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先日、墓参りに孫を連れて電車で行った。
その中で、車社会になった為に行き着いた一つの光景に出会った。アケビ
電車の中にはかなり立っている人が居たが、そこで見た家族は、そんなことはお構いなしの様子だった。
8人席のほとんどをジジババとパパママと小学生ぐらいの二人の子供達の6人で占拠していた。子供達はパパママの間と、ジジババの間に寝そべっていた。
降りしなにそれを見たのだが、何とも場違いな異様な感じを受けた。
これじゃまるで自分の車の中で取っている姿と同じゃないかと感じた。
ジジババは若いパパママや孫に注意できないのか、それとも車に乗り浸ってしまったため、公共の場と自分の車の中と区別がつかなくなってしまったのか、幸せそうにただにこにこ顔をしているだけだった。
車を持つことは、単に持ち物の一つとして車が増えたという単純なことでない。
もうそろそろ、そのことを肝に銘じるべきではないかと思う。
車は一端ドアを閉めてしまうと、その中は治外法権、租界地に成ってしまう。
車というのは、まあ言ってみればやりたい放題が可能な空間を提供してくれる物である。
そんな中で、生まれた時から育てられると、どう足を組もうが、寝っ転がろうが、大声で騒ごうが・・・・自由であるし、車の中にいる以上は誰にも迷惑は掛けないし、誰も注意はしてくれない、ということが当然になってしまう。
その為、それが当たり前になり、どんな所へも、それを平気で持ち出してしまうようになったのが現代ではなかろうか。
車はある意味で公共に接する機会を著しく少なくなってしまう道具ではないのだろうか。
今回目にした光景はそんな車社会の中で生まれてきた当然の結果なのだと思う。
若い女性が場所をわきまえず、電車の中で平気な顔をして化粧をしている光景も、何かしら車社会いと関係があるのかも知れない。
公共の場であるにも関わらず自分のことしか考えない今の風潮は、もしかしたら、これも車生活の存在と切り離して考える事は出来ないのかも知れない。
虫と紫
車はちょっと気を抜くと人を殺してしまうし、死にたくなくても自殺させられたり、二度と歩けないようにさせたり、させられる恐ろしい凶機であることは間違いない。
しかし、更に恐ろしいことは、社会のモラルとマナーの破壊なのではないだろうか。
それと同時に車は、利用すればするほど筋力が低下し、車を使わない時の自主的な行動の自由を制限してしまう道具なのではないだろうか。
これは一人一人の問題であるが、社会全体の筋力が低下するという、社会保障にも大いに関係する問題なのだと思う。
車というのは、見方を変えると老化を促進する機械であるとも言えるだろう。
筋力が低下すればするほど更に車を使いたくなる。すると更に筋力が低下する、という正に悪循環に陥る。
「今」を楽するために積極的に将来の老化を促すのが車だと言う見方もできる。

今日も昼の弁当を高級車で買いに来る何組もの老夫婦を見た。車から降りて歩いているところを見るとまだ歩けるらしい。
そんな光景を見ていると、何で高級車を使って寝たきりに成ることを急いでいるのかと思ってしまう。
しかし、もし私に車の運転が好きかと聞かれれば、好きだと答えざるを得ないほど魅力的な道具ではあることは間違いない。
今さら完全に車を生活の中から切り離すことはできないだろう。
だからこそ、その功罪をきちんと分別して使用しなければならない。
特に老後の豊かさは高級車を持つことで得られるわけではない。
もうそろそろ車を主役の舞台から下ろしても良いのではないだろうか。
そうすると新たに色々な物が見えてくると思う。



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