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日本太陽エネルギー学会は1975年に発足した。今から33年前になる。ススキと黄色
発足したことの記事だったか、日豪合同シンポジウム開催の記事だったか覚えていないが、太陽エネルギー学会が有ることを新聞で知り、早速入会したのだろう。
その為、1975 VOL.1 NO 2学会誌を持っている。1975年は二つ目の会社であるマミヤ光機の開発部にいた時である。表紙
当時、マミヤ光機は脱カメラを謀るべく、開発部長以下全員を外部から集めた組織だった。部屋はカメラ部門とは分離され、茗荷谷に置かれていた。
開発テーマはカメラ以外の多くの物に置かれ、意気揚々と仕事をしていたのを覚えている。そんな環境の中で太陽エネルギー学会の記事に接し、これからの新しいテーマだと思って入会したのだろう。
個人で入会しているところを見ると、よほど思い入れがあったのだろうが、その時の心境は覚えていない。
そんな訳で学会誌の第2号から現在に至るまでほぼ全巻を所有している。

学会誌を開いてみると、先ず、1975年に開催された国際太陽エネルギー学会、国際会議に展示されたソーラーシステムが載っている。
当時はまだ太陽熱エネルギーの時代であったため、展示品の多くは太陽熱コレクターであった。集熱器1021
太陽電池関係は一般化されておらず、何も展示されていなかったようである。
当時の太陽エネルギーを用いた発電といえば太陽熱発電が主流であった。
その他、太陽熱を利用したヒートポンプ、屋根パネル兼用コレクター、選択吸収コーティングしたコレクター、フレネルレンズを用いたコレクター、小型風力発電機などの写真が載っている。
この国際会議は前前年はパリで行われ、今回はロスアンゼルスの夏に行われた。
参加国は30カ国、1800名、発表論文は280篇、その内、日本からは20名が参加し、17篇の論文が発表となっている。
当時は石油危機の後であり、各国とも太陽エネルギー開発に力が入っていたようである。
特にナショナルポリシーとして開発体制が確立されているのはアメリカとわが国とあり、現在の世界の状況とは違っていたようだ。

また、学会誌の中で菅沼英一氏が当時の太陽電池の状況について書いてあり興味深い。
アメリカでの太陽電池の年間生産量は宇宙用として50Kw、日本では灯台および無線中継用電源として、何と20Kw、生産額で10億円ほどとある。
日本の年間生産量は、現在一般化している家庭用太陽電池の7棟分にも満たなかった訳である。

金モクセイ太陽エネルギー学会へ入ったとはいえ、当時マミヤ光機で太陽エネルギーに関する開発はしなかった。
その後も太陽エネルギーに関わる仕事を選んだわけではなかったが、学会を退会することはなかった。今の時代が来ることの、何か勘が働いていたのだろう。
今から思うと、当時の太陽電池の値段(1Wが3万円ぐらい)を知っていたからこそ、94年の補助金制度発足時に太陽電池を取り付けようという意欲が湧いたのだろう。
今、自宅に設置してある太陽電池は5.4Kwであるから、当時の金額にすると1億6000万円ほどになる。随分安くなったものだ。

現在ある家の企画をしている。勿論ソーラーハウス化であり、新しい蓄熱方式である。
当然、出来るだけ現在のローテク技術で出来る物を考えている。
そんな訳で太陽エネルギー学会誌を読み直してみている。
改めて見直してみると、これが宝の山であることに改めて感じさせられた。
「継続は力なり」と成れば良いが・・・・



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