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今日で書き慣れた「2009」という数字も使い納めである。
これから人類が生き延びて西暦を使って行く以上、この数字にお目に掛かることは二度と無い。
そう思うとこの一年間使ってきた「2009」に何とも愛着を感じるし、愛おしくも感じられる。
だから2010年に成っても、当分の間は「2009」と書いてしまうのは致し方のないことである。
夕焼けこの世に生を受けたのが1944年(正確に私になる細胞が分裂を始めたのは1943年であるが)であり、今年で66年が過ぎようとしている。
経過した時間の全てを憶えている訳ではないからなのだろう、随分短かったように感じてしまう。
その間に終戦(これは憶えていない)舞鶴港の引き揚げ船、小学校での二部授業、コッペパン、紙芝居屋、駄菓子屋、コメットジェット旅客機、朝鮮戦争、ペンシルロケット、トランジスター、大陸間弾道弾ICBM、ソ連のスプートニク人工衛星、冷戦、電子計算機、ハンガリー動乱、日米安保条約、原子力発電、キューバ危機、ケネディー暗殺、ラムダロケットによる国産人工衛星、ベトナム戦争、パーソナルコンピューター、ソ連崩壊、等々、短く感じる時間の中に次から次へと浮かんでくる。
世界は常に激動してきたし、勿論、今も益々激動している。その激動を動かしている人類の行動が、地球環境の激変を起こそうとしている。
しかし、人類の歴史は常にそうであるが、悲しいかな、振り返ることが出来る所まで行かないと、今の時代に何が起こっているのかに気が付くことが出来ない。
大部分の人間は温暖化に気が付いていないし、日々の時間を、相も変わらぬ行動で消費することに夢中で、気が付こうと努力もしていない。
多分、家族に大きな犠牲が現れてからでないと気が付かないのだろう。そしてやっと振り返り「あの時、ああしておけば良かった、何故しなかったんだ、あの時しておけば犠牲もそうだが、莫大な負担をしなくても済んだのに・・・・」となるのだろう。
まあ、これは人類に取ってしょうがないことなのだろう。これが頭の良いと言われている人間の能力だからである。
富士今年、この日本でもやっと変化が起こった。戦争が終わり60年以上が過ぎ、振り返えれる時間になったのだろう。その場所へ到達し始めたのだろう。
しかし、やっと振り返って見たにもかかわらず、もう既に目先だけを見る特性に舞い戻ってしまったように見える。
鳩山総理や政府に対する風当たりが強くなってきたことだ。変わったばっかりであるにもかかわらずである。少なくとも何らかの商品開発の仕事を体験した人は、それが、そう簡単に予想通りいかないことなど分かっていると思うのだが・・・・
この100日余りの間で、今まで見られなかった色々な政治の内幕を見ることが出来た。
今まで見ることが出来なかった事が見られたのである、こんな凄い体験はないと思う。素晴らしい事だと思う。変化が始まったばかりである。そんなにあくせくすることは無いじゃないかと思う。もう少し大人の感覚で見守ったらよいと思う。不備な点があるなら批判するだけじゃなくて、改善する提案、協力をするくらいの気持ち持っても良いのじゃないだろうか。折角始まった変化である、もう少し大切に育てたらと思う。
2010年がやっと本格的な変化の年になるのではないだろうか。そうなってほしいし、そうしなければならない。

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COP15が大きな失望と共に終わった。
人類とは一体何なんだろう? と考えてしまう。太平洋の南の島の人達やシベリアの永久凍土の上で生活している人達以外は未だに人ごとでしかないのだろうか?
1223富士
人類って一体何なのか理解できないのは私だけなのだろうか? 
たった一つの地球なのに、同じ空間なのに素直に力を合わせて何とかしようよということにはならなかった。
一言で言うと「人類とは大人げないな」という風に感じた。
フルスロットルで排気ガスをもうもうと出してすっ飛ばして来た先進国は、どこまで絞って良いのか周りの顔色を伺っているし、現在、フルスロットルにして加速し始めた中国、インドなどは折角加速して追い抜こうという時の減速に猛反対だし、今までレースに参加していない国々は、フルスロットルで飛ばしてきた先進国に、大きく減速して俺たちを引っ張って行けと主張するし・・・・確かに人間である以上、自分さえよければと主張するのは当然かもしれない。と言ってしまうと、「それでは仕方がない」ということになってしまい、どんな会議も一巻の終わりである。じゃあ、「所詮人間なんだからそれでしょうがない」としてしまって本当に良いのだろうか。
1223だいこん私はそうは思わない。何としてもそうは思いたくない。そんな風に納得してしまったら、今まで人間ぶって生きてきたのは一体全体何だったのか、ということになってしまう。ただ地球上にたまたま生まれ出てしまったから、本能のまま自己主張だけして死んで行くのだったら、ゴキブリと何所が違うんだろうかと思ってしまう。

1970年、米国で制定されたマスキー法(当時、米国は環境を引っ張って行く先進国のイメージであったのだ、今は見る影もない)という車の排ガス規制があった。それに対して米国の車メーカは勿論大反対であった(それなのにこんな法律が出来てしまう国は凄い)。確か、トヨタも日産も猛烈に反対していたと思う。
そんんな中でホンダがCVCC(Compound Vortex Controlled Combustion 複合渦流調整燃焼方式)というマスキー法をクリアーするエンジンを1972年に世界で初めて出した。
このことは、その時点では不可能であるとさえ言われた排ガス規制でも、やる気にさえなれば解決できることを身近で教えてくれた。
1223:1また、1957年10月4日ソ連が初めての人工衛星スプートニクを打ち上げた(打ち上げたロケットはソユーズロケットであり、先日野口さんがバイコヌールから飛び立ったロケットと同じ物である)。それまでの米国のロケットはアトラスといい、ヴァンガードといい失敗続きであり、やっと1958年2月1日ジュピターCロケットを使ってソ連に遅れること約4ヶ月で初の人工衛星エクスプローラーを打ち上げた。その後、米国はソ連との遅れを取り戻すべく、1961年5月25日ケネディー大統領がアポロ月面着陸計画を1960年代に達成させることを発表した。そして1969年7月20日、計画通り見事月着陸を成功させた。
いずれも勿論成功することが見えていての計画ではなかっただろう。アポロ計画といい、CVCCの開発といい、目標を定めて本気でやれば必ず達成できる良い見本である。
しかし、本気になるためには明確な「動機づけ」が無くてはならない。
アポロ計画は米国の存亡に関わると思われていただろうし、CVCCエンジンはホンダが乗用車メーカーに飛躍するための絶好のチャンスと思われていたのだろう。だから共通の「動機づけ」が明確になり、為し得たのである。
共通の「動機づけ」さえ明確になれば温暖化阻止計画も大した問題ではないのだと思う。
1223白鳥温暖化阻止計画はアポロ計画やCVCC計画とは比べものにならないほど、共通の動機づけが明確であると思うのだが、COP15が終わった現在、目の前は全くの闇夜であるかのようである。
共通の動機づけは勿論快適な地球環境である。特に孫の時代でも快適にあり続けるべきであるという共通の動機づけである。何でこれが共通の動機づけにならないんだろうか。不思議に思っているのは私だけなんだろうか。人間である以上、孫の時代のことまで考えなくては、ということはみんなそんなに変わらないんじゃないのだろうか・・・・
「人類とは大人げないな」と書いたが、これは「政府とは大人げない、国のレベルになると大人げない」とすべきなのであろう。
本来、環境問題、温暖化問題は政府同士、国同士の問題ではないんだろう。そこを人類は思い切って脱皮しなければならない。そうしなければ多分取り返しの付かないことに成ってしまう。前回も書いたが、温暖化問題は国や政府に頼るのではなく、個人を中心にした民間力で対処すべきと腹をくくるべきであるのだろう。
温暖化対策は命令され、やらされる物でなく、個人が新しい楽しみ、生き甲斐を見つけるためのチャンスを神様がが与えてくれたのではないだろうか。
今回のCOP15はそれを明確に教えてくれたのだと思う。


相変わらずCOP15は馬鹿げた議論が成されている。全く訳が分からない。
1215:1多分、政治に任せておいたのでは、温暖化の問題は悪化するだけで解決はしないのだろう。
もうそろそろ今回で外交の場で解決することに希望を持つことは止め、他の方法を考えるべき時期に来ているのではないかとも思う。
このままいくら国同士が議論を積み重ねても、いたずらに時間が浪費されるだけで取り返しの付かない状況に突き進むだけではないだろうか。
特に生活レベルの多くの問題は国同士がどうのこうの言っている間に、むしろビジネスの中で解決できるのではないだろうか。
1215:2二酸化炭素を出さない方向の商品というのは、エネルギー消費が少ないことであるから、ランニングコストが安い商品と言うことになる。
つまり、使うと得する商品である。価格の問題はあるが、使って得する商品は売れる商品である、とも言える。
そういう商品開発を競い合う、そんな社会を民間レベルで作り出せるだろう。
基本は勿論自由な発想が出来る少数精鋭のベンチャー企業や個人になるだろう。
大企業は大人数に給料を払わなければならない為、変化の激しい温暖化対策のための商品を素早く世に出すのは向いていないのかもしれない。
1215:3無論、大企業には大企業ならではのやるべきことはあるだろう。
企業には基本的に国境はない。
国境を持った政府には見ての通り、多くの足かせがあり、現在はどうにもならない状況であり、全く頼みにならない。
国境を持たない、率先して行動する民間力こそが温暖化解決の決め手になるのではないだろうか。
政治に取って代わり、環境問題を解決してゆこうとする強い意志を持った民間力が必要である。国境を無視した共通の危機である温暖化対策は、国境なき世界になるための大きな一歩になるのではないだろうか。
1215:4もしかすると温暖化対策は、世界の平和にとって「ヒョウタンから駒」なのかもしれない。そうあって欲しいものだ・・・・

COP15が始まった。それに合わせてアメリカと中国が二酸化炭素の削減量を発表した。
しかしアメリカの削減量は1990年の排出量に対して約4%でしかない。中国とインドに至っては絶対排出量ではなくてGDP比などととぼけたことを言っている始末である。1209:2
会議が始まってみると案の定、環境が悪化した結果人類の経済活動を含めた生存がどうなるか、ではなくて今の自国だけの経済を良くするためには、どうやれば良いかの謀略合戦に見える。
その上、京都議定書を延長して自国の負担をゼロしようとまでする動きがある
今さら駆け引きなどしている場合ではないだろう・・・・
地球環境が悪化した時、勝ち組なんか居ないことは百も承知であるはずにも関わらずである。
有限の生きている時間の中で、自分の生活を良くしたいというのは、勿論、当然の発想である。そのことはよく分かる(自分を見れば)が、何とも虚しい気持ちにさせられてしまう。
現在までの化石エネルギー文明が温暖化をもたらしたというのに、いまだに60何億中、60何億人は全くそのことを意識していない様に感じる。意識しないどころか、無視しているように見える。
どうも温暖化は今のようなエゴに基づいた自由経済では解決できないのではないだろうか。
今のような社会システムではどうにも太刀打ちできないのではないだろうか。
1209:1それらを踏まえた上で、みんなで「どうしようか」と考えなければならないのだろうが、それは益々不可能に思える。
だとすると、人類は少なくとも今の文明を滅ぼすしかないのかもしれない。
既に温暖化の負のスパイラルは始まっているのであり、気温が上がれば、地中や海水に蓄えられていた二酸化炭素が更に放出されるだろうし、メタンハイドレードが見つかったなどと喜んでいた海底からメタンが放出され、更に急加速度で温暖化が進んでゆくだろう。
その高温度の中で高温に順応した小数の人類は生き延びるかもしれないが、現代文明は全く破壊されていくだろう。

現在すべきことは、全く不可能であるが、全ての国で「二酸化炭素排出量をゼロにしようよ!」という目標を立てることだと思う。
その上で、世界中が集まって「ゼロにしたいが、生活の向上ももっとしなければならない、どうしよう?」相談し合うことだろう。力を貸し合うことだろう。

1209:5しかし、エゴの塊である人間にそんなことは出来るはずがない。
でも、それをやるしかないのではないだろうか。
既に環境のバランスが崩れて久しいわけであるから、6だ、7だ、10だ、25%だ・・・などと言っていても、そんな数字を出すからこそ、やれ多いの少ないのというくだらん議論になってしまうのだ。みんなゼロにすれば至ってすっきりした話になってしまう。
その為には各国が助け合わなければならない。ゼロにするためには、先進国からの技術移転という発想だけでは成り立たないだろう。
途上国の生き方を先進国は逆輸入することが絶対に必要だろう。
技術だけで温暖化防止をしようとするのは、まだ今の価値観を引きずっている証拠であり、根本的な解決にはならないだろう。
1209:3環境悪化解決のために意外と「友愛」の精神なんかは必要なのかもしれない。
手を差し伸べる「博愛」というと、どうも上から目線のような気がするが、「友愛」は横から目線、つまり手を取り合うというイメージが大きいような気がする。
偶然だろうが、もしかすると鳩山さんは、かなり良いことを言ったのかもしれない。
地球は一つしかない。環境悪化は全ての人類に弊害をもたらすことは間違いない。
今の自分より、未来の孫の幸せを目指すような、エゴを超越した人間になれるかどうかだけが温暖化の切り札のような気がする。
だとすると、不可能か・・・・・
だが、自分が決めた環境対策の仕事は突っ走るしかない。

1207

毎年、師走が近づくと喪中の葉書が届く。この年齢になったからだろう、その数が減ることはない。1206:2
届く度に急いで差出人名を先ず見る。
そして、「しまった!」と思うことが度々ある。
まさにあとの祭りであり、全く取り返しが付かないことになる。1206:1
そして無性の寂しさを感じると共に、時の過ぎ去って行くことを実感させられる。1206:3
今年も何とも無念な取り返しの付かないことをしてしまった。
実は、小学校一年の時のクラス会を初めて企画しようと考えていた。
現在、商品化を進めている断熱ロールカーテンの開発が一段落したら動きだそうと考えていた。1206:4
私が小学校(千住第三小学校)に入学したのは昭和26年である。今から58年前になる。
その時、三組の担任になられたのが瀬田隆三郎先生26才であった。
その先生が今年の6月12日84才で亡くなられてしまった。
思いは永遠に果たせなくなった。1206:5
先生は校長をされた後、日本学校視聴覚教育連盟会長などもされ活躍された。
1206:6生まれて、そして死んで行くのは地球上の生き物の宿命である。
しかし、普段それを意識して生活をしているわけではない。
生活している中で死を感じることはほとんど無いが、喪中の知らせはそんな日常を切り裂くような気がする。1206:7
これからは、気が付いたこと、思い付いたこと、興味を持ったことは出来る限り早く行動に移しておこうと思う。
今はまだ自由に動くことが出来るが、次の瞬間にも動けなくなることが起こるかもしれない。
H5N1の強毒性インフルエンザが何時猛威をふるうか分からない。
そんな状況をも見据えながら有意義に時間を使いたいと思う。
瀬田隆三郎先生のご冥福をお祈りいたします。

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Author:izena社長 前田誠一
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