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先回、「ゼロエミッションハウス」の事を書いたが、我々が言っているゼロハウスはその考え方に於いて、サミット用のゼロハウスとは、勿論イコールではない。黄色岩

同じゼロだから結果は一緒だが、簡単にゼロだから良いと言ってしまうのはやはり違うだろう。
既にCO2のバランスが崩れた地球環境に対しては、全ての面に於いてCO2をゼロにしなければならないはずだ。
その中で建築関係の仕事をしている我々が出来ることは、せめて住まいからのCO2排出をゼロにする為に努力することである。
つまり、社会全体がCO2ゼロに向かって努力している中の一つである、ということだ。
「革命」を広辞苑で引いてみると「天命を受けた有徳者が暴君に変わって天子となること」と有る。明鏡国語辞典には「被支配階級が支配階級を倒して国家権力を奪い取り、政治・経済などの社会構造を根本的に変革すること」「物事が社会生活に重大な影響をもたらすほど急激に発展・変革すること」と書かれている。レンガ橋630
CO2ゼロ住宅などと軽々しく言うが、これは文明の革命のことなのである。
それだけの覚悟を持って対応する問題だと思う。
今まではCO2をどんどん出すことが富の象徴であり、成功者の証であり、先進国としての自慢であったはずだ。それが突然「CO2を出すことを抑制しよう」という全く逆のことになって来たのだ。
広辞苑的に言えば、「CO2は出さないで行こうという有徳者が、CO2を大量に排出していた暴君を粛正しようとしている」と言うことであろう。
いくらCO2ゼロとはいえ設備過剰な家だけを「ゼロエミッションハウス」と称して大々的に誇示するのは、やはり大いに問題である。
先回のブログで切磋琢磨すれば良いのではないかと行ったが、よく考えてみるとやはりちょっと違うと思う。設備で埋め尽くすやり方は、全てをやり尽くした最後の手段でしかないと思う。先ずは、風土、つまり太陽の光と熱エネルギーと風の利用を考えるのが先決だ。
設備過剰のゼロハウスは、大した検討もしないでより安易な方法に飛びついたに過ぎないのではないだろうか。
そんな物だけが、あたかもCO2ゼロハウスの代表のように思われては社会にとってマイナスに成りかねない。
設備過剰のゼロハウスを作り上げることは、相変わらず単に企業経済のみを優先して考えているからなのではないだろうか。
「我が国はこんな優れた工業製品が沢山ありますよ。これらを沢山使えばCO2ゼロは簡単に達成できますよ。だから買ってください」と言うために作ったのではないのだろうか。
そこに環境を思いやる、つまり人類を含めた生命を思いやる気持ちなんか入っているんだろうか、と勘ぐりたくなってしまう。
しかし、何故CO2ゼロの家が必要なのか。
おかしいじゃないか。水口
家以外にゼロにしようといっている議論など何処にも無いのに、何故家だけゼロなんだろうか。家は単に目に付きやすく、やりやすいからなのか。それとも本当はもう全てに於いてCO2はゼロにしなければいけないことは分かっているが、それらから目を外すために、やりやすそうな住宅でお茶を濁そうと言うだけなのか。それとも単にサミット用のポーズに過ぎないのか。
CO2をゼロにしょうと言うことは大革命である。それも暴力でない大革命である。これは人類始まって以来のことではないだろうか。その為、短時間で一瞬にひっくり返すわけにはいかないだろう。かなり時間を要することであろうが、環境の激変は待ってくれない。しかし何とか間に合わせなければならない。
一人一人が仕事という持ち場の中で、生活という持ち場の中で本気で努力しさえすれば、革命は簡単に手に入れることが出来ると思うのだが・・・・

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