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「最後の食用魚を求めて・沈黙の海」を読んだ。
著者はスエーデン・ジャーナリスト、イザベラ・ロヴィーンである。
殆ど考えたこともない水産業の実態(スエーデンを主にした話であり、日本の実情とどう関係しているかは解らない)について少しは知ることが出来た。
魚資源が非常な早さで減少しつつあることが書かれている。つまり、魚が増える速さよりもそれを人間が捕ってしまう早さの方が上回っているということである。お店
そして人口が増え、最新装備の高速漁船が増えれば増えるほど、更に急速に取り尽くしてしまうんだろう。
これもまた人間の愚かさが書かれている本である。
魚たちは自然の営みの中で育まれている。その生み出される量については自然の摂理任せであり、ほんの一部の養殖を除いて人間は関与できない。
にも関わらず水産業として、あたかも自分たちが海から生産してるかのように捉えている、ということ知ったことが新鮮だった。
生産なんかしていないのだ。単に自然のシステムから収奪しているに過ぎないにもかかわらず・・・・
水産業の生産とは、自然界が生み出す本当の生産ではなく、取った量を生産量と勘違いしていたのだ。
その為、漁獲量が減ると舟を高速にして、より高性能の魚群探知機を装備し、今までは見つけられなかった遠くにいる魚も見つけ出し、一網打尽にしてしまうという方法が取られている。
自分達が生産している産業であるなら、より設備を合理化し生産量を上げるのは当然であるが、生産をしていない魚にもそれを当てはめているのである。朝焼け
その為、本来であれば自然の回復力を十分確かめてから、こんどは出来るだけ減らさないように捕まえる量をコントロールするというのが常識なのだが、何としてでも生産量(漁獲量)を増やそうという全く逆の方向になってしまうのである。随分変な話なのだが、それが変だとは思われず常識として行われているのである。
海は途方もなく大きく見える。しかし、海は地球表面に張り付いた薄い海水の生け簀に過ぎない。外から供給出来ず、自然に増えるだけに任せなければならない生け簀の中で、自然に増えるのを待ちきれず、我先にと出来るだけ捕ってしまうのである。
早晩居なくなってしまうと考えるのが当たり前だと思うのだが・・・・
海は地球上の生命を育んだ源である。非常に熱容量の大きい海は外界の変化に対して至って安定している。だから、海の中の魚を含めた生命システムは何十万年か、何百万年、それ以上前にとっくにあるバランスを完成させてしまっていたのだろう。
食物連鎖の最上段にいる人類が出現しても、つい最近までは一度に大量に取る技術を持ち合わせていなかった為に、海の中の魚を含めた自然システムを崩してしまうことはなかった。つまり、自然が作り上げたシステムが機能する誤差の範囲内の出来事だった。そんな悠久の時間の中で育まれてきた海の自然システムを、近年において人類は爆発的に収奪し始めたのだ。
その上、人間以外の生物、特に魚は生存できる温度範囲がかなり限られている。それに比べ人間は、知恵を得ることにより、火の使い方を憶え、着衣を開発することにより、地球上のあらゆる所で生きて行くことが出来るようになった。つまり、多少の気候変動など大したことではなという体質を既に持っているのである。
だから人間は温度変化に対して楽観的であり、鈍感で居られるのだろう。
温暖化により海水温度が上昇しつつある現在、それでなくとも魚の生存域がどんどん狭まっている事は想像できる。石
もう一つ魚を取り尽くしてしまう理由がある。それは「自分が取らなければ、誰かが取ってしまう」という恐怖心があることである。
特に近年、我先にと取りまくっているのが水産業ということに成っているんだろう(特に近隣諸国の動きがある)。
この自分がしなければ誰かが先にしてしまうという恐怖心は、人類が人類として動き始めた時から持っている厄介でもあり、人類文明が進化できた優れた特性でもある。
しかし、現在になるとこれは至って厄介な現象を作り出している。

ちょっと話は横に逸れるが、水上バイクなど、まさに買うエネルギーが大前提の時代の中で、単なる思い付きで作られた物であろうが、こういう物を作り出す開発者や企業は、大多数の使わない人達に対する迷惑をどう考えて居るんだろうか。
しかし、これも「我々が作らなければ、誰かが作ってしまう」という恐怖心が商品化してしまうのだろう。
勿論、法律に触れる訳ではないので社会的には問題ないことではあるが、静に川や湖でカヌーを楽しもうと思っている時、水上バイクは実に迷惑な存在である。しかし、一度世に出てしまうと、今度はそれを排除することは余程のことがない限り難しい。
民主主義が多数決というのであれば、利益を上げることだけしか考えていないで商品化され、多くに人達に迷惑を掛ける物に対して多数決原理を使っても良いのではないだろうかと思ってしまう。
ちょっと横道に逸れ過ぎたが、先に取らねばという発想が魚資源を根絶させてしまうのではないかと心配である。
雲
また、人間は見通せない事に対してはそれ以上考えることをせず、楽観的に捉えることにより、自分の中で解決したと思いこませることが出来る可成り奇妙な特性を持っている。
だから、既に生きられる温度範囲を広げた人間にとって、温暖化も楽観的に捉え、一件落着した気分になってしまうんだろう。
発情期を無くし、知恵を持った人類は、種を残すという生物としての特性は非常に優れていたのだろうけど、同時に持ち合わせた「楽観的すぎる特性」や「今しか見ない特性」や「全体を考えない特性」や「今の目の前の現象を都合良く解釈する特性」などが大きな問題になるかも知れない。
自然システムから逸脱した人類は今後どんな方向に向かうのだろうか。
「最後の食用魚を求めて・沈黙の海」は是非読んでいただきたい一冊である。

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