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自立循環型住宅研究会フォーラムでせっかく美濃まで来たので、もう少し仕事に関してうだつが上がるようにと、江戸時代のうだつを持った家並み見に行った。伝統的建造物群保存地区だけあり、電柱も電線も無くすっきりした街並みであった。
美濃橋しかし、しかしである、ここでもこの国ではよく見かける光景に出会うことになった。
江戸時代の街並みの中に、誰が見ても江戸の職人に負けている現代のデザインされた建物が建っているのである。
家という物は個人が金を出して建てる個人の物であるが、それは社会の中に造られる以上明らかに社会的存在でもあるはずだ。社会的存在であることの一つに調和ということが有ると思うのだが、そういう家はどう考えても調和に対する感覚がゼロで建てられた様にしか見えないのだ。
一方、最近建てられたと思われる家でも、非常に良く周りとの調和が取れている物も有る。そんな建物を見ると、それを依頼した人、それを設計した人の人間性とレベルの高さが感じられ、とても心地よい気持ちにさせられる。社会性の感じられない調和感覚ゼロの家を見ていると、周りの全てをぶち壊してしまうようで何とも悲しい気持ちになってしまう。
「自由」と「自分勝手」とは全く違うものと思うのだが、自由を自分の手でつかみ取った経験のない事が原因なのか、相変わらず自由と自分勝手さとの区別が付かないで居るように感じてしまう。
家410うだつの家並みの中程から東寄りにある旧今井家を見学させてもらった。18世紀末の建てられたらしい。
襖でしか仕切ることのできない畳の部屋は最も日本らしい空間で、何時でも落ち着いた気持ちにさせてくれる。今日のデザインされた家に比べればただ暗い部屋ということになってしまうのだろうが、何枚かの開けられた襖を通して見える庭の景色は、単なる明るさだけでは表現できない心の豊かさを感じることが出来る。中庭には水琴窟があり、耳を澄ますと反射し共鳴した「ピィィン・・・」という不思議な音が聞こえてきた。
襖程度で仕切ってある和室では、確かに今風のプライベートを保つことは出来ない。
しかし、子供達が育ってゆく過程でそんな今風プライベートの確保が本当にどこまで価値があるのだろうかと考えてしまう。ドアを閉めてしまえば自分が好き勝手に出来る空間でどれだけプラスが生まれるのだろうか。菜の花410そんな部屋が自由と自分勝手の区別が付けられないゲーム人間を生み出す土壌を育んでいるんじゃないだろうか。
和室は襖で仕切られた空間であるため、お互いに気を使い、相手のことを思いやらねば生活が成り立たないことが起こる。
しかし、そんな環境が人間性を育んでいくのではないだろうか。
襖のために時には他人のことを考えて我慢しなければならない事もあるかも知れない。だからこそ考え、工夫をすることを多く学ぶことが出来たのではないだろうか。それらが社会へ出てからの人間関係を上手くやっていく基礎力を身に付けさせてくれたのではないだろうか。
そういう環境の中での訓練が豊かな人間関係、豊かな家族関係を作り出してくれるのではないだろうか。和室「火」を「便利」という御旗の元に何も考えず切り捨て大きな心の財産を失ってしまったように、和室が本来持っていた隠れた機能までも、それを現代に生かすこともなく切り捨ててしまったのかも知れない、と思うのは私だけなのだろうか。
勿論個室を持つことが全て悪いことではないと思うが、個室を持たせることが人間性を育てる上で大切だという「常識」は本当に正しいのだろうか。
石油を沢山使うことが進化であり、便利であり、幸せであるという常識が、今や石油は出来るだけ使わないということが常識に成りつつある。
常識とはその時代を肯定するための都合の良い考えに過ぎない。
温暖化に立ち向かうためには、今まで自分に育まれてきた常識を全てリセットするぐらいの覚悟が必要だろう。

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