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赤*
カメラを見るとその進化をつくづく感じることが出来る。勿論、自分はその技術の進化に何も関与できたわけではなく、新しく出たのもを買うのみである。写真がうまくなることに特別努力もしていないが、実は少しずつうまくなっているのではないかと内心感じている。しかしこれは残念ながら自分のレベルが上がったというよりも交換レンズの性能が大きく物を言っていると思っている。どうだんつつじ*勿論、失敗しないようにボディーがどんどん進化していることもある。ピントのことを考えなくとも良いし、しっかり構えなくとも手ぶれなく撮れるし、遠くからも人の表情は撮れるし・・・・要は人間の力ではなく道具の選び方のような気がしている。
今やカメラは何も知らなくても、シャッターボタンの位置さえ分かっていれば、何とか写真は撮れてしまう。こういう商品現象をどのように理解したらよいのだろうか。
写真がきちんと撮れるように絞り値もシャッター速度も考えないでカメラ自身がそれをやってくれちゃうわけで、それが今当たり前だけれど本当にそれで良いのだろうかと考えさせられてしまう。
現代の商品文明は、弘法筆を選ばずではなく、筆の選び方によって自分の能力が至って表面的ではあるが、あたかも進化したような錯覚を与えてくれる。赤黄色*
以前インプレッサに乗った時、それまでよりも自分の運転が上手くなったんではないかと感じたのを今でも良く覚えている。
現代人というのはほんの一握りの研究者や技術者の努力によって商品化された物を購入して使っているに過ぎない。その上、それらの商品は人がますます努力をしないでも済むように、使用者には関係なく相変わらずどんどん進化しているのである。
携帯電話という商品は特に典型的な例である。それは人類を突然魔法使いのように、どんなに離れていても、何処にいても、誰とでもすぐに自由に話せるようにしてしまった。正に大部分の人類にとっては単なる見掛上に過ぎないのだが、努力なしで棚ぼた的に得られた機能である。すごい能力が突然降って湧いたようものである。携帯電話という筆を選んだ人間と、声を張り上げて人に情報を伝えようとする人間の見た目の能力差は月とすっぽんどころではない。つた*車やオートバイもそうだ。現在誰でも乗って居るわけだから、どんな車でもオートバイでも動かすのに特別な技術や能力は何もいらない。特別な能力など無くても誰でも遠くへ行けるし、速く走ることが出来る。誰でも乗れて沢山売れればよいようにメーカーは作っているんだから当然である。大部分の人間はただ買って乗らされているに過ぎない。人はただ金を出す「物」に過ぎなくなってしまったようにも見える。万人が使える商品群の中から単にチョイスする事だけが、あたかも生き甲斐であるかのように、あたかも自分だけの個性であるかのように錯覚させられているようにも思える。
しかし、このような商品が何も無い時代、全て自分が工夫して作り出し、生きて行かねばならなかった時代の人々に比べ、私たちは人間としてどんな進化をしてるのだろうか。何時も考えてしまう。社会のあり方は確かに恐ろしく進化しているように見えるが、その社会を構成している人間は一体全体どんな進化をしたというのだろうか。どう考えても生き抜くための人間力は退化しているのではないかと思えてならない。技術の進化と人間の獲得する能力には反比例の関係があるように見える。つまり技術は進化し人間は劣化するという事だとしたら・・・それを考えると何とも複雑な気持ちになってしまう。



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