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いまだに変わらず涙が止まらなくなるテレビ画面に見入ってしまう。
時間が経てば経つほど、今回の災害の大きさ、悲惨さが、そして悲しさが明らかに成ってくる。
地震と津波による復旧は確実に進んでいるんだろうが、福島第一原発がその足を引っ張っている。
原発事故さえなければ、被災された方々にそれこそ全力投球できたのに、残念で成らない。
3月25日の朝日新聞朝刊に「大津波 東電甘い想定」 「福島」の危険性 90年代から指摘  という記事が載った。白連
2009年6月産業技術総合研究所活断層・地震研究センター岡村センター長が、869年の貞観大津波の再来を指摘。
それに対して、原子力安全・保安院も現在の対策では十分ではないことを認めていた。
また、1997年には産総研のチームや、石橋神戸大名誉教授が今回の事態を予見した論文を発表していた。
石橋氏は、過去に作られた原発の安全性を地震学の最新成果で見直していないことを危惧されていた。
福島第一原発が作られた40年前には、沖合にプレート境界が有ることは知られていなかった、ということである。
ここからがすごい話しであるのだが、古い原発の耐震性を見直したり、新設の原発を強化するための耐震指針を見直す動きが90年代からあったのだが、しかし、産業界から、建設計画が一段落するまで耐震指針を変えるなと圧力が掛かったのだそうだ。
新指針を作ってしまうと廃炉が早まったり、補強や計画変更で「費用が余計に掛かる」という理由で、先延ばしにする政治的判断が働いたのだそうだ。
しかし、結局、改訂されたのは耐震指針であり、津波の危険は余り重要視されなかったようだ。
そして今回の原発震災が起こってしまった。
産業界は国民の安全と言うことより、自分の利益追求を優先させたのだろう。花
立場上しょうがないといってしまえばそうだろうが、物を決める立場に居る人が、原発は特異な技術であるという認識ぐらいは持てるレベルの人達であって欲しかった。
そうすればこの事故は最小限で止めるられたのかも知れない。
単に金を生み出すことがうまいといだけで、決める立場に立ててしまったということは、この国にとって何とも不幸な事であった。

こういう経過から見て、今回の事故は人災であると断定できると思う。
結局、経済が最優先で進めてきた付けが現在の原発事故なのだろう。
もし関係者が本気で真剣に考えていたなら、勿論津波の大きさは変えられないが、少なくとも、この様な事態には成らなかったのだろう。
こういう大事故が起こると、何時もつくづく感じるのだが、私を含めてほとんどの人間は、危険にぶつからないと本気で危険を感じることが出来ないと言うことである。
しかし、何故、万が一全ての安全システムが機能しなくなった時、(それは人間が作ったのだから当然あり得る)
どうするのかということをどうして考えなかったのだろうか。梅
ごく一般的な普通の考え方は、何かあれば全てが完全に安全側に移行し、静止するようにする、とどんなアホな技術屋でも考えるのではないのだろうか。
政治も企業もその日の金の方が重要で、未来に対しては、そんなことが起こって欲しくない、という希望的願望が一人歩きをし、時間が経てば経つほど、あたかもそれが現実であるかのように錯覚してしまうのだろう。
しかし、これはこの国の人間の限界を示すことであり、個人を今更追求することではない。
そんなことに終始すれば、それこそ根本原因を覆い隠すことに成ってしまうだろう。
この前の侵略戦争もそうだったが、今回の原発事故も同じなのではないのだろうか。
ごく一部の人のメンツや都合で物事が決まって行く事である。
東電の都合、経済界の都合とメンツであり、言ってみれば利益優先のことであり、何も考えずそれを容認した役人と政治の怠慢のことである。木蓮
少なくとも役人と政治家は自分たちのこととして真剣に考えなかった結果である。
個人の能力として限界があるなら、人間の想像力に限界があるなら、つまり起こりうる全てのことをが想像できないのであれば、社会システムとして安全性を確立しなければならないのだとしたら、核分裂技術を利用をしないことが最大の安全策ではないだろうか。

この国は唯一の原子爆弾の被爆国である。しかし、ご丁寧に原子力発電所からの被爆も経験してしまった。
これを機会にエネルギーの大部分を輸入している現状を、もう一度単純に振り返ってみる必要があるのではないだろうか。
そうすれば、普段はエネルギーのことなど全く考えたことがない人であっても、何らかの理由でこれが止まったらどうなるのだろうと疑問をもつだろう。
その単純な疑問が大切なのではないだろうか。
金さえ出せば幾らでも電気を売ってくれた東電が、売れなくなってしまったのだ。
これから絶対止まらない保証は誰がしてくれるのだろうか。夕焼けとボート
輸入だけに頼っている以上、そんな保証は誰にも出来ないことは、これも誰にでも解る理屈である。
今までの政治家や役人で誰が一体この国のエネルギー自立を本気で考えたのだろうか。
その可能性を誰が本気で追求したのだろうか。
少なくとも、政治家と役人でそんなことを真剣に考えた人間は一人も居ないのだろう。
こんなエネルギー状態の国は、単純に「おかしいんじゃない」と普通は疑問を持つものではないのだろうか。
もし起こってしまったら、起こった場所だけで対処できず、どこまで被害が広がるか解らない技術に頼ることは、一人の普通の人間の感覚として「おかしい」思うことではないのだろうか。
1957年東海村の原子炉が臨界に達し、それが新聞記事になり、子供の科学にも載った。
当時、中学一年生であり、理科少年であった私は、本当の意味の原子力を考える訳ではなく、ただ、興奮し、是非、東海村へ行ってみたかった。
それは、高校2年生の夏休みに自分自身で実現させた。
当時住んで居た足立区から二泊三日で自転車で見に行った。
北千住ーー我孫子ーー佐原ーー潮来ーー鹿島(泊)ーー大洗ーー東海村ーー水戸(泊)ーー土浦ーー我孫子ーー北千住夕焼け
鹿島と水戸の日本キリスト教団の教会に、図々しくも飛び込みで泊めて頂き随分歓待されたことを良く憶えている。
何とも良い時代だったんだろう。
東海村の原子炉施設の中に入った訳ではないが、外から見て感激したのを今でも忘れない。

これを契機に、遅ればせながらであるが、国はエネルギーを自前することを原点にすべきである。
残念ながら、今すぐ原発の全てを止めることは出来ない。
それこそ、新しい国を作るためにも産業振興し、貿易を継続しなければならないからだ。
その為には、今回のことを重い教訓にして、すぐさま全ての原発のフェイルセイフ化を目指して最大限の改善がなされなければならない。しかし、それは飽くまでもこの国の未来に対しての暫定処置でしかない。
短期計画でしかない。中・長期計画の目標は100%自前エネルギーの達成である。夕焼け雲
目標さえ立て、一丸に成れば、アメリカを相手に勝ち目も無い戦に望んだこの国であれば、可能なのではないだろうか。
太陽電池の技術も生産力もトップクラスである。
国土は急峻で山に降った水は莫大な位置エネルギーを持って海に流れ込んでいる。
日本中に小水力、ミニ水力、マイクロ水力発電機を設置すれば原発を何基も廃棄することが出来るだろう。
この列島の直ぐ近くには強力な海流もある。このエネルギーを手なずけるべきである。
この国は今から70年も前に多数の空母を持った大艦隊を建造し、運用していた実績がある。
アメリカ以外に、これほどの艦隊を運用した国はいまだに無い。
それを思えば、海流の中に大海流発電機艦隊を運用することなど容易いことではないだろうか。
勿論その前に、徹底的な節電社会にしなければならないが・・・・

今回の原発事故で、安全システムを更にどれだけ付加しなければならないのか、色々意見が出るだろう。
そして改善されるだろう。
二重、三重、四重、五・・・・・の安全装置が付加されるのだろう。しかし、常に、もしそれが崩れたらどうするのか、ということは永遠に付きまとうことには変わりがないことだ。
技術が失敗することは、人間がやる以上当然なことである。
この際、どんな失敗が起こっても、それを単に直せば済んでしまう技術に置き換えるべきである。

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