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2012年9月24日
原発に於ける「討論型世論調査」について
9月20日だったと思うがNHKで「討論型世論調査」のことの話が出た。
「討論型世論調査」とは簡単に言うと、いくら無作為と言っても、何も考えていない人や殆ど知識のない人に意見を聞いても始まらないのではないか、ということから編み出されたらしい。
それは先ず最初に第一回の調査を行い、次に、前もって専門家から十分な情報の提供を受け、小集団と全体会議でじっくり討論し、その後に再度調査を行う物である。
以前から無作為抽出市場調査に疑問を持っていた。
特に政党の支持率をマスコミが発表するのは何の意味があるのか未だに理解できない。
自分以外の他人がどれだけ支持しているかなんて知った所で何の意味も無いと思う。
どの政党を選ぶかなんて言うことは、自分で情報を調べて期待できる所を自分で選べば良いだけだと思う。
なまじ支持率などを出すと、ただその数字だけを見て選ぶレベルの人を増やすだけだと思う。
一種の空気作りであり、世論操作のように思える。
支持率などは選挙の結果を見ればよいはずだ。
また、駅前のインタビューがテレビに現れることがある。
多くの通りがかりの人を無作為に選び、その意見をテレビに全て出すのではなく、一人か二人の意見だけを選んで出すのは、結果として世論操作につながり兼ねないと思う。
人はそれまで何も考えていない問題でも、聞かれると口から出任せでも何かを答えようとする。
「考えた事がないので分かりません」というなら兎も角、その場で格好が付かないので何かを答えてしまう。
その意見が果たして民意に入れて良いのだろうか。
例えば、原発問題で2030年にゼロか15%か20〜25%と聞かれると、15%か20~25%と答えた大部分の人は「経済活動が・・・」と言う。経済活動と電気エネルギーの関係など考えたこともない人がそう発言しているとしか思えない。
ましてや、2030年における経済環境など誰も分かるはずがないことである。
経済界のお偉方が「原発が無いと経済は成り立たない」と言うが、自分の会社が2030年にどうなっているのか分かる人間など一人も居ない(単なる希望的目標ぐらいは有るかも知れないが、今から18年先なんか有るわけがないだろう)にも関わらず、原発が無いと社会は立ち行かないと口から出任せを言っている。
もしそんな未来が分かるなら、どんな不況も予測でき、企業は儲かる一方で、ましてや潰れることなど起こるはずもない。
企業がやっていることは、未来予測などではなく、単なる希望的目標を立て、それに邁進しているに過ぎない事が多いのではないかと思う。
経済とはそれほど不明確であり、予測など至って難しい問題であるのに、テレビに出て来る経済界の誰それが「経済・・・」と言ったことを聞いただけということに過ぎないのに、正に単なる請け売りにしか過ぎない発言を公のテレビの前でやっているのである。
こういう市場調査による意見を集めて、「民度」を測る尺度にするならまだしも、それを「民意」として扱うのは非常におかしな感じがしてしまう。
「こんな分かっていない人が居ますよ」というお知らせならまだしも、それを民意の一つとして良いはずはないと思う。
そこで、「討論型世論調査」という手法が編み出されたのだろう。
先ず、基本的な知識を身に付けてから質問に応じるというのは当たり前と言えば当たり前であり、それこそ質問に答える人間としての最低の責任だと思う。
6月28日(http://izena.blog95.fc2.com/blog-entry-407.html)と7月10日(http://izena.blog95.fc2.com/blog-entry-408.html)のブログに書いたが、いずれも原発に対して曖昧な知識しか持ち合わせず、真剣に考えたことがない中学生4人と、知人の電気屋の社長1人が原発の知識を得た途端に反原発に180度変身した。
NHKが行った「討論型世論調査」の結果も、ゼロが32.6%→46.7%に、15%が16.8%→15.4%に、20〜25%が13%→13%であった。
この「討論型世論調査」の番組を見ていたわけではないので、どんな知識が得られたのか分からないが、ゼロにすべきだという賛成者が増えた結果になった。
原発の問題は基本的な知識を得れば得るほど賛成する人は居なくなると思う。
現在、原発から利益を得ている人で、原発の本当の問題点を知った場合、度胸と勇気と夢のある人はそこから脱し、新しい道を進むのであろう。
将来のことや子供や孫のことはさておき、今、自分の利益が減ってしまうということだけを考える人は原発賛成なんだろう、と感じる。
「討論型世論調査」という方法によってより正確な民意が明確に成ると、それが国を動かす原動力になり得るのではないだろうか。
多数決の原理を生かしながら、行き詰まっている現代の民主主義を突破する糸口になるような気がする。

尖閣に対してあるテレビ局で「断固とした態度で臨むべきである・・・・」と言っていた。
それを聞いた多くの人が、多分「そうだそうだ!」と憤ったことだろう。
しかし、断固は良いがその先にどんな結果を描いての発言なんだろうか。
今となっては、日本が「あれは日本の領土だ」と言って歴史的な記述を見せた所で、中国も同じ事を言うだろう。
力関係から見てもそうなるのだろう。
話し合いで決着が付けられるのならそれに越したことはないが、今の日本人と中国人はそれが出来るほど進化していないだろうから、結局は力ずくで決着を付けるしかないという事に成るかもしれない。
その結果は多くの人命が奪われる訳だが、日本が勝つ、中国が勝つ、誰かが停戦に入って引き分ける、のどれかになるだろう。
しかし、完全にどちらかが占領するということには成らず、結局は問題を棚上げして今まで通り無人地帯にするか、共同管理にして両者で何か事業をすることに成るだろう。
だったら少なからぬ人命を掛けて争奪戦をするなど愚の骨頂ではないか。
ましてや、日本が負けて主権が中国に移ってしまうようなことが有れば、それこそ元も子もない。
日本人の命が失われて、オマケに島も失うことになる。正にバカバカしいことである。
まさかもう一度ガダルカナルをやる訳には行くまい。
マスコミは少なくとも今回の件に関しては、愛国心を鼓舞するような報道を極力してはならない。
この問題は冷静に政治的に決着を付けるべきことであるから、売り上げ部数を上げる為に、視聴率を上げる為に、大衆を感情的に鼓舞するような報道はしてはならない。
大人と大人(大人が居ないと困るが・・・)の交渉にまかせるべきである。
マスコミがアジり、大衆が興奮し、更にマスコミがアジり、更に大衆が興奮するスパイラルは冷静な判断を抹殺し、悪循環へ突き進むしかない。
命を掛けて戦う立場にない、勿論その気もない人間が何の心配もない所にいて騒ぐべきでない。
その暇があったら、一人の犠牲も出さないで解決する手段を一生懸命考えるべきである。
現地で戦う人間には、必ず家族が、妻が、子供が、恋人が居る生身の人間である。

311から始まった内戦である原発放射能戦争は、終息するどころか、ますますエスカレートして行っている。
その中で、尖閣へも戦線を拡大すべきでない。
この国が先ずやることは、一にも二にも、先ずは原発放射能戦争にけりを付けるべきである。
とても二方面作戦などこなせる国ではないし、やっている場合ではないのだから・・・・


夕焼け雲2

しかし、ここまで社会システムが巨大化してしまうと、未来を見ずに現状を維持したい力も巨大である。
核分裂熱発電所が無ければこの国の経済は成り立たないし、二酸化炭素の発生も抑えられないという声が、特に産業界に大きい。
本当にそうなんだろうか。
確かに目先の利益だけを考えている人に取ればそう感じるのも仕方ないかも知れない。
しかし、この国が世界の中でエネルギー対策を根本から見直さねばならないという状況に於かれていることは、マイナスなどではなく、最大のチャンスを手に入れたと捉えるべきではなかろうか。
これだけの被害者が出たのだから、せめてそれを生かそうという考え方が無ければ、この国の国民は救われない。
66年前の敗戦の時の状況を思えば、エネルギーを根本から見直さねばならない今の状況など、天国にいる楽さに等しいのではないだろうか。
核分裂熱発電をやめ、太陽エネルギー社会を目指そうと決めても、既存のエネルギーが社会から無くなるわけではない。
核分裂熱発電所が全て止まった所で電気が全て無くなるわけではない。
少なくても70%(現実には核分裂熱発電の占める割合は10~20%だろう)ぐらいはそのまんまである。
その他、社会の全てのシステムは健在なばかりか、むしろ健全な生活が営まれるのはないだろうか。
そういうい恵まれた中でエネルギーを太陽エネルギーに全力で転換しようというわけである。
基本的なインフラは十分備わっている中での非常に恵まれたエネルギー変換である。
そして、一旦決めれば多くの予算が集中され、常に既存のエネルギー70%に太陽エネルギー分が付加されて行くのである。
変動するとか安定しないなどということは、現実に殆ど関係ないことだ。
その上、付加された太陽エネルギー分は、少なくとも化石エネルギーを輸入しなくて済むことに成る。
プラスの現象しか起こらない。
もし、石油や天然ガスが切羽詰まってから転換するのであればそんなわけには行かないだろう。
いずれやらなけばならないのであるのなら、早ければ早いほど条件は良いのであり、有利であることは今までの歴史が生み出した社会の鉄則である。
それなのに、未だに本当に有識者なのかどうか解らない有識者とマスコミから言われている人達は、殆ど全員が核分裂熱発電所は直ぐには無くすことは日本社会にとって不利になると言っている。
また、太陽エネルギーは、まだ1%弱しかなく、全く頼りにならないと訳の分からないことを真顔で言っている。
誰が考えたって予算も付けず、力も入れていないのだから当たり前なことである。この場に及んで今更ぬけぬけと良くそんなことを言えるもんだと思う。
もし、核分裂熱発電所と同じだけの予算を投入し、力を入れてきたなら、誰も太陽エネルギーが頼りにならないなんて言わないだろう。
有る番組で、某国立大学の関係者が「サンシャイン計画で実験した太陽エネルギーの全ての技術は失敗だった」というようなことを真顔で語っていた。
サンシャイン計画というのは核分裂熱発電を主流にする為の単なる当て付けのセレモニーであったに過ぎないのだから、当然の結果である。
技術というのは誰でも知っている通り、時間を掛けて、何回も改良して初めて実用化する物である。
実験に大した予算も付けず短時間で結論を出したのは、核分裂熱発電が有利だという事を印象づける為だったに過ぎないだろう。
それを今更サンシャイン計画が失敗だったなどとわざとらしく持ち出すのは考えられないことである。
単なる核分裂熱発電村の一員の発言に過ぎないので過剰に反応する必要もないが、こういう事が放映されると影響も大きいので気を付けねばならない。
国民は、まんまと役所と核分裂熱発電産業界とに計画通りやられたのであると思う。

次回に続く

アクアレイヤーを開発してからもう15年になる。
先ず、時間の過ぎる早さに驚かざるを得ない。
あと15年過ぎると82歳になる。
運が良ければまだ生き永らえているだろうが保証の限りではない。木蓮
アクアレイヤーを開発するまで、「水」ということについてほとんど何も考えたことがなかった。
私にとって余りにも当たり前な存在だからである。
雨が降れば「水」浸しだし、蛇口をひねっても「水」は幾らでも出たし、銭湯へ行っても、川や海に行っても「水」は当たり前に幾らでも有るため、一々「水」を意識することがないのだろう。
学校で習った「水」はH2Oであり、電気分解すると水素と酸素が発生し、比熱が最も大きいということぐらいであった。
比熱が最も大きい物質といっても普段の生活の中で意識する訳でもなく、強いて頭の中で考えれば、湯たんぽが朝まで冷めないのは比熱が大きいかだと言うくらいであった。
「水が腐る」という表現に何も疑問を抱かなかったばかりか、「水」が腐るなどということは一言も教わっていないのに、漠然とではあるが「水」は腐る物だと思っていた。こぶし2
「水」がH2Oという無機物であるとちゃんと習っているんだから、腐るという概念が基本的に間違っているのに、それがいつの間にか変わってしまったのである。
ほぼ万人が「水」は腐るということを常識だと思っている訳で、自分のことは棚に上げてであるが、義務教育って一体何なのだろうかと思ってしまう。
そんな訳なので、アクアレイヤーの開発時にいきなり「水」を使うなどということが出て来た訳ではなかった。
勿論、開発時には「アクアレイヤー」という名前もなかった。
本当は、蓄熱量において「水」がコンクリートの約2倍有ることも知らなかった。
何故それが解ったかというと、蓄熱材を選ぶことに行き詰まり、理科年表を見ながら色々な物質の熱容量を計算していて、お恥ずかしいながら初めて気が付いた次第である。こぶし1
一旦、「水」が見つかると、後は色々な優れた特性が見えてきた。
先ずは、何処でも手に入る物質である。無害である。全く変質しない、超安定物質である。何処にも捨てられる。自然に対流するので温度の偏りが起きない。基本的には飲むことが出来る。同じ熱容量であれば、重さはコンクリートの1/5である、等々である。
その為、懸案であった低温火傷の心配もなく、床暖房があることを感じさせない理想的な床暖房を作ることが出来た。
現在は、これから急速に進めなければならない新築、既築のエネルギーの自前化の為の太陽熱蓄熱層としてとして考えて行きたいと思っている。
全面的にするか、一部分の利用にするかに関わらず太陽熱エネルギーを取り込むソーラーハウス化はこれからの必然だからである。
レンギョウ
私達の生活にとって「水」は当たり前の存在である。
しかし、今回の未曾有の震災は津波によってもたらされた。
津波は勿論「水」である。
地震のメカニズムと相まって莫大な量の「水」が凶暴な力を発揮した。
そして、津波は原発の全ての安全システムをも破壊した(破壊されるべくして破壊された)。
原子炉や使用済み燃料は大量の「水」で冷やされているが、その機能が停止させられ、冷却「水」の循環が出来なく成った。
その為、燃料棒の温度が上がり、それを冷やす為に外から大量の「水」が注入され、今も継続されている。
被災に遭われた多くの方々はインフラを失い、生活「水」の供給が止まり、生きるための活動を全て止められてしまった。
(仙台の友人が、電気よりも先ず「水」が欲しい!と言っていたのが印象的であった)
原発に注水された「水」は高濃度の放射能を持って外部にあふれ出している(入れれば何処かに出て行くのは当たり前だろう!)。
雨「水」には放射性物質が含まれ、それが水道「水」として検出された。
私達の生活は全て「水」によって成り立っていると言っても過言ではない。
(人間だって60%以上は「水」で出来ているし、何と言っても、私達の命の始まりは母親の羊「水」の中である)
その為、普段はほとんど意識することをしない。
私達が毎日お世話になっている、稲も野菜も果物も家畜も「水」無くして存在できない。花ニラ
そんな大切な「水」は津波だけでなく洪「水」でも大きな被害をもたらすが、大きな力の一部をうまく利用すれば、小水力発で、海流発電、波力発電などで電力を大量に作ることも出来る。
たかが電気のエネルギーを作るだけであるなら、太陽電池は別として、在来の技術で十分なのではないだろうか。
超高級技術としている原子炉では、高々蒸気を作るだけである。
何もわざわざウランを買ってきて、莫大な金を使って、危険を冒して、出来もしない完全な安全システムなど夢想する必要など無いだろう。
地震発生と同時に東京湾の石油プラントが炎上した。
このプラントにも色々と地震対策がなされていたのだと思うが、結果としては役に立たなかった。
しかし、派手に燃えてるな、ぐらいにしか感じなかった。
ほって置いても燃える物が無くなればいずれ消えるだろうし、同じ千葉県でも、家からはかなり離れているから関係ないと思い、それで一巻の終わりである。
これが単なる水蒸気を作るだけの原発技術との違いである。

私達の周りには「水」のエネルギーを始め太陽熱エネルギー、太陽光エネルギー、風力エネルギー、薪火力エネルギー、発酵エネルギーなど私達の力で利用できるエネルギーが有り余っているのではないだろうか。
エネルギーを得るのに原子力の専門家に任せるなど有っては成らないことだと思う。
任せておいては自分の人生を、自分の力で守ることが出来ない。
電気のことは頭を「水」で冷やしてもう一度考えるべきだろう。
地球は正に「水」の惑星である。

今頃ヘリだと???一体全体どうなっているのだ!!
この原発事故は誰が、どんな組織が、どうやって解決しようとしているのだ。
それが未だに全く見えてこない。
放射線を止めることが最も重要だが、この対処方法を見ているとこの国の安全管理や事故などに対する解決システムが無いことがもっと危険である。夕雲3
全ての対処方法がそうであるが、その中でヘリコプターの活用を見ていると全く不可解千万である。
このブログは揚げ足取りのために書いているのではない。
何で自分が理解できないのかが解らないのだ。

4月9日に以下のニュースが流れた。
「「東京電力は9日、福島第一原発の原子炉建屋などの状況を監視、撮影するための遠隔操作の無人ヘリコプターを投入すると発表した。
近く試験飛行を行う。機体の左右に動画などを撮影できるカメラを搭載しており、建屋の状況を詳しく把握して復旧作業に役立てる。アメリカヘリ
東電によると、投入されるのは米ハネウェル社製の軍用無人ヘリ「Tホーク」。回転翼が入った直径約30センチ余りの円盤に、4本足がついた奇妙な姿をしており、重さは約7・7キロ。ガソリンエンジンを搭載し、最大10キロ・メートル離れた場所からの無線操縦が可能で、全地球測位システム(GPS)を使って正確な位置に空中停止できる。
米国防総省高等研究計画局が4000万ドルの予算を投じた小型無人機プログラムの一環として開発され、放射線量が高く、人が立ち入れない場所の様子などを探るのに使えるという。操縦は米国から派遣された同社員が担当する。」」

自分の感覚や常識だと思っていることが、今回の原発事故の対処でことごとく打ち砕かれているのだ。
原発で大きな事故が起こったなら、当然、放射線が漏れ出し、基本的に人が簡単に近づけないことは誰でもが解ることである。
近づけないが、何が何でも現状を早く見て、どう対処しなければならないかを決めなければならない事も常識である。
これも誰でもが考えることであり、至って常識的なことではなかろうか?
人が行って見られないなら、人が行かなくても見られる方法を早急に取る事は、これもまた幼稚園生でも解る常識であろう。夕雲2
そうであれば、目的地でホバリングが出来る無人のヘリコプターを使おうと考えるのも常識であろう。
休日には利根川の河川敷や、広い田んぼを利用してかなり大きなヘリコプターがリモコンでホバリングをしているのをよく見かける。
あれを見ていれば(見ていなくとも)、誰でもがあの技術を利用しようということになるだろう。
この様な模型のヘリコプターにビデオカメラと赤外線カメラ(温度の違いを色の違いで写せるカメラ)を取り付けて、事故現場の上空へ行き、出来るだけ近くまで下降し、停止して写真を撮るなど誰でも考えることであろう。

下記の文章は、ヤマハ発動機株式会社のホームページに書かれているものである。
「「2000年、建設省土木研究所(当時)より無人ヘリコプターによる北海道有珠山の災害観測の依頼を受けて、実用化開発が一気に加速。短期間で、災害観測という使命を完遂するための様々な課題解決や専用システムの開発・評価を行い、4月には、世界初ともいえる可視外で、飛行プログラムに基づいた自動飛行を可能にした「自律航行型無人ヘリコプターRMAX」が災害観測・調査を成功させ、その観測データがマスコミを通じてニュースに取り上げられるなど大きな成果が得られました。」」ヤマヘリ2

「「2003年3月、RMAX(L15)の各部をさらに熟成させ、新たに進化したYACSに高精度GPSを用いて自律航行型RMAXで培ったノウハウを融合させた「YACS-G」を搭載した農業用無人ヘリコプター「RMAX Type II G」を発売。
オペレータの操縦疲労の低減と、正確で均質な散布作業を実現すること、また“安心と安全”をキーワードに開発を行ないました。送信機の操作スティックを中立位置に戻せば機体速度にブレーキが加わり、ホバリング状態となる機能を追加、また送信機のスティックを一定位置で保持すると速度が一定になる機能を開発。
このモデルが産業用無人ヘリコプターの汎用性をさらに広げ、日本の農業がかかえる農業生産者の高齢化と後継者不足、農村構造の多様化や混住化による航空防除の補完、農産物の低コスト化など、様々な問題の解決に寄与できることを期待しています。」」

とても不思議で成らない事は、こういうヘリコプターが有るのに、何故真っ先に使わなかったか、ということである。こぶし
それとも、誰かが使おうと言ったのに、誰かが止めたのか?それとも誰も気が付かなかったのか?
誰もが気が付かなかったなどということは、常識的に考えられない。
何故、1ヶ月を経ってから、それもアメリカ軍の無人ヘリコプターなのか?
何故、ヤマハを使わないで、アメリカ軍のヘリコプターにしたのか?
どんな力が働いていて、アメリカ軍になったのか?
誰が原発事故の収束を遅くしているのだろうか?
それは誰の利益になるのか?

まあ、いつか原発事故が起こることは常識だろうが、事故の対処の仕方は非常識のオンパレードであるように感じる。
しかし、ここまで書いて来たのだが、実は、当然ながらまず最初に無人ヘリコプターを飛ばし、キャタピラロボットを原子炉の近くに入れて(入って行けない理由が有るなら、それを発表すべきだと思う。日本人の誰でもが、ロボット技術は世界一だと思っている。)正確な状況を掴んでいたのだが、状況が余りにも酷いので発表しなかったのかも知れない。
単純な情報操作なのであろうか?
もしそうだとしたら、国民は誰に踊らされているんだろうか?
こんな風に感じてしまう人は多いのではないかと思うのだが、少なくても事実の報告の仕方には納得がゆかない。
実はどうだったのか、知っている人は是非、教えて下さい!

漆黒の宇宙に浮かぶ地球の写真を見ると何とも愛おしさを感じる。
こんなに美しい地球には命が満ちあふれている。
地球は太陽を中心にした太陽系の一員である。
地球上において私達が生かされているのは太陽のお陰である。
太陽無くしていかなる生命の存在もあり得ない。9地球7
しかし、核融合反応により莫大なエネルギーを放出している太陽は、本来は生命抹殺システムである。強烈なガンマー線や紫外線を出し続けているからである。
その強烈な放射線の空間の中に、一粒の水玉のように浮いているのが、私達のふるさと掛け替えのない地球である。
地球には太陽からの莫大な放射線を防ぐシステムが備わっている。3水星から地球
磁気圏、オゾン層、大気層などがバリアーとなり私達生命が誕生し、今にいたっても命を育む事が出来るのである。
もしそのバリアがなかったら、太陽からの強烈な放射線に曝され、地球上に私達は発生すら出来なかっただろう。
偶然与えられたバリアは地上に生命の楽園を作り上げた。
にもかかわらず、事もあろうにバリアの内部の楽園で、わざわざ放射線を発生させるシステムを私達人類は稼働させた。
これは正に宇宙の原理に反する事ではないのだろうか。7太陽系2
しっかりした防空壕はどんなに爆弾を落とされても、安心していられる。しかし、原発とはその防空壕の中でわざわざ爆弾を爆発させる様なものではあるまいか。
折角、宇宙が私達生命を発生させ、生きて行かれる環境をお膳立てしてくれたにも関わらず、人類はその環境を無視し、破壊する方向で進化を積み重ねてきた。
その破壊が最高潮に達した技術が原発なのではなかろうか。
わざわざ宇宙の原理が与えてくれた楽園内部で、よりにもよって放射線を出す技術を作り出すとは、正に神を恐れぬ仕業なのではなかろうか。2月と地球5
折角放射線からガードされているこの地上で莫大な放射線を出し、それを人間の力によって閉じ込めようなどということは余りにも傲慢な態度ではないだろうか。

人間は電気無しには生きられない。しかし、たかがタービンを回す為の蒸気を発生させるために、多大な放射線を出す核分裂技術を使う必要があるのだろうか。
前のブログにも書いたが、蒸気を使ってタービンを回すだけが発電ではない。
もっと地球のこと、環境のこと、人間のことを真剣に考えていれば、わざわざ原理を無視して核分裂技術を使う必要性など何処にも存在しないのだと思う。
もし使うのであれば、その条件としてどんな種類の放射線も中性子線も瞬時に消せる技術が開発できた時であろう。5太陽5
しかし、今更、そんな技術開発に金と時間を使う暇があるのなら、たかが電気を作るためのことであるなら、故障した時にそれを管理している人が直せる発電機器を全国にばらまくための資金にすべきである。
修理している間は、隣から少し電気を譲ってもらえば済む社会であるべきである。
現在は処理の技術は全く開発されていないにもかかわらず、至って危険なゴミだけを生産し続ける政策を取るなど、人間がこれからも生きて行くための原理を全く無視している。
まるで下水につながっていない水洗トイレのようである。それが使えるなどと思う人間は何処にも居ないだろう。
原発はそれと同じだ。
今回の事故で、命の犠牲が無くして収束させられるのだろうか。
未だに誰が何を考え、何処でどうしようとしているのか全く見えてこない。8地球3

何で、これほど、オール日本で、全力で、最短でやらねばならないプロジェクトであるはずなのに、一方通行で水を入れて冷却すれば放射能を持った水が大量に溢れてくることぐらい解っていたのに、3週間も経ってから初めてメガフロートを持ってこようということに成るんだろう。この期に及んでもまだ舐めて掛かっているように思えてしまう。
オール日本の技術力とは全く思えないのは何でなんだろうか。

原発事故が起こり、社長の「想定外だった」発言から一ヶ月に成ろうとしている。
確かに想定外だったのだろう。一生懸命考えた「つもりだったと思っていた」から、そう言わせたのだろう。
どんな事故も起きないと思い込んでいた為、そういう言葉が出て来たのだろう。桃色花1
今回の事故で最も学ぶ事は、これから太陽エネルギー社会になったらもう二度と学べない貴重な体験をしているという事である。太陽エネルギー社会ではこんな事故は絶対に起こらないからだ。
人間はどんなに考えたつもりであっても、どんなに英知を集めたつもりであっても、全てを見渡し、全ての事象に対して予測し、対応策を考えておく事など全く不可能なことであるからだ。
だったらどうするか・・・答えは至って簡単である。前回のブログにも書いたが、危険を予測できなければ「やめる」という事しかない。
例え興味で技術者が発明しても(これは止められないかも知れないし、原発は正にそれだ)、社会が世に出さないようにすることである。
6500万年前、ユカタン半島に隕石が落下し、恐竜が滅びたとされている。
それこそ大津波が世界を襲ったらしい。
地震でなくとも津波は起こる。その時の大きさは、それこそ想像が出来ない。
人類が滅んでしまえば、どうでも良いのだろうが、それも予想できないし、50メートルなのか、100メートルの津波が来るのかも知れない。黄色花
100メートルの地下に、完全密閉の空間を作り閉じ込めれば津波にはやられないかも知れない。
しかし、人間が作った物が地球内部のどんな自然現象にも対応できるとは思えない。
人間の作る物は自然に対して余りにもちっぽけ過ぎる。
それよりもそんな物に金を出すならば、他の発電システムに投資した方が良い。
答えは至って簡単で、安全なのではなかろうか。
いつまで経っても太陽エネルギー分が伸びないばかりか、未来の想定が余りにも低く、太陽エネルギーは不安定なので多くを任せる訳には行かない、と言い続けている人達は自分の稼ぎ以上に、未来のエネルギーを本気で考えているんだろうか。
太陽エネルギー時代に成った時、どの面下げて社会に出て来るのだろうか。

現在、全く予断を許さない事には変わりがないが、その対応方法について不可解な事が多すぎる。
これらの対応方法が私達が安全を任せている政治と優秀と言われている役人の出した結果なのであろうか(勿論、東電も入っている)。
さすがに最近はテレビに釘付けではないが、今まで報道されるいる内容に「何故?」「本当?」「嘘だろう?」と思うことが余りにも多い。
しかし、これは単なるど素人の感じ方でしかないのだが・・・・夕焼け1

(何故、まず最初に警察のデモ鎮圧用放水車が出て来たのか)
距離が分かり、高さが分かり、飛ばせる能力と放水量を見れば、とても対応できない事ぐらい小学生にでも解るんではないのか。誰がそれを考え、命令したのか。何故、それを誰も止めなかったのか。
この国が得意としている、顔を立てるという判断が働いたのだろうか。もっとも結果としては、顔が丸つぶれになったが・・・それとも顔をつぶすために見て見ぬふりをした奴が居たのか・・・

(何故、ロボットを使わないのか)
放射線で人が入れなくても、ロボット先進国であるのに、何故、先ずロボットが入って行かないのか。
3週間もして何故フランスの無人ロボットが投入されるのか。
ビデオカメラを付けて入って行けば中の状況は一目瞭然ではないのか。
高校生のロボット大会などが行われているが、彼らにどうしたらよいのか、どんな事が出来るのか、どんな可能性があるのか聞いた方がよっぽど物事が先に進むのではないのか。

(何故、無人ヘリコプターを使わないのか)
3週間近く経って、無人飛行機を上空に飛ばして、上部から写真を撮ったのだそうだが、何故最初から無人ヘリコプターにビデオカメラやサーモカメラなどを最低限積んでホバリングすれば簡単に状況が掴めたのではないのか。
日本のリモートセンシング技術はどうして利用できないのか。
原発の事故は日本の総力戦ではないのか。白花

(何故、コマツのリモコンブルドーザーを使わないのか)
ヘリコプターで水を投入すると聞いた時、真っ先にコマツにリモコンブルドーザーがあることが浮かんだ。
リモコンで動き回れるブルドーザーを改良して放水設備を取り付ける事が考えられなかったのか。
そうすれば、警察官や自衛官や消防士を危険にさらす事はなかったのではないのか。
先ずは人命を危険に曝さらさない事が最も優先ではないのか。
その為には先ずは知恵を出し、それを実行する事ではないのか。

(何故、チェルノブイリの実情に比較して説明しないのか)
チェルノブイリの地図と比較して、どの範囲でどんな事が起こったのか、どの程度ど危険が有るか、を説明すればもっともっと解りやすく、信頼できるデータに成るのではないだろうか。何でただ単に数字だけしか並べないんだろうか。
それで安全だ安全だと言っても誰も信用しないのではないだろうか。

などなど切りがないが、現在に至るまでの対応を見ていると、全く利口でない駄目なシステムに身をゆだねている事に成る。夕焼け2
いずれにしても、何でこんな程度なんだろうか。本当に頭の良い人達が集まって対応しているんだろうか、こんな重大な事故に対して本当にオール日本でやっているのだろうかと疑問に思ってしまう
(誤解しないで頂きたいが、現場で復旧作業をしている方々はそれこそ命を掛けて想像を絶する努力がなされていると思っている)
こんなシステムに私達の安全を任せる訳にはいかない。
しかし、この後手後手のやり方は、本当に何処に原因があるのだろうか、どこから来ているんだろうか。
これを解明しなければ、私達国民は救われないのではないだろうか。


イゼナ情報
izenaお役立ち動画サイトを立ち上げました。
izena お役立ち動画



いまだに変わらず涙が止まらなくなるテレビ画面に見入ってしまう。
時間が経てば経つほど、今回の災害の大きさ、悲惨さが、そして悲しさが明らかに成ってくる。
地震と津波による復旧は確実に進んでいるんだろうが、福島第一原発がその足を引っ張っている。
原発事故さえなければ、被災された方々にそれこそ全力投球できたのに、残念で成らない。
3月25日の朝日新聞朝刊に「大津波 東電甘い想定」 「福島」の危険性 90年代から指摘  という記事が載った。白連
2009年6月産業技術総合研究所活断層・地震研究センター岡村センター長が、869年の貞観大津波の再来を指摘。
それに対して、原子力安全・保安院も現在の対策では十分ではないことを認めていた。
また、1997年には産総研のチームや、石橋神戸大名誉教授が今回の事態を予見した論文を発表していた。
石橋氏は、過去に作られた原発の安全性を地震学の最新成果で見直していないことを危惧されていた。
福島第一原発が作られた40年前には、沖合にプレート境界が有ることは知られていなかった、ということである。
ここからがすごい話しであるのだが、古い原発の耐震性を見直したり、新設の原発を強化するための耐震指針を見直す動きが90年代からあったのだが、しかし、産業界から、建設計画が一段落するまで耐震指針を変えるなと圧力が掛かったのだそうだ。
新指針を作ってしまうと廃炉が早まったり、補強や計画変更で「費用が余計に掛かる」という理由で、先延ばしにする政治的判断が働いたのだそうだ。
しかし、結局、改訂されたのは耐震指針であり、津波の危険は余り重要視されなかったようだ。
そして今回の原発震災が起こってしまった。
産業界は国民の安全と言うことより、自分の利益追求を優先させたのだろう。花
立場上しょうがないといってしまえばそうだろうが、物を決める立場に居る人が、原発は特異な技術であるという認識ぐらいは持てるレベルの人達であって欲しかった。
そうすればこの事故は最小限で止めるられたのかも知れない。
単に金を生み出すことがうまいといだけで、決める立場に立ててしまったということは、この国にとって何とも不幸な事であった。

こういう経過から見て、今回の事故は人災であると断定できると思う。
結局、経済が最優先で進めてきた付けが現在の原発事故なのだろう。
もし関係者が本気で真剣に考えていたなら、勿論津波の大きさは変えられないが、少なくとも、この様な事態には成らなかったのだろう。
こういう大事故が起こると、何時もつくづく感じるのだが、私を含めてほとんどの人間は、危険にぶつからないと本気で危険を感じることが出来ないと言うことである。
しかし、何故、万が一全ての安全システムが機能しなくなった時、(それは人間が作ったのだから当然あり得る)
どうするのかということをどうして考えなかったのだろうか。梅
ごく一般的な普通の考え方は、何かあれば全てが完全に安全側に移行し、静止するようにする、とどんなアホな技術屋でも考えるのではないのだろうか。
政治も企業もその日の金の方が重要で、未来に対しては、そんなことが起こって欲しくない、という希望的願望が一人歩きをし、時間が経てば経つほど、あたかもそれが現実であるかのように錯覚してしまうのだろう。
しかし、これはこの国の人間の限界を示すことであり、個人を今更追求することではない。
そんなことに終始すれば、それこそ根本原因を覆い隠すことに成ってしまうだろう。
この前の侵略戦争もそうだったが、今回の原発事故も同じなのではないのだろうか。
ごく一部の人のメンツや都合で物事が決まって行く事である。
東電の都合、経済界の都合とメンツであり、言ってみれば利益優先のことであり、何も考えずそれを容認した役人と政治の怠慢のことである。木蓮
少なくとも役人と政治家は自分たちのこととして真剣に考えなかった結果である。
個人の能力として限界があるなら、人間の想像力に限界があるなら、つまり起こりうる全てのことをが想像できないのであれば、社会システムとして安全性を確立しなければならないのだとしたら、核分裂技術を利用をしないことが最大の安全策ではないだろうか。

この国は唯一の原子爆弾の被爆国である。しかし、ご丁寧に原子力発電所からの被爆も経験してしまった。
これを機会にエネルギーの大部分を輸入している現状を、もう一度単純に振り返ってみる必要があるのではないだろうか。
そうすれば、普段はエネルギーのことなど全く考えたことがない人であっても、何らかの理由でこれが止まったらどうなるのだろうと疑問をもつだろう。
その単純な疑問が大切なのではないだろうか。
金さえ出せば幾らでも電気を売ってくれた東電が、売れなくなってしまったのだ。
これから絶対止まらない保証は誰がしてくれるのだろうか。夕焼けとボート
輸入だけに頼っている以上、そんな保証は誰にも出来ないことは、これも誰にでも解る理屈である。
今までの政治家や役人で誰が一体この国のエネルギー自立を本気で考えたのだろうか。
その可能性を誰が本気で追求したのだろうか。
少なくとも、政治家と役人でそんなことを真剣に考えた人間は一人も居ないのだろう。
こんなエネルギー状態の国は、単純に「おかしいんじゃない」と普通は疑問を持つものではないのだろうか。
もし起こってしまったら、起こった場所だけで対処できず、どこまで被害が広がるか解らない技術に頼ることは、一人の普通の人間の感覚として「おかしい」思うことではないのだろうか。
1957年東海村の原子炉が臨界に達し、それが新聞記事になり、子供の科学にも載った。
当時、中学一年生であり、理科少年であった私は、本当の意味の原子力を考える訳ではなく、ただ、興奮し、是非、東海村へ行ってみたかった。
それは、高校2年生の夏休みに自分自身で実現させた。
当時住んで居た足立区から二泊三日で自転車で見に行った。
北千住ーー我孫子ーー佐原ーー潮来ーー鹿島(泊)ーー大洗ーー東海村ーー水戸(泊)ーー土浦ーー我孫子ーー北千住夕焼け
鹿島と水戸の日本キリスト教団の教会に、図々しくも飛び込みで泊めて頂き随分歓待されたことを良く憶えている。
何とも良い時代だったんだろう。
東海村の原子炉施設の中に入った訳ではないが、外から見て感激したのを今でも忘れない。

これを契機に、遅ればせながらであるが、国はエネルギーを自前することを原点にすべきである。
残念ながら、今すぐ原発の全てを止めることは出来ない。
それこそ、新しい国を作るためにも産業振興し、貿易を継続しなければならないからだ。
その為には、今回のことを重い教訓にして、すぐさま全ての原発のフェイルセイフ化を目指して最大限の改善がなされなければならない。しかし、それは飽くまでもこの国の未来に対しての暫定処置でしかない。
短期計画でしかない。中・長期計画の目標は100%自前エネルギーの達成である。夕焼け雲
目標さえ立て、一丸に成れば、アメリカを相手に勝ち目も無い戦に望んだこの国であれば、可能なのではないだろうか。
太陽電池の技術も生産力もトップクラスである。
国土は急峻で山に降った水は莫大な位置エネルギーを持って海に流れ込んでいる。
日本中に小水力、ミニ水力、マイクロ水力発電機を設置すれば原発を何基も廃棄することが出来るだろう。
この列島の直ぐ近くには強力な海流もある。このエネルギーを手なずけるべきである。
この国は今から70年も前に多数の空母を持った大艦隊を建造し、運用していた実績がある。
アメリカ以外に、これほどの艦隊を運用した国はいまだに無い。
それを思えば、海流の中に大海流発電機艦隊を運用することなど容易いことではないだろうか。
勿論その前に、徹底的な節電社会にしなければならないが・・・・

今回の原発事故で、安全システムを更にどれだけ付加しなければならないのか、色々意見が出るだろう。
そして改善されるだろう。
二重、三重、四重、五・・・・・の安全装置が付加されるのだろう。しかし、常に、もしそれが崩れたらどうするのか、ということは永遠に付きまとうことには変わりがないことだ。
技術が失敗することは、人間がやる以上当然なことである。
この際、どんな失敗が起こっても、それを単に直せば済んでしまう技術に置き換えるべきである。

大地震、大津波と未曾有の震災になった。震源地2
その上、追い打ちを掛けるように最悪の原発事故である。
こんなに多くの人が一瞬にして亡くなるという事がどういうことなのか、未だに心の中で整理が出来ないで居る。
また現在、放射能漏れを止めるべく東電社員、自衛隊員、警察隊員、消防隊員、その他多くの人が勇敢にも立ち向かっている。正に日本のために命を省ず戦っておられるのだ。
見守るしか何も出来ない私達に取っては、それらの人達の行動が唯一の頼みの綱である。
「頑張って下さい」と言うしかないが、感謝に堪えない。津波3
願わくば、放射線では一人も死なないで欲しい。
この大災害は勿論、私にとっても今まで体験したことのない最も厳しいものである。
亡くなられた方のご冥福を改めてお祈りし、被災された方にお見舞いを申し上げると共に、悲しみを乗り越え、何としても立ち直っていただきたいと思う。津波2

初めて地震により自宅が大きく揺らされているのを外から見た。
冷蔵庫を始め、タンスも本棚も全て壁にしっかり木ねじで固定してあるため、倒れた物は何も無かった。
二階にある天井までの本棚の本が、ものすごい勢いで飛び出して行くのが外から見えた。
昨年の5月に食器戸棚は引き戸式に変えておいたので食器は全く無傷だった。津波1
一カ所だけ小さな開き戸部分があったが、そこには開き防止機構が付いていたため、それが動作して中身が飛び出すことはなかった。
ちょっと大変な思いをしたのは、本棚のある二つの部屋のドアが内開きだったことである。
崩れた本がドアの所で山になってしまったため、ドアが開かなくなってしまったのだ。
初めから廊下側に開くようにしておけば何ら問題にならなかったのだが、ドアをどちらに開けるかは、地震の事も考えた上で決めなければならない事を初めて学んだ。津波5
翌日、何とか押し開いた小さな隙間から孫に入ってもらい、ドア側にある本の山を少しどかしてもらってやっと入る事が出来た。
寝室の本棚の本も全て落ちたが、ベットの横に本の山が出来ただけで済んだ。
しかし、被災地に比べればほとんどダメージの無い我孫子に於いて、ガソリンや食料、水、紙おむつ、トイレットペーパーなどの買い占めが起こっているのは、何とも理解できない現象である。
何を焦っているんだろう。
まさかそれらを買い占めて被災地へ送ろうという殊勝な気持ちがある訳でもあるまい。
家を含めた生活の全てを失い、ましてやご家族を失った人達がいる中で、相変わらず、自分だけは今までの生活を維持しようと、必死になってガソリンを買い求める姿は何とも惨めである。津波7
ガソリンが無く、車が動かなければ乗らなければよいし、何処かへ行きたければ足があるんだから歩けば良いし、自転車だって相当遠くまで行くことが出来るのだ。
行動は、その時の状況に合わせて常に臨機応変であるべきではないんだろうか。
これらの行動は、普段に何も危機意識を持たず、何も準備をしていないで、のほほんとした生活していることによって起こるのだと思う。
強毒性のインフルエンザや未知のウイルス、東海地震、東京直下型地震など、何時何が起こるか解らないのが日常であるはずだ。
今回の震災がまさにそうであろう。津波9

焦らずに、慌てずに居たいなら非常時に備え、一週間や十日分ぐらいの食量や水やカセットコンロ、ボンベぐらいは常備すべきである。
全ての人が大変になる非常時に、出来るだけ人に迷惑を掛けず、出来るだけ自分のことは自分でする様に心がけるなんっていうことは当たり前なんじゃないだろうか。
その為には普段から準備をしておく心構えが必要なんじゃないだろうか。
社会に生きる人として常識にしなければならないのではないだろうか。(今回の津波のように全てが流されてしまっては、勿論打つ手はないが・・・)。
その他、携帯用浄水器、トイレットペーパー、消毒液、トイレットテントなどを常備すべきである。
水は、アクアレイヤーが自宅の二部屋に設置してあり、合計で2トンばかりが備蓄されていることになる。アクア
トイレットテントは庭に穴を掘って水が出なくても快適なトイレにするためである。若かりし頃、家族でよく行ったオートキャンプが懐かしい。何しろ私以外の家族は全て女性であるため(おまけにいつも一緒の柴犬ラッキーも雌であった)、キャンプをする場所を決めると先ずはトイレ用の穴を掘り、トイレットテントを張った。
非常時に庭にトイレを掘るのは、大きな石ころが有るわけではないので至って簡単だろう。
また、太陽さえ有ればソーラークッカーでお湯を沸かしたり、煮物を作ったり、ソーメンをゆでたりすることも出来る。
登山の時に持って行く非常用品の中には役に立つ物も多い。
単3と単4に充電できる携帯用太陽電池も便利だ。シート状でくるくると丸めることが出来て軽くてかさばらないので、充電用乾電池を持っていれば、慌てて乾電池の買い占めに走らなくても済む。
プリウスもだいぶ気持ちの余裕を与えてくれる。備蓄水
地震の時にガソリンは半分ぐらいしか入っていなかったが、よりガソリンを食わないような走りを心がければ、少なくとも400キロは走る。急用で我孫子近辺を走るのなら十分である。慌ててガソリンスタンドへ走る必要など全く感じない。
まだ社会が裕福でない時は、車を格好と大きさという見てくれだけで選んだんであろうが、今の様に車を持つことが常識になった時代は、燃費を最優先で選ぶべきだと思う。
ほんの近くのスーパーへも高級車で行くような人達にとっては、ちょっとの間ガソリンが入らないだけでも、大げさにも足が無くなってしまうとしか考えられず、パニックになるんだろう。何とも心がみすぼらしいらしい。
もし皆がしっかり備蓄をしていたなら、臨機応変に考えられたなら、どんな非常事態にあっても、大して慌てることなく落ち着いた社会で居られると思う。
備蓄することは自分のためだけではなく、むしろ社会のためであり、周りの人達のことも考えることなのではないだろうか・・・・


穏やかな正月の日和の中で、ゆっくりと2010年を思い起こしてみた。
「ととのいました」「・・・・ナウ」などの言葉が飛び交った一年であった。
その中でも仙石官房長官の「自衛隊は暴力装置」という発言が話題になった。
そして大いに物議を醸し出した。白鷺
しかし、私の見ている範囲においては、批判論が圧倒的に多かったように思う。
自民党からは仙石氏の不信任決議案まで出される始末であった。
広辞苑によると「暴力」とは「乱暴な力、無法な力」とある。
暴力と言われると「無法で荒々しく粗雑である」というイメージが沸いてくる。
だとすると、「自衛隊は暴力装置である」=「自衛隊は無法で荒々しく粗雑である」となる。
しかし、今の平和惚けしたこの国の選挙民やその人達に選ばれた政治家にとっては、それが何ともそぐわないイメージだったのであろうか。
現在、自衛隊を構成している人達に対して感情的にそぐわない感じがしたのだろうか・・・・やつで雌しべ
だが、自衛隊を所有しているこの国が、好むと好まざるとに関わらず、外交交渉が全て破綻し、究極の段階に立ち至り、その実力を行使せざるを得なくなる場合もあるだろ(その為に自衛隊を持っているのだが、そういう場面まで持って行かない様にするのが外交であるし、そうならないように最大限努力をすることが最優先である)。
その場合、この国の権利を維持する為、相手を撃退する訳であるから、相手側に死を至らしめることも辞さないことになるし(そうでないと自分が殺されてしまう)、そうでなければ相手を止めることが出来ないことも起こりうるだろう。
少なくともそういう意味では最大の暴力を発揮しなければならない事になる。
つまり、自衛隊は最悪の場合、強力な暴力を発揮できる(勿論、外に対して)システムでなければ何の意味も無い。
もしそうでなければ、そんな物を膨大な税金によって所有していることは、何もとも馬鹿げた話になってしまう。

自衛隊とはイコール紛れもない軍隊のことである。名前がどうあろうと、持っている物は武器であるから誰が見ても軍隊である(もう今時、自衛隊は軍隊ではないなどという詭弁は通用しない)。
自衛隊という名称は歴史的な流れの中で作り出された苦肉の策の表現方法に過ぎない。
例えその武器の構成が専守防衛的であったとしても軍隊であることには変わりがない。
軍隊は暴力を行使する組織であれば、勿論自衛隊も同じである。
自衛隊が動き始めなければならない状況に立ち入った時、自衛だ、攻撃だなどという議論をしている暇は無くなってしまうだろう。国民を守る為に万難を排さなければならないからだ。
ここで改めて、自衛隊は暴力を振るうことが出来る組織であるということを、これを機会に自衛隊は勿論こと、我々もきちんと再認識すべきである。薪
もうそろそろ、目を背けずにきちんと見るべきものは見なければならない時ではないだろうか。
しかし、暴力を行使すること、行使されることは悲惨を生むということであり、それを我々は嫌と言うほど体験しているはずである。
基本的に暴力は絶対に使ってはならない。

1945年以前、この国は自国の軍隊をコントロール出来なかった苦い経験を持っている。
しかし、この国はそのことに面と向かって未だに反省していない。
その為、臭いの物にはフタをしろの情緒的な対応だけに終始して来た。

また、自衛隊は官である。
勿論、官とは内閣府、総務省、法務省、財務省、文部科学省、厚生労働省、農林水産省、経済産業省、国土交通省、環境省、国家公安委員会など全てである。
官とは、官の論理で我々の税金を使って維持されている組織であり、建前上は、我々国民の為にのみ動くことが目的の組織である。滝
しかし、官とは官の組織をまず第一に維持する事が最大の目的の組織であり、二番目はその組織を外れたOBを優遇する為の組織を作ることが目的の組織である。
そして、三番目にやっと前の二つの目的の為にも税金を払っている国民のためのことを「やってやるか」と尊大な組織である(だから我々が選んだ代弁者による政治主導を行う為、民主党に政権交代をさせた)。
そういう明治以来の状況を変えるべく期待して選んだ民主党であった。
しかし、思ったほど状況が変えられないでいるように見えるのは、その根の深さが想像を絶するのだろう。
まず我々はそれを再認識すべきである。
そうであるから民主党を選んだ我々は、少し時間をかけて応援し、見守らなければならないのではないだろうか。
だいたい明治以来続いている組織の惰性力を短時間で変えることなど、どだい不可能な事である。
にもかかわらず、社会は余りにも果実を得ることに急ぎ過ぎている。
今まで自分達が経験した仕事などから考えても、そう簡単には果実が得られないことぐらい解りそうなものだと思うのだが・・・・。
何故それが解らないのか不思議でならない。
選挙民の誰もが、思ったことを短時間で完結してきた経験を持つほど、みんなそんなに優秀なんだろうか、と思ってしまう。
なかなか思うように理想としていることに近づけないでいる凡人にとっては理解できないことである。とり
目先しか考えず、目先しか見えず、マスコミの揚げ足取りとしか思えない報道のみを鵜呑みにし、自分では何も考えず、自分の未来のビジョンも持とうともせず、あっちへぞろぞろ、こっちへぞろぞろと振り回されている選挙民でいて、そんなに良い社会が短時間で出来ると思っているんだろうか。
相変わらず人任せの体質、長いものには巻かれろの体質は変わっていない。
それとも別に良い社会を求めているのではなく、お祭り騒ぎを毎日していられればそれで良いのだろうか。
その結果、相変わらず、パブリックサーバントであるはずの官に牛耳られている。
そんなことでシビリアンコントロールが出来るのだろうか。
1945年以前の悪夢を再現してはならない。
自衛隊を含めた官に、我々の為に働いてもらうには、先ずは我々が主権者たる自覚をしっかりと持たねばならない。
自衛隊であろうが、軍隊であろうが、いずれも紛れもない暴力を行使できる組織である。
それをしっかり自覚し、その暴力を使わないで済むように、絶対に使わせないように我々が国民力を常にアップするよう努力を怠ってはならない。

暴力装置という言葉が適切かどうかいろいろ意見が分かれるところであろう。
しかし、その組織が持っている実力は暴力を実行する力であることには間違いない。
暴力装置がどうのこうのより、過去を分析し、反省せず、そこから学ぼうとしない体質を温存している選挙民をもっと危惧すべきではなかろうか。



また今年も終わろうとしている。
先日、久しぶりにTVタックルを見た。
景気が悪く個々の人たち仕事が上手く行かないのは政治や国が悪いという意見が多かったようだ。
他の原因に押しつけると多少は心が落ち着くことがあるので、その気持ちは解らなくはないが、ちょっと男々しい(最近はこれで「めめしい」と読む)かなという感じもした。
もう少し自分のことは自分だけで解決してやろうという気概ぐらい持ったらと思った。館

実は超弱小企業の弊社も今年は売り上げが相当ダウンした。
しかし、これは社会が悪いわけでもない。
あえて言うなら単に自分の力不足であっただけである。
当然であるが、イゼナには税金による補助金などどんな援助もない。
自分で開発した環境に関わる商品で食うのが目的でやって来たが、これも当然であるが、開発費も全て自前でやっている。
と言うより、言っているほど大したことをやっていないので貴重な税金など出してはくれないのだろう・・・・
まあ、意地でも税金の援助は受けずに自分の力だけ(勿論、社員を含めた多くの方々や企業の援助がなければ、具体的には殆ど何も出来ないのだが)で何とかやってやろうと思っている。
そんなことを言っているから未だにこの様な超弱小企業に甘んじるしかないのだろう。
時代は変わる、社会は変わると言っていながら、言っているほど自分の業態を変えられないで未だに四苦八苦している。馬
勿論、その為の対策は必死で検討しているが、その中に少なくとも政治が悪い、国が悪い、不景気からだなどという理由は入っていない。
あくまでも、そんな外部要因の勢にして、一度の人生という超貴重な時間を棒に振ることが無いようにしなければならないと思っている。
本来で有れば対応しなければならない外部要因に影響されて、人生を終わらせるのは何とも勿体ない話だと思うからだ。
もし、今、自分の中に、外の勢にするという気持ちが少しでも持ち上がるような事があれば、その時は勿論引退しなければいけないし、イゼナは閉店せざるを得ないだろう。

そのようにイゼナの不景気は社会のあり方が影響はしたかもしれないが、少なくともその勢ではない、と思っている。
社会の変化が原因であるなら、それを察知して対策を立てれば良かっただけである。
曲がりなりにも自分で好き好んで起業したわけであるから、どんな社会環境になろうとも全て自分の責任として対処するしかないのである。
大体、政治の勢にしたり国の勢にしたところで、何も解決しないし、何も学べないし、未来の進化につながらないし、ましてや競争力強化にも結びつかない。
政治が悪い、国が悪いというのは仕事をすることとは別次元の話であり、それはそれで考え、対処しなければならない。
但し、単にマスコミの情報だけで批判しているだけであるなら、そんな暇とエネルギーがあるなら、それらを今の自分のしている行動を変えるためのエネルギーに使うべきではなかろうか。
自分の置かれている社会環境はある意味自分の運命である。もしそうなら、その社会環境は自分の力だけでは簡単に動かせない。やつで
であるなら、先ずは自分が変わって見せることが大切なのではなかろうか。
自分の考え方、やり方を変えられれば必ず先が見えてくると思っている。
これは今までの経験からそう感じる。

今から65年以上前の軍国時代に生きた人は、選挙でその状況を変えることなど全く出来なかったし、全てを運命として受け入れるしかなかった。
それもかなり確実な死を伴っていた。
軍国主義に反対しても地獄であり、受け入れても地獄であっただろう。
自分の命は自分以外の力によって虫けら以下に扱われていた時代である。
それに比べれば、今の時代はどこを取っても天国ではなかろうか。
そんな意味でも、文句などを公に言っていられるのは至って幸せな社会における戯言ではなかろうか。

今は誰も敵艦に体当たりせよとは命令しないし、機銃掃射の中に抜刀して突撃せよとも命令しない。
兵站の無いままジャングルに進軍せよなどとも命令しない。何の防御もない輸送船に乗って海を渡れとも命令しない。
当時は自分が死にたくなくても命令で死ななければならない社会情勢であった。
今は死ぬ命令など誰も出さないし、正当な企業活動をするのに殆ど制約などはない時代である。
それほど今は幸せな時代である。ボート

公共事業が減ってしまったことに対して、多くの批判が出ていたが、社会は常に変化しているのであるから、公共事業の内容が変化して行くのも当たり前なことであり、それが時代の流れであり、人類の行動する姿である。
大体、社会は変化を繰り返して来たから今があるのであり、100年前と今は明確に違う。
それを単に元へ戻せみたいな論議は何とも聞き苦しいし、そう言ってみたところで何も自分の成長には結びつかないし、ましてやみんなの為にも成らない。
番組を見ていて感じたことである。
改めて過去の歴史を考えさせられ、今の自分の置かれている立場を考えさせられた。
新しい年もまた人の勢などにせず自分の力で頑張ってみたい、来年はまだ67歳(いつまで「まだ」を通せるか自分にも解らないが気合いを入れることも大切であろう)である、と自分に言い聞かせて・・・・・


温暖化問題について世界の会議は相変わらず混乱している。
本当にウンザリする、目を覆いたくなるが、そう言って傍観しているわけにはいかない。川も
少なくとも孫の時代には、その影響は目に見えてくるだろうからである(今でもその予兆はすでに始まっている!)。
しかし、単なる明日の経済だけが良ければ良いという態度は、同じ生き物として理解できなくはないが、少なくてもお猿さんではないのだから、人間の人間たる証である理性を持って地球の事態を見つめても良いのではないだろうか。
今の文明のあり方を継続した場合、つまり、自分だけの欲望で形作られている現代社会を押し通したなら、未来がどうなるのだろうか。イチョウ2
未来はまさに未知であるが、金星までとは行かなくても、かなりの灼熱になるのかもしれない(金星探査機衛星「あかつき」の失敗は残念)。
今は、その成り行き任せの未知を選ぶのか、さしあたって、確実な未来を作ることを選ぶのか、の選択が求められている。
言い換えると、それが選択できる、選択しなければならない責任ある時代に居るということになる。
新たな確実な未来を予想し、それを構築できる技術(太陽電池、燃料電池、もう少し時間がかかるが超伝導電線等々)もすでに獲得している。
今ここで、欲望のままの出たとこ勝負をする意味は全くないと思うのだが・・・・
自分の今さえ良ければ良いというなら、思考はそれまでであるが、そうでなければ、先ずは予測できる未来を構築して行くべきではないのだろうか。
私たちの遺伝子を引き継ぎ、未来に生まれ行く子供たちのことを少しでも考えるなら、行き当たりばったりの欲望で構築される未来に任せるわけには行かないだろう。
特に日本人は理性を持って未来を考えることができる余裕をすでに獲得しているはずである?(勿論、一億三千万人全てではないだろうが)黄色葉3
それに引き替え、中国は何十年前かの日本が通過してきた、少しお金が入って調子に乗っている状況であり、理性とはかけ離れた心理状況にいるのは理解できなくもない。しかし、そうは言っても何十年も前の時代は、特に環境にとって今の時代とは違う。
時代は常にその時の新しい価値観を求めている。特に環境はそうである。
宇宙は常に膨張し、太陽も常に消滅に向かって水素を消費している。
宇宙とて普遍などあり得ないのだ。
ましてこんなちっぽけな地球上では推して知るべしである。
また、アメリカのあからさまの態度も情けない。
アメリカは折角獲得した裕福さ(全ての人ではないが)を維持したいということなのだろが、今もって自分だけの今の欲望だけを満足したいというのは、裕福になった割には余りにも大人げないのではないだろうか。
人間は裕福に成り過ぎるとお猿さん方向に逆走しだすのだろうか?(日本人も逆走する人が増えつつあるのか?)黄色葉
全ての未来と全ての価値観は地球の環境の上にしか存在し得ないことをもう一度思い起こすべきである。
お猿さんでない人間だからこそ、そのことが理解できるはずだと思うのだが、どうも世の中はそうなっていないようにも思える。
手遅れになって慌てふためいているアホな姿だけは晒すべきではない。
人類ホモサピエンスは、もしかしたら人類になっていたかもしれない原人たちを淘汰して今に至たり、繁栄している。
その自分たちだけが生き残りたい、自分たちだけだ良ければ良いという本能は未だに消えていない。
今の世界ができあがるまでに、つまり最後の原人ネアンデルタール人を滅ぼした後も、自己保持だけを考える遺伝子はご丁寧にホモサピエンス内部で同じことを繰り返してきた。
この国もアイヌの人たちを土人と称し抹殺するために多大の努力をしてきたし、アメリカに至っては、一万年以上の昔から(ミトコンドリアDNAとY染色体の研究から確かめられている)そこで生活してきた人たちをインデアンとして差別化し、抹殺し続け、その土地を強奪してきた。
近年に至ってはドイツがユダヤ人を抹殺しようとした。
これら皆、同じ人類であるにもかかわらずである。
そういう人類共通の自分さえ良ければと言う「血」DNAは未だに衰えることを知らないようだ。黄色葉2
遺伝子によって人間が生まれて来る以上、遺伝子で昔とつながっている以上、致し方のない宿命なのかもしれない。
経済ばかりに声高にグローバルなどと言っていないで、先ずは最も重要な地球環境に対してまさにグローバルに対処すべきではないのだろうか。
COP16の会議で、皆が自国のホモサピエンスの本能を背負って自己主張だけを繰り返している姿は、一丁枚のホモサピエンスのような顔をしながら、何だかだだをこねているお猿さんに見えてならない。



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