気が付かなければ声を掛けるのが当たり前である。「すみません!」と一声掛ければそれで済む話である。キキョウ
車だから相変わらず椅子にぶっつわって歩行者が気が付くべきだという発想は至っておかしい。
車に乗ると何でそんなに偉くなるんだろうか。もし歩行者が気が付かなければ、通り過ぎ、危険が無くなるまで待てば良いではないか。道路法規にも書いて有る通り、歩行者が最優先なのである。だったら椅子にぶっつわって「どけよ!」みたいな態度ではなく、窓を開けて「すみません!」と一言いえば良いのだと思う。
今まで通り「車は音を出す物なんだ」と居直るような考え方をする前に社会の基本を見直すべき時代である。
これから本番になる電気自動車や燃料電池車は、ハイブリッド車が持っているエンジンは無い。ますます車から迷惑な騒音は無くなる。
これはもう「車という物は音が出ない物」という定義をすべきであり、静かな社会が訪れるだろう。
車の存在に対する社会の意識革命が必要である。特に運転者の意識革命が重要となる。
音を出せば済むのだなどと安易に考えるべきではない。
今まで通りの運転がしたいのなら、うるさいだけのエンジン音が必要だと思うのならハイブリッド車など買わなければよい。




ラベンダーこれからの良い家の条件として、社会の進歩に逆らっているようであるが住まいの中に生の「火」を取り入れるべきだと思う。勿論これは暖炉があって贅沢に見えるという見栄えのためではないし、単なる飾りのためなどというアホなことではない。「火」については、2007/10/31のブログで一度書いたことがある。
その中で「火」には五つの機能があり、それは1)暖かさ機能、2)明るさ機能、3)煮炊き機能、4)団らん機能、5)神事機能であると述べた。
これらはほとんど生活の全てと言って良い。
生活の全てを「火」が担っていたのである。つまり「火」というエネルギーが生活に絶対に必要であったということである。
現代文明になっても、生活の全てに形は変わってもエネルギーが必要なことは変わらない。
しかし、今はもう生の火は嫌われ者になっているようである。
ほとんどの人は「火」を今更生活の中に取り込もうとはしない。
本当にそれでよいのだろうか。本当に「火」は我々に必要無いのだろうか。
そんなことはないと思う。紫花
これからの良い家を考える上で、断熱や蓄熱や太陽電池などハードの面は勿論重要だが、それよりも大切なことは、住まいという箱の中で人がどう思考して行くのかということだと思う。
その思考に欠かせない物が、本当は「火」なんじゃないだろうか。
火なんか無くたって蛍光灯の下で思考しているよ、という反論は出るだろう。
勿論、思考そのものは別に火があろうと無かろうと出来るだろが、本当に思考の「質」も変わらないんだろうか。赤紫陽花
私達の大部分は生の火を見ながらほとんど生活したことがない。まして火を見ながら思考したことがない。炎が揺らぎ、陰が揺らぎ、明暗が揺らぐ環境の中で思考したことがないし、その中で家族と団らんを持ったことがない。
経験のないことは断言しようがないが、いろいろな知識からその必要性があるんじゃないだろうかと言うことは想像できる。
ガス灯が発明されたのは1792年であり、電球の発明は1879年にエジソンによって成された。
 完全に揺らがない光が生活の中に使われるようになって、高々、130年である。
人類が初めて火を使ったのは40~50万年前ぐらいだと言われている。それ以来、ずっと「揺らぐ火」と共に暮らしてきた。
人間はその歴史から見ると、ほんのつい最近まで「火」と共に暮らしてきたのである。それを考えると、そんな簡単に邪険に扱ってしまって良いのだろうか。
白蛍現代に於いての合理性の考え方からは火は無駄なのかもしれない。
しかし、住まいに於いて、高々130年ぐらいしか使われていない「揺らがない光」があたかも照明の基準であるかのごとく捉えて良いのだろうか。
そんなに人間と光の関係を考えて揺らがない光を選択しているのだろうか。
まあ、いずれにしても、これからの家は出来る限りエネルギー消費を押さえた上で、自前したエネルギーで生活できるように設計しなければならない。
言ってみれば、かなり物理的な性能を追求した合理性に基づいた箱に成らざるを得ない。
その味気なさの中に一見無駄である様な「火」は、家族の団らんに欠かせないのではないだろうか。
「火」を取り込めない理由ばっかり並べるのではなく、どうしたら取り込めるか少しは努力してみる価値はあると思う。



二人で久し振りに中禅寺湖に行った。振り返ってみると中禅寺湖へはこれまでに何度も行っている。
最初は小学校の遠足で行ったが、阿世潟キャンプ場に最初に行ったのは、高校2年生の夏休みの時だった。もう48年前になる。
釣り人
沼田から金精峠を越え、いろは坂を下り、東京まで自転車で一日で走ったこともある。
大学の自転車クラブの秋合宿キャンプ、友人達と登山のベースキャンプにしたこともあった。樹木1
仕事関係の知人とのキャンプや、妻とカヌーを持って行ったこともある。
中禅寺湖はそれなりにいろいろ想い出がある。
そして今回でやっと阿世潟を通過し、中禅寺湖の南岸を千手が浜まで歩いた。全行程15.2Km、移動時間4時間4分、休み時間3時間18分、合計7時間22分、万歩計は29000歩ばかりになった。
48年前、初めて阿世潟に行った時、中禅寺湖の南岸を全部見てみたいと思ったことが切っ掛けで、今回やっと実現した。自転車で走ってみたいとも考えていたが、それはやらなくて良かった。どんなに良いマウンテンバイクでも現在の自分の能力で走れるような道ではなかった。
もし自転車で行っていたら、当然途中から引き返すことになり、「バカの一つ覚え」と言われることになっただろう。樹木27時から朝食をとり、7時50分に中禅寺湖ペンションを出発。梅雨のど真ん中だというのに雲一つ無い快晴。翌日の予報は雨であるから何とも付いていた。
少々疲れたが最高の森林浴ができる快適なトレッキングコースであった。
中禅寺湖の南岸はほとんど手が付けられていない自然林に覆われ、日差しが強くても緑がしっかり日陰を作ってくれていたので暑さを感じることはなかった。
時たま走る観光客を乗せたモーターボートの雑音以外は、鳥のさえずりだけが聞こえる大自然を堪能できた。樹木3
手つかずの自然林の中には、かつて倒れた老木の株の周りから芽を出した株立ちの樹木がかなり多く見られ、それらを見るだけでも楽しいコースである。
しかし、こんな良い天気の土曜日にもかかわらず、釣り人の何人かと、反対側から歩いてきた二三人の人に会っただけだった。苔
帰りのバスが渋滞で遅れたことを見ると、中禅寺湖に人がいなかったわけではない。
車で来て観光スポットだけを見るだけの人は多かったのだろう。
汗をかき木漏れ日の優しさに感動する森林浴よりも、クーラーの効いた車で歩かない方が楽でよいのだろう。木橋
まあ、今の政治は積極的に国民を車に乗せ、その体力を落とさせても経済を優先させる政策をとっているようだからしょうがない(それに簡単に乗っているのもどうかと思うが・・・)。
ゴールの千手ガ浜へ着いた時、タイミング良く遊覧船が船着き場に入った。
予定ではそこからハイブリッドバスで赤沼まで行き、普通のバスで日光駅まではずだったが、遊覧船を見て急遽変更、予定外のしばしの船旅を楽しんだ。
どんなに綿密な計画を作っても所詮机上の計画に過ぎない。旅でも仕事でも同じだと思うが、臨機応変の判断は大切である。

今回は中禅寺ペンションに初めて泊まった。フルコースの夕食、朝食とも美味しかったし、貸し切り風呂も綺麗で広くて良かった。
オーナーご夫妻の対応とても好感が持てた。
次の機会もここに泊まろうと思う。
バス停からも近いし、南岸トレッキングの際は是非泊まってみることをお薦めする。
http://www.chuzenji-pension.com/
地図



プロフィール

izena社長 前田誠一

Author:izena社長 前田誠一
FC2ブログへようこそ!

ブログ全記事表示

カテゴリー

リンク

人気BLOGランキング

ランキング人気 20070719115222.gif にほんブログ村 環境ブログへ

月別アーカイブ

FC2カウンター

ブログ内検索

RSSフィード

ブロとも申請フォーム


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。