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また8月15日が来た。64才である私はいわゆる戦争体験者ではない(昭和19年の戦中生まれ)が何時でも考えさせられる日である。8月12日の新聞に東条英機が1945年8月10日から14日に掛けて書いた直筆メモが載った。栗のみ816

感想は、この場に及んでもいまだにこんな事しか考えられなかったのか、こんなセンスだったのか、これが当時のエリートなのか、こんな感覚に一人一人の国民の命、人生を託したのか、と改めてゾッとした。
全てとは言わないが、当時の軍部は大部分はこんな心境だったのだろう。
そうでなければ、東京無差別絨毯爆撃も、沖縄戦も、ましてや広島・長崎の原爆攻撃も避け得たはずだ。
「・・・・一段安きに考えたる国民・・・・」とは、自分がこの国の経営に大失敗したことは明白なのに、この時点でもそのことに気が付かず、エリートのつもりで居るとは、開いた口がふさがらない、とはこのことである。300万人以上の自国民を死に至らしめ、その何倍ものアジアの人達の命を失わせたにも関わらず、いまだに自己中心的だったことが改めて分かった。
こんな現状認識と未来予測しかできないお粗末な経営者に命を託すと、所詮こんな事にしか成らないのだろう、ということを改めて考えさせられた。緑紅葉2
人の批判をすることはいとも簡単なことであるが、やはりここで超弱小企業経営者としても、現状認識と未来予測はどうなのかを再確認してみたい。
どんな小さな会社でも、現状認識と未来予測が間違っていれば、たちどころに社会的存在価値を失うのは当然である。
特に未来見る目が正常でないと今の時代生きては行けないだろう。
床暖房に於いて、過去から現在、現在から未来を見てみる。
床暖房の歴史はローマ時代からと言われている。しかし、今の床暖房の大部分は、2000年前の大きな熱容量を持つ石の床を温めた床暖房より、体感性能は圧倒的に劣っていると思う。
現在の床暖房の大部分は、単に床を温めれば良いだろうと言うだけで開発された物ばかりである。その為、銅管だ、電線だ、架橋ポリだ、面寿発熱体だ・・・・と何でもありな状況である。これは、単に床暖房各社が売りたい材料を使って、床材の裏面に接触させる構造を取ったためである。
その為、床暖房とは、方法と構造は兎も角、床さえ暖まれば良い、ということだけが常識になってしまい、選択の視点もイニシャルコストとエネルギーの好みだけによって決まってしまうことになった。
残念ながら、これが現在も続いている。要するに安ければ何でも良いというセンスしか持ち合わせるしかない状況にさせられてしまっている。
今の日本でこれはしょうがないことなのだろう。既に何度か使用した経験が有れば、選択する芽も育ってゆくのだろうが、生活で一度も体験したことがないと、その体感的性能差までなど、一般的には想像力が及ばないのだろう。
生きるための質を求め気持ちとを持ち、想像力の豊かな人でない限り、今まで無い性能が書いてあることなど一般的には気が付かないだろう。
現在は、お陰様で某社の膨大なテレビコマーシャルにより、床暖房という言葉は日本中に普及しているため、床暖房の体験者も急速に増えている。
緑紅葉その為、温熱性能を意識する人も増えることになったことにより、次の新築では床暖房はもういらないという人も増えることになった。
ほとんどの床暖房は、こもり熱を排除する機能がないため、お尻のや足の裏がの温度が上がり過ぎて、それを不快に感じる人達が増えたためである。
アクアレイヤーを扱っているとそういう人達に巡り会うことが増えてきたので良く分かる。
つまり現在は、体感性能を床暖房の選択条件のすることなど及びも付かず、床暖房と名が付き、単に安ければ何でも良い大部分の人達と、一度床暖房を体験しているため、体感性能で選択しなければ駄目だと考えるごく少数の人達が混在している時代である。
現在は同時に、エネルギー源やCO2排出量を選択基準の一つに考える人と、考えない人の混在している過渡的な時代でもある。
また、単に床を温めるだけなのに、理想的な暖房は床暖房だなどという誇張した言い方から、つまり床暖房を入れさえすればどんな家でも必ず快適に成る様な言い方から、快適な家の温熱環境という考え方に変化してきている時代である。
夕雲816室内温熱環境の安定化と快適化、と同時に省エネ化の為には高気密高断熱化だけでなく、それに加えて高蓄熱容量化が無ければ成り立たないことが理解され始めてきた時代でもある。
これからの時代は、家の快適な暖房=単なる床暖房、という単純な図式で床暖房を選択すればよいのではなく、CO2を極力出さず、同時に快適であることを追求することである。
省エネの究極は勿論、太陽エネルギーのみによる生活である。その為、集熱と蓄熱性能(高熱容量化)を持たせることが住まいのための絶対条件に成るだろう。
深夜電力を使うにしても、太陽エネルギーを使うにしても、いずれも熱を溜め込まねばならず、いずれにしても蓄熱性能が求められることになる。
勿論、深夜電力にしても太陽エネルギーにしても、それらのエネルギー使用量をできるだけ少なくするために、熱を逃がさない配慮はますます重要になり、総合的な断熱化のことを検討することは、これからますます避けては通れない問題である。
太陽エネルギーだけで生活することは、今までの概念で言えば、超省エネ化ということであるが、今までの考え方の省エネの常識では通用しないだろう。
何故なら、自分が自分の土地の中で得られた分の太陽エネルギーは、どれだけ使おうと自由だからである。
また、太陽エネルギーを使うためには、蓄熱が絶対条件であることは既に書いたが、究極の蓄熱=熱容量は大地、つまり地球ということになる。
そうなれば人類は本当の意味で、大地の上にしっかりと根を張った生き方を獲得できるのだろう。
これがアクアレイヤーから見た現状分析と、未来予測であるが、少なくとも当時の軍部や国策を作っていたエリートと称される税金生活者やマスコミよりも、未来を見る目は曇っていないと思っているつもりだが・・・・
地球新秩序の為の最大の敵は、物事をきちんと見、想像する能力のない心である。

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