上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


3月7日のブログ、良い家の建て方(4)の中で、居間の中に特別当てのない200角の檜の柱が三本と120角が二本有る(勿論構造的には無くてはならない物である)ことを書いたが、それが予想もしなかった結果を生んだことを書いてみたい。
5年前に孫と一緒に住むことになった。325レンギョウ
それまでは特別利用することもなく単なる建物を構成する柱に過ぎなかったが、孫と同居することになり、それらが想像もしなかった面で真価を発揮してくれることになった。
写真を見ていただければ分かるように、一つは、200角柱二本を使った室内のツリーハウスを作ったことである。
もう一つは、居間の対角線上になる120角柱と200角の間にロープウェーを作ったことである。
勿論、孫が私達の元に来なかったら、これらの物を作るなどということは一生考えなかっただろうし、思いも付かなかっただろう。
孫が来てくれたお陰で新しい想像力を駆り立ててくれたのだ。しかし、いくら孫が来てくれても想像して作り出す環境が整っていなければ、つまりむき出しの柱を作っておかなければ何も始まらなかったろう。
これらの柱は設計の時にここまで想像して作っておいた物ではない。設計時点には思いも付かなかったことである。325砦正面
現在はもう孫は同居していないが、同じ市内に住んでいるため、多い時には週に2~3回遊びに来る。その時は必ずツリーハウスに入り込んで遊んでいる。
1.8mの高さにあるツリーハウスは、孫にとっても想像力をかき立てる場なのだと思う。時には、座布団を何枚も持ち込んで立て掛け、砦にしてみたり、時には消防署になり、垂直の鉄パイプを滑って降りてきたり・・・・と、孫の頭の中では自由自在に何にでも変身できる空間なのだと思う。
このツリーハウスは、向かって左側に垂直な木の梯子があり、右側には縄ばしごが吊してある。他に、上る時、足の指が掛けられるようにしてあるロープと、消防士が出動する時に滑り降りるための鉄棒や、ブランコ兼吊り輪、ぶら下がる所が二本しかないウンテイ、外から立て掛ける梯子などが取り付けられている。又、滑り台の下端を持ち上げて水平にし、ツリーハウスから吊り下げてあるゴムに引っかけられる様にしてある。ここに乗ってビヨョ~ンと上下させている。孫にとっては何のつもりなのであろうか。
この様に遊ぶ目的を規定していない室内のツリーハウスは、孫にとっては自由に何にでも変身することが出来る絶好な発想の場であるのだ。325斜め
人生に於いて、ツリーハウスのような物を作る機会を与えられたことはすばらしいことだと思っている。しかし、これは新居を設計している時点では全く考えても見なかったことである。今流行のように、もし、この柱を壁で隠して部屋の間仕切りにしてしまったら、見た目は部屋が増えていたのであろうが、少なくとも、孫にこういう自由な遊び空間を与えることは出来なかっただろう。勿論、私にとっても、こういう物を想像する時間も、作り上げる機会も無かったことになる。
孫にとっても、思いも寄らぬ面白い空間を得られたのだと思う。
又、天井は半間ピッチの梁の間を漆喰で塗ってあるのだが、その梁に金具を付けて自転車6台を吊ってある。これなども後から思い付いたことである。
これらは単なる一例に過ぎないが、人間がやっていることである以上、これらを住まいの設計時に全て考えておくことなど全く不可能なことだろう。
住んでから初めて気がつくことに対して、いかに自由に対応できるかがこれからの住まいには必要なのではないだろうか。
想像できない未知に対して、その可能性を広げておく設計というものが必要なのではないだろうか。
完成という言葉に惑わされて、全ての面(壁床天井)を今流行の仕上げ材で仕上げてしまうのは、後から手が加える精神を封印してしまうことではなかろうか。
住んでから更に住みやすい空間に作り直して行ける事が最も大切なことではないだろうか。
日々刻々、時間の消費と共に人の精神が変化して行くのであれば、それと共にある住まいも変化し続けられる可能性を持った物でなければならないだろう。
単なるハードとしての建物から、住んで初めて気がついたことを実現できる自由さを持った住まい、どんどん血を通わせることが出来るような「住まい」がこれから必要だと思う。325自転車
人間は未来に起こりえることを想像しながら生きることは苦手である、というより出来ない。そういう能力をほとんど全く持っていない。それは現代の温暖化社会文明を見れば明白である。常に結果に対する対策しかできないのが人間である。その対策の結果も未来のことであれば、それすらも想像できないのが現在の状況である。
また、今、目の前の「楽をする」ことと、未来を「楽しくする」ことのどちらかを選ぶかとなると、人間は必ず前者を選ぶ。それが便利で怠惰な現代文明を作り上げたのだ。
家を作る時、現代は余りにも形に捕らわれ過ぎていないだろうか。
形が精神を育むのではなく、自由に行動できる空間が有ってこそ、豊かな精神が育つのではないだろうか。
少し大袈裟だが、居間でなく、食堂でなく、子供室でなく、寝室でなく・・・・無目的な空間こそが大人にとっても、子供にとっても規制に捕らわれず自由にものを考える精神を育んでくれるのではないだろうか。

プロフィール

izena社長 前田誠一

Author:izena社長 前田誠一
FC2ブログへようこそ!

ブログ全記事表示

カテゴリー

リンク

人気BLOGランキング

ランキング人気 20070719115222.gif にほんブログ村 環境ブログへ

月別アーカイブ

FC2カウンター

ブログ内検索

RSSフィード

ブロとも申請フォーム


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。