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5月3~4日
前日の予想に反して、午後から雲行きが悪くなると言うことだったので、急きょ8時予定の朝食を7時にしてもらって三四郎旅館を出発した。木蓮桜
今日は能代の宅急便センターまで30キロばかりの旅である。風は大分収まったが、それでもまだ向かい風が残っていた。
途中、澤目神社という所で小さな祭りに出会った。満開の桜の中の御輿は小さかったが、旅情をかき立ててくれた。
ほぼ予定通り宅急便センターに着き、ホテルグランメール山海荘から送っておいた輪行箱にトレンクルと不要な荷物を入れ込み、自宅へ送り返した。
これでザックとフロントバックだけになった。それに私はD50のカメラを持った。鉄橋
能代駅でNさんに車で迎えに来ていただくことになっていった。Nさんとはお会いしてから24年ばかりになり、床材の件で大変お世話になった方である。現在は会社を変わられ、東北六県をエリアとして営業活動をされている。
Nさんには今回もいろいろお世話になってしまった。人の親切は本当に有り難いし、何よりも嬉しい。人生も残り少なくなってきたが、このことは決して忘れてはならない。
駅前の商店街は殆どシャッターが下りていた。厳しい時代の変化を感じざるを得ない。一軒一軒の人達はどんな思いでシャッターを下ろし、出て行ったのだろうか。活気のある声が響いた時代もあったのだろう。ここで多くの人が楽しく、そして悩みながら生活をしていたかと思うと何とも胸が痛む。
それに比べて能代駅前に向かう国道沿いには、にぎやかな大型店をいくつか見た。駅前商店街のお客を奪ったの張本人である。しかし、これも時代の流れ、駅前商店街を懇意にしていたお客さんが、商店街を捨てて郊外店に行ってしまったのだからしょうがないのだろう。お祭り
Nさんには八郎潟を埋め立てた上に作られた大潟村に連れて行ってもらった。菜の花と桜と人が満開だった。私たちが小学校で学んだ八郎潟は日本で2番目に大きな湖だったが、今の大潟村にその面影は感じることは出来ない。八郎潟の埋め立てが始まったのは1957年であるそうだ。(この年はソ連が初めて人工衛星を打ち上げた人類の記念すべき年でもある)
その地域で生活している人のために埋め立ても仕方のないことなのだろうが、自然を一度壊してしまうと、もう二度と元通りには成らない。ホモサピエンスの支配する地球の自然なんだから、どうしようと勝手でしょ、と言ってしまえばそれまでであるが、もういい加減そのことに気が付かねばならない。
今日の宿である、秋田県藤里町の「ホテルゆとりあ藤里」までNさんに送っていただいた。今時珍しい禁煙室のない宿だった。禁煙してから40年近く経ち、煙草の臭いには妻共々もうとっくに馴染めない。
翌朝はまた、Nさんに迎えに来ていただき鷹ノ巣駅まで送っていただいた。少し時間があったので、途中、Nさんの自宅にお寄りし、珈琲を入れていただいた。短い時間ではあったが、奥様とも久し振りにお会いでき、楽しいひと時を過ごすことが出来た。その間の話の内容は、言わずと知れた孫、孫、孫、孫、孫・・・・であった。孫持ちが集まっては、どうしようもないと言っていい。興味のない人にとっては、これほどどうでも良い話は少ないかも知れないが・・・・桜1
鷹ノ巣駅からは秋田内陸縦貫鉄道でに乗った。一両編成の最小列車で角館が終点である。私は仕事に来た帰りに一度乗ったことがあるが、今回は妻のリクエストで秋田内陸縦貫鉄道経由で角館に行き、そこで途中下車し、桜を見て新幹線で帰ることにした。
鷹巣では快晴だったので、角館も快晴の下の桜を期待したが、それは叶わなかった。
人生、期待通り層々上手く行くものではない。雨には成らなかっただけでも幸いと思わなければならない。
しかし、桜はどんぴしゃ満開であった。それも例年より10日遅れというのだからこんな幸運はない。
二ヶ月前に計画を立てたのだから、その偶然の一致の幸運は神に感謝するしかない。
曇りになったぐらいで嘆いてはならない。黄花
こう気候変動が激しいと、来年にもう一度来ようとした時、宿をいつ取れば良いのか的中させるのはいかにも難しい。
武家屋敷通りは、まるで原宿竹下通りのような人混みであった。
近隣の人達が満開を聞きつけて押し寄せたのだろう。
旅で行くどんな場所でもそうなのだが、自分たちのことを棚に上げて人の多さに嘆くことが多い。
自分たちも混じって人が多いのだから、他人事ではないのだ。世間は往々にしてこういう勝手な意見で構成されている。
人の多さに嘆くのであれば、その場所に泊れば良い。桜2
そうすれば、観光客の去った静かな夕暮れ時の陰影を楽しみながら歩くことが出来るし、次の朝も人が押し寄せる前に、もしかしたらヒヤッとした朝靄の中に浮かぶ景色を独占することが出来るかもしれない。
大部分の観光客は、昼間の上からの光で構成された景色だけを楽しんで帰ってしまう。
泊まってまでして、夕方と朝方の陰影まで楽しもうという人はいたって少ない。
勿論そういう傾向で良いのである。もしみんながそんな風に考えたら大変なことになってしまう。
宿を取るのが大変になってしまうし、夕と朝が静どころか竹下通りになってしまう。
しかし、朝夕の風景を楽しむとなると、そんなに有名な場所ばかり行く必要はないだろう。
一本の満開の桜を見ても人は感激するものだと思う。こまち
どこの宿でも非日常の生活を肌で感じればそれで良いのではないだろうか。
そういうセンスを持てば人生がもっともっと楽しめるのではないだろうか。
角館の売店で弁当を買い込み、17:18発の「こまち88号」に乗り込んだ。
二人で弁当を食べながら、いろいろあった今回の旅を振り返り、2010年5月の連休が終わった。
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5月2日
8時にペンション深浦を出る。相変わらず強い向かい風の中、今日は秋田県八森の三四郎旅館まで走る。新緑枝
一日中見事に向かい風なんていう経験は初めてである。しかし、天気は晴れ。雨の心配は無し。
コースの基本は国道101号線の南下であるが、当然、出来るだけ旧道を通った。国道は歩道は少なく、車が多く危険であり、その上面白くない。ノンビリ景色を見ながら走ることが出来ないし、まして道ばたの花などを観賞ては居られない。だから幹線国道と自転車の旅は馴染まない。また、今回は向かい風なので更に走り難かった。
車であれば、この程度の向かい風では、車外に出ない限り風があることすら気が付かないだろう。車は自然とは馴染まない。3海に向かって
いかに自然現象に左右されないようにしようか、という人間の欲望から作られたのが車だろうから仕方ない。
それに比べて全てがむき出しの自転車は、自然現象に曝されっぱなしである。だから風にも雨にも大きく影響されるが、それらに向き合って自分の力で対処して目的を成し遂げてゆく達成感がある。そんな気持ちの問題など大部分のドライブする人達にとっては取るに足らない些細なことなんだろうが、これからも出来る限り自転車に乗り、生きている以上その部分を大切にしてゆきたいと思う。
今回の旅でサイクリストには残念ながら二組しか会わなかった。いかにも少ない。
最初にあったのは男女のペア、次は男性一人旅だった。
いずれも秋田から青森へ向かう人で、挨拶を交わしながら追い風に乗ってスイスイと走り去っていった。吊り花
これだけ向かい風にやられると、何も考えず単純に青森が上で、そこから秋田に向かって下りてくる、という地図のイメージでコースを決めてしまったことが悔やまれて成らなかった。
車であればどうでも良い話であろうが、自転車の場合は、その季節の起こりやすい気圧配置も加味してコースを決める必要もあるだろうと改めて学ばされた。
特に高齢化して体力が落ちてくれば、そんな配慮はとても大切だろう。3桜の道
サイクリストの数に比べ、今回特に感じた印象は、キャンピングカーが非常に多かったことである。
不況不況と言われている割には、キャンピングカーが多いのはどうしてなんだろう。
運転者の年齢は私たちと同じぐらの人が多いように見えた。
多分、リタイアして先ずはノンビリと旅でもしようという夢をかなえているのかも知れない。
しかし、相変わらずトレンクルで旅をしている人にはお目に掛かったことがない。
やはり車の方が手っ取り早いし、車社会だからしょうがないのだろう。
それに、自転車や歩く旅のインフラが無さ過ぎるのが大きな原因だと思う。
この国は車にはいたって気を遣うが、自転車や歩行者、車椅子に対しては全くと言って良いほど無視する政策をとってきた。道路の構造を見れば分かる。
もしそれらがきちんとしていたら、リタイア後の旅の仕方も排ガスを出してキャンピングカーを乗り回すだけでなく、様々な選択がされるのではないだろうか。
車という物を違った方向から見ると、筋肉を弱体化させるための、とても素晴らしい機械でもあると言える。滝
閉じられた自分だけの空間で速く走る快感を得る為に、自分の体力を生け贄にしているのである。(車のアクセルペダルを無くし、その代わりに自転車のようなこげるペダルを付ける。沢山こげばアクセルを踏み込んだようにエンジンの回転数が上がり、ゆっくりこげばスピードが落ちる様にしたらどうだろうか。その場合、ブレーキはハンドルを握る様にすればよい。ペダルを回転させる強さは変えられるようにしておけば良い。そうすればスピードを楽しみながら筋力もアップする車になるのではないだろうか。)3白神岳
高齢化してゆくことは、それでなくとも足腰が弱まってゆくことであるが、今の車ではそれに拍車をかけるだけである。
健康第一と言いながら車を多用することは、実は、健康第一どころか反健康的なのではなかろうか。
人間社会は不思議だ。便利で楽だと言うことを隠れ蓑に、反健康的な商品を売っている企業が大手を振って歩いているんだから・・・・
そう言えば、不思議な現象はまだある。個人個人が持っている自由な想像力を奪うために漫画(全ての情景を、登場者のイメージを決め付けてしまっている)を普及させ、相手の目を見て話す対話力を奪うためにネット社会を拡大し、子供達の思考する時間を奪うためにゲームを広めているのだ。
これらを支えているのは実は最先端の技術であり、単なる商売の拡大欲望である。
車が便利なことは間違いないが、それが持っている負の面も一人ひとりが意識すべき時代だろう。黄色葉
十二湖に入る手前で地元の方に道路状況を聞いた。車でしか行ったことが無い人にその道路の微妙な状況を聞いたところで意味がないことは分かっていたが、案の定、聞いたよりも可成りきつかった。これは年で体力が落ちて、そう感じているのかも知れないが・・・・
十二湖の一部をざっと見て、今度は最も得意なくだり道を一気に下り101号線に戻った。
途中、山野草を販売する店を見つけ入ってみた。全部、種から育てた物だというので、6種類ばかり選び宅急便で送った。世の中、便利になったものだとつくづく感じる。
岩館漁港前にある三四郎旅館に4時ぐらいに着いた。
向かい風の一日が終わり、予定通り一番風呂を頂いた。

次回に続く

2010/5/1
5月1日は私の誕生日である。昭和19年の敗戦色の濃いまっただ中、千葉県の市川で生まれた。近くの国府台に高射砲部隊があり、その砲弾の破片(と母は言っていた)が屋根にバラバラと落ち、その度にギャーギャー泣いていたそうだ。それからもう66年が過ぎ去った。誕生日は殆どいつも旅先であり、自宅で過ごした記憶は少ない。車窓1
天気は勿論快晴。妻は昨日から体力の消耗を押さえるため出来るだけ寝るようにしていた為か、汗もかき、熱も下がり大分回復しているようだった。そうは言っても年のことも考え、予定変更通り列車で深浦まで行くことにした。
ホテルでトレンクルを箱から出し、自作の輪行袋に入れ、箱は予定通り能代宅急便センターに送った。実は輪行袋は途中で走れなくなった時のことを考えて常に携行している。しかし使うのは久し振りである。
鰺ヶ沢駅までホテルのバスで送ってもらった。
CO2の事を考えると本来トレンクルで走るべきなのだが、便利で楽な方を選ぶと、バスを動かすことになり、どうしてもCO2の発生を招いてしまう。車窓2
便利で楽=石油エネルギーの消費=CO2排出=現代経済社会、という構図なのである。
自転車は確かに走っている時はCO2を出さないが、その行動を支えるためには多大のCO2が排出されてしまうということも忘れてはならない。
今の社会はそういう仕組みになっている。
鰺ヶ沢駅を10:56発に乗り、深浦には11:57に着いてしまった。
その間1時間にわたって日本海の景色を堪能したのだが、海岸に打ち寄せられたゴミの景色も同時に堪能させられた。
海水に浮かぶゴミはこの様に打ち上げられて見えるのだが、浮かばないゴミはどれだけ海底に沈んで居るんだろうか?
また海水に溶け込んでしまった物はどれほど有るんだろうか、PCBにしても農薬にしても自然界に漏れた物は最後は海にたどり着き、薄められて人の五感からは消えてしまう。灯台しかし、消えたんじゃなくて見えないところに堆積されただけだ。これは可成り恐ろしい事のように思えるなだが、取り越し苦労なんだろうか。

深浦で降りトレンクルを組み立て4キロぐらい先のペンション深浦へ向かった。
途中で昼食を取ったり、珈琲を飲んだりとゆっくりしたのだが、チェックイン時間より大分早く着いてしまった。
荷物を置かせてもらい、空荷のトレンクルで深浦文学館(建物は太宰治が泊まった秋田屋旅館を改築したもの)や円覚寺(807年に坂上田村麻呂が東夷東征の際に拠点とした場所が始まりらしい由緒ある寺らしい)をブラブラと見て回った。車窓3
ペンションに戻り一番風呂を頂いた。
一番風呂は意図的にいつもそうなるようにしている。風呂のことは前にも書いたが、至って非常識な輩が多く、旅の思い出を大いに損なうことが多々あるためである。
勿論一番風呂に入るからには、その後入る人達の気分を損なわないように十分な配慮をすることは当然である。人が見ていないからといって勝手は許されない。
日本海に落ちる絶品の夕日を見ながら、食べきれない海の幸とビールは至福の時であった。
速度を増しながら水平線に沈んでゆく夕日を見ていると、何時でも、この巨大な球体である地球がゴーゴーと音を立てながら自転しているのを感じられる様な気がする。夕日2
夕日が沈む時が唯一、地球の自転を人間が感じることが出来る時のように思う。
そうして目をつむると太陽の周りを回っている地球が鳥瞰図のように見えてくる。
その中で日本がまさに陰の時間に入って行く様が、目の前の夕日が水平線に沈んで行く光景につながってゆく様に思えるのだ。
夕日が沈み窓の外には陰が訪れ、食事をしている人達の姿が窓ガラスに映り始めると夕食の時間も終わりである。後は今日のことを思い出しながら日記を書いて寝るだけである。明日の体力のために早寝が鉄則であるが、慣れない場所では何時もなかなか寝付けないのが常である。

次回に続く

2010/4/30
五能線は青森の奥羽線川部駅(南津軽郡田舎館村)から東能代駅(秋田県能代市)までの147 Kmばかりの単線であり、電化区間はない。車両は当然ディーゼル車である。路線の半分以上が日本海の海岸線間近を走り、絶景を見ながら旅が出来る路線である。駅
五能線に沿った旅(2010/4/30~5/4)を思い立った理由は今回も単純であった。
テレビや雑誌などで見た景色をこの目で見てみたいと思ったからだ。旅を決める場合は相変わらず熟慮無しの気分のままである。
計画は2月中から時間を見つけて少しずつ練った。
宿はその時点で予約し、決定してしまうのだが、JRは乗車日の一ヶ月前の更に1週間前に予約が出来るだけで、決定は一ヶ月前にならないと分からない。新緑1
今までに予約して取れなかったことは無かったのだが、やはり正式に取れたというメールをもらうまでは何となく不安である。
そんなわけで、いつも行きと帰りの乗車一ヶ月前に届くメールをもって旅の計画の最終決定としている。
今回は特に今まで経験したことのないハプニングがいろいろとあった旅になった。
今頃の時期は暑かったり寒かったり普段でも衣服の選択には気を遣うのだが、今年は更に分からず迷った。新緑3
案の定、日本中が晴れで気温が高くなったというのに、今回の旅の場所である青森と秋田の日本海側だけが、曇りで、強風で、低温と来ているのだから何とも付いていないことになった。
それもただの強風ではなく全て向かい風なのである。
その強さは坂の下りも、こがなければ走れないほどであった。
これは日本海側を北海道に向かって抜けていった低気圧に、太平洋上にある高気圧からず~っと風が吹き込んでいたのだ。にもかかわらず、ここだけ上空には寒気が張り出し、気温が上がらないときていた。
道すがらぽつんぽつんと立っている風力発電機は人の気持ちも知らないで、正に大車輪で水を得た魚の如く気持ちよさそうにグルグル、グルグル回っていた。
低周波音の問題があると言われている風力発電機であるが、今回走っていて人に被害を与えない場所はいくらでもあるように思えた。
しかし、何とも数が少なすぎる。桃花
私たちが気持ちよく走るのを邪魔している風は、少なくとも邪魔できるほどのエネルギーであり、何と言ってもタダで純国産のエネルギーなのだ。
その上CO2はおろか、どんな廃棄物も出さないで電気に変えられるエネルギー源なのである。
太陽電池に比べると機械であるという欠点はあるが、その専有面積は太陽電池の比ではなく、至って小さい設置面積で大きな電力を生み出すことが出来る優れものでもある。
景観も勿論大事だが、人間は高層ビルが建ち並んだ都会ですら良い景色だと言って平気で暮らせる生き物であることを考えれば、石油の輸入を少しでも減らすため、国家戦略としてもっと積極的に風力発電機も増やすべきである。
菅さん!お願いしますよ!桜2景観、景観と言っている内に、その大切な景観が元から崩れてしまっては、それこそ元も子もないのではなかろうか。

トレンクルはいつもの様に専用の箱に詰めて宅急便で4月27日に送った。
4月30日の初日は走らないため、最初の宿である鰺ヶ沢のホテルグランメール山海荘止めにした。
列車のルートは時間を優先にしたため、八戸まで新幹線、そこから青森を経由して弘前、鰺ヶ沢とした。
鰺ヶ沢へは2時30分着であるため、昼飯の弁当を乗り換え時間の短い八戸で買い込み、特急つるが7号に急いだ。
無事に乗り込んだが、ここでハプニングが起こった。新緑2
妻が急に喉が痛くて鼻水が止まらなく成ってしまったのだ。
旅がスタートして後、体調が悪く成り、計画全体が立ち行かなくなるのではないかと思ったのは初めてである。
直ぐにホテルに電話し、薬を買いたいので迎えのバスの時間を遅らせて欲しい旨を連絡した。
ただ、ローカルな駅を降りてお店屋さんも何もないことをよく経験するが、鰺ヶ沢に果たして薬屋さんがあるかどうか不安ではあった。
しかし、それはあっけなく杞憂に終わった。何と何と私たちを待っていたかのように、駅前に立派な薬屋さんが有ったのだ。桜1
勿論、薬は風邪薬も含めて殆ど持ってはいる(今回持って行った薬/イソジンうがい薬、太田胃散分包、新ワカマツ、イブ頭痛解熱、アリナミン、ビタミンC錠剤、オロナイン軟膏、コンタック総合感冒薬、その他薬ケースに入れてある物、アミノバイタル、救急バン、石けん、綿棒、毛抜き、凹面ミラー、爪切り、ハサミ、裁縫セット、安全ピン、歯ブラシ、カミソリ、櫛、吸引器、糸ようじ、など)のだが、症状に最もあった薬を選び、出来るだけ早く回復させなければならないので直ぐに飛び込んだ。
花粉症も疑ったが、何と熱が38度近くもあり、風邪のためのアドバイスと薬とドリンク剤を選定してもらった。
その上、体力回復に良いという錠剤の朝鮮人参や、漢方の液薬をカプセルに入れた物をサービスしてもらったり、鼻をかむ為の特に柔らかいというティシュペーパーまで一箱頂いてしまった。
このティシュはその後の旅に大きく貢献してくれた。
かたくり
お陰で喉の痛みも取れ、熱も下がったのだが、大事を取り翌日の走行は取りやめ、次の宿泊地である深浦まで鉄道で移動することにした。
旅はいつでもそうだが、温かい人情に触れることが出来、気分をとても良くしてくれる。

現代文明は、多くの病気をたちどころに治してしまう力を持っていることを改めて認識させられ、感謝することにもなった。
今回はたまたま薬屋さんに恵まれたが、年も年だし、これからは旅に出る前に薬局が何所にあるのかぐらいはちゃんと調べておくべきだということを学ばされた。

次回に続く

プロフィール

izena社長 前田誠一

Author:izena社長 前田誠一
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