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7月27日の朝日新聞社説に”太陽光発電「創エネ」に早く行動を”が載った。
今になってもまだそんなことを書かなければならないこの国は、何とトロイのだろうか。黄小花
今頃、太陽光発電を2020年までに今の10倍とか、30年には40倍だとか言うくらいなら、何でもっと前に言わないのだ。
何をボヤボヤしているんだ。
そんなに太陽光発電に興味が無いなら、煮え切らないような、でれでれとした決め方などせず、いっそのことやらなければよいと思うのだが、それもできない。
本当の未来像も指し示せず、この国の未来社会に対する信念もなく、キョロキョロと周りを見回し、一体全体、何の後にくっついて行こうとしているんだろうか。
全く何のもくろみもなく、何の勝算もないのに無益に時間を引き延ばしたために、本来死ぬ必要がなかった非常に多くの人を、死に至らしめた前の戦争の時のようである。
まだ、また原爆を落とされなければ分からないのだろうか。赤花小81
太陽光発電の量を決めるのに、今の何倍かなどという言い方はないし、何で今が基準になるんだ。
何も考えていない適当な数字合わせとしか言いようがない。
大切なのは、これからどれだけ太陽光発電の必要な社会にするか、定量値を出すことである。
太陽光発電の量を表すのは「倍」という単位ではなく「ワット」であることをご存じないのだろうか。
「また、泥縄式かよ!」と言いたくなる。
どこの国だろうが、どんな業界だろうが、それらがどんなに地団駄踏んだところで、近い将来は太陽エネルギーに頼らなければならない時代が来ることぐらい分からないんだろうか。もたもたしていて、もし、太陽エネルギーに頼らないのなら何に頼るというのか。
温暖化戦争の絶対国防圏はもう既に突破されているのである。
いつかのように絶対国防圏を無目的にズルズル後退させ、莫大な犠牲を出してから渋々気が付くような愚を二度と犯しては成らないと思うのだが・・・・
しかし、何が、誰が太陽光発電の足を引っ張って居るんだろうか。
何が加速されない原因なんだろうか。
太陽光発電パネルが格好悪いと言う抵抗勢力がある。こういう言い方は、勿論単なる主観に過ぎず、次元が違う。ゴウヤ
エネルギー(=生きる)の問題であり、それも単にお金で買うエネルギーと言うことではなく、地球環境を破壊しかねないエネルギーの問題である。
主観だけでは処理できる問題ではない。
今だけ儲かればいいという化石エネルギー業界の欲望なのか、これから伸ばしたい原子力業界の力なのか、今までの金蔓が無くなる政治家や役所等の税金族の抵抗なのか、それとも今の自分さえ良ければよいと考える人間の本性なのか・・・・
少なくても予算の問題ではない。60兆円を道路だけに使おう、ということが平気で言える太っ腹お国柄だから、少なくても金の問題ではない。
勿論技術の問題ではない、となると、単に決めるかどうかという問題に過ぎない。
それに必要なのは、未来を夢見るビジョンである。そして決断力である。
しかし、その能力を最も持っていないのが、税金族達であろう。彼らが牛耳っていてはいつまで経ってもらちが明かない。
至ってシンプルな問題だと思うのだが、こんな問題がまだ解けないとは・・・・



渋谷でも新宿でも歩いているだけで、ポケットティシュが何個か直ぐに手に入る。
便利な世の中になったと言えばそうだが、こういう社会現象が心の粗雑さを生み出しているんではないかと思う。小花723
つまりポケットティシュはタダなのである。
タダでもらえるということが、そこに隠れた全ての資源やエネルギーもがタダであるかのように錯覚させるのではないだろうか。
ティシュペーパーは昭和39年に日本で初めて発売されたらしい。私が20歳の時である。
ポケットティシュが出たのは昭和43年だそうだ。
我々が小学校の頃はティシュペーパーに変わる物として手ぬぐいを腰にぶら下げていた。
今は保育園生でもちょっと何かあれば、その度に親の真似をしてティシュペーパーを一枚二枚と引っ張り出している。
それがこの時代の常識になっている。温暖化阻止の為には、少なくとも20世紀までの常識は変わらなければならないはずなのに、ことティシュペーパーに関しては変わる兆しさえ見えていない。
日本に於けるティシュペーパーの消費量は年間約50万トンで、材木換算で住宅7万軒分、一人あたりにすると約4Kgで世界一だそうだ。こればっかりは何の自慢話しにもならない。ちなみにトイレットペーパーの年間消費量は約95万トン、木造住宅14万軒相当の木材を使い、紙おむつの年間消費量は約37億枚で、約1000万本の木が必要、紙パックは年間72億本が使われ、その重さは20万トンになるらしい(いずれの数字も地球温暖化白書ホームページより紙 - 『地球温暖化白書』)一人一人の何気ない消費が莫大な消費につながっていることに驚かされる。
この様に何気なく行われている紙の消費は想像も付かない大量なものになっている。
雲723よくホテルやレストランなどのトイレに置いてある、手拭き用のペーパーも2~3枚を無造作に引き出して平気で使っている大人を見かけるが、これなんかもタダであるが為の無駄使いの極地と言える。
店の方はサービスのつもりなんだろうが、この時代、トイレに手拭きペーパーなどいらない。ついでに、あのうるさいだけの風で吹き飛ばす手の乾かし機など全く必要ない。
各人がハンカチを一枚持っていれば済むことである。
これらも又、人の感性や、気遣いを麻痺させ、人の進化の方向を逆転させる無意味な商品達である。まさにアメリカから入ってきた旧世代の遺物である。
私はティシュペーパーを使う時、必要に応じて口から出ている分を2~3センチや、5センチの巾で裂いて使う。
いくらデジタル時代だとは言え、常に一枚が必要なわけではない。
スーパーマーケットのトレイによる決められた量の販売方法には文句を言っているのに、ティシュペーパーを使う時は、状況を少しも考慮すること無しに決められた一枚を使っている。至って矛盾していることを平気でやっている。
しかし、必要量だけ裂いて使うとなると、取り出し口と平行に裂けるタイプのティシュペーパーでないと使い難い。
取り出し口と直角方向に裂ける物はとてもやり難い。
そうするとティシュペーパーを自由に選ぶわけにはいかず、100%再生紙か100%パルプの問題にぶち当たる。
前記した、紙「地球温暖化白書」の数字は100%パルプの場合の換算値だろう。
理想は再生紙に決まっているが、現段階でどちらが良いのか何とも難しい。
社会のエネルギーが全て太陽エネルギーに変わった時、そのエネルギーをいくら使って再生してもかまわないわけだが、現在のように化石エネルギー電力を使う再生紙はどうなんだろうか。
月下だからと言って、砂漠化が進行しているこの地球上の森林を、これ以上伐採して良い訳はない(間伐材など森林育成のために出てくる木材や、計画的な植林とシステム化している木材は別だが)。
いずれにしても、単なるムードや感情論だけで判断する訳にはいかない問題である。
一般的に人の日々の行動基準は慢性化していて、常にそれを見直しながら生活することはほとんどの人がしない。
しかし、温暖化阻止ということは一人一人が、自分の日常生活の中の些細で何気ない行動を見直すというみみっちい行動の積み重ねが必要なんだろう。
今、孫達は紙おむつで育っている。買って使って捨てるだけ、の女性(男性も?)にとっては至って便利な社会環境になった。
三十何年か前に子育てをした時、妻によって一生懸命作られたオムツが、きれいに洗われてまだ手元にある。勿論、オムツ以外のいろいろな用途に現在も便利に利用している。
文明の進化とはこれから何を生みだそうとしているんだろうか?
ますます分からなくなる。
何でもかんでもティシュペーパーを一枚使うのではなく、100%再生紙のトイレットペーパーを必要なだけちぎりながら、ケースバイケースで使い分ける方が良いのだろうか・・・・



暑い毎日が続いている。そう成れば成るほどエンジンを掛けっぱなしで駐車している車が増えてくる。
勿論、冷房を効かせるためである。
しかし、2000ccものエンジンを載せているのは車を走らせるためで、クーラーの為だけに動かす物ではない。手賀大橋
本当にこの国は、子供を卒業したはずの身体の大きくなったグループ(通称”おとな”と言われている)が、欲しい物を手に入れるため駄々をこねるような、幼児化が進んでいる様に見える。
自分さえ良ければ良い症候群なのであろう。
炎天下でない日陰の涼しい場所を選んで駐車して居るんだから、窓を開けて風を入れて済ませればよいと思うのだが、それが出来ない。そういうことに気が付かないのか、分からないのか分からないが、少なくともこういうグループの人達は、普段からCO2とか温暖化とかには取り立てて興味はなく、別世界のことぐらいにしか感じていないのだろう。
しかし、ガソリンを湯水のごとく使うヒトが勝ち組で、大切に使う羽振りの悪い人が負け組のような価値観が、今は完全に逆転しているのに、そのことがまだ分かっていないようだ。鈍感というか、鈍いというか、低いというか・・・・ホモ・サピエンスとして立派な脳みそが与えられているはずなのに、一体全体その何%が使われているんだろうか。
紫式部大体、ホモ・サピエンスとは知性人とか叡智人の意味である。
少なくとも、「猿人」から進化したはずなのに、また「えんじん」に戻ってしまうのではないだろうかと心配してしまう。
ホモ・サピエンスはエンジンを発明し、自動車を乗り回すまでに進化したが、それが存在出来る環境に変化が出ていることに未だに気が付かないでいる「えんじん族」がどうもまた再発生しているようだ。
うっすらと汗をかいた身体に風が通り過ぎてゆく時のホッとする感じは、爽やかでさえあると思うのだが・・・・
まして、人が乗っていないのにエンジンを掛けっぱなしの物がかなり有る。未だにこういう行動を平気でしているのはどんな顔か見てみたいと思うが、それほど暇ではないし、見たところで得はしないし、大体想像は付くのでそうまではしない。
もし「どうしてエンジンを切らないで平気なのか」と質問をしてみたとすると、多分、よくても「自分だけやったってしょうがない」程度のお粗末な答えしか返ってこないだろう。
ホモ・サピエンスとして1400ccの脳みそをご先祖様から頂いているのにしては、ちょっとお粗末過ぎるのではないだろうか。「えんじん族」なら脳の使用量に比例して車のエンジンも50ccぐらいにすればよいと思うが・・・・
温暖化に対応するということは、生き方を変えることである。
今まで常識だったことを「これからもこれで良いのだろうか?」と見直すことである。
今までの惰性でしかない継続を遮断する勇気が必要である。
露葉「エンジンを切らないのは、自分の勝手だろう!」とあたかも自主性が有るような言い方をしながら、直ぐその後で「みんなだってやってるじゃないか!」と平気で言って、その矛盾に気が付かないのだから、やはりちょっと幼児化しているのではないだろうか。
と偉そうに言う自分も常に原点に戻って反省することを忘れては成らないと思っている。
原点とはCO2がゼロの事であり、よく言われる低炭素社会が原点ではない。
低炭素という抽象的な言い方は、単に曖昧にしたいが為の表現に過ぎない。
車で言えば、乗らないのが原則である。その上で、急発進急加速の為に吹かさない、不必要なスピードは出さない、急ブレーキにならないように前方の流れを特に見て、アクセルコントロールをする、などをプリウスで実行している。が、それだけで良いわけではない。
仕事も、化石エネルギー消費を前提にした床暖房から、CO2ゼロの暖房システムの開発を何としてもしなければならない。
CO2ゼロの生活を目指すためには、自分だけの努力では確かにどうにもならないが、今までみたいに単なる気分だけで生活の全ての判断をして行くわけにはいかないことも確かである。
前回「人体、失敗の進化史」の本の中で、人類の終焉が断定的に述べられていたが、その実現は何としてでも阻止しなければならない。
その為には、余り勝手なことは言わずに「エンジンストップ」ぐらいは実行しなければならないと思うが・・・・



G8サミットの「議長総括」と「エネルギー安全保障と気候変動に関する主要経済国首脳会合宣言」を読んだ。
一言、まどろっこしい! 大体、温暖化問題は今までの概念の国際交渉などではないはずだ。バカの一つ覚えのような「駆け引き」を行う場ではないはずだ。釘
以下の分は「議長総括」の出だしの文である。
「我々は、2050年までに世界全体の排出量の少なくとも50%の削減を達成する目標というビジョンを、国連気候変動枠組条約(UNFCCC)のすべての締約国と共有し、かつ、この目標をUNFCCCの下での交渉において、これら諸国と共に検討し、採択することを求める。
その際、我々は、共通に有しているが差異のある責任及び各国の能力という原則に沿って、世界全体での対応、特にすべての主要経済国の貢献よってのみこの世界的な課題に対応できることを認識する。
このような長期目標に向けた実質的な進展は、既存技術の展開の加速を必要とし、低炭素技術の開発と展開に依っている。・・・・」薄紫
これで一体全体何を決めたのだ。これでは何も決めてないのと同じじゃないのか。
今時悠長にセレモニーをやっている場合なのだろうか。
こんな文章のために主要国の代表者が集まって、その為に物々しい警備をして、莫大な税金を使って、これから地球環境のためにどんな行動に出るというのか。
「前進した」と言っていたが何が前進したのか。
議長を含めて一体全体何をやったんだろうか。
現在の情況は、禁煙車両でなければならない中で、ほとんど吸わない人や1000本も吸っていたり、100本だったり500本の人達が混在しているようなものではなかろうか。
そこで煙を吸いすぎて具合の悪い人が出始めている状況である。にもかかわらず「後から吸い始めたのだから、もう少し余計吸わせろ」と駄々をこねたり、「具合の悪い人なんか本当に出てるのか?」と言って吸うのを減らさないでいるようなものだろう。
ここでの根本的な問題は先ず、たばこは吸ってはいけない禁煙車両だと言うことである。
もし、地球上に人間にまで進化した動物が居なかったら、石炭や石油を燃やして出るCO2は地球上に存在しないはずである。しかし、人間が居る場合はどうして出して良いのか。
不思議でしょうがない。
もし良いとしたとしても、やれ6%だ、10%だ、とどんな根拠でそれを数値化できるのか?単なる都合か利権でしかないのではないだろうか。「50%」というのは客観的な数値であるにも関わらず、全く抽象的なお題目にしか聞こえない。
ピンク睡蓮例えば、山で遭難者に出会った場合、先ずは自分の予定や都合を中止して救助に全力を尽くすだろう。「今日中に頂上まで行く予定なので、それが終わったら助けます」とは言わない。その時、高級な皮の登山靴を履いてる人でも、革靴が買えずに安い布の登山靴を履いている人でも、その場に居合わせた皆が力を合わせて救助するだろう。
私は安い登山靴しか買えないから少し後から救助しますなんて言う人は普通は居ない。
緊急事態にその場に居合わせたら、同じ場所に居合わせたというだけで、仲間意識が生まれ行動を一緒に取るのが人間であろう。
何で国になるとそうならないのだろうか? 
かなり勝手なことを言っているし、やっている。同じ地球上に居る同じ人間ではないか。
先進国だとか、途上国だとかなんて言っていられないんじゃないだろうか。
今は皆が同じように遭難しようとしているのではないのか。
このまま行くと、人類を含めた生物は大打撃を受けるだろう。どうもそれは確実らしい。
先ずは全員で力を合わせてこの危機的状況を打開する事が第一歩だろう。
力を合わせながら新しい状況の中で、新しい経済のことに知恵を出して行くのが人間ではないのか。
価値観を変えなければならない状況に遭遇してしまったのだから、素直に運命と受け止めて
対応するしかないと思うのだが、何で皆が未練たらしいのだろう・・・・



住まいからのCO2排出を押さえようという取り組みはいろいろな企業で始まっている。
三菱重工グループ7社が次世代型超省エネ住宅の開発をスタートしたことと、新日本石油が住宅用総合エネルギーシステムの開発を始めたことがインターネットに載っていた。雌しべ
両社とも超大企業であるが、所詮今までの継続で何かを作らなければならなかったり、今まで積み上げた資源を使わなければならないという大きな制約があるためだろう、内容的には特別参考にするようなところは無かった。
今は、生きて行くために絶対不可欠なエネルギーの大転換をしなければならない時代である。
つまり、生きるための根本原理を変えなければならない時代である。余り過去を引きずっていると大企業も小企業も取り返しが付かなくなるのではないだろうか。彫刻
少なくとも、頭の中では勇気を持って過去の蓄積を捨て去る度胸が必要があると思う。
CO2ゼロハウスを目指す時、単に今の生活の仕方でのCO2ゼロを目指すことは、新しい文明に移行するための過渡的な現象に過ぎないのだろう。
大多数の人達は温暖化による生活環境の変化については未だに理解しようとしていないし、文明が大きく変わろうとしていることなど、夢にも思っていないため、相変わらず仕事内容をほとんど変えられないで居るからだ。
これから少なくとも住まいを考えるのであれば、ハードとしての建物の前に、そこでの生活の有り様をリセットして原点から見直すぐらいのことはしなければならないと思う。
CO2を出さない生活とは、どんな生活のことを言うのだろうか。
そこの所を突き詰めないで、今まで通りエネルギーは単に買ってくるだけの物に過ぎない、と言うことではエネルギーの選択というのは、精々、「電気にしようか、ガスにしようか」というぐらいになってしまうだろう。
これからの生活設計はCO2を出さないために、どんなエネルギーを手に入れようか、というところから始めなくては成らないと思う。
同時に、それを出来るだけ少なくしておくことも至って重要なことである。
どんなエネルギーでも、その使用量を最低にして、最大の快適性を出す事が求められるだろう。お堀
今までみたいにエネルギーを使うだけ使って快適にしようなんて言うことは誰にでも出来る容易いことであるが、これからはお呼びでないやりかたである。
選択できるエネルギーの種類は
(1)太陽光による電気(2)太陽光による光(3)太陽熱よる直射熱(4)太陽熱による温水(5)太陽熱による温風(6)放射冷却熱(7)風による気化熱(8)従来の電気(9)従来のガスなどがある。
これらのエネルギーを適材適所どう使うか、これからは少なくともきめ細かく考えなければならない。
今時、電気かガスかなどと言っているようでは、とてもCO2削減まで考えが及ばないだろう。
つまり今までお金で解決していた(と思っていた)ことを、全て再考してみる必要がある。
今までの石油ぎった生活を単に縮小するという発想でなく、一旦捨て去り再構築すべきであろう。




洞爺湖サミットに向けていろいろと準備が成されているようだが、その中にCO2を全く出さない「ゼロエミッションハウス」というのがある。それを完成させるのに50社ばかりの企業が参加しているようだ。レンガ橋2
ミサワホームでも太陽電池で全てのエネルギーを賄うCO2ゼロの家を発表している。
つい最近「自立循環型住宅」でCO2を50%削減しようと提案されたと思ったら、60%や80%を通り越してもうゼロという言葉が踊るようになってしまった(温暖化に対する社会の変化には目を見張るものがある)。
しかし、今回のこれらのCO2ゼロを目指した提案を見ていると、どうもしっくり来ない。
化石エネルギーを大量に消費することを前提にした、今までの発想と何も進化しているようには見えないのである。全く、これらの住まいからは未来の住宅というイメージが感じられない。
サミット向けの「ゼロエミッションハウス」は参加企業を公募して50社ばかりが参加しているようである。先ず、太陽電池を一般の住宅の5倍近く乗せ、燃料電池、風力発電機、真空断熱材、高性能ヒートポンプ等々、要は今までと何も変わらないただの設備機器を詰め込んだだけのように見える。おみくじ2確かに、都会のど真ん中で屋根しか太陽エネルギーを得られない場合はこんな方法が良いのかも知れないが、相変わらず国がやると単に金ばっかり掛けるだけで、何だか余りにも想像力も芸も無いように感じる。
自然豊かな北海道なのだからもう少し「なるほど!」という工夫があっても良いんじゃないかと思う。無論ゼロを目指すのは大変なことであり、ますます試行錯誤が必要なんだと思うし、今はその途中過程なのであるからいろいろな提案があっても良いのだが、相変わらず自然に馴染むという謙虚さが無いように思う。
これで今までの失敗に学んだことによる未来社会が本当に構築できるのだろうか、と思ってしまう。こういう家は何も建てて実験するまでもなく、金さえつぎ込めば誰にでも出来ることである。金がより掛かった以外に何の新規性も感じられないし、まして「風土」などという言葉はここに存在させる必要は全く無いことになる。
生活からのCO2をゼロにすることは目標として当然であるが、先ずはそれぞれ違う風土、つまり自然エネルギーの分布に合わせて、その土地に於いて得られる自然エネルギー量の中で快適な生活が得られる為には、どういう住まいであらねばならないか、と考えるべきではないのだろうか。
太陽電池はこれからの住まいに於いて絶対必需品だが、だからといってそれを金まかせで沢山乗せて「どんなもんだ!」というような態度は、本当にそれだけで良いのかなと思ってしまう。しかし、みんなが積極的に「CO2ゼロ」を目指そうということは、基本的には勿論良いことである。神社2
方法はどうあろうとも、こういう家が発表されてしまえば「CO2ゼロ」が一人歩きをし出すだろう。そうなれば好むと好まざるとに関わらず、ユーザーの要求によりCO2ゼロを目指した設計及び建築をしなければならないことになるだろう。勿論、ゼロのモデルハウスが出来たからといってゼロを目指すわけではなく、誰に言われなくともこれからはあらゆる行動面でゼロを目指さなければならないだろう。設備ずくめごときのゼロハウスに負けているわけには行かない。
保守、革新の2大政党が切磋琢磨して進化して行くように、機械ずくめの保守と風土をベースに考える革新という構図で切磋琢磨できれば、少なくとも地球環境に対してマイナスには成らないのではないだろうか。



温暖化というのは、温暖化しているのかどうか、それによりどうなるのかを一生懸命時間を掛けて議論してもしょうがないような気がする、と感じる。つまり急速に増加するCO2が爆発曲線域に入ってしまったことが全てを物語っているのではないだろうか。青葉1-150
これは未知のことに対して恐怖を感じるのか感じないのかと言うことなのかも知れない。私は感じる。スタートの原因は兎も角としても、一端海水の温度が上がり始めたりすると、CO2の放散が連鎖的に拡大して行くような気がするからだ。
池の水草の話はご存じだろう。ある日、池に水草の葉が一つ浮いていた。次の日にそれは二つになっていた。次の日は四つに、その次の日は八つに・・・・ある日その水草の葉は池の半分を覆っていた。人はそれを見てまだ半分残っていると言った、という話だ。次の日には池の全てを覆ってしまうのにまだ半分あると言って安心しているのが人間の感覚であり、それが現在ではなかろうか、と言うことだ。
この例え話のように、これからが本番で、ある変化が急速に起ころうとしているようには思えてならない。ドクダミ1-70
それから温暖化の議論はこちら置いておいたとしても、現代は急速に変化せざるを得ない時代だと思っている。つまりエネルギーの問題である。現代文明を支えているのは化石エネルギーの中でも石油である。石油が世界中の全ての人の行動、つまり国家を支えているわけであり、石油を中心に全ての政治が動いているのである。それほど石油は今の文明を維持するのに無くてはならない物になっている。つまり石油によって全ての欲望に対する満足が得られているのである(住まいとはエネルギーを消費するための箱である)。
石油は熱エネルギーを取り出すばかりでなく、現代文明を支えるあらゆる物質の原料となっている。産業革命以前はそれらの大部分を植物が担当していた。だから森林が無くなれば都市は滅んだ。このまま行けばいずれ石油は枯渇する。本当はもう石油を燃やしている場合ではないということだろう。人類に本当の知恵があるなら、温暖化が有ろうが無かろうが石油が無くなる前にその温存を考えるべきである、と思う。
現代文明は石炭という化石燃料に始まり、メタンハイドレードまで手を出そうとしている。つまり水素分が少なく炭素分の多い石炭から、水素分が最大のメタンを利用しようとしている。これは道徳観や倫理観に基づいて行動した結果でない。単なる経済的行動の結果である。
次に来る時代は、放って置いても、好むと好まざるとに関わらず炭素分の無くなった、水素エネルギー社会に向かうと思われる。多分これも経済合理性追求の結果としそういう方向に行くのだと思う。山ぼうし61

R君、だいぶ長くなってしまったが、結局、温暖化に対する結論は、全てのデーター(そんな物を知ることは出来ない)が手に入るわけではないので、自分で見たり感じたり、報道される自然界の現象の変化から独自に判断するしかないと思う。それと結果を誰も見ていないので良く分からないという言い方しか出来ないこともありうると思う。しかし、ことが命に関するのであれば、最悪を想定してそれに対処するというやり方が正しいと思う。万が一、最悪の予想が外れたところで、その為に行動した全てのことはプラスにはなってもマイナスには決して成らないと思う。
以上こんな風に思うのだが如何だろうか。次のメールを楽しみにしている。



竹馬の友であるR.S君から久し振りにメールをもらった。先ずは元気であることに一安心させられた。某出版社を定年退職して悠々自適な毎日で羨ましい限りである。蕾530
話は温暖化についてであった。やはりこの年になるといろいろなことを正確に知りたくなるらしい。
今まで書いたブログを読んでもらえればよいのだが、折角なので改めて自分の中でもう一度まとめて見たいと思う。
ついでに返事はブログ上で公開することにした。
温暖化について正確に知るのは中々難しい。温暖化って本当は何だ? 温暖化で自然環境はどうなるんだ? 今、残り少ない時間の我々はどうしたら良いんだ? 等々、疑問を投げかけてきた。
温暖化のことを本当に分かってブログを書いているのかと言われれば、これから10年後、20年後、100年後・・・・どういう結果になるか本当に分かっている人間なんかこの世にはいない、としか言いようがない。但し、自分がどう感じ、どうしなければならないかと思っているかを答えることは出来る。
先ずはそれを明確にして行動するしかないだろうと思う。蛇苺530
温暖化は本当に起こっているのか? 温暖化というのは気温が上がるということだから、平均気温の変化と平均海水温度の変化で見当は付けられるだろう。世界の平均気温は1891年の観測以来少しずつ上昇しているらしい。海水温はまだそれほど顕著な数字は現れていないようだ。
海水は空気に比べ熱容量が大きく違うため、温度の上昇が現れるまでにはかなりの時間が掛かるだろう。しかし、空気温度が上昇しつつあるということは、いずれ海水温も顕著に上昇してくるだろうと思う。また北極海の氷が減少していることや、あらゆる場所の氷河が後退している現象は、直感的には温暖化に向かっている事を感じさせる。確かにこれだけ見ても本当に温暖化していると断定して良いのかどうかよく分からない。単なる短期的な変動に過ぎないのかも知れない。
しかし、温暖化の大きな元凶の一つであると言われているCO2はといえば、これは急激な増加傾向を示している。人口も同じように近年になって特に急激な増加傾向を示している。人口が増えると言うことは経済活動も大きくなり、エネルギーの消費量が増えると言うことである。これはCO2の増加を意味しているわけで、正にCO2増加グラフと一致している。
この増加曲線が示すCO2増加社会の現象の全てを、今までの常識で予測するのはかなり難しいことなのかも知れない。白花530
予測は出来ないが一つだけ言えることがあるの。それはもう多分このままでいたら全く制御不能になることは間違いないだろうということである。もっとも、地球環境を制御しようなどと思うこと自体は全く不遜な態度でしかないのかも知れないが・・・・
未来にどんな事態が生じるか分からない場合の取る方向は二つある。一つは、分からないのだから今を変えずに成り行きに任せること。つまりどういう事態になっても地球環境の中で起こっていることは自然現象であるという捉え方である。自然が生み出した人間がやっていることは、これも又自然なことであるということであり傍観することである。
もう一つは、最悪を想定し、そうならないように対処する行動をとる、ということである。どちらが正しいのか勿論誰も分からない。としたら自分はどういう行動を取るべきか決めるしかない。

次回に続く


昨日、25日21時にNHKで放映される北極海の現状についての予告編を見た。
久し振りに小貝川へカヌーを孫と乗りに行った楽しいブログを書こうとしていたのだが、何だか浮ついているようで文章が出てこなくなってしまった。カヌーN
写真はニコニコとカヌーを漕いでいるのだが、今の心情と何ともしっくりこない。
こんなその場だけの楽しみを体験させたからと言って何になるのだろうかと考えてしまう。
カヌーで時間をつぶしている暇があったら、孫達のためにもっと何かしなければならないことがあるんじゃないかと思うのだ。
今日の朝刊にCO2濃度が今までの最高値に達したことが載っていた。
ぼけっとしてる間にCO2濃度がどんどん加速しているわけだ。北極海の氷が溶けグリーンランドの氷が溶けると海水面が6~7m上昇すると言われている(但し、グリーンランドだけが溶けるなんていうことはなく、当然同時に南極の氷も溶けるのだろうから海水面はこの倍ぐらいになるんだろう)。その前兆であろう氷河の減少が急速に進行していることも画面に映されていた。
こんな現象が次々に知らされているのに、のんびりカヌー遊びをしていることがどうも心から楽しい気持ちにしてくれないのだ。M.jpg
しかし、北極海の氷が減少したら、ここぞとばかりに地下資源に群がるというのは、人間をどう理解したらよいのだろうか。
そこから収奪した化石燃料を益々大量に廃棄して、更に氷を溶かして掘削しやすくしようというのだろうか・・・・
方や京都議定書を国家間で決めておきながら、その一方で益々CO2を出すための行動をその国家が取る、というのは何とも理解できない。
理解できない方が悪いんだろうか。
しかし、自分もそういう行動を取る同じ人間であるわけで、とすると益々分からなくなってしまう。そんなことが続くようであれば、人類の会を脱退できないだろうかと思ってしまう。
人間が偉そうな顔をしなければ、まだ何だか分かるような気がするが、偉そうな顔をしながら結局はメチャクチャしか出来ていないことが何とも理解できない。
温暖化対策を積極的に取ることは経済競争力を損なうという主張がある。何を恐れているんだろうか。
私たちはこの前の戦争で全てを失った。物的にもそうだが、人的にも最大の戦力である優秀な若者(いわゆるエリートと言われる人間を意味しているわけでない)を多数失った。そんな中から立ち上がって今を築いたのではないのか。むしろそれまであった物、それまでの常識を全て失ったために、新しい道に踏み出せたのかもしれない。タンポポ524
それに比べれば太陽エネルギー社会に切り替えるのにほとんど失う物は無いはずである。当時の経営者や政治家に比べれば今の情況は余りにも甘い情況ではないかと思う。単に甘えているに過ぎないのではないだろうか。
折角ガソリンエンジンの車も買ったのに、と先のことは何も考えず単に今を維持したいと考えているだけなんだと思う。企業で言えば、折角社長に成れたのだからこのまま何とか退職金を手にしたい、としか考えていないんじゃないだろうか。
それが産業・分野別に削減可能量を積み上げる「セクター別アプローチ」などというもっともらしい言い方を生み出したのだと思う。
削減可能量などと言ったら所詮人間のやることだから適当に甘くなるのが当たり前である(もしかしたらそういう人達は神様のご家族の方かも知れない)。
今そんな悠長なことが言っていられるのだろうか。そういう言い方をしている人達は一体未来をどうしたいというのだろうか。人間なんて所詮強制されなければ出来ない生き物でもある。先ずは温暖化による環境破壊を食い止められた現象が見られるようになるまでは、甘ったるいことを言わずにがむしゃらに突き進むしかないと思う。それが見えたら一段落、それから新しい文明を楽しめばいいと思う。それは孫達の時代か、ひ孫達の時代か、その先か分からないが、その為に今は多少我慢しなければならないのはしょうがないんじゃないかと思う。かぬー1
そういう時代に巡り会っただけのことに過ぎないのではないか。自分が好むと好まざるとに関わらず戦争の時代に巡り会ってしまった人生に比べれば、命が取られるわけではなく別にどって事はないのだろう。
この国は昔から最初に日が昇る「日の出づる国」と言って振る舞っていたのだから、今こそ、その「日の出づる国」に相応しい最初の太陽エネルギー国家を実践すべきではないだろうか。
総理大臣殿!適当にお茶を濁していないで、洞爺湖サミット頑張ってください!

沸騰都市ドバイ、というNHKの番組が放映された。黄花520
そこには異様な光景が映し出された。水もない木々もない砂漠の中に忽然と都市が出現したのだ。
砂漠の中に未来都市のような景観が現れたことを賞賛する人が居るかも知れないが、至って不自然な情景に見えた。
都市というのは古来から水と食料と火のエネルギーが豊富に手に入る土地に自然発生的に作られてきたのだと思う。
それらが不足するようになれば、また自然に都市は消滅してしまう物なのだと思う。
しかし、ここには石油と金以外に都市発生の条件である水もなければ何もない土地である。
文明が作り出したと言えばそうであるが、正に膨大な石油の海に浮かんだ砂船の都市である。石油をがぶ飲みにしてCO2を膨大に排出しないと成り立たない都市である。レンゲ520
この都市は人間の傲慢さが作り上げた最後の遺物であるように見えた。マネーゲームのための単なる思いつきで作られただけのものであり、自然風土に対して何の必然性も存在していないと感じた。
自然を無視することが進化だと思っている人間の象徴的なモニュメントのようである。
テレビに映し出された情景は確かに形としては面白いかも知れないが、有機的な潤いと優しさを感じることが出来ないカサカサとした無味乾燥な物体に見えた。
この時代になっても、あれを未来都市などと言って賞賛する人がいたとしたら、かなり時代錯誤ものではなかろうか。
あのイメージが使えるとしたら地球的自然環境が存在しない月面か火星の基地ぐらいだろう。地球の未来に対しての参考には全くなり得ないと思う。
世界一を目指すバカ高いビルが面白いかどうかと言ったら面白いだろうが、作るべきかどうかと言ったら、何の必然性もないから止めるべきとなるだろう。周りに土地が有り余っているのに上に高くする必要性など何処にもないのである。桃花520
それを見ても未来永劫まで存続する都市を本気で造ろうなどと考えていないのだと思う。
砂漠の中に新たに造る都市であるなら、せめて全く逆の発想から造るべきではなかったのか。砂漠という風土を最大限利用することからスタートすべきだったと思う。
石油ではなく無尽蔵に得られる太陽エネルギーだけで成り立つ都市にすべきだった。そうすれば世界唯一の文字通り最先端の未来都市にすることが出来るのだと思う。
風土や地形など自然の自然なあり様を無視したため温暖化の問題が発生したのではないのか。
自然の掟を踏みにじったことが環境破壊を招いたわけではないのか。
熱エネルギーを得るためにもう石油を浪費すべきではない。
石油はレア物質として、物作りのための大切な資源として長きに渡って使えるようにすべきである。
当然、有限である事には変わりがないので、完全リサイクルシステムの構築も欠かすことは出来ないだろう。
地球という小さな宇宙に浮かぶ球体の中に含まれている物は全て有限である。それらを全部消費し尽くせば都市と同様、消滅が有るのみではなかろうか。
自分の今より、孫の未来を大切にする勇気を持たなければ成らない時代になったことを悟るべきである。

ガソリンの値上げが反対か賛成かと言えば、それは当然賛成である。
勿論、道路にこれから60兆もつぎ込みたいグループのアホなやり方に賛成しているわけではないのは当然である。花見月52
車からのCO2を減らす最良の方法は、出来るだけエンジンを動かさないことであることは言うまでもない。
しかし、こんな楽な乗り物を持っていながら動かさないで、出来るだけそっとしておくことは中々難しい。
CO2削減の為に、温暖化回避のために、環境のためにと理性を働かせて出来るだけ車に乗らないようにと言ったところで、ほとんどの人にとっては馬の耳に念仏である。
だからといって無理に強制することは出来ない。赤52
じゃほって置いて良いかというとそうも行かないだろう。充電式バッテリーを積んだ電気自動車や水素利用の燃料電池車が出れば別だが、まだ出ていない。
来年か再来年には電気自動車が出るらしいが、出たところで普及するのにはかなり時間が掛かるだろう。それまで手をこまねいているわけにはいかないのだから、何か手を打つ必要がある。となると、先ずは利用頻度を下げるしかない。
しかし、いくら口で言っても聞き入れられそうもないのだから、ガソリンの値段を上げて使いにくくするしかない。車を使うメリットも勿論大きいが、使わないメリットも非常に大きいと思う。
使わないメリットとしては、車に乗らないで歩いたり自転車に乗ればその分健康には至って良い。メタボもかなり解消できる。乗らなければガソリンを余り買わないのだから家計が助かり、その分を他の楽しみに使うことが出来る。時間つぶしのために乗ることが無くなるだろうから、本を読んだり、物を作ったりする時間が増える。乗る時間が減る分緊張してぎすぎすした気分の時間も減る。交通事故を起こしたり、遭遇する確率が減る。部品の消耗が減るため車の買い換え寿命が延びる、など個人的なメリットは大きい。楓52
社会的なメリットとしては先ず当然CO2の排出量が減るので、温暖化対策に貢献できる。道路が空き、スムースに走れるため効率が上がり、CO2の発生量が更に少なくなる。道路の騒音が減り静かな街を取り戻せる。駐車場がすくため更に道路がスムースになり、業務用の車の効率も上がる、などなど上げると切りがなさそうだ。
それではディメリットは何かというと、どうしても使わなければならない人が使い難くなる。身体にハンディキャップを持っている人、小さな子供を育てている人、業務用に使う人と企業など、これもいろいろな情況の人達が居るだろう。
それなら状況に合わせて還付するシステムを作ったらどうだろうか。結果として1リットル100円で利用できる人がいたり、150円だったり、200円だったりということになる。こんなシステムを作るのはこの国の優秀な数多いパブリックな人達がもう少し仕事を増やせば大したことはないだろう。
スズラン52車が必需品であるなら誰でもが使わねばならない時に使えるように、その収入に応じて、ハンディキャップ、社会機能を維持する重要度に応じてガソリン代が変わることは当然なのではないだろうか。
1リットル200円や300円になれば、無駄なアイドリングも無くなるだろうし、意味のない吹かしも無くなるだろう。
金も持っているからガソリンを多く消費し、CO2を大量に排出して空気を汚しても1リットルの金額が同じというのもおかしいと感じる時代に入ったんではないだろうか。
人間は皆同等に良い空気を吸う権利を持っているはずだと思うのだが、ガソリン代を高くして少しでもきれいな空気の社会を作ろう、何て言う政党が出てきたら100%落選するだろう。
残念ながら車のCO2排出抑制など今のこの国の生き方ではほとんど無理なのかも知れない。



2020年、日本で光化学スモッグが増えるそうだ。原因は中国の経済成長に伴い、大幅に石炭燃焼による窒素酸化物が増えるからである。若葉429
これからますます国家間でこういう軋轢現象が現れるようになるだろう。
これは簡単に言うと「トバッチリ」ということである。
こういう事が顕著になってくれば来るほど、全ては地球という限られた空間の中でひしめき合って生きているという現実を実感させられる。
自分たちの生活をすることが国境を越えて他国に影響してしまうほど、人間の活動範囲が大きくなってしまったからだ。
プリウス429しかし、中国の窒素酸化物が増えたからと言って、それだけを取り上げて責めるには何とも釈然としない気持ちもある。
勿論そんなことは今更始まったことではないからだ。特にチェルノブイリ原発事故は世界中に大きなトバッチリの恐怖を与えたし、日本国内に於いてもトバッチリは不可抗力的にあらゆる所で起こっているからだ。
企業による公害などはその冴えたる物であり、この国はその問題に悪戦苦闘した長い歴史もある。
1954年ビキニ環礁で水爆実験が行われ第五福竜丸が死の灰を浴びた事件があった。そして放射能を帯びたマグロが大きく取り上げられた。
これも正にトバッチリの冴えたる物である。
トバッチリ無しに人間社会など存在し得ないと感じることが余りにも多い。
人間は自分自身から常にトバッチリを生み出しながら、他人からトバッチリを受けながら生きて行かねばならないのだろう。
人間社会というのはトバッチリの連鎖ががんじがらめに絡み合った社会と言えるのではなかろうか。人間とはそういう存在なのだろう。
温暖化問題というのは、そういう最も根本的な本質的な人間社会のシステムをあぶり出して行くのかもしれない。赤花429
南の島々の国は海面上昇のために消滅せざる得ないかもしれない。
しかし、多分、彼らほどCO2を出さない生活をしている人達は余りいないだろう。
他の国の欲望のために、国までなくなってしまうかもしれない時代である。
何とも理不尽な事であるが、それが地球上の人間社会がこれから迎えようとしている現実である。
温暖化が起こりつつある唯一のプラス面は、皮肉にもそんな人間社会の本質をあぶり出し、問題点をはっきりと意識させてくれることなのかもしれない。
また、国が、国がなんて言っていないで、地球は一つという意識を芽生えさせてくれる切っ掛けになるのかもしれない。
しかし、期待は期待として、現実には自分達が着実に温暖化問題に対処してゆかねばならない。



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