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久し振りに山用テントを持ってキャンプに行った。それも念願の孫(小学校一年生男子)と二人だけのキャンプである。泳ぎ
時は7月18日と19日の二日間。場所はいつもの馴染みの場所である。福島県とだけ記しておこう。
何しろ水が綺麗で、流れはそう早くなく、深くもないので、小さな子供達でも安心して遊ばせることができる。
水辺は木々が生い茂り、とても良い日陰を提供してくれている。
ここへ始めて来たのは子供達が小学校の低学年のころだったので、もう30年以上前のことになる。でもここの静けさは殆ど変わっていない。これからもこの静けさを保ってもらいたいものだ。いつまでも孫達とゆっくり、静かな時間を過ごせればと思う。河原
この流れの対岸にキャンプ場がある。今回はそこにテントを張った。我々二人だけだったのでとても良い気分で居たのだが、案の定、7~8人グループの若者がやって来た。
我々を無視して直ぐ隣でバーベキューを始めた。その為、いらつく前に更に上の300mぐらいさきのキャンプ場へテントを移した。そこは50歳代の男性が一人でテントを張っていただけだったのでホッとした。
全く他人の事は無視して自分たちのことしか眼中に無いという、今の世相の表れであると思う。
どうしてこうなってしまったんだろうか。戦後教育の結果なんだろうが、何とかならないだろうか。
先に来た人がテントを張って居たなら、出来るだけ離れた所でバーベキューをすべきであるのは常識でないのだろうか。私たちを含めてこのキャンプ場には3組しかいなかったのだ。何でそんな簡単なことが分からないんだろうか、何故、他人への思いやりがないのだろうか・・・・
夕方近くになると、車の音も、話し声もない静寂の中でヒグラシの大合唱が始まり、やっと落ち着いた時間が持てた。

今回のキャンプは行く一日前に急きょ決まった。
「キャンプに行くか?」と言うと「行きたい!」ということになり、二人用のテントを前日に買い込んだ。
一人用のシングルウォールのメスナーテントは持っているのだが、小学校1年生と二人で寝るのはちょっと窮屈なので、新たに二人用の同じメスナーテントを購入した。探検
メスナーテントに決めたのは、張り終わるまでの時間と、張りやすさからである。
一人用も二人用もテントとして最も軽るいわけではないが、特に非常時に使わなければならない場合は、張る時間を最優先すべきと考え、ニッピンのメスナーテントに決めた。孫は勿論テントを張るのは初めてであったが、このテントだと手伝ってもらうことも出来た。
孫と山の中でテント生活(オートキャンプ場ではない)をするのは、残りの人生の中での一つの夢であった。その為、テントを買ってまでも実行した。テント
もしかしたら、もうキャンプに行こうとは言わないかも知れないからである。しかし、結果は「またテントの中で寝た~い」だった。大成功であった。
このキャンプ場は車が横付けできる、いわゆるオートキャンプ場ではない。その為、荷物は車から500m位しかないのだが、担いで持って行かねばならない。
久し振りに大きな荷物を担ぐことになった。しかし、このキャンプ場は水道もあり、トイレもあり、本当の山のキャンプとは違う。次は是非本当のキャンプを孫に味合わせてやりたいと思っている。
夕食は久し振りに飯盒でご飯を炊くつもりだったが、テントの移動などで疲れてしまい、こんな事もあろうかと用意していった、出来合いのご飯を湯煎で温めた。洗顔
孫の好物のハヤシライスにしたが、場所が場所なので何とも美味しかった。
孫は誕生日にプレゼントしたスイスアーミーナイフ(十徳ナイフ)を小さなカラビナに付けて、ザックにぶら下げて持ってきたので、キュウリなどを切ってもらった。アーミーナイフを人生の中で初めて使った一瞬であった。
今回で孫は山テンのキャンプとアーミーナイフのデビューをした。
いつまでも自然の中に戻り、自然を大切にし、自然の美しさに喜び、そこでたくましく、優しく生きられる男になることを祈って止まない。

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エネルギーについて更に考えてみたい。
エネルギーを自前するということは、エネルギーで自立することである。ツタ
今まで、今でも我々のやって来たことは、今やっていることは、国がお膳立てをしてくれたエネルギーという手の中で、自由であったと勘違いしていたに過ぎないのだと思う。
まるで、釈迦の手の中の孫悟空状態なのである。
自由だと思っていたあらゆる事が、石油という手のひらの中で遊ばされていただけに過ぎないのではないだろうか。
自前するエネルギーにしようということは、言い方を変えると自分たちが生きるためのエネルギーは自分たちの手に取り戻そうと言うことである。
自分たちの意志の中に取り戻そうということである。勝手口
供給していただいているのではなく、自分たち自らの手で必要なだけ得る努力をしようということである。
これからは、今まで通り、生きるための根本であるエネルギーを買って来て複雑な設備に頼る方が良いか、エネルギーを出来るだけ自前し、生活をするためのシステムを自分の目が届き、自分の力で作り上げたり直したり出来る、手の届く方が良いとするかの選択である。
エネルギーを自前するとなると、それを利用するための仕組みが理解でき、大部分に目が行き届き、自分でも作れる範囲の生活になる。
しかし、エネルギーを買ってくると、そのエネルギーで動かす物は複雑すぎて、作るどころか、その内容を理解することも出来ず、当然、修理をすることなど到底出来ない。
機械を利用する、使っていると言えば聞こえが良いが、要は買わされた機械に使われているだけなのではなかろうか。
これが自由で快適な生活なんだろうか。こういう生活の仕方が、一方的に見えないようにされたエネルギーの仕組みが、知らず知らずの内にCO2を含めた多量の廃棄物を出さなければならない生活にしてしまったのだろう。夜景
エネルギーを供給されるままに任せておくと、より多く供給した方が儲かるという経済の論理で、本来使わなくても良い部分でも使わされるようになってしまう。
それが便利で快適な生活だと言って、エネルギーを多消費する機器を買いたくさせられ、多くの余計な物を買ってしまうのだ。
自分の生活のどれだけ必要なのかを吟味する間もなく、売っているだけ買ってしまうのだ。
そういう仕組みが今の社会なのではなかろうか。
そして望まないのに大量のゴミを出す結果となる。
エネルギーの自前を考えると、初めから自分が使えるエネルギー量(その土地に降り注ぐ太陽エネルギー量)は限定されてしまう。
その中でどの様に快適に過ごすかは自分自身の知恵とアイデアと努力に頼るしかなくなる。
使えるエネルギーをもっと増やすにはどうするかは自分で工夫しなければならない。
エネルギーを金で買うとなると、知恵とアイデアと努力は何もしなくとも、金さえ出せばエネルギーは手にはいるし、その電気やガスのエネルギーで動かす物は全て企業の優秀な技術屋が考え済みなので、これも知恵とアイデアと努力は何もせず、ただ金を持って行って買ってくればよいだけである。軒
今は、それすらもすることがなく、パソコンの前に座りインターネットで買い物が出来るようになっている。
まさに個人々々の知恵もアイデアとも努力も無しで済ます生活をすることが出来るのだ。
我々が求めた繁栄とは、つまり買うエネルギーの社会とはこんなものだったのであろう。
言い換えるとアホになる人間生産システムと言えるのかもしれない。
「人間は考える葦である」と言ったパスカルが現代の日本人を見たらどう言うのだろうか。まさか考える葦とは言わないだろう。
一億総「考えない葦である」と言うんじゃないだろうか。
人間は考えてこそ人間だと思うのだが、ただ楽しい事だけを求めて享楽しているのは、本来の人間いう姿なのだろうか。
享楽を得ることに頭を使っているのも考えの内となると何とも言いようがない。
どんな生き物も自分の生命維持のために五感を持って今に対処している。石壁
人間は目の前にある今の対処と同時に、それから続く未来に対して考えることが出来る。
人間だからこそ出来る、人間の人間たるところである。
人間でありたいなら、それを忘れてはならないのだろうが、現代の繁栄は未来に対しての思考を特に萎えさせてしまっているようだ。
温暖化の未来を何人が本気で感じて居るんだろうか。
エネルギーの自前とは、単に太陽電池を乗せたり、風力発電機を設置すれば良いわけではない。
たまたま今はCO2による温暖化がクローズアップされているが、勿論その為にも、エネルギーを自前すべき方向に早く舵を切る必要があるが、エネルギーの自前とは、単にランニングコストが掛からないという次元の話ではない。
エネルギーの自前とは、人間性復活の原点であり、未来の人達に対する思いやりである。
また人類始まって以来続いてきた空気中の酸素を使う燃焼文明からの解放であり、太陽核融合炉からの電磁波エネルギー文明への移行を意味しているのだと思う。

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今、求められているのは、今までの単なる延長ではないし、表面的に変化しているっぽく見せる、見てくれではない。
これまでの「エネルギーは買うもの」ということで組み立てられた価値観の延長であってはならないのだ。
真に未来を見つめて、CO2の排出をゼロにする文明(言い方を変えると、有限量の石油を貴重資源として末永く温存する文明)を築くことである。
今はその礎になる改革をしなければならない時である。水面
その為の第一は、エネルギーは「買う物」でなく、「自前する物」とすべきである。
今までは、「エネルギーは買う物だ」ということさえ考えていなかった。
エネルギーはエネルギーではなく、電気代でありガス代でありランニングコストという表現でその実態は何も知らないまま使ってきた。
何をやるにも、エネルギーという概念は持ち合わせてさえいなかったのである。
そういう時代なのである。
見えないから仕方がないと言えばそれまではあるが、先ず、人が生活をするということは、エネルギーを消費することであるということを明確に意識すべきである。夕焼け4
次に、化石エネルギー消費=CO2排出=温暖化=環境悪化=不快な生活、であることを肝に銘じるべきである。
これは当然、末永い快適で楽しい生活=快適な自然環境=CO2を出さないエネルギー=石油、石炭などから熱エネルギーを取り出さない=温暖化の歯止め=太陽エネルギー文明、としなければならない。
人間が生活をして行くのに、エネルギー無しでは1秒たりとも生きては行けない。
答えは簡単で明確である。CO2を出さないエネルギーに切り替え、安心して健康で快適な生活を定着させねばならない。
その時に、太陽電池も絶対必需品である。しかし、だからといって、今までの家の設計の仕方を変えずに、つまり、買うエネルギーを前提にしたままの設計で、ハウスメーカーと同じように太陽電池を乗せるような事をしてはならない。
特に設計家が同じ事をしては、最初に分析した通りハウスメーカーには絶対勝てないことになってしまう。
そんな安易に人類発祥以来営々と作り上げてきた酸化燃焼文明を終わらせ、エネルギー改革をすることなど出来るはずはない。
太陽電池に頼る前に、やらなければならない事はごまんと有ると思う。
CO2の出ないエネルギーを考えることは風土を考えることである。その場所の自然をより見つめることである。
今、家を建てようとしているその土地が、正にCO2を出さないエネルギー源なのである。
正確に言うと、土地そのものではなく、そこの範囲に降り注ぐ太陽エネルギーであり、風力エネルギーであり、雨水であり、場合によっては小さな流れの水力だったりするのである(土地の持っている平均15℃ぐらいの温度も、元を正せば太陽エネルギーによるものである)。
それらを取り込み豊かな生活をするためには、その土地に最適な家の設計をしなければならない。
その土地で得られるエネルギーを最大限取り込み、利用できる家を設計する必要がある。マスプロダクションを基本にして作られた家は、精々、その土地に寸法ぐらいしか合わせられず、後はそれなりの化石エネルギーを使う設備で対応するしかない。つまり、相変わらずエネルギーを買うことでしか対処できないのである。葉っぱ
この様に、エネルギーを自前する為には、その土地のエネルギーを理解した上で、それに合わせて個々に家を設計する必要があるのだ。
それを誰がやるのか、少なくともハウスメーカーの営業マンではないだろう。
個々の土地に合わせて設計することをしてきた設計士や工務店が最適なはずである。
しかし、その為には今まで学び、作り上げてきた家づくりの既成概念を、全て一度払拭する必要があるだろう。
今まで作り上て来た設計手法だけでは、新しいエネルギー時代の価値基準に対処出来ないと思うからだ。
新しい価値基準に基づいた設計手法を再構築をしなければならないだろう。
ハードルは決して低くはないが、次の時代を担うために設計士に与えられた責務ではないだろうか。
より良い日本作りと、地球環境のために、また、より良い町並みが出来るために・・・・

現在、改めて知り合いの設計士を始め建築に関係している人達を訪ね歩いている。
理由はこれから住宅建築業界はどんな方向に向かおうとしているのか確認したい為である。
色々な過去の結果の統計を見て、そこから推測をするのは、その本質が本当の意味で解らないのではないかと思い、自分の目で、耳で、頭で感じ取り、自分なりに分析したいと思ったからだ。
大きく変化しなければならない時代に、過去のどんなデーターも殆ど意味はなく、そんなものに頼ったのでは肝心の変化にもついて行けなくなってしまう。夕焼け3
だから、戸建て木造住宅に於いてハウスメーカーがどれだけで、建て売りがどれだけで、工務店などの建築会社がどれだけなのか知らない。まして、建築士が設計した住宅がどれだけ有るのかは分からないが、まだ少数の設計士ではあるが、話を聞いている範囲で感じるのは、とても多いとは思えないことだ。
何故そうなって居るんだろうか。理由はいろいろ考えられるが、少ないということは、全体が少なくなっていることもさることながら、設計士に頼む人が少なくなっている事を表しているのは当然である。
それはどういう事かというと、簡単に言うと、設計士に頼む必要性を感じていない人が多いからなのだろ。
それはハウスメーカーや安値メーカーがテレビを通して大宣伝をし、モデルハウスを充実して、超立派なカタログを作りアピールしている為なのかも知れない。それらは大多数の家を建てたい人達の心を大金を使って、上手く掴むことを目指してやっていることなので当然である。
しかし、その内容は兎も角としても、CO2の問題や省エネの問題の取り上げ方が、設計士が主張することよりも、一般大衆の心に響いて居ることもあるんじゃないのだろうか。
ハウスメーカーのキャッチフレーズを特別調べては居ないが、設計業界の人達の言うことより人の心を引きつけているのじゃないだろうか。水面2
設計業界で思っているより、一般の人はハウスメーカーとの違いを感じていないんだろうと思う。依頼数が減っていることがその証拠なんだろう。
設計士に頼んだ場合の家づくりについて理解されてないからだ、と言って片づけてしまって良いのだろうか。勿論当然知らないのだが、だからといって世の中が成り立っていないわけではない。
しかし、これからの時代は設計士と地元の工務店が家を作って行かなければならない時代に成らなければいけないと思っている。
何故なら、今は「エネルギー=CO2」の時代である。エネルギーとは化石エネルギーを中心にした原子力を含む全エネルギーのことである。
原子力に於ける猛毒の放射線廃棄物の問題をどう捉えるかという問題はあるが、石油、石炭、天然ガスを消費することを前提にした時代である。
これらのエネルギーは、勿論、CO2を大量に発生する。
その為、今までのやり方を継続することが出来ないことは明らかである。
これに対してハウスメーカーは太陽電池を大量に乗せることで解決したと言おうとしている。それに対して住宅設計業界は何をしようとしているのか、今のところ私の目にはよく見えてこない。31年前に建築業界に入った時と何が変わってきているのか、私の能力では見つけられないで居る。夕焼け1

太陽電池を大量に乗せれば、それでCO2問題が解決するが如くの態度は、少なくともこれからの新しい社会を作り上げて行く上で、精神的にプラスには成らないと思う。むしろその安易さは弊害にすら成るのではないかと思っている。
太陽電池で発電するということは、CO2を出さないで電気エネルギーを作り出すことである。基本的には至って結構なことであるし、太陽電池は化石、原子力に代わるこれからの時代を担うエースだと思っている。
何故なら、太陽核融合炉からの光エネルギーを直接電気に変換するシステムだからである。
正に自然界が作り上げた光合成システムと、特にそのシンプルさに於いて近いシステムと見なせるからである(これは今の太陽電池の形状がそのまま未来まで継続されて行くということではないく、更に光合成システムに近づいて行くだろうと思う)。
光電磁波を直接利用するという面に於いては、太陽電池は光合成と同じと言って良い。
だからといって今までの生活はそのままで、家の形態は何も変わらず今のままで、太陽電池をより多く乗せればCO2ゼロに成ります、というのは、何とも脳タリンなやり方だと思う。今までの生産方式や、考え方を変えずに、あたかも非常に環境に良いことをやって居るんだと見せかけるのは、何とも姑息でさえあると思う。
つまり、建築的には何も努力しないで、電気業界が努力して作り上げた太陽電池をただ持ってきてごまかしているように見えるのは私だけなんだろうか。

次回に続く


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Author:izena社長 前田誠一
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