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(株)イゼナの23期もこの十月で終わる。近年では最も売り上げが落ちた。
特別、アクアレイアーの評判が落ちたわけではないので、世の経済状態の影響を受けたのだろう。又、時代が変化しているためだろう。その為、事業形態を変革することを含め、経営状態をどの様に良くするかを考えなければならなくなった。林2
そんな訳でノンビリ遊んでいる訳にも行かないのだが、気分転換をするためにという理由を付けて、実は恒例の夏の北海道へ行った。
じっくりと計画する時間もなかったので、二度お世話になったお気に入りのペンション星ヶ丘を宿とし、美瑛をノンビリ散策することにした。
勿論、トレンクルである。しかし、一応レンタカーも予約しておいた。
残念ながらプリウスは借りられずインサイトになってしまった。道
トレンクルは例の如く宅急便センターに前日到着するように送っておいた。
ペンションの齋藤さんからは、トレンクルを受け取っても良いという了承をいただいていたのだが、ちょうどペンションの休憩時間帯に私たちが到着する事になってしまうので美瑛の宅急便センターにした。
旭川空港でレンタカーを借り、トレンクルを取りに行った。
二年ぶりの美瑛を堪能したのだが、上り坂では随分歩かされることになり、年には勝てない事をつくづく感じさせられた。
12年前にトレンクルを利用し始めた頃は、その軽さだけで変速機が無くてもかなりの坂道を登ることが出来たが、妻ともども体力の衰えはいかんともしがたく、大分疲労感を憶えるようになってきた。
結果、一日の走行距離がだんだん短くなって行くことになった。
それと同時に、起伏の有り様でコースの選択をするようになり、自由に計画が作り難くなって来ていた。
だからといってトレンクルの旅をこれからも続けて行きたいので対策を考えることになった。トウモロコシ
現在、軽いトレンクルも輪行箱に入れて前もって送ってしまう(これも年のせい)ので、それなら多少重くなっても変速機付きの新しい自転車にしてもよいだろうと考えてもみた。
しかし、スペースと管理と年のことを考えると、これ以上自転車を増やすのは納得できず、否定していたトレンクルの多段化を検討することにした。花1
早速トレンクルを多段化した二人の友人に話を聞き、腹は決まった。
今までの主張を年に免じて取り下げることにした。
多段化への改造は本来自分でやるべき事であるのだが、技術や工具以前に時間的、気分的な余裕が無く、今までチューブやタイヤを購入した工房赤松の赤松さんにお願いすることにした。
しかし、予算がいくらでも有る訳ではないし、目的は先ずは、今までより楽に坂道を登れることであり、出来れば緩い下りや追い風の時にもう少しスピードが出せればということであるので、その範囲で検討を始めた。林1
時代が変わってしまい、どんな部品があるのか全く分からない状況の中で全てをお任せしてしまうのは、これもささやかなプライドが許さず、結局、赤松さんに直接お会いして色々勉強させてもらうことにした。
結局以下の仕様にした。ひまわり
1)前輪はそのままで改造無し。
2)ハブのクィック化はいらない(これは今まで十年以上使っていて、2台でパンクは2回だけだったので、わざわざクィックで車輪を外す必要はないため)。
3)リムは現品のまま。
4)その為、リアハブはアカマツオリジナルに交換。
5)フロントギアの大きい方はTAの56枚。
6)フロントギアの小さい方は現状の42枚を使う。
7)ブレーキは前後ともTEKTROに交換。但しブレーキレバーは現状のままで変更無し。
8)リア変速機はアルテグラ10段用。
9)フロント変速機もアルテグラ。
10)ハンドルバーテープは現状の物を使用。
11)後ろの泥よけの取り付けは自分でやる。
などである。花2
シングルギアトレンクルで最後まで通そうと思ったが、それにこだわり旅の快適さが損なわれたり、ましては出来なくなったしまっては何の意味も無くなってしまう。
体力の低下という状況の変化を素直に認めればシングルギアにこだわる必要は無いことを悟った訳である。
まだ出来上がる日程は分からないが、非常に楽しみである。何だか又新しい可能性が得られるような気がするのだ。

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ある建築家の発言をインターネットで読んだ。
エンジン1
現在、民主党が言っている「コンクリートから人へ」に対して、「一生懸命都市をつくるために頑張ってきた建築にかかわる人に対して失礼ではないか」と発言したそうだ。何だかがっかりした。(この人の思想の全てと理念について知っているわけではないし、その前後の発言の全てを知っているわけではないので、今回の「失礼」という発言について、言葉尻を捉えただけの意見に成ってしまっているかも知れない)これを失礼というのなら、全ての変革に対する発言と提案は失礼な話と言うことになってしまう。ウインチ
至って論理性のない情緒的な話だと思う。建築っぽいと言えば建築っぽい話だ。
大体、今までのように単なる自分の思いや主観だけで社会的に存在する物を作ることは、エネルギー的、環境的に相当考慮しない限り、もしかしたらこれからの社会に対しては失礼に成ってしまうのではないだろうか。

現在の文明の成り立ちは勿論人類が石器と火を使い始めてから続いている必然の積み重ねである。
その経過の中で、人類は化石エネルギーを発見し、それを利用する知識と技術を獲得し、今に至った。
つまり、産業革命を成し遂げたのである。カモメ
それから200年ばかりの間に、化石エネルギーを唯一の拠り所にして現在の都市文明を築き上げた。
つまり、石炭・石油という炭化水素を空気中で燃焼させ、大量の二酸化炭素を出すことにより、熱エネルギーを取り出し、それを電気エネルギーに変換して、又はそのまま熱として使う技術を作り上げた。
それを用いて、先ず素材を作りだした。
次にその素材を用いて楽して快適さが得られる多くの物を作りだした。そして作り上げた物を使用するためにエネルギーを消費し、二酸化炭素排出してきた。
次は寿命の来たそれらの物を壊すために、そして片付けるために、又膨大なエネルギー消費と二酸化炭素の排出が待っている。
それが現代の文明である。
結果、地球上の環境を至って急速に変化させることに成ってしまった。
地球環境は、地球が生まれた時から、勿論、今の様な環境であった訳ではなく、劇的に大きな変化を繰り返してきた。その中には自然の変化として温暖化もあったし、ある時期は全面氷結もあったようだ。
そして大隕石の衝突による環境の激変が恐竜たちを絶滅させてしまうことまであった。バルブ
しかし、現在の問題も隕石の衝突に劣らない激変を生み出そうとしているのではないだろうか。
地球の歴史から見れば爆発的とも言えるほどの短時間での変化は、隕石の衝突による変化に似ていないだろうか。
もしこの変化量が200年という時間でなく、二万年であったなら多分人類を含めたあらゆる生物にとって余り問題を起こさないのではないだろうか。
二万年も有れば完全に変化に対して順応できるだろうからである。
つまり、温暖化が問題ではあるのは、それが余りにも急速であること、時間が短すぎることのためである。
それ故、先ずこの爆発的な増加を止める必要があり、その為には、一時、少なくとも二酸化炭素を出すのは「止めよう」としなければ成らないのではないだろうか。ボート
二酸化炭素を出すことで成り立っている今の文明を一端止めて、振り返ってみる必要があるのではないだろうか。
二酸化炭素を出さなくても成り立つ文明を模索してみても良いのではないだろうか。
勿論これは文明の後退などでなく、まさに前進であり、人類の新しい進歩なのである。
その進歩に対する模索の一つとして、既存の概念を壊す象徴として「コンクリートから人へ」という言葉が使われたのであろう。
つまり「コンクリートから人へ」という比喩は単なる言葉の綾に過ぎないのではないだろうか。
単なる分かりやすい表現の一つであり、失礼という次元の話ではないのではないだろうか。
誰だって今までみんなプライドを持ってやって来た。だからこそ、これからもプライドをもって変えようよ、ということではないだろうか。配線
正反対の価値観の新たな社会建設にまた携われる事になり、実に有意義な時代に生きていると言えるのではないだろうか。
つまり、一生で二度美味しい目に会える、ということではないだろうか。失礼どころか、変化の時代を作ろうとしていることに感謝すべきなのではないだろうか。
大体、建物がコンクリートでなくては成らない理由など何所にもないと思う。
それは今まで作り上げてきた価値基準の中から出て来た考え方である。
要塞や城塞は石やコンクリートでなければならないだろうが、これからは木材を含めた大きなサイクルで文明を再構築すべき時なのではないだろうか。
都市に於いても、高層ビルがなければ都市が本当に成り立たないんだろうか。新しい都市作りとしての木造五階建てではどうしていけないんだろうか。
これから必要なことは、エネルギーを自前する新たな都市作りではないのだろうか。
新しい価値観の創出ではないだろうか。

高層ビル化は近代の一つの流行なのではないだろうか。
大体、工業生産品として作った物は自然に帰らず、全てゴミに成ってしまう事はもう誰でもがわかっている事である。だとしたらエネルギーを自前する都市、寿命が来れば全て自然に戻る都市を目指すべきではないのか。
廃墟として残骸を残すのか、朽ちて森に帰すのか、今はもう後者を選択する時代ではないのか。ボート横
今の都市は炭酸同化作用をほとんどしない、そう言う意味では死の世界なのだろう。外から膨大な化石とウランによる電気エネルギーと食料の供給無しには生きて行けないのが現在の都市あり、二酸化炭素を吐き続け、ゴミを吐き続けるのが都市なのであろう。
都市とは全く自立できないシステムであることを、ここで改めて自覚すべき時であろう。
朝早い大阪のベイホテル51階から見ていると人の動きが見えず、動いているのは車と列車のみである。
朝霧の中に立っている高層ビルは何とも無表情に見えた。

配管1
自然界は太陽エネルギーを炭酸同化作用という非常に高度な使い方をしているが、人類はといえば、単に光と熱としてしか利用できないでいた。
しかし、ほんの最近になり、やっと太陽電池により自然界に少し近づいた利用の仕方ができる様になった。
「コンクリートから人へ」などという言葉こだわる前に、今まで一人一人が後生大事にしてきた「常識」なるものを捨て去る覚悟がそろそろ必要なのではないだろうか。

10月2日我孫子市にある中央学院大学で、前の我孫子市市長である福嶋浩彦氏の講演会があった。
福嶋氏は現在消費者庁長官であり、国を含めて多くの自治体の事業仕分け人でもある。
また、中央学院大学社会システム研究所教授、東洋大学大学院客員教授でもある。
講演の内容は、事業仕分けとは何かに始まり、マスコミに取り上げられていない部分でどんな検討が行われたかに及んだ。彼岸3
私たちがマスコミの報道を見ていたのでは知り得ない貴重な話であった。
今回の事業仕分けの報道の中で、センセーショナルに繰り返し流された場面が二つあった。
一つはスーパーコンピュータについてであり、蓮舫氏の「二番目ではいけないんですか」と発言した場面である。
もう一つは国立女性教育会館について、また蓮舫氏であるが、神田道子理事長のやり取りである。
「稼働率は?」「私の話も聞いてください。一方的にただ質問に答えろというのは心外だ」という場面が再三流された。
この二つの場面について、私の周りの人達の大部分は、蓮舫氏に対して非常に批判的であった。勿論、私もテレビの報道をそのまま受け取るしかできなかったので不快な思いをさせられた。
大体、文化系の国会議員にスーパーコンピュータのことなど分かるはずがないのに、「ちょっと言い過ぎじゃないの」と思った。
彼岸1今までスーパーコンピュータと言えばスピードのみを強調して報道されていたのではないだろうか。
私もその使い易さ、多くの人が使えるシステム、ということに関しては考えていなかった。
そんなことは言うまでもなく当然だと思っていたからである。
国が税金を使って開発するのであるから、使いたい人が自由に使えることが当然だと思ってきたのだが、今回、事業仕分けに上がったスーパーコンピュータは、早いだけで至って使い難いという結論が出ていたらしい。
当然、仕分け人の中にスーパーコンピュータの第一人者(名前を聞いたのだが忘れた)が複数参加していて議論が繰り返された、と言うことであった。
そして、もっと多くの研究者が使えるネットワーク化されたスパコンにすべきだという方向が示されていたらしい。
その為、速度が二番ではいけないのか、と言う質問になった、と言うことであった。
遅くても良いと言うことでなく、またスーパーコンピュータの予算を削ろうということでなく(現に、スパコン予算は元通りに復活した。お陰で内容は変わった)、折角大きな予算(税金)を付けるなら、もっと多くの研究者が容易に使えて、国力アップになる物にすべきだということだったのだ。
その質問に対して文科省の担当者は一言も答えられなかったそうだ。
もし信念があり、世界一の早さにすべきだというのなら、あの場面は何としてでも食い下がり、速度を一番にする為の理由を述べ、予算を確保すべき場面であったのだろう。
通常は反論すべきであるのだが、何も発言しなかったということは、発言できなかったということだったのだろう。
野草10ここから見えてくるものは、マスコミというのは明らかに、如何にセンセーショナルに社会に発信し、面白がらせて自分の存在を確保しようとしているだけに過ぎないということではないだろうか。
マスコミの報道を見ていたのでは、何も得られないばかりか、間違ったイメージを植え付けられ、国民の民意が意図的にコントロールされ政治の方向を誤らせる結果になってしまうのではなかろうか。
それではどうしたら良いのか。
マスコミの報道は、事業仕分けをしていると言うことと、その現場が自由に公開されていることだけを文章で流せばよいだろう。
コメンテーターや会社の主観など入れるべきではない。
報道する時間が少ないからと言って、特定の明らかに大部分の人が誤解する様な場面だけをわざと流すべきではない。
この場面をマスコミが選んだことは、新しく社会の在り方を改革しようという行動をへし折る意図があったとしか思えない。
もしどうしても報道したいなら、議論のやり取りの全ての流れを誰でもが何時でも見られる様にするか、「二番目ではいけないんですか」の場面に何故そういう質問になったかの流れをちゃんと解説すべきである。
現在の日本社会でしなければ成らないことは、税金を自分の金であるかのような顔をして使っている事業の仕分けは勿論であるが、マスコミの報道内容も仕分ける仕組みを作るべきだと思う。
また、二つめの国立女性教育会館について、蓮舫氏と神田道子理事長のやり取りであるが、これも二人の短いやり取り部分だけ繰り返し何度も流された。彼岸2
事業仕分けというのは、今までやられてきたその事業の理念や目的は先ず認めることからスタートしている。その上で、現在のやり方に無駄が無いかを検討することである。
つまり、今まで努力をしてこられた事について事業仕分けの場で改めて語られる必要はないのである。その上、検討の時間が決められているので、必要の無い話は後にして今の問題を検討しましょう、と言うことでの蓮舫氏の発言であったのだ。
しかし、これも報道された部分を見る限り、多くの人は、目上の大先輩に向かって失礼ではないのと思わされてしまった。
今のマスコミを見ていると、その存在価値を考えさせられてしまう。余りにも独断と偏見報道が過ぎるのではないだろうか。
つまり、先ずは報道されたことは真実ではないと見るべきだろう。ニュースキャスターは当然だがコメンテーターもしっかり選択しなければならない。
一部のテレビニュースから社会の判断をすべきではないし、政治に関するニュースは特に信用してはならないだろう。
テレビの報道番組は出来るだけ見ない方がよいと思う。
毎日飽きもせず繰り返されているバカ騒ぎ番組と報道番組は同乗りで企画されているのではないのだろうかと思ってしまう。
意図的に真実を隠蔽しようとするかの如くの報道から身を守るためには、普段から真実を見ようとする目を養う努力を忘れないようにするしかないだろう。
福嶋氏の話を聞いて、ますますそんな事を感じさせられた。

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izena社長 前田誠一

Author:izena社長 前田誠一
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