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ある建築家の発言をインターネットで読んだ。
エンジン1
現在、民主党が言っている「コンクリートから人へ」に対して、「一生懸命都市をつくるために頑張ってきた建築にかかわる人に対して失礼ではないか」と発言したそうだ。何だかがっかりした。(この人の思想の全てと理念について知っているわけではないし、その前後の発言の全てを知っているわけではないので、今回の「失礼」という発言について、言葉尻を捉えただけの意見に成ってしまっているかも知れない)これを失礼というのなら、全ての変革に対する発言と提案は失礼な話と言うことになってしまう。ウインチ
至って論理性のない情緒的な話だと思う。建築っぽいと言えば建築っぽい話だ。
大体、今までのように単なる自分の思いや主観だけで社会的に存在する物を作ることは、エネルギー的、環境的に相当考慮しない限り、もしかしたらこれからの社会に対しては失礼に成ってしまうのではないだろうか。

現在の文明の成り立ちは勿論人類が石器と火を使い始めてから続いている必然の積み重ねである。
その経過の中で、人類は化石エネルギーを発見し、それを利用する知識と技術を獲得し、今に至った。
つまり、産業革命を成し遂げたのである。カモメ
それから200年ばかりの間に、化石エネルギーを唯一の拠り所にして現在の都市文明を築き上げた。
つまり、石炭・石油という炭化水素を空気中で燃焼させ、大量の二酸化炭素を出すことにより、熱エネルギーを取り出し、それを電気エネルギーに変換して、又はそのまま熱として使う技術を作り上げた。
それを用いて、先ず素材を作りだした。
次にその素材を用いて楽して快適さが得られる多くの物を作りだした。そして作り上げた物を使用するためにエネルギーを消費し、二酸化炭素排出してきた。
次は寿命の来たそれらの物を壊すために、そして片付けるために、又膨大なエネルギー消費と二酸化炭素の排出が待っている。
それが現代の文明である。
結果、地球上の環境を至って急速に変化させることに成ってしまった。
地球環境は、地球が生まれた時から、勿論、今の様な環境であった訳ではなく、劇的に大きな変化を繰り返してきた。その中には自然の変化として温暖化もあったし、ある時期は全面氷結もあったようだ。
そして大隕石の衝突による環境の激変が恐竜たちを絶滅させてしまうことまであった。バルブ
しかし、現在の問題も隕石の衝突に劣らない激変を生み出そうとしているのではないだろうか。
地球の歴史から見れば爆発的とも言えるほどの短時間での変化は、隕石の衝突による変化に似ていないだろうか。
もしこの変化量が200年という時間でなく、二万年であったなら多分人類を含めたあらゆる生物にとって余り問題を起こさないのではないだろうか。
二万年も有れば完全に変化に対して順応できるだろうからである。
つまり、温暖化が問題ではあるのは、それが余りにも急速であること、時間が短すぎることのためである。
それ故、先ずこの爆発的な増加を止める必要があり、その為には、一時、少なくとも二酸化炭素を出すのは「止めよう」としなければ成らないのではないだろうか。ボート
二酸化炭素を出すことで成り立っている今の文明を一端止めて、振り返ってみる必要があるのではないだろうか。
二酸化炭素を出さなくても成り立つ文明を模索してみても良いのではないだろうか。
勿論これは文明の後退などでなく、まさに前進であり、人類の新しい進歩なのである。
その進歩に対する模索の一つとして、既存の概念を壊す象徴として「コンクリートから人へ」という言葉が使われたのであろう。
つまり「コンクリートから人へ」という比喩は単なる言葉の綾に過ぎないのではないだろうか。
単なる分かりやすい表現の一つであり、失礼という次元の話ではないのではないだろうか。
誰だって今までみんなプライドを持ってやって来た。だからこそ、これからもプライドをもって変えようよ、ということではないだろうか。配線
正反対の価値観の新たな社会建設にまた携われる事になり、実に有意義な時代に生きていると言えるのではないだろうか。
つまり、一生で二度美味しい目に会える、ということではないだろうか。失礼どころか、変化の時代を作ろうとしていることに感謝すべきなのではないだろうか。
大体、建物がコンクリートでなくては成らない理由など何所にもないと思う。
それは今まで作り上げてきた価値基準の中から出て来た考え方である。
要塞や城塞は石やコンクリートでなければならないだろうが、これからは木材を含めた大きなサイクルで文明を再構築すべき時なのではないだろうか。
都市に於いても、高層ビルがなければ都市が本当に成り立たないんだろうか。新しい都市作りとしての木造五階建てではどうしていけないんだろうか。
これから必要なことは、エネルギーを自前する新たな都市作りではないのだろうか。
新しい価値観の創出ではないだろうか。

高層ビル化は近代の一つの流行なのではないだろうか。
大体、工業生産品として作った物は自然に帰らず、全てゴミに成ってしまう事はもう誰でもがわかっている事である。だとしたらエネルギーを自前する都市、寿命が来れば全て自然に戻る都市を目指すべきではないのか。
廃墟として残骸を残すのか、朽ちて森に帰すのか、今はもう後者を選択する時代ではないのか。ボート横
今の都市は炭酸同化作用をほとんどしない、そう言う意味では死の世界なのだろう。外から膨大な化石とウランによる電気エネルギーと食料の供給無しには生きて行けないのが現在の都市あり、二酸化炭素を吐き続け、ゴミを吐き続けるのが都市なのであろう。
都市とは全く自立できないシステムであることを、ここで改めて自覚すべき時であろう。
朝早い大阪のベイホテル51階から見ていると人の動きが見えず、動いているのは車と列車のみである。
朝霧の中に立っている高層ビルは何とも無表情に見えた。

配管1
自然界は太陽エネルギーを炭酸同化作用という非常に高度な使い方をしているが、人類はといえば、単に光と熱としてしか利用できないでいた。
しかし、ほんの最近になり、やっと太陽電池により自然界に少し近づいた利用の仕方ができる様になった。
「コンクリートから人へ」などという言葉こだわる前に、今まで一人一人が後生大事にしてきた「常識」なるものを捨て去る覚悟がそろそろ必要なのではないだろうか。

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