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0106

この正月中に多くの温暖化に対する番組が放映された。このようにテレビ番組が増えたことは至って好ましいことだと思う。しかし、どの番組も息を呑み絶句するような内容であるにもかかわらず、最後に付け加えられている「まだ間に合う」という言葉が反って絶望感を誇張しているようだった。特に北極海の氷の激減はもう既に回復できる臨界点を通過してしまったことを強く示唆しているのではないかとさえ思えた。又どの番組も、人間が人類に進化した昔よりその本質が何も変わらず、だから現代文明を獲得できたのだが、その変わらない飽くなき欲望性と怠惰性の総決算として温暖化を招いたことを暗示していたよだった。水*
特に環境考古学(だったと思うが)という視点から見たローマ帝国を始め多くの国の衰退の歴史は、自然からの際限のないエネルギーの収奪、つまり制御の利かない森林伐採が招いたものだということにかなり納得させられた。人間が他の動物と違い、人間たらんとするところの最大の特徴はエネルギーを使えることである。エネルギーが無ければ生活が成り立たないことである。火を使える唯一の動物が人間であることは周知の事実である。だとすれば類人猿から人間に進化した時点で、既に温暖化に曝される運命は決まっていたのではなかったんだろうか。木*この地球が46億年掛けて到達した、この巨大なバランスシステム、それを支えている巨大な熱容量に変化が現れたことは、その測定値が如何に微少でもそこに隠れている変化の莫大な「総量」は想像を絶する値なのである。人間はいつでも「変化」には気づいても、その変化を引き起こした「総量」を五感で感じることはできない。何故なら「総量」は科学的測定によって得られたデーターの変化量に基づき「想像力」を働かせることでしか理解できないからだ。
今年も何人もの人に「良いお年を・・・」と言った。何人もの人に「良い年でありますように・・・」と書いた。勿論そうあって欲しいという願いを込めてであるが、今まで感じなかった何とも言えない空しさを感じてしまった。身の回りで生活に不都合になるような変化が起きなければ、もしかしたら良い年と感じる一年を過ごすことが出来るかも知れないが、感じられないところで一時も止まることなく進行している環境変化という冷酷な現実があると思うと、「良いお年を・・・」と言ったことが単なる上辺だけの決まり文句に過ぎなかったような気がした。
見て見ぬ振り、知って知らぬ振りは今年は通用しそうもないと思うし、正月ぐらいは嫌なことは忘れて・・・などと悠長なことは言っていられないと思う。
また、毎年各地で行われている、新しい一年の五穀豊穣と無病息災を願う神事も温暖化の現実にかき消されてゆくように思えた正月であった。
一年の計は元旦にあり、温暖化ストップの実行を更に進めて行きたいと思う。



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