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マスコミの原発を取り上げる頻度が下がってきた。
セシウムからの放射線が当たり前になってしまったこの国では、問題意識ももうそろそろおぼろげになってしまい、取り上げても、余り注目度を得られなく成りつつあるからなのだろうか・・・
黄葉
まあ、超熱しやすく、超冷えやすいこの国の超低熱容量民族社会(太陽エネルギーを利用する社会には馴染めないのかも知れない?)だからしょうがないのかも知れないが、100年先に化石燃料や原発の社会が成り立っていないだろう事を考えると、一刻も早く新しい社会の方向に舵を切る必要があると思う。
経済界が好きな、他国に遅れを取らない為にも急がねばならない。
とは言っても、もう既に産業革命を成したヨーロッパの幾つかの国は、最後の産業革命の栄誉も自分達が手にしようと動き始めている。裏を返せば、結果として当面の経済競争を有利に展開しようという目論見も見え隠れするような気もするが、いずれにせよ、化石燃料とウラン(勿論プルトニュームも含む)から手を引く事は時代の必然であろう。

先ず、提案したい。原子力発電(原発)という抽象的で曖昧な言い方をせず、どなたかはもう使われているかも知れないが「核分裂力熱発電」としたい。
「原子力」とは「原子の力」という曖昧な意味である。
しかし、実際は「原子の力」という曖昧なことが膨大な放射能と核廃棄物と熱エネルギーを出すわけではなく、原子を形成している核が分裂した時に強毒性の膨大な放射能と核廃棄物と熱エネルギーが放出されるのである。
それ故、原発は「核分裂力熱発電」と言うべきでであり、原爆は「核分裂力熱爆弾」と言うべきではなかろうか。
この方が、より現実に即した感覚的にも解りやすい表現に成ると思うので、今後はこの言葉を使うことにする(ちょっとめんどくさいが・・・)。紅葉の林

核分裂力熱発電とは文字が表す如く、核分裂の力により発生した熱を使って水蒸気を作り、タービンに送り込んで発電機を回すシステムである(勿論、大量の放射線を出し続ける核分裂廃棄物が発生する)。
太陽電池のように太陽光エネルギーを直接電気に変える斬新でシンプルな構造でなく、分類的には所謂単なる火力発電所である。
単に湯を沸かす為の湯沸かし器に過ぎない。
薪や石炭や石油ボイラーでなくて大げさにも核分裂により発生する熱エネルギーを使っているのである。
この大げささだけを見ても、万人から見れば核分裂力熱発電は非常識である。

人類は熱エネルギーと共に文明を築き上げてきた歴史を持っている。
人類は火を利用することを憶えて、初めて人類の道を歩み始めることが出来たのだろう。
正に火という熱エネルギーをコントロールする技術を手に入れたことによって、人類になり得たのだろう。
(薪を燃やす火が暴走してもその内消えてしまい、それでオシマイになるが、核分裂が一旦暴走すると人間の手には負えないばかりか、至って長期間の置いて壊滅的な被害をもたらすことが現在証明されつつある)
そして、その火を移動させる為に、絶やさない為に、土器を発明したり、屋根を作り出したのだろう(屋根のない草原で雨に濡れることを平気で生活をしていた祖先が、わざわざ屋根のある家を持ったのは、単に濡れるのがやだからではなく、火の保持も重要な一つの理由であったのではないだろうかと考えている)。
その屋根の下で、何十万年も木を燃やして火を作り、暖を取り、明かりや煮炊きに使ってきた。
金属を溶かし武器や道具を作ることを知ると、文明も急速に進化させたが、同時に森の伐採量も増え、森をどんどん消滅させていった。
そんな中で、それまで作り上げてきた技術と相まって産業革命が行われた。黄葉3
産業革命とは森林が無くなりつつある為に石炭を使わざるを得ない事が重なり、急速に社会が変化したのだろう。
つまり、石炭を燃やす事により取り出せる大量の熱エネルギーを利用する社会へ移行したのだろう。
それが、約300年前のことである。
木材を燃料として火を使い始めてから50万年ほどという説があるが、それを考えると300年前の出来事とはつい最近の出来事なのである。因みに、50万年を1メートルとすると300年は0.6ミリである。人類の歴史の中で大規模に熱エネルギーを使い始めたのはつい最近の出来事であることがこれでも分かる。
石油が採掘され始めてから約100年前、核分裂が発見されてから70年、「核分裂力熱発電」が開発されてから60年ばかりである。
そして、スリーマイルと核分裂力熱発電事故が32年前、チェルノブイリ核分裂力熱発電事故が25年前である。
そして、8ヶ月前に福島第一核分裂力熱発電所が大事故を起こし、いまだに放射性物質は日本中に飛び散りつつある。黄葉2
石油時代に移行しては0.2ミリ、核分裂力熱発電が実用化してからは0.1ミリほどである。人類史上本の最近の出来事にしか過ぎない。0.1ミリぐらい後戻りすることは至って些細なことではなかろうか。
しかし、忘れてはいけないのは、私達はそれらのエネルギーで生きているのではない。
膨大な太陽エネルギーの庇護の元で、つまり太陽エネルギーの手のひらの中で生かされているのである。
我々は太陽エネルギーの中でちょろちょろと化石や核分裂からの熱エネルギーを焚いているに過ぎないのだ。
現在、そのことを改めて見直す必要がある。

私達はエネルギー無しには一日たりとも社会を運営することは出来ない。
しかし、私達人類は太陽エネルギーのベースの中で将来を見据えて意図的にエネルギーを選択してきた経験はない。
木が燃えると熱エネルギーが得られることは、偶然見つけたに過ぎず、その時点で使い続けたら将来どうなるかなど当然考えるわけがない。
出たとこ勝負の成り行き任せなのである。
石炭もしかり、石油のしかり、勿論核分裂もしかりである。
(人間とは将来の結果より、今の儲けを優先する本能を持っている生物である)
核分裂力熱発電所の事故はスリーマイルとチェルノブイリと福島だけではない。
その陰に、人智が及ばず発生した事故は数知れないのだろう。
それがたまたま大事故にならないように見えるに過ぎず、予測不可能で発生した事には変わらない。
脆性破壊や照射脆化など危険性を本当に人智が及んで解明されているとはとても思えない。
そんな危険を冒してまで何故生活を維持する必要が有るのか。
たかが熱エネルギーを取り出すことでしかない。切り株と葉
地球は四六時中、これから50億年もの間太陽熱エネルギーに曝されている。
危険を冒して核分裂をいじくっているよりも、全くメンテナンスフリーの太陽熱源を利用することを考える方が至って常識的ではないだろうか。
核分裂力熱発電所のシステムに比べて太陽電池は何とシンプルな事か。
たかが電気である。何で危険を冒してあんなに複雑なシステムを組まなければならないのか、一般の感覚としては正に非常識の何物でもないと思う。
太陽電池は膨大な量は必要だし、世界中の電気エネルギーネットワークは必須だが、太陽電池の様に、誰でもが関わることが出来るエネルギーシステムの方が、誰にでも分かりやすく、これもまた至って常識的なのではないだろうか。
単純に、熱源として「核分裂炉」と「太陽」を目の前に置き、どっちを選択しますかと言った時、大部分の人は当然「太陽」を選ぶだろう。
また、「核分裂力熱発電所」と「太陽電池」を目の前に置き、どっちを選択しますかと言った時、そのシステムの余りにも大きな違いに、大部分の人は当然「太陽電池」を選ぶだろう。
それが大部分の人の理解できる範囲であり、常識的な感覚であるからだ。
学校教育に於いて、もしエネルギーを得る為の客観的な授業をしていたなら、多くの優秀な子供達が太陽エネルギー社会を目指して社会に羽ばたいていったことだろう。枯れ葉
人類が使うエネルギーに専門家でなければ理解できないようなシステムは必要無い。
万人が理解し、納得できるシステムに変えようという思想が必要である。
今私達が今すべき事は、たった0.6ミリの中でも0.1ミリの価値観に依存するのではなく、それまで人類が太陽の恵みにより営々と生きて来られた999.4ミリの歴史を受け継ぎ、改めて進化させようとする意志を改めて持つことではないだろうか。
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