上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


経済の混乱のため温暖化対策に対する世界の足踏みが鈍ってきた。
特にヨーロッパに於いて、イタリアを筆頭にポーランド、ハンガリー、ルーマニアなどが温暖化対策反対に回っているようだ。
温暖化は本当に難しい問題だ。
温暖化は人類に人間が生きて行く本質を問いかけているようだ。
1210石段
人間は「個人」であると同時に人類という「種」である。
今、その「個人」と「種」のどちらが大切かを問われているように感じる。
つまり、家族とは何か、家族における愛とは何か、が改めて問われているのではないだろうか。
経済環境に恵まれた中で育まれた見かけだけの良い家族ごっこから、本当の家族のあり方が問われるのではないだろうか。
今まで「個人」と「種」というのは、それらを分離して考える必要がなかったんだろう。
正に人間の人間であるが為の問題が始まったのだと思う。
また温暖化問題は、今と未来を同時に考えなければならない事を提起したのとも言える。
今の自分と、未来に生きる子供や孫以降の事を考えなければならない、ということだ。つまり自分の今の生き方が、近い未来の自分の子供と孫の人生まで決めてしまうということに対して答えを出さなければ成らないのだ。
今までの自分の主義主張を見直さなければならない時代なんだろう。時として今までのレベルの自己主張だけでは自分勝手と捉えられてしまう時代なのかもしれない。
1210黄色大げさに言うと、今の自分を「犠牲」にして未来の人類に多少なりとも夢を与えなければならない時代なのかもしれない(だとしたら温暖化問題解決は不可能なんだろうか???)。
しかし、今の自分を「犠牲」にしてしまうという言葉を使うのはのは何とも寂しいく空しいことである。
「犠牲」と感じるのは、今までの価値観において作り上げられた感情であるから、この際、価値観を変えて「犠牲」と感じる心を変えるしかないだろう。
価値観というのはその時代が作り出した相対的な物に過ぎないからだ。
そうすることが温暖化問題を解決するために先ずしなければならない唯一のことなのだろう。
小手先の数値をいくら議論していても温暖化問題は決して解決しないと思う。
もしかしたら温暖化問題は、人類文明のすでに決められた避けることができない帰着点なのかもしれない。
身近な周りを見渡し、世の中を見渡して見ると、温暖化問題に対して果たして人間は対応できるのかなと思えてしまう。
1210干し柿相変わらず、ごく近くのスーパーへ車で買い物に来ているのを見ると何も変えられないように思えるのだ。
しかし、視点を変えると、我々は今まで遭遇したことのない矛盾した面白い時代に居るのだ。
人類文明の分かれ道を自分が参加しながら見られるという、二度と体験できない楽しい時代にいるのだ。
そんな時代だからこそ、自分に何ができるかチャレンジしてみるのは更に楽しさを与えてくれるだろう。
また、温暖化問題は、地球上の資源を子々孫々まで使わねばならないことを示唆しているのだろう。
温暖化問題は有限の化石資源を熱として使ってしまうのではなく、本当の使い方を問うているのかもしれない。
しかし、人間はこれからも温暖化問題の解決どころか、目先の欲望だけを満足させようと生きてゆくようにも見えてしまい、何となくお先真っ暗である。
もう少し子供の時代のこと、孫の時代のことを考えてみることは出来ないのだろうか・・・・

プロフィール

izena社長 前田誠一

Author:izena社長 前田誠一
FC2ブログへようこそ!

ブログ全記事表示

カテゴリー

リンク

人気BLOGランキング

ランキング人気 20070719115222.gif にほんブログ村 環境ブログへ

月別アーカイブ

FC2カウンター

ブログ内検索

RSSフィード

ブロとも申請フォーム


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。