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先日、NHKのクローズアップ現代で異常気象と温暖化について取り上げていた。
この夏の酷暑の原因は海水温度の上昇によるものであり、それは温暖化によるものだと結論付けていた。
暑さの直接的原因は、日本近海の温度上昇と偏西風の蛇行によりもたらされたらしいが、いずれも地球上の平均温度が上昇したことが原因のようだ。
温暖化しつつあることは間違いなさそうだ。彼岸花
この偏西風の蛇行は地球上にいろりろと異変をもたらした。特にロシアには歴史的な酷暑をもたらし、森林火災など大きな被害をもたらした。
この様に温暖化の兆候により、各地の「今までの普通」が破られつつある。
いよいよ変化を肌で感じられる様になってきた兆候なのだろう。
しかし、テレビで報じられる三連休の渋滞は何なんだろうか。
私たちを支えている環境が変化しつつあるのに、いくら趣味とはいえ、懲りもせず家族全員でエンジンを掛けたまま高速道路上に居座ったり、ゆっくり走ることが好きな人達(渋滞することは分かっていながら、あえてそうするのだから好きなんだろうな、としか思えない)は、この環境変化を子供達とどう捉えているんだろうか。
高速料金が1000円だからといって、金のために時代に逆行する行動を取っていて、子供に環境教育をどうやってするんだろうか。
もう、今までの常識を変えなければいけないということぐらい誰でも分かっているはずであろうに、何故変わらないのだろうか。
人類の最大の不思議の一つであろう。にがうり
ベトナムだったと思うが、今度アジア一のノッポビルが出来るそうだ。五百メートル以上あるらしい。
まだ人間はこんなことをしている、と感じるのは私だけなんだろうか。 
建物の外観を見ると相変わらず流行の単なるガラス張りである。
これはCO2の問題がまだ殆ど取り上げられていない時代に作られた形であり、価値観だと思うのだが、いまだに何も代わっていないように見える。
高層ビルの必要性は単なる経済的なものであるに過ぎないが、背の高い物を作ってみたいという単なる個人の興味がそうさせている面もあるのだろう。
何れにしても、エネルギーはいくらでも投入できるという中で、エネルギーのことを考えずに作られた物であり、システムに過ぎない。
大体、経済効率と言うが、今までのようにCO2の排出が配慮されていない中で作られた高層ビルが、今後とも経済的であるとは思えない。
高層であればあるほど人の移動、物の移動、水の移動が重力に逆らって必要である。
エレベーターは絶対条件であるし、水も必ずポンプで何百メートルも上げなければならない。
黙っていても常に大量のエネルギー消費が行われなければ何も全く機能しないことになる。
その上、四面全てがガラスであるため、当然、光も入っても来るが、強烈な太陽熱エネルギーも入って来るし、屋内からの熱が大量に逃げることにもなってしまう。にが葉
また、特に東京に於いては、超高層ビルに当たった風が上昇気流となり、積乱雲の発生を促し局地的な集中豪雨をもたらす原因までも作りだしているらしい。
それに当然高層ビルの後ろ側に日陰を作ることにも成り、均一に到達している太陽エネルギーをわざわざムラにしてしまうことになる。
このことは、太陽エネルギーが当たる高層ビルでは冷房エネルギーを大量に消費し、その後ろで影になっている建物は日陰により太陽エネルギーが得られないため暖房エネルギーを消費することになる。
高層ビルというのは電力会社やガス会社が設計が終わってからの負荷計算に合わせて、いくらでも電気とガスを供給してくれるもの、という前提が有ってこそ成り立っているのである。
何れにしても高層ビルを建てるというのは、エネルギーは湯水の如く使えるのだ、という思想に基づいたものであり、今となっては過去の遺物思想として葬り去らなければならないと思う。
高層ビルはこれからの時代には全くそぐわない代物に成ってしまったのではないだろうか。
つまり時代遅れだということであろう。銀杏
これからの基本はわざわざ上に持ち上げるシステムは意味がないのではないだろうか。
無駄な位置エネルギーを消費してはならないのではないだろうか。
移動は極力水平方向にすべきであろう。
もう、一つ一つのエネルギーがどうのこうのと言うことでなく、世界全体でCO2を排出するエネルギーから、排出しないエネルギーに転換しなければならない。
少なくとも一つのエリア全体、社会全体としてエネルギー使用の効率化を図り、無駄を無くす構成にしなければならないのではないだろうか。
高層ビルによる風の流れをシミュレーションで確認するのではなく、初めから不自然な流れを起こさないためにはどうするか、という計画にすべきだろう。
出来るだけ平面化すればその屋根上は太陽電池を載せて、エネルギー生産面になる。
どうしても高層にしたいのであれば、その上に超大型風力発電機を取り付けるというようなことも考えられる。
つまり、高層ビルという発想ではなく、超大型風力発電機の台座の中を高層ビル化して利用するという発想である。
出来る限り化石エネルギーを枯渇させないために、温暖化を出来るだけ回避するために、出来る人から自分の仕事の中で、その原因を一つづつ消して行かねばならない。
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「最後の食用魚を求めて・沈黙の海」を読んだ。
著者はスエーデン・ジャーナリスト、イザベラ・ロヴィーンである。
殆ど考えたこともない水産業の実態(スエーデンを主にした話であり、日本の実情とどう関係しているかは解らない)について少しは知ることが出来た。
魚資源が非常な早さで減少しつつあることが書かれている。つまり、魚が増える速さよりもそれを人間が捕ってしまう早さの方が上回っているということである。お店
そして人口が増え、最新装備の高速漁船が増えれば増えるほど、更に急速に取り尽くしてしまうんだろう。
これもまた人間の愚かさが書かれている本である。
魚たちは自然の営みの中で育まれている。その生み出される量については自然の摂理任せであり、ほんの一部の養殖を除いて人間は関与できない。
にも関わらず水産業として、あたかも自分たちが海から生産してるかのように捉えている、ということ知ったことが新鮮だった。
生産なんかしていないのだ。単に自然のシステムから収奪しているに過ぎないにもかかわらず・・・・
水産業の生産とは、自然界が生み出す本当の生産ではなく、取った量を生産量と勘違いしていたのだ。
その為、漁獲量が減ると舟を高速にして、より高性能の魚群探知機を装備し、今までは見つけられなかった遠くにいる魚も見つけ出し、一網打尽にしてしまうという方法が取られている。
自分達が生産している産業であるなら、より設備を合理化し生産量を上げるのは当然であるが、生産をしていない魚にもそれを当てはめているのである。朝焼け
その為、本来であれば自然の回復力を十分確かめてから、こんどは出来るだけ減らさないように捕まえる量をコントロールするというのが常識なのだが、何としてでも生産量(漁獲量)を増やそうという全く逆の方向になってしまうのである。随分変な話なのだが、それが変だとは思われず常識として行われているのである。
海は途方もなく大きく見える。しかし、海は地球表面に張り付いた薄い海水の生け簀に過ぎない。外から供給出来ず、自然に増えるだけに任せなければならない生け簀の中で、自然に増えるのを待ちきれず、我先にと出来るだけ捕ってしまうのである。
早晩居なくなってしまうと考えるのが当たり前だと思うのだが・・・・
海は地球上の生命を育んだ源である。非常に熱容量の大きい海は外界の変化に対して至って安定している。だから、海の中の魚を含めた生命システムは何十万年か、何百万年、それ以上前にとっくにあるバランスを完成させてしまっていたのだろう。
食物連鎖の最上段にいる人類が出現しても、つい最近までは一度に大量に取る技術を持ち合わせていなかった為に、海の中の魚を含めた自然システムを崩してしまうことはなかった。つまり、自然が作り上げたシステムが機能する誤差の範囲内の出来事だった。そんな悠久の時間の中で育まれてきた海の自然システムを、近年において人類は爆発的に収奪し始めたのだ。
その上、人間以外の生物、特に魚は生存できる温度範囲がかなり限られている。それに比べ人間は、知恵を得ることにより、火の使い方を憶え、着衣を開発することにより、地球上のあらゆる所で生きて行くことが出来るようになった。つまり、多少の気候変動など大したことではなという体質を既に持っているのである。
だから人間は温度変化に対して楽観的であり、鈍感で居られるのだろう。
温暖化により海水温度が上昇しつつある現在、それでなくとも魚の生存域がどんどん狭まっている事は想像できる。石
もう一つ魚を取り尽くしてしまう理由がある。それは「自分が取らなければ、誰かが取ってしまう」という恐怖心があることである。
特に近年、我先にと取りまくっているのが水産業ということに成っているんだろう(特に近隣諸国の動きがある)。
この自分がしなければ誰かが先にしてしまうという恐怖心は、人類が人類として動き始めた時から持っている厄介でもあり、人類文明が進化できた優れた特性でもある。
しかし、現在になるとこれは至って厄介な現象を作り出している。

ちょっと話は横に逸れるが、水上バイクなど、まさに買うエネルギーが大前提の時代の中で、単なる思い付きで作られた物であろうが、こういう物を作り出す開発者や企業は、大多数の使わない人達に対する迷惑をどう考えて居るんだろうか。
しかし、これも「我々が作らなければ、誰かが作ってしまう」という恐怖心が商品化してしまうのだろう。
勿論、法律に触れる訳ではないので社会的には問題ないことではあるが、静に川や湖でカヌーを楽しもうと思っている時、水上バイクは実に迷惑な存在である。しかし、一度世に出てしまうと、今度はそれを排除することは余程のことがない限り難しい。
民主主義が多数決というのであれば、利益を上げることだけしか考えていないで商品化され、多くに人達に迷惑を掛ける物に対して多数決原理を使っても良いのではないだろうかと思ってしまう。
ちょっと横道に逸れ過ぎたが、先に取らねばという発想が魚資源を根絶させてしまうのではないかと心配である。
雲
また、人間は見通せない事に対してはそれ以上考えることをせず、楽観的に捉えることにより、自分の中で解決したと思いこませることが出来る可成り奇妙な特性を持っている。
だから、既に生きられる温度範囲を広げた人間にとって、温暖化も楽観的に捉え、一件落着した気分になってしまうんだろう。
発情期を無くし、知恵を持った人類は、種を残すという生物としての特性は非常に優れていたのだろうけど、同時に持ち合わせた「楽観的すぎる特性」や「今しか見ない特性」や「全体を考えない特性」や「今の目の前の現象を都合良く解釈する特性」などが大きな問題になるかも知れない。
自然システムから逸脱した人類は今後どんな方向に向かうのだろうか。
「最後の食用魚を求めて・沈黙の海」は是非読んでいただきたい一冊である。

アラブの産油国が潤沢な資金を太陽エネルギーに投資し始めた。
メジャーに牛耳られた石油の二の舞にならないように、今度はアラブが太陽エネルギーを支配していこうという魂胆らしい。波紋
アラブを含めて産油国が、石油を戦略物質として温存しようと言うことは至って望ましいことである。
その代わり石炭やメタンハイドレードなどを使うのでは意味がないが、理由の如何に寄らず石油の代わりに太陽エネルギーにして行こうということは歓迎すべき事であろう。
産油国の太陽エネルギーへの転換戦略は観念論でなく経済合理性に基づいて居るのであるから、人類の社会の流れの必然性なのであろう。
つまり炭素を含んだ炭化水素燃料から、炭素の取れた水素燃料時代に明確に移行始めたのだろう。
人類は産業革命以後、木材燃料から化石燃料に移行した。
そして、最も炭素分の多い石炭から、経済合理性に基づいて徐々に炭素分が少ない燃料に移行して、現在は炭素が1と水素が4のメタンにまで行き着いた。ゴウヤ
これ以上、炭素が少ない割合の化石燃料は無く、後は炭素が取れ、水素だけになるしかないのである。
どうもその時代が見えてきたようである。
勿論、太陽エネルギーの全てを水素に変えて使う必要もなく、太陽熱エネルギーは熱としてその場で直接使う社会システムにする必要がある。
水素燃料は太陽エネルギーを溜めておく手段の一つであり、また、持ち運びして使うための手段である。
産油国が石油を温存するために、太陽エネルギーにシフトすべく動き出したことは、貴重物質として末永く使えるようになることと、当然、CO2を出さない社会を構築するために至って合理的な選択である。
しかし、そんな時代に於いて、この国はどうすべきかを考えることも非常に大切である。
人類が置かれている状況はイコールこの国が置かれている状況であり、色々な国が競い合っている世界であれば、その中で有利な国作りをしなければならない。
国力の充実とは、国の基礎体力の充実のことである。
基礎体力とはエネルギーの自立であり、食料の自立であり、将来にわたり安心できる暮らしである。
現在、我々人類を襲う脅威は何も温暖化だけではない。
超強毒性のウイルスが何時出現するかは予想できないし、テレビ番組のピタゴラスの如く連鎖の偶然性が大量の核戦争にならないとも限らない。
人口の加速度的な増加により水資源や魚資源や穀物資源の争奪戦争も起こるだろう。
特に、海水魚資源はそう遠くない時点で枯渇することは間違いないだろう。
人類以外の生物というのは常にバランスの中にある(発情期のない人類は別格)。すだれ
魚資源の数も例外ではない。
しかし、近年その収奪方法を進化させ、正に一網打尽の技術が確立されている。
その上、急速にその需要も増えつつある。
その収奪量の増加に合わせて、当然だが自然のバランスは崩れるだけで対応はしてくれない。
これらの危機から出来るだけ回避するために、この国を維持するための長期ビジョンを持ったなければならない。
勿論、それよりも大切なのは地球環境ではあるが・・・
少なくても自国民防衛のために、生活を維持するために、新しい日本列島の改造が必要である。
新しい国作りで世界の最先端を走り、模範になるためにも新日本列島改造ビジョンが必要である。
この国の風土は至って恵まれている。
先ず、島国であるため周りは全て海である。海を自由に使うことが出来る。これは良質な魚タンパク源を養殖で自給出来る可能性がある。
また、波は電気エネルギーを生み出してくれるし、筏を浮かべて太陽電池や風力発電機も設置できるエリアでもある。
国土の66%が森林でもある緑の国である。これも自立のための有力な資源である。
これを有効に開発すれば、建材は言うに及ばず、雇用を始めとして、食料としての動物や植物、薪燃料、きれいな空気、きれいで美味しい水などを供給してくれる。
おまけに森林はダムとしての機能まである為、たっぷりな養分を含んだ水を少しずつ海へ供給してくれる。
美味しい水がたっぷりあることは、この国の最大の強みの一つである。
この他に水は、位置エネルギーを利用して電気エネルギーを生み出してくれるし、水車を回して力仕事もしてくれる。窓と薪
農地は13%弱であるが、これも本当は大きな雇用を生むスペースである。
特に、たんぼは多様な食料(米だけでなく)を生み出してくれるエリアでもあり、心の安らぎを与えてくれる里山景観を作りだしてくれる大きな要素でもある。
勿論、真水は飲料水でもあり、洗濯、洗浄したりする、生きて行くための基本的な戦略物質である。
それらのことを、それこそ一億総努力で、安全安心のために、地球の一部であるこの国の改造を、先ずしてみせることは至って大切なことではないだろうか。
無論、2010年6月13日のブログに書いた「ゆっくり街道」案も「新日本列島改造論」に含まなければならない。
要は生きるための基本である農場、漁業、林業、エネルギー、それにレクリエーションの在り方を再考し、再構築しようと言うことである。
この様に、この国は安全と安心と幸せの為に、未来に向けて生活列島の改造ビジョンを早急に作るべきである。
国民一人一人に確実に戻ってくる公共投資を一刻も早くすべきである。

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Author:izena社長 前田誠一
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