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いまだに変わらず涙が止まらなくなるテレビ画面に見入ってしまう。
時間が経てば経つほど、今回の災害の大きさ、悲惨さが、そして悲しさが明らかに成ってくる。
地震と津波による復旧は確実に進んでいるんだろうが、福島第一原発がその足を引っ張っている。
原発事故さえなければ、被災された方々にそれこそ全力投球できたのに、残念で成らない。
3月25日の朝日新聞朝刊に「大津波 東電甘い想定」 「福島」の危険性 90年代から指摘  という記事が載った。白連
2009年6月産業技術総合研究所活断層・地震研究センター岡村センター長が、869年の貞観大津波の再来を指摘。
それに対して、原子力安全・保安院も現在の対策では十分ではないことを認めていた。
また、1997年には産総研のチームや、石橋神戸大名誉教授が今回の事態を予見した論文を発表していた。
石橋氏は、過去に作られた原発の安全性を地震学の最新成果で見直していないことを危惧されていた。
福島第一原発が作られた40年前には、沖合にプレート境界が有ることは知られていなかった、ということである。
ここからがすごい話しであるのだが、古い原発の耐震性を見直したり、新設の原発を強化するための耐震指針を見直す動きが90年代からあったのだが、しかし、産業界から、建設計画が一段落するまで耐震指針を変えるなと圧力が掛かったのだそうだ。
新指針を作ってしまうと廃炉が早まったり、補強や計画変更で「費用が余計に掛かる」という理由で、先延ばしにする政治的判断が働いたのだそうだ。
しかし、結局、改訂されたのは耐震指針であり、津波の危険は余り重要視されなかったようだ。
そして今回の原発震災が起こってしまった。
産業界は国民の安全と言うことより、自分の利益追求を優先させたのだろう。花
立場上しょうがないといってしまえばそうだろうが、物を決める立場に居る人が、原発は特異な技術であるという認識ぐらいは持てるレベルの人達であって欲しかった。
そうすればこの事故は最小限で止めるられたのかも知れない。
単に金を生み出すことがうまいといだけで、決める立場に立ててしまったということは、この国にとって何とも不幸な事であった。

こういう経過から見て、今回の事故は人災であると断定できると思う。
結局、経済が最優先で進めてきた付けが現在の原発事故なのだろう。
もし関係者が本気で真剣に考えていたなら、勿論津波の大きさは変えられないが、少なくとも、この様な事態には成らなかったのだろう。
こういう大事故が起こると、何時もつくづく感じるのだが、私を含めてほとんどの人間は、危険にぶつからないと本気で危険を感じることが出来ないと言うことである。
しかし、何故、万が一全ての安全システムが機能しなくなった時、(それは人間が作ったのだから当然あり得る)
どうするのかということをどうして考えなかったのだろうか。梅
ごく一般的な普通の考え方は、何かあれば全てが完全に安全側に移行し、静止するようにする、とどんなアホな技術屋でも考えるのではないのだろうか。
政治も企業もその日の金の方が重要で、未来に対しては、そんなことが起こって欲しくない、という希望的願望が一人歩きをし、時間が経てば経つほど、あたかもそれが現実であるかのように錯覚してしまうのだろう。
しかし、これはこの国の人間の限界を示すことであり、個人を今更追求することではない。
そんなことに終始すれば、それこそ根本原因を覆い隠すことに成ってしまうだろう。
この前の侵略戦争もそうだったが、今回の原発事故も同じなのではないのだろうか。
ごく一部の人のメンツや都合で物事が決まって行く事である。
東電の都合、経済界の都合とメンツであり、言ってみれば利益優先のことであり、何も考えずそれを容認した役人と政治の怠慢のことである。木蓮
少なくとも役人と政治家は自分たちのこととして真剣に考えなかった結果である。
個人の能力として限界があるなら、人間の想像力に限界があるなら、つまり起こりうる全てのことをが想像できないのであれば、社会システムとして安全性を確立しなければならないのだとしたら、核分裂技術を利用をしないことが最大の安全策ではないだろうか。

この国は唯一の原子爆弾の被爆国である。しかし、ご丁寧に原子力発電所からの被爆も経験してしまった。
これを機会にエネルギーの大部分を輸入している現状を、もう一度単純に振り返ってみる必要があるのではないだろうか。
そうすれば、普段はエネルギーのことなど全く考えたことがない人であっても、何らかの理由でこれが止まったらどうなるのだろうと疑問をもつだろう。
その単純な疑問が大切なのではないだろうか。
金さえ出せば幾らでも電気を売ってくれた東電が、売れなくなってしまったのだ。
これから絶対止まらない保証は誰がしてくれるのだろうか。夕焼けとボート
輸入だけに頼っている以上、そんな保証は誰にも出来ないことは、これも誰にでも解る理屈である。
今までの政治家や役人で誰が一体この国のエネルギー自立を本気で考えたのだろうか。
その可能性を誰が本気で追求したのだろうか。
少なくとも、政治家と役人でそんなことを真剣に考えた人間は一人も居ないのだろう。
こんなエネルギー状態の国は、単純に「おかしいんじゃない」と普通は疑問を持つものではないのだろうか。
もし起こってしまったら、起こった場所だけで対処できず、どこまで被害が広がるか解らない技術に頼ることは、一人の普通の人間の感覚として「おかしい」思うことではないのだろうか。
1957年東海村の原子炉が臨界に達し、それが新聞記事になり、子供の科学にも載った。
当時、中学一年生であり、理科少年であった私は、本当の意味の原子力を考える訳ではなく、ただ、興奮し、是非、東海村へ行ってみたかった。
それは、高校2年生の夏休みに自分自身で実現させた。
当時住んで居た足立区から二泊三日で自転車で見に行った。
北千住ーー我孫子ーー佐原ーー潮来ーー鹿島(泊)ーー大洗ーー東海村ーー水戸(泊)ーー土浦ーー我孫子ーー北千住夕焼け
鹿島と水戸の日本キリスト教団の教会に、図々しくも飛び込みで泊めて頂き随分歓待されたことを良く憶えている。
何とも良い時代だったんだろう。
東海村の原子炉施設の中に入った訳ではないが、外から見て感激したのを今でも忘れない。

これを契機に、遅ればせながらであるが、国はエネルギーを自前することを原点にすべきである。
残念ながら、今すぐ原発の全てを止めることは出来ない。
それこそ、新しい国を作るためにも産業振興し、貿易を継続しなければならないからだ。
その為には、今回のことを重い教訓にして、すぐさま全ての原発のフェイルセイフ化を目指して最大限の改善がなされなければならない。しかし、それは飽くまでもこの国の未来に対しての暫定処置でしかない。
短期計画でしかない。中・長期計画の目標は100%自前エネルギーの達成である。夕焼け雲
目標さえ立て、一丸に成れば、アメリカを相手に勝ち目も無い戦に望んだこの国であれば、可能なのではないだろうか。
太陽電池の技術も生産力もトップクラスである。
国土は急峻で山に降った水は莫大な位置エネルギーを持って海に流れ込んでいる。
日本中に小水力、ミニ水力、マイクロ水力発電機を設置すれば原発を何基も廃棄することが出来るだろう。
この列島の直ぐ近くには強力な海流もある。このエネルギーを手なずけるべきである。
この国は今から70年も前に多数の空母を持った大艦隊を建造し、運用していた実績がある。
アメリカ以外に、これほどの艦隊を運用した国はいまだに無い。
それを思えば、海流の中に大海流発電機艦隊を運用することなど容易いことではないだろうか。
勿論その前に、徹底的な節電社会にしなければならないが・・・・

今回の原発事故で、安全システムを更にどれだけ付加しなければならないのか、色々意見が出るだろう。
そして改善されるだろう。
二重、三重、四重、五・・・・・の安全装置が付加されるのだろう。しかし、常に、もしそれが崩れたらどうするのか、ということは永遠に付きまとうことには変わりがないことだ。
技術が失敗することは、人間がやる以上当然なことである。
この際、どんな失敗が起こっても、それを単に直せば済んでしまう技術に置き換えるべきである。
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大地震、大津波と未曾有の震災になった。震源地2
その上、追い打ちを掛けるように最悪の原発事故である。
こんなに多くの人が一瞬にして亡くなるという事がどういうことなのか、未だに心の中で整理が出来ないで居る。
また現在、放射能漏れを止めるべく東電社員、自衛隊員、警察隊員、消防隊員、その他多くの人が勇敢にも立ち向かっている。正に日本のために命を省ず戦っておられるのだ。
見守るしか何も出来ない私達に取っては、それらの人達の行動が唯一の頼みの綱である。
「頑張って下さい」と言うしかないが、感謝に堪えない。津波3
願わくば、放射線では一人も死なないで欲しい。
この大災害は勿論、私にとっても今まで体験したことのない最も厳しいものである。
亡くなられた方のご冥福を改めてお祈りし、被災された方にお見舞いを申し上げると共に、悲しみを乗り越え、何としても立ち直っていただきたいと思う。津波2

初めて地震により自宅が大きく揺らされているのを外から見た。
冷蔵庫を始め、タンスも本棚も全て壁にしっかり木ねじで固定してあるため、倒れた物は何も無かった。
二階にある天井までの本棚の本が、ものすごい勢いで飛び出して行くのが外から見えた。
昨年の5月に食器戸棚は引き戸式に変えておいたので食器は全く無傷だった。津波1
一カ所だけ小さな開き戸部分があったが、そこには開き防止機構が付いていたため、それが動作して中身が飛び出すことはなかった。
ちょっと大変な思いをしたのは、本棚のある二つの部屋のドアが内開きだったことである。
崩れた本がドアの所で山になってしまったため、ドアが開かなくなってしまったのだ。
初めから廊下側に開くようにしておけば何ら問題にならなかったのだが、ドアをどちらに開けるかは、地震の事も考えた上で決めなければならない事を初めて学んだ。津波5
翌日、何とか押し開いた小さな隙間から孫に入ってもらい、ドア側にある本の山を少しどかしてもらってやっと入る事が出来た。
寝室の本棚の本も全て落ちたが、ベットの横に本の山が出来ただけで済んだ。
しかし、被災地に比べればほとんどダメージの無い我孫子に於いて、ガソリンや食料、水、紙おむつ、トイレットペーパーなどの買い占めが起こっているのは、何とも理解できない現象である。
何を焦っているんだろう。
まさかそれらを買い占めて被災地へ送ろうという殊勝な気持ちがある訳でもあるまい。
家を含めた生活の全てを失い、ましてやご家族を失った人達がいる中で、相変わらず、自分だけは今までの生活を維持しようと、必死になってガソリンを買い求める姿は何とも惨めである。津波7
ガソリンが無く、車が動かなければ乗らなければよいし、何処かへ行きたければ足があるんだから歩けば良いし、自転車だって相当遠くまで行くことが出来るのだ。
行動は、その時の状況に合わせて常に臨機応変であるべきではないんだろうか。
これらの行動は、普段に何も危機意識を持たず、何も準備をしていないで、のほほんとした生活していることによって起こるのだと思う。
強毒性のインフルエンザや未知のウイルス、東海地震、東京直下型地震など、何時何が起こるか解らないのが日常であるはずだ。
今回の震災がまさにそうであろう。津波9

焦らずに、慌てずに居たいなら非常時に備え、一週間や十日分ぐらいの食量や水やカセットコンロ、ボンベぐらいは常備すべきである。
全ての人が大変になる非常時に、出来るだけ人に迷惑を掛けず、出来るだけ自分のことは自分でする様に心がけるなんっていうことは当たり前なんじゃないだろうか。
その為には普段から準備をしておく心構えが必要なんじゃないだろうか。
社会に生きる人として常識にしなければならないのではないだろうか。(今回の津波のように全てが流されてしまっては、勿論打つ手はないが・・・)。
その他、携帯用浄水器、トイレットペーパー、消毒液、トイレットテントなどを常備すべきである。
水は、アクアレイヤーが自宅の二部屋に設置してあり、合計で2トンばかりが備蓄されていることになる。アクア
トイレットテントは庭に穴を掘って水が出なくても快適なトイレにするためである。若かりし頃、家族でよく行ったオートキャンプが懐かしい。何しろ私以外の家族は全て女性であるため(おまけにいつも一緒の柴犬ラッキーも雌であった)、キャンプをする場所を決めると先ずはトイレ用の穴を掘り、トイレットテントを張った。
非常時に庭にトイレを掘るのは、大きな石ころが有るわけではないので至って簡単だろう。
また、太陽さえ有ればソーラークッカーでお湯を沸かしたり、煮物を作ったり、ソーメンをゆでたりすることも出来る。
登山の時に持って行く非常用品の中には役に立つ物も多い。
単3と単4に充電できる携帯用太陽電池も便利だ。シート状でくるくると丸めることが出来て軽くてかさばらないので、充電用乾電池を持っていれば、慌てて乾電池の買い占めに走らなくても済む。
プリウスもだいぶ気持ちの余裕を与えてくれる。備蓄水
地震の時にガソリンは半分ぐらいしか入っていなかったが、よりガソリンを食わないような走りを心がければ、少なくとも400キロは走る。急用で我孫子近辺を走るのなら十分である。慌ててガソリンスタンドへ走る必要など全く感じない。
まだ社会が裕福でない時は、車を格好と大きさという見てくれだけで選んだんであろうが、今の様に車を持つことが常識になった時代は、燃費を最優先で選ぶべきだと思う。
ほんの近くのスーパーへも高級車で行くような人達にとっては、ちょっとの間ガソリンが入らないだけでも、大げさにも足が無くなってしまうとしか考えられず、パニックになるんだろう。何とも心がみすぼらしいらしい。
もし皆がしっかり備蓄をしていたなら、臨機応変に考えられたなら、どんな非常事態にあっても、大して慌てることなく落ち着いた社会で居られると思う。
備蓄することは自分のためだけではなく、むしろ社会のためであり、周りの人達のことも考えることなのではないだろうか・・・・


今回の東北関東大震災では考えられないほどの多くの方の命が奪われた。危機一髪避難された方々は、正に着の身着のままであり、生活の全てが失われた。その上、家族、親族までも失われたのである。想像を絶するとは、正にこのことなのであろう。テレビの画面を見ていると涙が止まらない。被災された方々のことを思うと何ともやり切れない。どんな言葉もあまりにも軽すぎて表現できない。
事故前全体
福島原発事故が収束するどころか時間が経てば経つほど更に悪化している。
以前のブログで、失敗できない技術である原子力は使うべきでないと主張してきたが、正にその通りになってしまった。
現在は何とか水で冷やそうと懸命に努力しているんだろうが、もしそれが出来なかった場合、最後はチェルノブイリのように膨大な放射能を振りまいて、鉛とコンクリートで固めるのだろうか。
今となってしまうと、それしかないような気がするが、そうならないで欲しい。もしそうなら、その準備もすべきであろう。3.4号炉
人類は石器という道具を使い始めてから、それらの改良を繰り返しながら現在の技術文明を作り上げた。
不具合を工夫する事で技術を刷新し、失敗を繰り返しながら技術を進化をさせてきた。
つまり失敗をすることこそが技術進化をさせる唯一の動力源に成り得るのだ。
誰がどんなに考え抜いたシステムだとしても、それが人間のやる事である以上、必ず不備が伴う。必ず問題が生ずる。
その為、問題が起こった場合、重大な結果をもたらすだろうと考えられるシステムに於いては、必ずフェイルセーフの思想で設計されなければならない。衛星3号炉
つまりどんなに危険な状況が生じたとしても、どんな状況で停止してしまっても、必ず安全側の状態で止まる様に設計しなければならない。
言い方を変えれば、そういう設計が出来ないのであれば、そういうシステムは社会に存在させては成らないという事になる。
原発は正に究極のフェイルセーフ思想が必要なシステムである。
しかし現在の原発事故を見ると、フェイルセーフの思想は全く感じられないし、そんな考えでシステムは初めから設計されていなかった様にさえ感じるのである。
私のような一介のレベルの低い技術屋擬きから見ても、こんなに大変なシステムにフェイルセーフ思想が組み込まれていないように見えるなどと言う事は全く驚きである。ヘリコプター
勿論、設計した技術屋はヘェイルセーフを考えたというのだろうが、この結果を見ればフェイルセーフは見事に破壊されてしまった。
大体、海に向かった所に非常用発電機用の油タンクを何故置いたのか不思議である。
当然、津波によって見事に流されてしまった。
机上で平面図上に綺麗に並べる事が設計ではあるまい。衛星写真2
非常用システムが地上に並んでいる設計になっているそうだが、どんな状況に対しても安全性を確保するためにはそれで良いのだろうか。
地元には奥まで到達した津波の後がちゃんと有るそうだ。何故それをきちんと考えなかったのだろうか。
多数の隕石が直撃する事は考えなかったんだろうか。航空機がぶつかる事はないと思ったんだろうか。ミサイルで攻撃される事は考えなかったんだろうか。
大体、原子炉本体がどうして地上に作られているのか大いに不思議である。
もし、地下に作ってあったなら、今回のような自然崩壊による熱が暴走して、非常用システムが万が一止まってしまっても、地下に水を入れて全体を水没させる事など、いとも簡単な事ではないのか。
いずれにしても、結果から見ると、核分裂技術を使うシステムであるにも関わらず、あまりにも安易な設計がなされていると思うのは私だけなんだろうか。前と後
技術の進化というものが失敗する事の経験のみによって行われるのであるなら、決して失敗の出来ない原子力は少なくとも地球上では使うべき技術ではなかったんだろう。
何はともあれ、今となっては何とか注水が出来るようにして、冷却を成功させてもらいたい。
もしそれが失敗したら何が待っているんだろう。
専門家と称する人達が設計した結果がこの始末である。
この社会を作り上げているのは専門家だけではないのである。
原子力という、こんなに社会に重大な結果をもたらすシステムについては、専門家だけではなく一般の常識的感覚を取り入れるべきである。前原子炉図
また、報道の中で行われている放射線量の発表は何とも国民をバカにしている。
正門に於いて何々mシーベルトが変動していると発表されているが、例えば、なぜもっと広いエリアに於いて平均値がいくつで、最大値はどのくらいだと言わないのだろうか。センサーは敷地内に数多くばらまいてあるだろう。保管プール図
多分正門が一番低い値を示しているため、それだけを発表しているのだろうと思わざるを得ない。
住宅のちっぽけな部屋の中に於いても、何処か一点の温度を測っただけでその部屋の温度状況を表す事などは出来ない。
また、貯水槽に問題が生じると今度はそれが入った絵を出してくるなど、どういうことなんだろうか。また、外部から見えない内部の温度状況を知るには、当然サーモカメラを使っているだろうが、その情報も全く出てこない。保管プール
報道している数値だけ、内容だけを信用して自分たちの行動を決めるべきではないだろう。
現在行われている現実を見て自分で判断して、行動基準を決めるべきであると思う。
原発について今までその構造まで細かく考えた事は無かった。原子炉の上にあるクレーンはどう使うのかと思っていたが、初めて隣の保管プールに核燃料を入れるためということも解った。
何よりも非常用システムが津波で簡単にやられてしまう事も知った。
原発は一般論としての技術的見知から反対であったが、それが正しかった事が解った。
石器という道具から始まった人類が、核分裂を制御して使いこなそうとしたのは傲慢さであり、思い上がりではないのだろうか。
電気というエネルギーを作るのに、想像の出来ない危険を冒してまで核分裂の技術を使う必要があるのだろうか。
まして、化石燃料と同様に核燃料も輸入である。太陽光エネルギー、太陽熱エネルギー、小水力エネルギー、風力エネルギー、波力エネルギー、海流エネルギーなど、実はエネルギー源など幾らでも有るのだ。核分裂エネルギーを開発した情熱と金を投入したならば簡単に切り替えることが出来るのではないだろうか。何よりもそれらの技術のアイデアーは専門家でなくても出すことができ、より多くの人が参加して開発することが出来る技術なのである。これらの地産地消のエネルギーであれば、例え津波で壊れても、それこそみんなが集まって直せば良いだけである。
また、欲望のまま際限なく浪費することを認めるような、今の社会風潮は絶対に改めるべきである。


我孫子のサイクリングコース1
地図2
翌日は良い天気になりそうというので、久しぶりに我孫子の良いサイクリングコースを探しに行こうということに成った。 
早速、ヤフーの地図と国土地理院1/25000の地図閲覧サービスを開く。
我孫子は北に利根川、南に手賀沼に挟まれた台地の町である。
手賀沼の南には柏市と沼南町の台地が広がっている。
手賀沼は台地と台地の間に入り込んだ低地に出来た沼である。
大昔は直接海とつながっていたらしいし、その前は海の底だったようだ。
その証拠に木下化石帯があり二枚貝など多くの貝殻を見る事が出来る。手賀川
我孫子の周りには手賀沼の他、印旛沼、牛久沼、少し離れて霞ヶ浦など点在している。
手賀沼を含めてこれらの湿地帯は江戸時代から開墾が積極的に行われたようで、何々新田という地名が多く残っている。
しかし、開墾され田畑になっている平地は農道が縦横に直線で作られ、地図で見ると当然だが、意図的に作られた様が見え過ぎで、サイクリングコースとしてはいささか興ざめである。
自転車で走りたくなるような道はくねくねと曲がった自然発生的に道に成っていったんだろうと思われる道である。
大昔から人が歩きやすい所を歩いたため、付けられていった足跡の名残が残る道である。
どう見ても造成されて出来たのでは無いと感じられる道である。
狙い目は、台地と平地が接する所に付けられた道である。
これらの道は先ずは地図上で探す事に成る。橋の上
そんな古くから使われていた道を探すもう一つの手段として、お寺や神社の存在である。
人が通る道が無くてそれらが存在するはずもなく、ましてや、生活ともっともっと関わりを持っていた、お寺や神社と古い道は切っても切れない縁があるはずである。

勿論今回のサイクリングは自宅から出発した。
一週間に一度の部屋の掃除を終え、12時少し過ぎた遅い時間にスタートした。
海抜20mぐらいの自宅から先ずは手賀沼のレベルへ一気に下る。
この坂はコースの最後では心臓破りの坂に成る坂であるので、本来はそう気楽には下れないのである。
下った所は台地沿いの古くからの道であるが、その向こうの手賀沼側は若松という大きな街になっている。旧橋
そこにはケーズデンキ、ユニクロ、マツキヨ、カスミストアー、京北ストアー、夢庵、ココス、その他蕎麦や、イタリアン、ラーメン屋などがあり、我孫子市の中でも一大ショッピングストリートに成っている。
引っ越してきた時には、自然そのままであったため、至って不便な所であったが、自然がほとんど全て消えてしまった現在は、皮肉にも至って便利な場所に大変身をしてしまった。
何しろ「卵が足らないわ・・・」というと、明治からの別荘地であり、現在は市に寄進された庭を通り、その当時から使われていた大谷石のすり減った階段を下りると、直ぐに京北ストアーとカスミストアーに行く事が出来るのだ。古い道
但し、暗くなってしまってからだと、外灯も無いのでヘッドランプを持って山道を行く感じである。ここの別荘跡だけはまだ十分に古の我孫子の面影を残している。

今はこんなに成ってしまった若松も、私が引っ越してきた昭和39年(1964年)は、手賀沼の浚渫による工事により出た砂により埋め立てが行われていた。
台地の端にある子の神神社の松林から見る、夕日の沈む手賀沼は本当に美しかった。
当時もしデジタルカメラがあったら、どれほど写真を撮った事だろう。しかし、今はその面影は全く残っていない。社
残念としか言いようがないが、まさに自然より便利を取ったなれの果てなのであろう。
スタートし急な坂道を降りた所で話が横にそれてしまったが、手賀大橋の下をくぐり、手賀沼公園まで続いている手賀遊歩道を左に曲がり手賀沼に沿って先ず走る。
遊歩道は利根川とつながっている手賀川の入り口までである。
この遊歩道は自転車専用の道ではないので歩行者優先でゆっくり走らねばならない。
但し、時間と景色の関係をもう少しきちんと考えておけば良かったと、帰り道で気が付いた。
帰りは同じ道を避けるために手賀沼の南岸を何の気なしに選んだのだが、走って見て水面に映る夕日をうまく写す事が出来なかったのだ。
どんな旅でも景色の見え方は、そのたびの印象を左右する大きなポイントである。
写真を撮るとなると、特に太陽から来る光の方向は大切であるのだが、その基本をついうっかり忘れてしまったのだ。
今回のサイクリングのコースは地図を見ていただきたいが、45Kmばかりの適当な距離の良いコースだったと思う。夕焼け
古くから有ったのだろうと思われるリズムを持って右に左に振れながら延びている道は、周囲に民家が点在し、穏やかな田園風景が広がっていた。
長楽寺の手前の斜面には木下化石帯と思われる貝の地層も見ることができた。
小林牧場で一休みしてからの帰り道はGPSが大いに活躍した。
帰りのコースを特別決めていなかったので、GPSを見ながら幹線道路を避けて道を選んだ。
真っ赤な夕焼けに向かって手賀沼の南岸を走り、最初に下りた心臓破りの急坂をハァーハァーしながら、前42枚と後26枚で二人とも登り切り、今回のサイクリングを終えた。




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