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ラベンダーこれからの良い家の条件として、社会の進歩に逆らっているようであるが住まいの中に生の「火」を取り入れるべきだと思う。勿論これは暖炉があって贅沢に見えるという見栄えのためではないし、単なる飾りのためなどというアホなことではない。「火」については、2007/10/31のブログで一度書いたことがある。
その中で「火」には五つの機能があり、それは1)暖かさ機能、2)明るさ機能、3)煮炊き機能、4)団らん機能、5)神事機能であると述べた。
これらはほとんど生活の全てと言って良い。
生活の全てを「火」が担っていたのである。つまり「火」というエネルギーが生活に絶対に必要であったということである。
現代文明になっても、生活の全てに形は変わってもエネルギーが必要なことは変わらない。
しかし、今はもう生の火は嫌われ者になっているようである。
ほとんどの人は「火」を今更生活の中に取り込もうとはしない。
本当にそれでよいのだろうか。本当に「火」は我々に必要無いのだろうか。
そんなことはないと思う。紫花
これからの良い家を考える上で、断熱や蓄熱や太陽電池などハードの面は勿論重要だが、それよりも大切なことは、住まいという箱の中で人がどう思考して行くのかということだと思う。
その思考に欠かせない物が、本当は「火」なんじゃないだろうか。
火なんか無くたって蛍光灯の下で思考しているよ、という反論は出るだろう。
勿論、思考そのものは別に火があろうと無かろうと出来るだろが、本当に思考の「質」も変わらないんだろうか。赤紫陽花
私達の大部分は生の火を見ながらほとんど生活したことがない。まして火を見ながら思考したことがない。炎が揺らぎ、陰が揺らぎ、明暗が揺らぐ環境の中で思考したことがないし、その中で家族と団らんを持ったことがない。
経験のないことは断言しようがないが、いろいろな知識からその必要性があるんじゃないだろうかと言うことは想像できる。
ガス灯が発明されたのは1792年であり、電球の発明は1879年にエジソンによって成された。
 完全に揺らがない光が生活の中に使われるようになって、高々、130年である。
人類が初めて火を使ったのは40~50万年前ぐらいだと言われている。それ以来、ずっと「揺らぐ火」と共に暮らしてきた。
人間はその歴史から見ると、ほんのつい最近まで「火」と共に暮らしてきたのである。それを考えると、そんな簡単に邪険に扱ってしまって良いのだろうか。
白蛍現代に於いての合理性の考え方からは火は無駄なのかもしれない。
しかし、住まいに於いて、高々130年ぐらいしか使われていない「揺らがない光」があたかも照明の基準であるかのごとく捉えて良いのだろうか。
そんなに人間と光の関係を考えて揺らがない光を選択しているのだろうか。
まあ、いずれにしても、これからの家は出来る限りエネルギー消費を押さえた上で、自前したエネルギーで生活できるように設計しなければならない。
言ってみれば、かなり物理的な性能を追求した合理性に基づいた箱に成らざるを得ない。
その味気なさの中に一見無駄である様な「火」は、家族の団らんに欠かせないのではないだろうか。
「火」を取り込めない理由ばっかり並べるのではなく、どうしたら取り込めるか少しは努力してみる価値はあると思う。



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